プロが教えるわが家の防犯対策術!

過去に読んだスポーツ新聞で元プロ野球選手にアンケートをとった所、
「日本のプロ野球史上、最高の投手は江川卓」だという結果が出ました。

日本のプロ野球史上、最高の投手は江川卓ですか?
江川卓を超える投手はいますか?
江川卓はどれ程すごい投手だったのでしょうか?


【1】高校野球では江川時代以後、金属バットの導入などで打者の力量が飛躍的に向上しており、
江川の高校時代の記録は以降の投手(たとえば横浜高校時代の松坂大輔など)とは単純比較できないという意見もあります。

【2】甲子園での江川の球速は、スピードガンが普及し始めた当時のデータで147km/hといわれています。
だが、本気で投げると捕手が球を捕れなかったので、実際は150km/hを越えていたのではないかといわれています。

【3】ただし、投手としては指が短めだったため、フォークボールなどの変化球を投げるのには適さなかった。
そのため、変化球は苦手で、あまり効果のないカーブぐらいしか投げられなかった。

など、江川には批判的な意見が多いのですが、江川のすごいところやダメなところを教えて下さい。

A 回答 (13件中1~10件)

 以前、たまたま、飲み屋で隣で飲んでいた元広島の達川さんの話に聞き耳を立てていたことがありました。


 それによると、江川さんが、対広島初登板の際に、山本さんは、すぐに、投球フォームから、カーブと直球が読めるようになったとのことでした。しかし、実際に対決すると打てなかった。山本さんが、球種を読んで打てなかったのは、江川さんだけだと、達川さんは、江川さんをもちあげておりました。
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この回答へのお礼

実際に対戦した打者は江川の凄さが分かるらしいですね。
江川の偉大さは数字では表現できません。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/09/02 14:58

最高の投手? 伊藤智仁が最初に頭に浮かびますね



150キロを超えるストレートを低めにコントロールでき、高速スライダーは異次元のキレです
初めて伊藤の高速スライダーを見た時、笑いました
速い上に常識外れな程の曲り、しかも打者の直前で曲がるんです
漫画やアニメの世界でしたね 未だにあの変化球を超える球は見た事ありません
打者が『スライダーが来る』と読んでいても打てないスライダーですね

失礼ですが江川投手では相手にならない と思います それ位凄いスライダーでした
(江川ファンの方ごめんなさい)
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この回答へのお礼

伊藤智仁の高速スライダーは異常なキレでしたね。
TVで見ていて、これは打てないと思いました。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/09/01 01:20

50代半ばの野球ファンです。



全盛期、敵チームの3、4番打者に対しツーストライク後に、
「真中に直球を投げるから打ってみろ」と言って(注)投げ、
空振りを取れたのは江川だけ。

 注:勿論声でなく、それまでのパターンと雰囲気で打者に
  知らせるのだけれでも。
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この回答へのお礼

また新たな江川伝説を聞きました。
敵チームの3、4番打者ってところが江川らしいですね。
下位打線には手を抜いて投げていたらしいですから。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/09/01 01:20

『江夏の21球』というテレビがあるから江夏がすごいと言っているのではなく、


もう20年も経っているのに今でも『江夏の21球』が語られ、再放送され、
Youtubeで公開されるほど記憶に残る試合だったのです。
テレビに洗脳されているというのは笑止。
江夏はこのほかにも延長完投、完封サヨナラホームランとかその後誰も
なし得ない神がかり的な活躍をしています。そのことが現在まで
語り告がれています。
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この回答へのお礼

20年後も『江夏の21球』が語られ、再放送され、Youtubeで公開されたら、江夏は凄いのですか?
では、今でも『長嶋伝説』が語られ、再放送なんてものではなく、その度に番組が作製され、Youtubeで公開される“長嶋茂雄”は日本のプロ野球史上、最高の打者ですよね。
長嶋はこの他にも、天覧試合サヨナラHRなど神がかり的な活躍をしています。
そういう考えの人もういるのだと参考にします。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/01 01:18

私がプロ野球を見るようになった昭和50年以降、その全盛期において凄みを感じた投手は、江川と伊良部でした。

相手チームのファンの立場からさえ、これは打てなくても仕方ないと思えるほどの内容でした。しかし、彼らの全盛期は非常に短かったのも事実です。
ただ彼らの全盛期に対戦した打者にとっては非常にインパクトがあったと思われます。それがご指摘のアンケートの結果に繋がったのだと思います。

スポーツ選手の評価は単純に数字の優劣だけで決まるものではないと思いますので(特にプロは)、人それぞれ最高の投手のイメージは異なると思いますが、私にとっては江川がそのひとりに選ばれることに違和感はありません。
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この回答へのお礼

私も江川と伊良部の全盛期がもっと長かったらと想像してしまいます。
相手チームのファンにさえ、「これは打てなくても仕方ない。」と思わせる投手など、なかなかいないですよ。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/09/01 01:13

江川に関しては野球を本格的に見始めた頃には引退していたので分かりませが


プロの世界は勝ってこそ評価される世界です。
打線が1点しか取れなければ0点に抑えるし
11点取ってくれれば10点以内に抑えるのがプロの仕事だと思います。
どんなに防御率が良くて打線に恵まれずに
敗戦投手になってもプロの世界では同情はしてもらえません。
逆に200勝投手が防御率が悪いからと言って揶揄されることもありません。
ということで最高の投手は日本で一番勝ち越しを挙げている金田だと思います。
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この回答へのお礼

なるほど。
では、打線が強力で、1試合に5点も取るAチームと
打線が弱くて1試合に1点しか取れないBチームがあったと仮定します。
Aチームの投手は毎試合4点も取られるが勝つ。
Bチームの投手は毎試合2点で抑えるが負ける。

毎試合2点で抑える投手よりも、毎試合4点も取られるがチームが勝つ投手の方が良い投手だということですね。
参考にします。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/01 01:11

数字データ、スピードや勝率や勝ち星の数だけで「すごい」と言うのかなぁ?


本当にすごい選手というのは後々の時代になっても語られる人だと思います。
そういう意味で過去に活躍した選手で投手を思い起こすと沢村、稲尾、江夏の
3人がベスト3ではないでしょうか。
沢村は「沢村賞」という名前で残されています。
稲尾は「神様、仏様、稲尾様」という言葉が言葉として歴史に刻まれています。
江夏と言えば『江夏の21球』というテレビ番組&ルポルタージュ(著作)が
名作として現在に伝わっています。
こういう客観的事実をもって「すごい」と多くの人が認めていると
いえるのではないでしょうか。

江川はすごい投手だったかもしれませんが、プロ野球の歴史を紐解いた時、
記録されている史実は「江川事件」としてしか残されていないでしょうし、
民衆の風俗の歴史を見れば子どもが好きなものBest3を指す「巨人・
大鵬・玉子焼き」という言葉の反対語として子どものきらいなもの
ワースト3を指す「江川・ピーマン・北の湖」として記録されるのですから。
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この回答へのお礼

>本当にすごい選手というのは後々の時代になっても語られる人

ということは、日本のプロ野球史上、最高の打者は「長嶋茂雄」ということですか?
「記録よりも記憶に残る長嶋」という台詞は有名です。
長嶋茂雄は王貞治・松井秀喜・ICHIROよりも凄い選手でしょうか?

『江夏の21球』という本とテレビ番組があるから江夏は凄いとは思いません。
「テレビ番組があるから江夏は凄い」とは、TVに洗脳されているようで嫌な感じですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/30 20:41

 江川投手は、プロ後これはすごいと思えた全盛時代は20勝して優勝した1年だけでしたね。

高めのストレートはテレビで見ていてもホップするのがわかるくらいすごい球でした。ノーヒットノーランはできませんでしたが、調子の良かったその年の後半はヒットもほとんど打たれなかったように思います。その後は残念ながら肩を痛めて技巧派になってしまいました。その時の江川投手は、松坂投手や野茂投手よりも上のようにおもいますよ。(松坂投手や野茂投手もすごいと思いますが、ボール球やフォアボールが多いしテンポが悪いし、圧倒するような感じではないですからね。その点、江川投手はテンポがよくコントロールは抜群でした。)
 ただ、プロ野球史上となるとどうでしょうか?だれがNo1かはわかりません。
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この回答へのお礼

>高めのストレートはテレビで見ていてもホップするのがわかるくらいすごい球

やっぱりそうだったんですか。
全盛期の江川は物凄いホップをしたらしいですね。
打者が全員ボールの下を振っていたのは有名です。
肩を痛めなかったら、どれほど凄い投手になっていたか・・・。

江川は松坂や野茂よりも上ですか。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/30 20:34

江川はすごかったと思います。


ただ、一番すごかったのはプロ野球のときではなく、高校野球(作新学院)のときだと思います。
なかでも、昭和48年の春の選抜大会は最高潮だったのではないでしょうか。記録を見ても、準々決勝の今治西戦は被安打1、20奪三振。これは1回から7回2アウトまで、すべて三振を取ったということになりますね。
他の試合でも、相手打者全員がバントをして来るので、作新学院のセンターが三本間に守備するということがあったと記憶しています(子どもの頃なので、いつの試合かもわからず、記憶は不確かですが)。
ともかく、まともな野球にならないほど、飛び抜けていたような気がします。
しかし、プロ野球に入ってからは、高校時代のようなすごみはなかったと思います。といっても、一流の投手には違いないですが。。素質的には歴代のプロ野球投手の中でも、ナンバーワンだったかも知れませんね。。
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この回答へのお礼

作新学院の時の江川と対戦した打者は、
「ボールがあれだけ手前でホップしたのは江川だけだ。」
と言ってますよね。
作新学院の時の江川は本当に凄かったらしいですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/30 20:32

究極の質問ですね。

 年代によって 見方が変わってくる質問だと思いますが、やはり実績と記録を考慮しても 「金田正一」ではないでしょうか? 確かに江川投手も素晴らしい投手では ありますが、NO1では無いと思います。 他には、江夏投手や鈴木啓示投手が当時の常勝球団であった読売にいたら もっと勝ち数は多くなっていたと思います。 NO1の称号を与えるのなら 実働年数や実績など全ての貢献した物も含んで決めるものだと思います。 金田投手が読売で活躍したのは、晩年力が衰えてきてからであって 国鉄時代が全盛期だったと云う事でやはり、長嶋茂雄を4打席4三振に切って捕った投手ですからね。
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この回答へのお礼

ビートたけしが言っていたのですが、
「金田の400勝。あれはインチキだよ。他の投手が9回途中まで投げてたのに、いきなり“リリーフ、俺”って出てきて、その投手の勝ち星を盗んでやがんの。あれは他の投手が可哀相だよ。」
というのを聞いて、
まだリリーフなど細かいルールが出来ていなかった時代の400勝ですから、それほど凄い記録だと思っておりません。

江川よりも凄い投手は江夏投手と鈴木啓示投手ですね。
参考にします。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/30 13:53

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