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私は仏教徒の家に育ちましたが、
仏教が本当に最高の教えなのか疑問を持ち、
自分の意志で自分に最もふさわしい信仰を選び取りたいと考えています。

さまざまな信仰者、また宗教にお詳しい方のお話を伺いたいです。

一つ、問題提起をさせていただきたい。

私は仏教の特徴として、
イスラム教やキリスト教などの他宗に比べて、
仏法は「比較的」平和裏に布教されたと教えられました。

それは歴史的に見て、事実なのでしょうか。

仏教の布教のあり方が比較的平和裏だとの論拠としての具体例、
もしくは反証としての具体例をうかがいたいです。

ここで言う平和裏とは、武力、権力、経済力などの
ハードパワーをさし、
対極としての平和裏とは対話、改宗者の精神的自発性を
さすものとします。

仏教徒以外の方からのご意見も大歓迎。
よろしくお願いいたします。

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A 回答 (9件)

私は家は仏教でしたが、就学前からキリスト教の環境で育ちました。


中学で洗礼を受け、聖書研究部に属していましたが次第に疑問を持ち、自分ながらの信仰を見つけようとしています。
仏教に関しては特に習ったわけではありませんが、数少ない勉強の中で「カースト制度に疑問を持った事から始まった」と習いました。
仏教はたまたま世界進出に躍起だった国の宗教でなかったことから歴史的にもあまり好戦的でない思想に止まっているだけだと思います。
インド周辺ではどうだったか判りません。
でも、日本に渡ってからは神道派との確執、一向一揆など政治と絡んだ争いは無いわけではありません。

でもその宗教でも、そんな「宗教を利用した政治」を考えていたら、その宗教の真の主旨を知る事は出来ません。あくまでも真の主旨を考えてから、それを利しようとする考え方を否定するべきだと考えています。
そして、真の教えを研究すれば、どの宗教も行き着くところは一つだとも思っています。

この回答への補足

心のこもったお返事を本当にありがとうございました。

洗礼を受けられ、聖書を研究されたとのことですが、

どのあたりに疑問を持たれたのでしょうか。

また、今はどのような方向性で、また方法で、

真実の信仰を見極めようとされているのでしょうか。

もしよろしければ、教えてください。

補足日時:2007/09/24 12:16
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自分の意志で自分に最もふさわしい信仰を選び取りたいと考えています。


ご自分で決めてください。色々な考え方ができます
キリスト教はすばらしい教えですがその教えについていけないかった
なんせ行うのは罪びとの人間です。たまたま反映しているところに
キリスト教が生まれ そうでないところに仏教が生まれた。
中国も仏教が伝わったはずだが 歴史的に見てどうでしょうか?

日本の仏教でも人を殺してますよね。

本来の宗教と言うのは 今の世界をみるのではなく 個人の関係でしょう。宇宙とどうつながるのか?どう生きるのかがテーマです

物の見方違えども、本来は殺したりしない教えで
本来の違う異質のものが主教に入ってきてるのでしょう
武力、権力、経済力なものが・・・・

宗教を経済と言うものさしで計るべきものでない。
常に自分はどうあるべきか?一人一人が真剣に考えていくべき
(まあ色々とこの世の中を見れおかしなことばかりですが)

この回答への補足

お心のこもったお返事を本当にありがとうございます。

もう一歩つっこんだ質問をさせていただいてもかまいませんか。

キリスト教のどういう所を素晴らしいと思われましたか。

また、どういう所についていけなかったのでしょうか。

もしよろしければ、教えてください。

補足日時:2007/09/24 12:32
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一応、自称・自分教(別に神仏の存在を完全否定しないが、特定の宗教を信じていない)人間です(笑)



キリスト教は、確かに暴力的なイメージが強いですが、それは大航海時に現地を武力で侵略するのと同時に布教されたとのイメージがあるからでしょうか。
イスラム教は、日本ではキリスト教側の歴史学を取り入れたのと同時に、その暴力的なイメージが輸入され、その後も余り接点が無かった為にそのイメージのままであるような気がします。

キリスト教は、初期こそ権力者から弾圧を加えられていましたが、後には権力者を取り込み、精神的権威の立場を獲得することで現実的権威を操りその地位を高めてきました。
当然、支配者が保護・推奨した宗教は社会的に優位な立場に立つので民衆もそちらを信じるようになります。
大航海期には、殖民地を支配する上でキリスト教徒のほうが有利な社会が生まれ、結果としてキリスト教が現地の宗教を取り込みながら(女神崇拝=聖母崇拝となる、現地の神様が聖人になる等)民衆に広がりました。
また、キリスト教では悪魔の存在があり、キリスト者以外=悪魔に騙された人であり、悪魔から騙された人を救うのも使命だという大義名分のもと、他宗教を弾圧しましたし、他宗教である事は不利どころか命に関わる社会だったといえます。

イスラム教は、別に他宗教を否定していませんし、当時のイスラム社会では信教の自由が認められていました。
しかし、イスラム教徒は保護されていましたし、時にイスラム教徒以外の人々から略奪等は行われました。
当然、略奪が行われるときに命を落とすこともあったでしょうね。
イスラム社会で有利に生きるにはイスラム教に改宗した方が得だった分けで、イスラム教はそのように普及していきました。

仏教も、釈尊の教えが支配者層に支持されたことで普及していったように記憶しております。(すいません、余り詳しくないです)
逆に、支配者層に支持されなかったインド等では今でもヒンドゥー教が優位です。

支配者が特定の宗教を保護・推奨し、他の宗教を否定・弾圧したり低い立場の人々として保護しなければ、自ずと民衆は支配者が保護・推奨する宗教に染まります。
もちろん、細かく見れば宗教を巡っての争いはキリスト・イスラム・仏教問わずあります。
しかし多くの場合、布教や信仰の違いというよりは世俗的な理由(生活が苦しいとか、経済活動が制限されてるなどの不満、あるいは権力者の欲)で起こります。
布教の仕方を見ると、これら世界三大宗教は似ていますね。
ただ、(支配)地域的な差があるのみという気がします。
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簡単に言うと、該当する教えによって、


来世、転生できる違いの差という表現が、妥当なものと。

例えば、キリスト経では、「父よ」という言葉が、あります。
でも、この「父よ」と呼ばれる存在そのものが、天界上位の世界と言われてます。
逆に、仏教の場合は、完全なる悟りへの到達ですから、
父、母、は関係なしです、当然。
なぜなら、輪廻転生を繰り返し、父、母の存在も、幻影と考えます。
仮に、梵天の神と生まれ、その子としての存在を錯覚したとしても、宇宙の破壊で、その関係は崩れ去ります。
仏教では、父、母、恩師、友人、愛児、恋人といった存在を超えた、世界へと導くのです。
完全なる、絶対なる、いかなる条件ても、ぐずれない状態、心の状態が、悟りなのですよ。

ですから、それは、宗教における考え方の違いと思います。
専門的に言うと、教えを実践し、到達できる世界の違い、これが、宗教の違いと考えます。
以上
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>イスラム教やキリスト教などの他宗に比べて、


仏法は「比較的」平和裏に布教されたと教えられました。

キリスト教の場合、当初ローマ帝国内の下層階級に広まりました。
下層階級の人達が、現状の悲惨な状況の慰めとしたためです。
そのため、キリスト教の拡大は、ローマ帝国の支配者にとって現体制の崩壊を求める人達の集団に思え、キリスト教徒の弾圧を行います。
そのため、キリスト教の初期の布教時には、沢山の血が流れました。

仏教の場合、仏教の教えは当初支配者階級に広がりました。
特にマウリア朝において支配者階級の支持を得て、仏教が世界各地に広がって行きます。
マウリア朝の後のシュンガ朝、カーンベア朝、クシャーン朝でも同様です。
これは、バラモン教(ヒンズー教)の支配力を弱めるため、当時の王朝が仏教を保護したためです。

イスラムにおきましては、イスラム教の成立時には戦争などが有りました。
しかし、イスラム教には布教という概念がありませんから、成立以降布教のために血を流す事きありません。
逆に、オスマントルコなどは、ヨーロッパの支配地において、イスラムへ極力改宗させない方針であたったため、ボスニアを除いてイスラム教徒がほとんどいない状況になっています。
現在東南アジアや東アフリカ、サハラ南部などがイスラム教を信仰しているのは、学術・経済力に圧倒的差があったため、それらの先進文化を取り入れているうちに、思想なども同様に取り入れた結果です。
質問者の言われる
>ここで言う平和裏とは、武力、権力、経済力などの
ハードパワーをさし、
対極としての平和裏とは対話、改宗者の精神的自発性を
さすものとします。

の両方を含んだものとなっています。

キリスト教の場合も同じで、布教のおりに血を流すような事は、ローマ帝国の前期のみであり、キリスト教が認められてからは原則的にありません。
キエフ公国がキリスト教を受け入れたのは、ビザンツ帝国の学術などを取り入れるためですし、新大陸においても西洋文化が新大陸の文化を圧倒していたためにその文化の一環としてキリスト教が受け入れられてゆきます。
布教において、ドミニコ会やフランシスコ会などは、イエズス会に比べ強硬的立場で望みましたが、ドミニコ会・フランシスコ会の布教は、完全に失敗に終り、柔軟な対応で望んだイエズス会は、新大陸で圧倒的な勢力を得ます。
新大陸での経験を生かし、ヨーロッパでもイエズス会方式を導入したところ、一旦プロテスタントに奪われた勢力の奪還に成功します。

スペインが、キリスト教の布教を植民地化の先兵としているというのは、オランダやイギリスが、スペインの勢力拡大を防ぐデマで、実情を全く反映しておりません。
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>仏教が本当に最高の教えなのか疑問を持ち、



質問者様の考えている仏教は、本当の仏教でしょうか?
自称仏教が多いので(例えば、日本の大乗仏教)、本当の仏教とは何かを勉強されると、良いと思います。

仏教は、殺生を禁じています。ですから、自ら戦いを起こすことはありえません。
戦争をしている仏教教団があるとしたら、それは、大乗仏教の一派でしょうか?
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> 仏教の布教のあり方が比較的平和裏だとの論拠としての具体例


たまたま読んだいくつかの本から得た知識ですが
参考になればとの思いから回答いたします。

絶対神や絶対理念を立てる宗教は
寛容という態度と相容れにくい基本特性があると思います。
実際、一神教の場合は「正統」「異端」の対立・論争が激しく
線引きも厳しいと感じますし、また歴史上、何度も争いを招いていると学びました。

仏教の教えの多彩さを示す言葉に「八万四千の法門」という語があると思います。
それだけの教えがありながら「正統」「異端」を分ける発想を持たないのが
仏教のユニークネスだとありましたし
実際、論争はあったとしても「正統-異端」で争ったことはない筈です。
(ただし、それらを逆手にとって「何でもあり」とされると仏教は弱い部分があると感じます。)

以上、私が本から学んだ知識です。
以下、私の意見を述べさせて下さい。

私は仏教を考える上で「比較的、平和裏に布教された」ということは
本質から離れていると感じました。
仏教が「正統」「異端」を分ける発想を持たないのは
仏教のベースに「空観」があるからだと考えます。
この「空観」に共感するか?が仏教を採る上での大きなポイントだと思います。
空観を理解しないと、本来仏陀が意味を解体した筈の「輪廻」「霊魂」信仰が戻ってきてしまいますし
実際、昨今のスピリチュアル・ブームなどを見ると
仏教が誤解されているなと感じます。
いくら仏教の教えが多彩だからといっても「輪廻」「霊魂」を復活させてしまったら
仏教が解体した筈の「バラモン教」になってしまいます。
恐らく日本に仏教を広めた原動力として大きかったのは浄土宗であり
故に仏教=極楽浄土観を持つ人が多いと思うのですが
私は仏教が極楽浄土を持ち出したのは「方便」だと思っています。
仏教において本来「方便」は、衆生を導く教化方法の意味で
言わば簡単には理解しがたい真理を明かす当座の方法だと教わりました。
方便を使うには、前提として「諸行無常」「諸方無我」への理解が必要だと感じます。

すいません、話が拡散してきたのでこの辺でやめます。
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宗教は誰が信じたかで大きく違います


仏教は日本の支配層が自分の信じていた神の補助として取り入れましたから
それに合う教えだけを取り入れています
それに合わない教えを言う人は弾圧されています
そして弾圧されて下級層に広まると時に武士の下級層に広まると
教えを守らないことが多発して 激しく戦争をしています
有名なのが本願寺です この宗派はトップは争いは嫌いでしたが
信者は武士でしたから トップが何度も信者から逃げ出しています
信者は多いですから最後は穏健に成っています
ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じ宗教です
同じ宗教どうしては対立が激しいです
時に宗教家がトップに立つと最悪になります
日本みたいに 争いが嫌いなら良いのですがそれが出来ないと
長い戦争になります
日本は最初のトップの宗教家が争いを嫌ったことに
よることが大きいだけです
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仏教は生きる為の哲学でキリスト、イスラム教は人民を纏めるために行われた宗教かと思います。


バイブルを見ても分かるように、単に神の啓示の羅列だったりキリスト新契約では何があったか
を書いています。
人が人として生きる事を教えたのが仏教と思っています。
残念ながら、仏教の経典を分かりやすく説明した本にはめぐり合っていません。
尚、現在読み上げられている文言(発音)はチベット付近の言語とも聞きます。
私は自力本願の仏教を信じています。常に心の中に神様(仏様)が居ると信じきっています。
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Q他の宗教と比べて仏教は哲学的な面が強いと言われていますがその理由を教え

他の宗教と比べて仏教は哲学的な面が強いと言われていますがその理由を教えてください。
また仏教と哲学の違いを説明するときどういった点があるか教えてください。

Aベストアンサー

仏教においては、世界の創造主である梵天も相対的な地位にあり、縁起つまり原因と条件によって結果があるという範囲内の存在でしかなく、常住不変なものは存在しないつまり諸行無常であると説明されます。

絶対者の存在なり、その意思なりを否定して、正しくは彼または彼女を取り巻く環境やその時期など諸条件も含まれますが、個人の思考や行為のみによって現在及び未来は変化することが前提となります。このため思考や行為こそが重要であり、その思考や行為の結果を本人が受け取ることになります。

お釈迦様によって子宝を授かろうと自宅に呼んで接待した人の話がありましたが、お釈迦様はこの夫婦には子どもは生まれないだろうということを知って白い布を取り外させたというものでした。夫はその白い布を踏んでもらえば子が授かり、踏まなければ授からないだろうという一種の占いのようなことを行っていて、お釈迦様がそれを察知してはずさせたという話です。

ここで重要だと考えるのは、お釈迦様に子宝を授けるという能力、つまりは恩恵や罰を与えるような特別な能力を否定し、個人の結果は原因と条件によることを描いていることです。


哲学では絶対者との折り合いをつける必要がありました。絶対者は存在しないという考え方も含め、彼または彼女は絶対者との距離を決めた上で自分の考えを発展させることになります。正義とか善、死も含めて大変重要になります。

哲学で難解な論理を展開しても、それが個人の行き方にまで影響するかどうか。世界をこう見たからこのように生活するという事例にはあまり出くわしたことがない気がします。


仏教では、生活が変わらなければ意味がないわけで、たとえば仏教でいう無や空も理解できないならそれらを理屈でいろいろと想像することに意義を感じません。それよりも分かる範囲で生活の質の向上を図るほうが遥かに優れていると主張しているものと感じます。お釈迦様のお話は対機説法といわれ、聞く人の受け取る能力、時期、場合などに応じたものであったといわれています。


思考や行為をすべて言語に置き換えれるものではなく、哲学は、すがすがしさやさわやかさなど感覚に関するものもなど、生活の大きな部分を占める理性以外の部分をあまり重視していません。しかし、人間は理性以外の条件によって、同じ現実をいかようにも受けとめています。人間の生き方には、理性だけではなく、感情、反射神経などすべてが関係し影響しているものと思われます。

理性だけでは、人間を研究つくしたとはいえません。

仏教においては、世界の創造主である梵天も相対的な地位にあり、縁起つまり原因と条件によって結果があるという範囲内の存在でしかなく、常住不変なものは存在しないつまり諸行無常であると説明されます。

絶対者の存在なり、その意思なりを否定して、正しくは彼または彼女を取り巻く環境やその時期など諸条件も含まれますが、個人の思考や行為のみによって現在及び未来は変化することが前提となります。このため思考や行為こそが重要であり、その思考や行為の結果を本人が受け取ることになります。

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