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こんにちは。
まだ40代の駆け出しでございます。

かつて「大道詰め将棋」がありました(あったそうです)
実際に見た、挑戦したという先輩方にうかがいます。

どのような盤駒でしたでしょうか?(9×9)?
ルールはどのようなものですか(一手ごとにいくら?)
はじめは易しく、だんだん難解になっていくとか、
双玉などもありましたか?
解けた場合の賞品は?(煙草と聞いたことがあります)
何歳くらいの方が営んでおられましたか?
「真剣士のアルバイト」という印象ですか?
女性の挑戦者はいましたか?
たこ焼きや、ワタ飴に比べて「儲かる」と感じられましたか?
猥雑な雰囲気がありますか?

ひとつふたつでも結構です、
ずいぶん、むかしの事になりますが、よろしくお願い申し上げます。

A 回答 (6件)

35~36年くらい前に一度だけ経験があります。



出題は香車を打ちたくなる問題でしたが、1手幾らで、読み切れ
ないので途中で止めました。最初の一手で詰みそうで詰まない
不正解手順だったと思います。

年齢は、大人って感じでよく分かりませんでした。
服装は不潔な感じで、儲けてるって感じではありません。
客を装っているけど、空気が同じ人が居て、子供心にも、
サクラがいると感じました。

空気とは、不潔、だらけた感じ、他人を小バカにしたような
薄笑い表情をする、etc.です。

景品は確かにタバコでした。

デートの途中で働いている年上の彼女に奢ってもらったので、
悪くてあまり深追いしなかったし、いろいろな問題を見た
訳でもありませんでしたので、このくらいです。
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この回答へのお礼

ご回答恐れ入ります。

>服装は不潔な感じで、
客を装っているけど、空気が同じ人が居て
サクラがいると感じました。

そうですか、やはりいかがわしい雰囲気だったんですね。

>不潔、だらけた感じ、他人を”小バカにしたような”
薄笑い表情をする

お話を伺うと、お世辞にも健康的といえる空気ではないようですね。
当時の淫靡な感じが伝わってまいりました。
特に「だらけた」「小バカにしたような」は初めてうかがいました。

 私もアコーディオンを持った白い装束のニセ?(と思われる)
傷痍軍人は子供のころよく見かけましたが、
詰め将棋はまったく知らないのです。

大変参考になりました、重ねて御礼申し上げます。

お礼日時:2007/09/05 23:06

十数年前だったと思いますので、平成に入っていたんでしょうか?東京駅八重洲の大きなロータリーの東の端で(その方向にあと3分歩くと昔将棋祭りをやっていた日本橋東急があった)見かけました。

脱サラしたような雰囲気でしたから、質問者さんと同じ事を思いついて実践された人のような感じでした。こざっぱりとしていたと思います。2,3回見かけて、後日別の場所でもう一回見かけましたが、それきりですので、営業的には失敗されたんでしょう。
ネタ本としては、「蘇る秘伝大道棋」で十分やれると思います。
昔やっていたのは真剣士じゃなく、映画の寅さんのようなテキヤの方でしょう。
昔は小金を持っている大人のほとんどが将棋指しましたから、商売になったでしょうが、今はほとんどが将棋指しませんし、将棋を指す少数者はネットや道場など屋内で指し、路上では指しませんから、商売にならないと思われます。客層で考えると、マーケットは商売が成り立っていた頃の百分の一以下でしょう。
昔たくさんあった雀荘がことごとくつぶれているのと同じ傾向です。
詰め将棋の回答と違って、応手はテキヤさんが指します。将棋の先生たるテキヤさんの将棋の教授料が一手百円と考えたほうが判り易いでしょうか。
本によれば、これは強いと思った客は、わざと詰む方に逃げて(本当の答えを隠すため)、タバコをあげてその客を追い返して、別の問題に切り替えるようです。強い客が来るまでは、何日も同じ問題でやれるはずです。そういう風に出来ているのが大道棋の図面です。
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この回答へのお礼

その頃は、東京に住んでおりまして、八重洲あたりもよく行ったのですが、・・・残念です。
上野や浅草なら出てそうな気もしますが、八重洲ですか。

 当時はファミコンも普及してましたし、縁台将棋も
トンと見かけない時代になっておりましたね。

ところで、
>これは強いと思った客は、わざと詰む方に逃げて(本当の答えを隠すため)、タバコをあげてその客を追い返して、別の問題に切り替えるようです。

こうなってきますと「余り詰」が出ますが、それはいいんですね。

ご回答、ありがとう存じます。

お礼日時:2007/09/09 22:22

私もかろうじて駆け出しですが、


#1さんに近い30年くらい前のことです。(としがばれる~。^_^;)
#2のお話を伺うと、当時でもわりと珍しい光景だったのかもしれません。
東京の都心部に近い、新宿の道端だったか、代々木公園とかの入り口付近だったか?
老人まではいっていないが、わりと年配(50代くらい?)
決して上品とか小奇麗とは言いがたい雰囲気(ホームレスとまではいかないけど~、)
ただ、やくざまがいの怖い感じはなかったです。

景品はたばこ。
盤駒は普通の9×9。
挑戦料100円とのことで、インベーダーゲーム(これも古い)でもやるような感覚で挑戦。
双玉形で、玉が逃げたときに逆王手になる手筋に、相手の想定どおりにひっかかる。
1手100円と言われ、1回100円かと思ったと抗議したら、
学生さんからとってもしょうがないか、といって100円にまけてくれました。

女性の挑戦者(というかギャラリーも含め)は見かけなかったと思います。
儲かっていたのかは不明ですが、
10手指させれば1,000円ですので、
口上が達者でうまく客を引き込めれば、
将棋真剣でやれるほど強くなくても、(ネタの詰将棋の入手と、応接手順がわかれば。)
ある程度の商売にはなったのかもしれません。

当時は大道将棋にもそれなりに人が集まってました。
現在では取締りとかが緩くても、まず成り立たないだろうな~。
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この回答へのお礼

こざっぱりしたホームレスといった感じですか。

当時の新宿は、京王プラザはすでにありましたし、
安田、野村、三井、住友と高層ビル建設ラッシュが続いて
まさに近代都市としての黎明期でしたが、
ありましたか!そうなんですか。

ところで「一手100円」とありますが
金魚すくいや射的と違って
詰んだ場合、料金はかからないんですね。

もうひとつ、
お客が「詰め方」「受け方」両方やるんじゃなくて
「受け方」は店側がやるんですね。

もし間違っていましたら、恐れ入りますが
今一度、ご回答いただければと存じます。

ご回答、御礼申し上げます。

お礼日時:2007/09/07 00:02

インチキの大道将棋もありました。


将棋盤を十人くらいが囲んでいて、それがみんなサクラ。通りがかったひとが、何だろうと覗き込もうとすると、中に押し込まれて、将棋を差さないとそこから出られない。もちろんお金をとられて終わり。
警官の目を警戒して、パッとひらいて、パッと散りました。
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この回答へのお礼

パッとひらいて、パッと散る
まさに「サクラ」ですね。

>中に押し込まれて、将棋を差さないとそこから出られない。もちろんお金をとられて終わり。

ほとんど暴力団ですね。
怖いですね、将棋のイメージダウンです。
もちろんすべてインチキではないのでしょうが・・・

ご回答、ありがとう存じます。

お礼日時:2007/09/06 23:45

#1です。



#2の方が仰るには昭和30年頃までだったのですね。

私は昭和47年頃の経験だったので、廃れて随分経った頃ですね。
地方都市です。
ですので、最盛期とは雰囲気は違うかもしれません。
儲けることが出来なくて、別の職にも付けなくて、生活に
草臥れていたのかもしれませんね。1つの経験から多くを推測
すると非常に危険に感じました。
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この回答へのお礼

47年といいますと、私、小学校中学年、
その頃はすでに指しておりましたので
もし見かけたら記憶に残っているはずです。
都会育ちなので、もうなくなっていたのかもしれません。

再度のご回答ありがとう存じます。

お礼日時:2007/09/06 23:41

40歳とのことなので社会の仕組みはよく分かると思います。


大道期も当時の社会、世相をよめばよく理解できる話です。

大道棋が流行したのは戦後から昭和30年前までです。
生で体験したのは70代以上ということになります。
私も生まれていませんから師匠などの伝聞で書かせてもらいます。

終戦直後は娯楽が少なく、おまけに都市部では焼け野原ですから
将棋は手軽な遊びとして男子はほとんどルールは知っていました。
戦地へ行った人達もさいころ賭博や将棋は欠かせない遊びだったようです。

そういう特殊な状況で大道棋はかなり盛況を極めました。
儲かるといえば、3年ほど大道棋を炉端でやって家を建てた人がいるほど。
といっても営業ですから、そこは集客・接客の力がないといけません。

ルールは一手幾らで景品は煙草が主だったようです。
当時の嗜好品として煙草はなかなか手に入らなかったので人気がありました。

集客するという点では簡単(にみえる)詰将棋の方が客の食いつきは良かったです。
とにかく観戦者が手を出したくなるのは今の挑戦者がポカをするときです。
あいつ下手やなと周りに笑いがおこればしめたもの。詰棋屋のペースです。
双玉はポカが非常に出やすく、詰棋屋のドル箱でした。

ところが関東と関西では事情が違ったといいます。
もともと関西は財布の紐が固く、大道棋に手を出すのはマニアが主でした。
それで互いに難解な問題を前にして知恵比べをしたといいます。
勿論、お金を儲けることにはつながりません。

日本経済が復興してくるとテレビ放送なども始まり、
娯楽が増えて自然と衰退していったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>3年ほど大道棋を炉端でやって家を建てた人がいるほど。
そうなんですか、客扱いの上手い人は相当なものだったんですね。

やはり、パッと見て「こりゃ簡単だ」と思う問題を出すんですね。

東京と大阪の違いも良くわかりました。

力道山の出現とともに消え去ったというところでしょうか。

父(80歳)は
「見たことはあるが、どんなものだったかまったく覚えていない」
そうで、困っておりました。

重ねて御礼申し上げます。

お礼日時:2007/09/05 23:24

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