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オリンピックの開催地がどういう基準で決定されるか詳しく知りませんが北京に決定したのが今ひとつ理解出来ないというか納得できない気がします。
アメリカ日本など反対には回らなかったのでしょうか?
どんな国がどういう理由で賛成票を投じたのか、ご存知の方宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

開催地が北京に決定した最大の理由は、地域的なバランスにあると思います。


アジアで夏季オリンピックが開催されたのは、東京(1964年)とソウル(1988年)の2回だけです。前回の開催から既に20年程度経過しているので、「そろそろアジアでの開催を!」というアピールが、他の地域の立候補地に比較して、強い共感を呼んだのです。

それに加えて、中国の経済成長が著しいことから、オリンピックが開催される時期には、さらなる発展が期待され、経済的な不安もないと思われたことも、大きなポイントになったでしょう。この場合、IOCにとっては、興行的な成功が望めるか否かも、重要な要素になります。

さて、北京に投票した具体的な国々のデータは検索できませんが、おそらく、中国は発展途上国への経済援助を始めているため、それらの国々との関係が深いので、多くの支持を集めたものと思われます。
地域的には、同じアジア諸国やアフリカの国々が一致して北京開催を支持したかと思われます。

アメリカ等は、人権上の問題から懸念を示したかと思われますが、いくら大国といっても、IOCでは、国連安保理事会のような拒否権はなく、たとえ強く反対して影響力を及ぼそうとしても、かえって発展途上国から一斉に反発されるのです。数のうえでは、発展途上国が圧倒的に多いのですから。

参考URL:http://www.tibethouse.jp/news_release/2001/Beiji …
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この回答へのお礼

とても判りやすく説明していただき有難うございました。
教えていただいたサイトの記事もとても面白かったです。

お礼日時:2007/08/29 21:09

下記に決定に至る経緯などがまとまっています。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BA%AC% …

北京での開催は2001年7月13日にモスクワで開かれた第112回IOC総会での投票により、イスタンブール、大阪、パリ、トロントを破り、決定された。
第1回投票では北京、トロント、パリ、イスタンブールが残り、6票しか得られなかった大阪が外された。第2回投票では、北京が決定に必要な圧倒的多数の票を得た。

第2回投票での獲得票数は、北京56票、トロント22票、パリ18票、イスタンブール9票。
パリやトロントの招致提案が技術的により優れているとの声もあったが、サマランチ会長率いるIOCは商業的観点から、世界一の人口を持つと共に経済成長著しい中国でオリンピック開催を実現させることに特に意欲的であったと言われている。


否定的な論調
中国政府の政治姿勢に対する不信感から、オリンピック開催の是非を問う国際世論に直面しており、人権・人命軽視への批判から「ジェノサイド・オリンピック(大虐殺五輪)」という言葉を用いて苛評されるケースも少なくない。
虐殺問題以外にも、懐疑的な論調として中国の環境, 衛生, 倫理観等に起因する選手への悪影響を懸念する見方も存在した。
世界各地でボイコット運動が起き、またチベット擁護派によるボイコットの可能性が否定できない。
世界各国の著名人や各種団体 (或いは議会) により、様々な観点の論拠が示されており、開催地が北京に決定した後も指摘が続いている。
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この回答へのお礼

早速回答していただき有難うございました。
やはり一筋縄では行かないようですね。
紹介して頂いたサイトの内容もとても参考になりました。

お礼日時:2007/08/29 21:13

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