夏が終わったと感じる瞬間って、どんな時?

アメリカ留学中です。(専攻は心理学ではありません)

ある問題の当事者としてアメリカの自助グループに参加するようになって、日本で参加していた同様の趣旨の自助グループと「何かが大きく違う」と感じられてなりません。日本の自助グループも、アメリカの自助グループを模範として作られているので、基本的には運営の方法などは同じはずですが、決定的に「何かが違う」のです。それが何であるのか、とても興味を持つようになり、時々ネットで調べたりしていますが、今のところ参考になりそうな情報が全くありません。

自分なりの仮説としては、自助グループとは言え人間同士の交流がその基盤にある以上、文化的なコミュニケーションの仕方が大きく異なるからではないかというのがあります。この仮説が正しいとすれば、日本での自助グループはアメリカの自助グループを模写しただけでは成立しづらいということになるでしょうし、そもそも日本で自助グループなるものが成立するのかどうか、ということも考えなければならないかもしれませんよね。(日本にいた時には、私は自助グループというものに対して大変懐疑的でした)

こういった疑問を考えて行く上で参考になりそうなサイトや書籍などありましたら、お教え下さい。また、日本の自助グループの独特の構造についての研究は既にされているのでしょうか? 論文等があればお教えいただければ幸いです。

以上、よろしくお願い致します。

A 回答 (2件)

私も以前ある自助グループに通っていました。

ネットで「自助グループ」或いは「セルフヘルプ」で検索すると、Wikipediaはじめ、色んな自助グループの情報が出てきますね。アル中、摂食障害や、麻薬、覚せい剤、仕事、ギャンブル、買い物、恋愛、アダルトチルドレン、DV、不登校、ひきこもりなどのさまざまな嗜癖や問題点に悩む当事者たちの間で、お互いの経験談や考え方を発表し合い、啓発し合い、そこから自分の問題点・解決方法に気がついていく、というものだと思います。
ただ、自助グループの問題点として、次のようなことが考えられると思います。(一部経験談も交えて)
1.お互いに傷のなめ合いや言い訳や責任転嫁や問題の矮小化に終始し、自分に厳しくなれず、根本的な解決に至らない。
2.特に、人とのコミュニケーションが苦手な人にとっては、グループの中で発言することが出来ず、求められなければ自分から発話しようとしない。
3.ある自助グループでは、司会者がおらず(主催者は仲介役にのみ徹する)発言したい人のみ発言し、又「言い放し、聞き放し」で人の発言に対して一切反応しないことをルールとしていて、「これが多くの自助グループのやり方です。」と言われましたが、やはり個人的にはこのやり方には大いに疑問を感じました。私は話すことが好きなので、誰も口火を切らないと、毎度私から口火を切っていましたが、非常に苦痛でした。しかも、愛相よくふるまっていたら、反省していないとか、言われ、嫌になってやめました。どうもその先生は、こちらが深刻な顔をしていなければ反省していないと思った様です。
今、私はアメリカで行われているプログラムを参考に導入されたDV加害者更生プログラムに通っていますが、ミーティングの中で、同様のDV男性との間で、自分たちの体験談や考えをシェアし(つまり自由に意見交換し)、後半は指導者からのカリキュラムも受け、バランスよく効果的なプログラムの中で、着実に更生への道を歩んでいると実感しています。

以上、日本における、自助グループとそうでないグループとの間の比較を試みましたが、あなたの質問にあるアメリカの自助グループと日本のそれとの比較については、正直あまりわかりません。
私も興味がありますので、どんな小さなことでもいいですから、あなた自身は、どんな所にその違いを感じたか、教えて下さると有難いのですが・・・。
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この回答へのお礼

貴重な経験を踏まえた丁寧な回答、有難うございます。

oozora2000さんが通われているような、自助グループだけではなく、それにいろいろプラスして「プログラム」となった形だと、日本でもうまく機能するということなのかもしれませんね。

私自身、アメリカと日本で「何がどう違うのか」を考えたくて、その参考となる資料があればと思い質問させていただいたので、一言でその違いを説明するのは難しいです。しかし、今のところ資料に関する回答が得られていないのを見ると、まだそこまで学術的な意味でも研究が進んでいないのかなと感じています。

ただ、日本で「自助グループ」と言った場合、「問題を抱えているから、とにかくまず集まろう」というところに止まってしまって、その先が見えないことが多いように思います。(これがたぶん「傷のなめ合いに終始する」ということなのかなと思いますが、当たっていますか?)人が集まった場合のコミュニケーションの仕方が、日米では全く異なりますので、そういう意味で違った形の自助グループが日本には必要なのではないかな、と感じた次第です。

最終的には自助グループが目指すところは、各々の問題をシェアし合うプロセスを通じて、各人が各々の道を自発的に見出し歩んで行くところにあるはずですが、日本では「集まる」ことに重点が置かれてしまって、その先にある「最終的には個々の道を歩む」というところがあまり考えられていないことが多いように感じています。ひどい場合は、個々の道を歩もうとする人の足を引っ張ることさえあります。

また、日本の場合は訓練されたファシリテーターがいない自助グループがほとんどだというのは、ご指摘の通りだと思います。

お礼日時:2007/09/06 07:00

このサイトもある意味自助グループといえるんじゃないでしょうか。


日本人は自分の悩みを他人と共有するということが苦手かもしれません。故に専門家や先生に相談するんでしょうね。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

自助グループの定義は、同じような問題を抱えた者同士がその問題を対等な立場でシェアするところにあるので、こういった質問系サイトは必ずしも当てはまらないかと思いますが・・・ いずれにしても、自分の悩みを人前で話すということは、日本人は苦手かもしれませんね。

お礼日時:2007/09/06 06:46

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