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「暴力はいけない、大切なものがあるから」
という内容の車内暴力反対広告がありました。
どうも腑に落ちませんでした。
もちろん、「大切なものがない」人のことを考慮していずに、また暴力を起こす人の多くがおそらくそういう状態ではないかという認識に欠けるのではいかと。あるいは、はじめから、大切なもんを持っていないような人間は人間として対象にしてないのだろうかとか。
つまりは、暴力にはまったく無縁で理解できない人が、ある程度まともな幸福論に基づいて、効果ということとは反対の方向に行ってしまったのではないか。そう妄想してしまったのですが、どういうことだと考えられるでしょうか?

A 回答 (7件)

僕は広告の通りだと思います。

誰人にも大切なものはありますよ。暴力を繰り返す犯罪者だって自分の命は大切でしょ?私の周りにもいますよ
そういう人。人を殺した人、母親を殺した人、それでも自分の命は大切らしいですよ。そういう人に以前会って彼は僕を殺すといって刃物振り回して来たことがあって、僕は逆に刃物奪って君を殺してやるといって、突きつけたら彼は大変びっくりして命乞いをしましたから。もちろん僕はそんなことで刑務所行きたくなかったので脅すつもりでやったんですけど、気持ちを鬼にして警察に引き渡しました。殺人未遂と傷害でまだ中に入ってますよ。
ただその広告はあまりに淡泊で伝わらないですね。気持ちが。
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この回答へのお礼

ああそうですね!自分は大事。でもこのメッセージあたかも自分の周りにそういう「もの、人」があるというニュアンスが感じられます。そこから拡大解釈できるかイメージ力が出るとこです。
このメッセージはどうもおっしゃるように淡白です。なにか力が伝わらない。

お礼日時:2007/08/30 08:50

No.3 へのお礼


> そのパーセンテージを判断することは一般人には不可能です
> が、回答者さんはお分かりですかね。

 知りません。
 知りたいのなら、それなりの費用を出して、統計を取りましょう。

 なお、そもそも他者にそれを聞くのはお門違いです。あなたの「効果ということとは反対の方向に行ってしまったのではないか」という主張は、「そのパーセンテージ」が(あなたの主観において)そうとう高いという前提が無いと成立しません。だから、その前提を確認し、提示する責任は、主張をしているあなたにあるのです。

 そして、前提が真か偽か分からない状態では、結論の真偽も不明です。

 なお、少なくとも私は、「そのパーセンテージ」はそうとう小さいと感じていますから、「そうとう高い」が実証されるまでは、結論を偽だと「思います」。
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そうですね。

暴力をなくする意味でポスターを作られたのなら、言葉的には不十分なのかもしれません。

質問者様の言われるとおり、いろいろな意味、方向、にとられられる可能性があるからです。

どうせポスターを作るのであれば、効果のあるような内容のもののほうがいいのではないかと、私もそう思います。

[暴力はいけない。懲役5年確定]という文章で、右隅に限りなく小さい字で[かも]といれれば、暴力がかなり減ると思うのは素人考えでしょうか?
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この回答へのお礼

面白いですね!たぶん効果抜群でしょう。
結局は「飴と鞭」しかこういう啓蒙化というものはないのだろうかと思ってしまいます。大切なものが云々は、その飴鞭いずれにも属さない表現をしたつもりかもしれませんが、効果は?ということでしょう。ちなみに飴は「暴力振るわなかったら下車駅で商品券プレゼント!」など。

お礼日時:2007/08/30 08:45

追記


No.4です。ちなみに、いま調べたら、コピーは正確には

「決して暴力はふるわない。大切なものがあるから。」

のようですね。だからといって、ここでの回答は変わりませんが^^

ご参考まで!

参考URL:http://www.mintetsu.or.jp/society/news/Individua …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。その標語でした!

お礼日時:2007/08/30 08:45

こんにちは。



本来、大切なものがあったって無くたって、暴力はいけない。
なのに、
暴力がいけない理由を、大切なものがあるから、とした点に、質問者さんは、ひっかかっておられるのではないでしょうか?(だとしたら、同感です)

しかし、公告のポスターは、一瞬(短時間)だけ人が目にするという性質のものなので、複雑なことを思いっきり単純化したり、1つの要素を誇張したりしないと、メッセージが伝わらない(その前段階として、印象にさえ残らない)。

だから、ご指摘のようなコピー「暴力はいけない、大切なものがあるから」になったのではないか、と思います。
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この回答へのお礼

ごもっともだと思います。
しかしこの場合、どうもインプレス効果はどうか?と。
大切なものがある?ぴんと来る人もぴんと来ない人もいるのでは?

お礼日時:2007/08/30 08:48

 あなたが見落としているのは、そのポスターを見る人のうちの何%が、『「大切なものがない」人』であり、何%が『大切なもんを持っていないような人間』であるかという定量評価です。



 例えばあなたは、100万人に有効で、1人にとって無効であることをもって、その対策が「反対の方向に行ってしまった」と評価しますか?

 なお、仮にそう評価するなら、あなたはまっとうな判断ができない人です。
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この回答へのお礼

そのパーセンテージを判断することは一般人には不可能ですが、回答者さんはお分かりですかね。

お礼日時:2007/08/30 08:49

そのポスターは私は見たことがありませんが、おそらくいわゆる「啓発広告」だと思うんです。

「啓発」ですから、ある事を気づいていない人に気づかせてあげる、ということが目的ということになると思います。
質問者の方は加害者の視点のみでコピーを理解していらっしゃるようですが、もう少し視野を広げて解釈してはどうかと思います。
例えば、「暴力はいけない、(被害者にも加害者にも)大切なものがあるのだから」という風に読むこともできるのではないでしょうか。
暴力は必ず被害者と加害者を生みます。被害者は暴力によって、大切なものを失うことは多々あります。最悪の場合は自身の生命や健康や人としての尊厳を失うこともあるし、それによって職業や身分を失うかもしれない。そして人生そのものも。加害者だって、自分の人生を台無しにしてしまうかもしれない。家族や友人を悲しませ、その財産すら失わせてしまうことになるかもしれない。
確かに加害者たる人間にはそのような感情なんてないかもしれません。大切なものなんてひとつもないかもしれない。でも、被害者になる人には大切なものがたくさんあるんですよ、それを奪うことになるんですよ、ということを「啓発」するメッセージが込められているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

no.5さんのリンクで、政策側の意図がわかりました。
加害者被害者双方の家族友人その他ということでした。
でも、どうも私の読み込みが浅いのか、加害者オンリーに訴えている気がしたので、被害者のという考えが浮かびませんでした。ご回答いただき納得です。

お礼日時:2007/08/30 08:52

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