天保通宝は、価値があるのでしょうか?
すごい値がつきませんか?

A 回答 (2件)

寛永通宝よりは高い(価値がある)ですが、きれいなもので3,000円といったところですね。



参考URL:http://www.saganokosen.jp/edokosenkakakuhyou.html
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結構数があるので値段はほとんどつきません。


偽造を含めあちこちで作られました。
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江戸期一両は時期により変動し、四千~六千文でした。
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>>幕末に書かれた書状に「伊豆の国中に出水」とありました。

手元の史料では、

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深さは、2丈3尺(約7m)の増水となっています。

また、寛政3年(1791)4月8日には、天城山系を源流とする狩野川が氾濫をし、修善寺より中流の「田方平野」がほとんど泥海化した。「第2の亥の満水」と言われ、深さはやはり2丈3尺(約7m)の増水という記録があります。

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(東庄町HP「天保水滸伝」より抜粋)

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皆様こんにちわ。
昨日京都の六角堂へ行ってきました。
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六角堂は六道に通ずる6つの根を持つ奇樹から生まれた
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などとという話を聞いたことがあるのですが

ご存知の方、いらっしゃいましたら
もう少し詳しく教えていただけませんか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

回答とは少し異なると思いますが。

六角堂の開基は聖徳太子で、蘇我氏と物部氏の戦いで蘇我氏が勝利しその報恩で、四天王寺を建立しますが、その用材を求めてこの地を訪れた
際、聖徳太子が池で水浴をする時、傍らの木に衣服と共に、如意輪観音像を収めた箱を掛けておいた。

ところが、如意輪観音像は重くなり動かなくなってしまった。お告げにより観音様がこの地にとどまりたいと希望されたので、観音様を安置し、近くにあった杉の巨木を伐採して六角形の堂を建立された。

通称、六角堂、正式名頂法寺の本坊にあたる池坊の僧侶が、観音様にお花を供えていて、その池坊の始祖が小野妹子。
池坊というのは、聖徳太子が水浴をされた池からちなんでつけられたと言われてます。

小野篁が、井戸を通じて、閻魔様の所で裁判の補佐をされてたという話の井戸は、京都東山の六道珍皇寺の井戸だと聞いたことがあります。


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