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韓国併合は韓国側が望んだというのは本当ですか?
そこらへんを詳しく教えてください。

A 回答 (6件)

相反する二つの主張がある場合は、それぞれの主張の根拠がどこになるのかを調べます。

そして、その根拠にどれだけの信憑性があるのかを調べます。根拠がどの程度学術的な批判に耐えられるかどうかを見極めることが歴史の基本です。研究書や論文を読むときは(可能であれば証言を聞くことも)、できる限り先入観を持たずにそれぞれの立場から書かれたものを多く読むことです。研究書や論文を読むだけではなく、できる限り基になった資料を読むことをおすすめします。そのうえで、その資料がつくられた背景を考えていくと筋道がはっきりとしてきます。このとき、学者・評論家の主張だから正しいだろうという考え方は要注意です。

多くの資料を見て比較検討していますと、それぞれの立場によって見方考え方が違いますし、その人たちの立場から見ると、それぞれの主張はもっともだということになってきます。今私達が生きている日常社会でも同じことが言えると思います。人間の歴史は人間が造りだしているということをふまえて、歴史的事実がおこった背景や過程をしっかりと読み取っていくことをおすすめします。
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当時の朝鮮半島及び朝鮮人は、大きく分けて四つのグループに分かれていたと考えてください。



1、日本の保護(併合)を望んだグループ
2、中国の保護を望んだグループ
3、独立を目指したグループ
4、日々の生活に追われていたグループ

その上で、各国の状況です。
日本は、上からの近代化を成し遂げ列強諸国の仲間入りをしていました。
そして、植民地化のリスクをなるべく避けるために大陸進出をねらっていました。
その時の足がかりとしての朝鮮半島はとても魅力的でした。
当然1番の日本保護を求めるグループを活用しようと考えます。

中国は、清朝が倒し新たな国作りをして列強諸国の影響をなるべく排除したい、しかし思想的対立から分裂状態でとても朝鮮半島の事に構っていられませんでした。

3番目は、なんとかしたい気持ちもあったでしょうが、日本支持と中国支持勢力に押され気味でした。

4番目が一番多く、一般市民です。
彼らにしてみれば、もっとも自分の暮らしが大事でありその暮らしを守ってくれるなら誰でも良かったんです。

これら四つの状況を考えれば、自ずと答えが出ますね。


>韓国併合は韓国側が望んだというのは本当ですか?

半分本当で半分嘘です。
あの戦争をなんとか正当化したい人たちは「本当」と言い、あの戦争を利用して日本を攻撃したい人たちは「嘘」と言います。

因みに、あの当時は韓国という国も北朝鮮という国もありませんでしたので、その当たりも考慮してくださいね。

簡単ですが、参考になれば幸いです。
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他の質問で回答したものの一部を流し込みます。



よろしければ、こちらの本をお読み下さい。
http://www.bk1.jp/product/02796880
崔 基鎬著
日韓併合 歴史再検証
祥伝社黄金文庫

-----引用開始------

「簡潔にいえば、李朝に五百年にわたって支配されてきた併合前の
朝鮮半島の実態を、私たちは、あまりにも知らなすぎる。
-------中略--------
北朝鮮は李氏朝鮮のまさにクローンである。
-----中略--------
あの国が自主的に近代化を成し遂げられると考える人が、はたして
いるだろうか。仮に今、日本が北朝鮮を併合して統治するとなれば
金一族を除く北朝鮮国民は、随喜の涙を流すに違いない」
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
-----ここまで------

李氏朝鮮の様子はイザベラハードの著書など外国人も書いています
ので、表現が大げさでないことがわかります。
http://www.bk1.jp/product/01580163
朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期
イザベラ・バード著 講談社学術文庫

さて、当時の朝鮮とはどのようなものであったかを上の書籍や以下の
URLにある写真資料で確認されるとよくわかります。

http://photo.jijisama.org/other.html
特に「その他の日本併合前の朝鮮の写真」など必見です。

まさに先に書かれているとおり、現在の北朝鮮は李氏朝鮮のコピー
ですね。

この写真の国で国民が政治運動を通じて「韓国国内は大反対だったのです。
これは当然です。」といった社会状況を信じられますか?
上にも書いたとおり、当時の朝鮮では「日本が統治すると言えば国民は
随喜の涙を流す」状況に置かれていたのです。
また、反対派というのは、単に親日派に対する親清派と親露派がいたと
いうだけで、特権階級内での争いであり、国民のためではなく、自分の得
に向かって行動した、というだけのことです。
現在の北朝鮮で国民が政治運動などできないのと同じで、当時も両班と
言われる身分の「どっちが得か」の運動でしかないのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E7%8F%AD

それらの反対運動はほとんどの国民の知るところではありません。

それが「大勢の人は賛成していない」の正体です。

こちらにも、その経緯や参考書籍など載っています。
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/index.html
http://jijisama.org/

何と言っても気を付けなければならないのは、当時の朝鮮は国と呼べる
状態では無かったことをきちんと理解してください。
当時は国家予算さえきちんと立てられておらず、国民は完全な無政府
状態に置かれていたのです。

先にも書きましたが、現在の北朝鮮を頭に描いて考えるのが一番近い
と思います。

その国の状況を「国民は一致して反対した」とか「国民全体の反対
運動」などと表現するのはウソや捏造を通り越してSFでしかありえ
ません。

そもそも、生存に必要な物資の流通でさえも、人の背中と牛馬以外に
頼るものが無い国で、どのように情報を流し、一大国民運動にするの
でしょうか?

単に、地方の役人が「私の管轄区域では全て反対である」と言って
いるだけでしょう。
国民の意見を収集する仕組みも無い、正確な人数を把握する戸籍も
ない、仮に収集できたとしても正直に報告する道徳もない、キセル
さえ自分の手で持たないと言われる両班がそのような作業をする
などと思うのは日本の役人や官僚を頭に描くからです。

そんな状態に置かれたからこそ、親切な日本に対する親日派が
現れ、日本統治を望む声が上がったのです。

北朝鮮のように苦しめられたらだれでもそうするでしょう。
まぁ、今の北朝鮮は軍部が押さえていますので、それらの
声すら表には出てきませんけど。
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事実ですが、とある一部の朝鮮人ですよ。


大多数の朝鮮人ではありませんよ。

まぁ日本もキリシタンがローマ教会に日本の土地を売り渡したのもありますからね。
別に不思議でも驚くことでもありません。

北朝鮮と在日朝鮮人を見れば簡単に分かることでは?
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本当です。


韓国側が望んだのです。

それを今になってああだこうだといいわめくのは
見苦しいですね。
 併合がなければ、韓国は他の国の植民地になっていて
ヒドイ状況になっていたでしょうね。

それと日本が統治した当時とその後を比較してみてください。
ずっとよくなっていますよ。

海外旅行は、32ヶ国に行きました。
タイには、20回以上は行っています。
いろんな経験をしているからこそ分かるのですよ♪
また、なにか分からない事があればなんでもご質問してくださいね♪誠実にお答えしますので、ご遠慮せずにどうぞ(●^o^●)
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韓日合邦を要求する声明書を指すとおもいます。


しかし、実体はその下のサイトにあるように、韓国国内は大反対だったのです。これは当然です。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E6%97%A5% …
1909年12月4日、大韓帝国で日本の影響下にあった親日団体一進会(公称会員数百万人・実数数万人程度)が純宗、曾禰荒助韓国統監、首相李完用に送った朝鮮と日本の対等合併を要望する声明書である。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9F%93% …
1909年12月4日、突然韓国の一進会より「韓日合邦を要求する声明書」の上奏文が提出されると、韓国国内では国民大演説会などが開かれ、一気に一進会糾弾と排日気勢が高まり、在韓日本人新聞記者団からも一進会は猛烈な批判を浴びせられた。そもそも「韓日合邦を要求する声明書」は韓国と日本が対等な立場で新たに一つの政府を作り、一つの大帝国を作るという、当時の現状から見ても日本にとっては到底受け入れられない提案で、また、無闇に韓国の世論を硬化させる結果を招き、統監府からは集会、演説の禁止命令が下された。
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