『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

「ちから」に関して、哲学的考察が可能か、という質問です。

一般に、「ちから」といえば、物理学です。
重力・磁力といった、「ちから」の分析、慣性の法則の発見、などなど。
それと、生理的な「ちから」も、熱量として、生物学や栄養学、などなど。

ところで、人間は社会的動物と言う事で、必ず集団を作ります。
他の動物も、集団を形成しますが、人間の作る社会の制度は、特別です。

そこで、この社会を必然的に構成する「ちから」これが謎です。
この、社会を構成する「ちから」は、物理学上の力の様に、考察の対象になるでしょうか。
「精神のエネルギー」つまり「思考する力」
あるいは「ちからの総合」も視野に入れて、
今回の考察の、足掛かりについて、なんでも教えてください。

前回の質問
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3305165.html

前回の質問が長くなり、改めて、質問しなおしました。

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A 回答 (18件中1~10件)

何気にマイナーチェンジをいたしました。

お久しぶりです。
社会に対する力で有効なのは「教育」と「道徳法則」かな。

人を支配するのにお金や暴力や色気にも充分な威力があるで
しょうが、社会を動かすには信用と普遍的な約束が必要で、
それに叶うには目には見えないが一人一人の教育水準が社会
の網の目となり共認回路を創造するからです。
人間は機械やシステムの道具ではない。
人間が社会の約束を生み守ることに拘ります。
拘ったところで自然は弱肉強食な淘汰に終始しますが、人間は
弱いものに従う可能性までも見出します。

重い障害があって弱者たるヘレンケラーは社会にとってお荷物に
違いない。そうでなければ出来ないような奇蹟を見せるにつけ
人間に多大な目指す希望の星となり、太陽となり恩恵を与えた
のですから、良い教育者と出会ったことは五体満足な私が嫉妬す
るほどです(笑)

人間が創った複雑な社会と社会の枠に納まらない人間の可能性。ど
ちらもすごい教育の力なのですね。

あ、私の頭は不自由かも。
頭の都合が悪い弱者よ!友よ!頑張ろう!!
失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
今週は、ゆとりが無くて、お久しぶりにもかかわらず、
お礼が遅くなってしまいました、
こちらは、フルモデルチェンジでもしないといけない。

教育や道徳法則は大事ですね。
ところで「教育の力」と言うと納得ですが、
その力って、なんだろう。
教育の力と道徳法則(言い換えると規範の力でしょうか)の力
この二つの「ちから」は同じなんだろうか?
教育の影響は、広範囲にわたりそうですが、
道徳とか規範は、抑制とか禁止の力のような、

この辺り、わたし〈は〉頭が悪いですから、悩むんです。
はい、頑張りましょう。

お礼日時:2007/09/14 20:18

こんばんは、fisbowl66さん。




●…若干肩透かしのお礼、お気に召しませんでししょうか。


ん?パクッ=☆

真赤な林檎を頬ばる <ウソ!真っ赤な?

ムシャムシャ ムシャムシャ ムシャムシャ

(*^^*)v たいへん おいしゅう ございました。

http://music.goo.ne.jp/lyric/artist.php?n=%A5%AD …


えっ?! 音がハズレてる?
(*^^*)>゛゛゛ でへぇ、ご愛嬌

飛びます~♪飛びます~♪
ったくぅー、
潜るのかと思えば…
飛んでって…
猫の目もまわるって、、、
つかみどころがない?

ふ~ん~♪
ところがどっこい!
気分は宮本武蔵!
精神を集中したらば…

"バシッ"

Get!

『飛蚊症について』
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa20589.html

健康には気をつけなくちゃね。ご参考まで


【第3章 社会資本整備に係る紛争の予見.予防】
http://www.pref.gifu.lg.jp/pref/s21401/kenkyu/1/ …





インスペクター制度
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この回答へのお礼

littlekissさん、こんにちは。
回答というより、いよいよ雑談に近づいてきましたね。
そろそろ、こちらも、ねた切れ模様、
二刀流で、あちこちもぐら叩きも難しそうですね。
質問を締め切りますが、ポイントはいつも大変、
多いとサイコロも使えませんしね、また宜しくお願いします。

お礼日時:2007/09/30 09:50

fishbowl66さん こんにちは。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
シャルル・フーリエの思想は――と批評子は述べています―― オウエン サン・シモンに比べてはるかに多く《謎》につつまれており その思想の全貌は 彼の母国フランスにおいてもまだ明らかにされていない。
彼については 協同組合 労働運動 婦人解放運動 コミュニティ創設運動などに与えた直接的影響のほかに 次のような諸問題がクローズ・アップされてくる。宇宙論的スケールで展開されているその独自の歴史観 フロイトに先立つ人間の諸情念についての心理学的分析 とりわけセックスをめぐる人間と社会の問題。現代文明の所産としての人間疎外の実証的描写 農業技術論や食生活論 あるいは農業労働組織論をふまえた自由管理的農業コミューン論 さらに労働と遊びの統合の理論や教育論 社会医学論 社会資本論 都市計画論の展開など その着想の奇抜さにはただ驚嘆するのみである。
それらは現代社会の考察 ならびに未来社会の構想にあたって 今日もなお新鮮で有効なヴィジョンを提供しているように思われる。
(坂本慶一:ユートピア社会主義の意義――《世界の名著 続8 / オウエン サン・シモン フーリエ》1975  p.94)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この批評の時点は もうずいぶん古いですが その《情念引力の理論》等々を発展させうれば よいとは考えます。
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この回答へのお礼

brageloneさん、おはようございます。
おや、これは、昔の「越境入学」ならぬ「越境回答」ですか(笑。
このような事も面白いですから、有っても良いですね。
フーリェの本のタイトルが「四運動の理論」ですから、今回の質問に関連して、大いに参考になるはずなのですが、なにしろ、上下二巻の大作で、しかも、最初を読んでみると、「愛の力」とかが出てくるんです。
わたしは、どうも、愛とか神とか、それに心理学といった部分がどうも苦手で、なかなか読むことができないのです。

奇抜な着想には、心ひかれるものがありますね、斜め読みでも良いから、一度挑戦してみようかな、うん~できるかな?
ご回答、有難うございます。

お礼日時:2007/09/29 06:52

おはようございます、fishbowl66さん。



●ご家族の皆様にも宜しく(笑

(笑

もうー、人がわるいなぁ~♪この『笑』謎めかしい…

ええ、雷にはめっぽうよわいですよーだ!うるへぇ~♪
詳しくは…
『磯野家の謎』/タイトル
東京サザエさん学会/編
飛鳥新社/発行所
【問61】 P195~参照

空気の移動…気圧…って…今度は海に潜ってと?宿題って…?素潜り?ディープ。。。



オニ!



「精神のエネルギー」

なせばなる なさねばならぬ なにごとも…


ほんまかよー?


読みごたえあるかもしれません、量的に…
チリもツモればなんとやら~♪
http://www.nihonkaigaku.org/05f/i050528/t1.html

http://www.tech-land.gr.jp/thinkso/column/column …
【173】
【210】
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この回答へのお礼

littlekissさん、おはようございます。
この時期、日の昇る前から、本など読んでいると、どこからともなく、「蚊」がやってくる、「カ」です。
今週は、経済学の関係ですが、そこに、フロイト・ラカンの精神分析が入ってきて、閉口しているところ、「蚊」の攻撃に、○○ジェットもねた切れ、集中力不足で、仕方なく、お礼に向う(こら。

精神のエネルギーは、精神力とはチョト違う、ちょうど読んでいる本に「集団形成の本質は、集団の成員相互のあらたなリビドー的結合にある」と、あら、これが質問の答えなのか?リビドーをカタカナ語辞典で確認すると、「性欲とか生命力」フロイトなどの心理学用語とか、でも、「性欲とか生命力」だけなら、動物も持ってるはずで、人間特有の社会集団の本質になるのかな、などと、考えつつ、お礼、お礼と気を取り直しつつ、キーボードに向う。

で、生命力、これの基本は、物質の作用反作用から免れて、エネルギーを持続させて、一気に飛躍する、細胞分裂や生命の成長自体が、そんな力の使い方をしているような、そんな力と、「記憶」を保持する力の関係はどんなのか?よく解らないのですが、生命力と精神力の間には、記憶を保持できる力が媒介になっており、性欲や生命力が直接に社会集団形成の力になるのやら、疑問は尽きませんね。

今回は、若干肩透かしのお礼、お気に召しませんでしょうか。

お礼日時:2007/09/29 06:31

こんばんは、fishbowl66さん。



(^O^)/ あーした 天気に なーれ~♪


前途多難…

またー、気のせいだよ。
ん?雲行きがあやしい…
そうかなぁ?

あっ!?そうだ!忘れてた。お天気は『大気の物理学』ともいわれてたりもしたっけね。だとすると、「ちから」って…雨乞いの踊りとかもこれに含まれるかな?「雨よ降れ~雨よ降れ~」と、祈り舞い踊ると、場が熱を帯びる。これが八代亜紀のコンサート会場なら「雨雨降れ降れ~♪もっと降れ~♪」この繰り返しのフレーズで一気に場内が活気立つ。音楽鑑賞していた筈がいつの間にやらスポーツ観戦をしているかのように様変わり。ハラハラ、ドキドキ。手に汗握り「フレー、フレー」と声あがる。場の空気が変化する。


大気圏内の気温の変化
空気の流動
湿度の変化
…etc

いろいろな気象要素の組み合わせが変化するにつれて天気の変化が起きる。


【10の32乗】
http://solar-b.nao.ac.jp/PO/Space_weather/
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この回答へのお礼

こんにちはlittlekissさん
天気ですか、これは気が付かなかった。
天気の変動を決定する要素はいくつあるのか?
温度、湿度、地上の地形・・・
空気の移動は、気圧の配置で決定するから・・・
要素が四つ位になると、都合がいいのですが、
そうは都合よくは行かないでしょうね、
うむ、宿題が残ってしまったか、有難うございました。
ご家族の皆様にも宜しく(笑。

お礼日時:2007/09/24 17:41

もう一回分のおまけ回答券をもらったと思って 投稿させていただきます。



こんなことについて是非とも知りたいということがらです。

まだ小学校五年生にはなっていなかったと記憶している頃のことです。
腕白仲間と遊んでいて そのグループに ある日ある時 リーダーが必要だと皆が思うようになっていた。多少学力があったわたしに 視線が集まって来た。いわゆる《空気》というものです。

つまり 仲間たちは その時必ずしも口に出した言葉で わたしに問い掛けてきたのではなかった。暗黙のうちに それとなく 分かったわけで そのわたしは どういうわけか 同じように 心に念じるようにして 仲間に応じようとします。

おそらく 慣習として こういうときには 暗黙のうちに指名された場合でも 指名されたほうは 声に出してよいはづなのですが わたしは 声には出さずに 答えようとしていました。そのとき ふと 思い留まりました。

わたしが受けた仲間からの念力のようなものは もし それが通ったなら わたしと仲間との関係は おかしなものになると 感覚的に悟りました。

なぜ おかしなことになるのか その理由については そのときは 次のことだけを思っていました。もしこのとき 《わたしにリーダーになって欲しいということなのか》と 仲間に 言葉に出して尋ね返すなら 何か おかしな雰囲気になるだろうという予感がしたということ これだけです。

ずっとあとになるまで もう 突っ込んでは何も考えなかったのですが けっきょく 人の意思表示のないことがらを頼りとして 自分の意志行為をおこなうというその成り立ちが 問題なのだと考えるようになりました。

さて わが国は この念力などによる非言語的コミュニケーションが 存外に発達している社会です。その後 わたしが そのグループから仲間はずれになったことは 自然の成行きでした。

今では 従いまして 広義のコミュニケーションには 二種類あると考えます。
(1)意思表示によっておこなう普通のそれと そして
(2)およそ心理的に心の動きだけはあるという事態を感覚によって伝え合って なんらかの意思疎通を図るというそれとです。

もし(1)が重力≒意志行為だとすれば (2)は電磁力≒心理の作用によるのではないかという推測です。この場合 心理とは 意志決定していないか あるいは 心の内でしていても 意思表示をしていない段階のものを言います。

この事態について 科学的に知りたいと ずっと思って来ました。
もっと話を早くすれば (2)は ボスの意向がその場を支配するといった事態のことです。つまりボスは 口に出しては いっさい 言わないまま 事が決められてゆくといった事態です。(決まったあとでは 認可したりするかも知れない)。

日本社会全体が このような電磁場〔の部分が優勢〕となっているのではないだろうかと疑うのは 天邪鬼なのでしょうか。子どもの時の事件が わたしの心をここまで歪めたのでしょうか。 

こんな実際を自然科学が説き明かしてくれたら さぞ よろこばしいことと思います。
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この回答へのお礼

おまけですか、おまけは嬉しいですね。
とか言いながらも、よく読むと、結構大変。
いままでは、わりと一般的な話で、ある意味では曖昧、
ところが具体的な事柄に、力を当て嵌めると、結構難しいですね。
子どもの頃の、貴重な記憶ですが、
なるほど、言語化と非言語的な区別はご回答者様らしいですね。
私の場合も、遊び仲間の変化は記憶にありますが、
言語的な区別というより、大人の世界の影響から、自分で考える。
真似や仲間との同一性の同じという力と、違うという主張へ。
といった変化です、尤も記憶も変化して、本当にそうだったのか。
bragelone様とは、言語に関する考え方で多少違いが有りますから、
此処でも、言語化・非言語化の区別より、コミュニケーション可能の共通性に注意が向いてしまい、
力の質は同じで、方向の違いか、など、訳の判らない推測しかできませんね。
解らない事が、また増えましたが、有難うございました。

お礼日時:2007/09/24 17:31

fishbowl66さんから やっと批判のことばをいただけました。



(1)物理学・化学などのことは よくわかりません。類推による思考のみです。その点 ご勘弁を。

もっとも 科学ならば 仮説また仮説で進歩していくものでしょう?

(2)その隠れ蓑のもとに もうひとこと述べうるならば 重力にもとづくと比喩的に考えられる意思とその判断実行について 重要だと思われることがあります。

その前提としては 人間の自然本性をどう捉えるかが かかわります。これが 本能とは違うという問題です。ヒトという生物にあっては 他の生物の持つ本能が かなりの程度において こわれている。また――ソシュールではありませんが つまり ソシュール問題ですが―― ことばを持ったヒトはこの本能から自由に思考し行動することを始めたという問題です。

つまり自然と文化との二層構造 そしてまさにそれとしての《社会》が問われるというわけです。

* 〔ルウソを出しておられたので 引用しておきます。
 
  万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが 人間の手にうつるとすべてが悪くなる。
 (《エミール または教育について》第一編 冒頭の一文でしたね。)

《すべてが悪くなる》は 極論のように見えますが。これだけとします。〕

そこで簡単に触れますが この文化状態にあっては 自然の重力のおもむくところから あたかも離れて 自由に想像力をはたらかせ その意志行為をおこなうようになっている。

そしてさらに その問題の〔負の〕原点ともいうべきことは 存在の大前提である生命をも否定する意思(???)を持つかに見えることです。

そして これが 《思想》問題だと考えたところです。したがって 《社会的な力》とは 思想が有効か無効かで判別することから始める必要がある。もしくは この有効・無効の問題をしりぞけるための有効な議論が必要となる。ここが 出発点ではないかと存じます。等々・等々。

(3)《時間》観についてですが
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
われわれは現在形と過去形によって現在と過去を区別されているに過ぎない。(ギブソン1979)

大胆に説明すると、時間はない、言語的に表現されているだけだと。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
このご見解をめぐって――ギブソンは知らないのですが この内容に反論はないので いま未知のまま述べますが―― わたくしの基本的な区別はこうです。

いま〔広義の〕価値生産の過程にある時空間が 《現在》です。いまのむろん特定の婚姻関係としての人生価値の創造過程が 現在です。思想が一貫している場合も 過去のかれ もしくは かのじょとの関係は まさに 《過去》です。基本的に 途切れているからです。

(4)《物理学》の力が なぜ《社会科学》の力と違うのか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
では、力はどうでしょうか、社会的力は「観念的」な力のようですが、物理的力が社会的な力とは違って「観念的」ではないようですが、本当でしょうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この質問者の方の見解と 違ったことを述べたつもりはないように思っています。

身体(S)が 精神(A)の基体であり 両者は 連関しているということから出発しています。

物理的力の(あるいは その場の)観念的な要素としてわれわれが捉えた部分を 社会的力と呼ぶというふうにです。 

そして あとは 上の(2)に触れましたように 自然の力と そして あたかもその自然のあり方から逸れた力の有り様が 社会的力には 生じているのではないかの問題があると考えます。(逸れた場合にも 物理は 文化や観念の基体です)。

この《逸れたあり方》についても 自然逸脱が即 無効つまりたとえば悪であると言うべきなのか。あるいは逸れてそのあと あたかも非自然なる文化状態に到ったこと このこと自体は 如何ともし難いが その文化の情況や行為に対して 人間の自然本性にも基づき 有効か無効かを識別する必要があるのか・ないのか。(無効でも 有力でありうる。つまり社会的力としてはたらくことは 実際です)。

議論の活発となることを祈ります。
(つまり 物理的力そのものに対しては 文化とは捉えないわけで しかも それを基体として現われる社会的力については 自然から逸れた文化と捉える。これは いわゆる価値判断が伴なわれるようになったこと つまり重力に比される意思の能力が あたかも物理的力とちがって はたらいているということ その正否・当否 そのあたりなどから 入っていくのではないでしょうか)。

〔前回の力(1)のご質問への回答で 《意図》を 指摘されていました。ただ わたしに もし しっくり来ないところがあるとするなら それを《心理的な力》のごとく規定しておられたかなと思われることです。おそらく 心理は 重力≒意思の問題であるよりも 電磁力≒欲求・想像・幻想に より一層深くかかわるように捉えます。うんぬんうんぬん〕。

(望洋の歎を発しているひまのないほど 前途洋洋ですね)。
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この回答へのお礼

bragelone様、再回答有難うございます。
補足欄は、閲覧の皆様にハッタリをかましただけで、
批判のつもりは、毛頭なかったのですが・・・
前回の回答の最初の部分の、「違い」を取り違えたのかも。

「エミール」は読んでいないです、私は教育と無縁で。
時間論もハッタリぎみ、あまり関わると、寝られなくなります。
4)の話の進め方は、ベルクソンと似た所がありますね、生命は物質の作用反作用の必然性から、免れている、といった意味があったと思います。私はその辺りを、量の問題か、持続の問題か、或いは、翻訳といった考えで、説明できないものかと、イオン電子を使ったDNA言語とか、またまたハッタリですが。

さてはて、どの辺りまで、話が進むやら、前途多難。
有難うございました。

お礼日時:2007/09/22 17:28

まづ モノ(質料)のエネルギー・力・運動と 人間の社会的な力・運動とは ちがうと思われる。

前者の自然〔科学〕的な運動そのものが そのまま(あるいは勝手に)後者・人間社会における自然史過程的な運動となるわけではない。

もし仮りに 物体の運動と人間の運動とが 同じであったとしても 物体はこれを運動と認識しないばかりか 運動の主体であるとも自己認識しないのであるから 他の物体あるいは人間の 支配者であると考えるわけでもない。

人間の運動・生活が すべて物体の自然運動から成っていると見る場合でも 人間はこれらを選択し加工したり排除したりする。言いかえると 物質の自己運動が そのものとして 人間の手に負えるものだとは考えられないが この運動を人間は 人間的なものとして・社会的なものとして 方向づけないわけではない。

このような社会主体としての人間の 殊に《自己》の力を想定し さらに四つの力を仮想してみる。

  1.重力 :《 〈自己〉 の社会的な力》( la puissance du moi )
  2.電磁相互作用 :《 〈自己〉 の超現実》
     ないし《〔個体の〕 幻想 〔という意識〕》( l'irrealite du moi )
  3.強い相互作用 :《根源的な 〈自己〉 》( l'inepuisable moi )
  4.弱い相互作用 :《とにかく 〈自己〉 というもの》( le moi quoi que ce soit )


これらの人間の力 つまり 自己の基体である物質の運動についての意識としての人間の力は 物質としては広い意味の《光》が媒介するものである。

いまわかりやすいように そして基本的にもそうであるように 男と女に対する関係を例にとって考えるのがよい。第二の《〈自己〉の超現実》というのは いわゆる光が 視覚などによって起こす電磁相互作用としての力である。男と女のあいだに 電磁場(電気的・磁力的な作用の場)が形成されるのである。これは 《幻想》的であり 幻想としての現実である。

幻想というのは 相互作用がはたらいても それはまだむしろ 場の成立であって 何も起こっていないのに 何か起こったと錯覚したり さらに何か確かに作用が起こったとき それは 自分に都合のよいように 別の作用が起こったのだと錯覚するか もしくは 何もまだ起こっていないのだと強引に主張するか そのような場合が 多いからである。

このとき これらは 特に意識しなくとも 第四の《とにかく〈自己〉というもの》をとおして そしてそれは 光の仲間としてのウィークボソンによって媒介されるところの弱い相互作用となって まづは始められていたものであろう。つまり 後でそのような結果として捉えられるものであろう。(何でもないことのほうが 印象や影響が強かったりする場合がある)。

これら二つないし三つの力を要約すると 男と女とは それぞれ《とにかく〈自己〉というもの》をとおして 接触し 何らかのかたちで 《根源的な〈自己〉》を意識し始め それぞれが《自己の超現実》という場を夢見始めるに到る。

《弱い相互作用――自由な電子が飛び廻ってのように――》において 互いに接触し 《強い相互作用》を働かせる。(ただしまだ 事の始まりとして 互いの紹介までである)。そして次に《電磁相互作用》がはたらいたなら 相互認識の場なり 付き合いの形なりが 成立する。

第三の《根源的な〈自己〉》というのは 自己の同一性にとどまろうとする――言いかえると この場合 相手を選ぼうとする――力であり いわば自己の凝縮というような自己の確認の作用である。

これは 《糊の粒子(グルーオン)》とよばれるものによって媒介される強い相互作用に属する。もちろん 人それぞれにであり 単純に人それぞれにである限りにおいて 人は 独立主観である。この意味で 根源的なと名づける。

以上これらの三つが 大きくは同じ場で むしろ同じ力の三態としてはたらいているのである。独立主観が 孤立しているわけではなく 他の独立主観と 接触したり 相互依存的であって 不都合はない。この力は 三態という範囲において もしくは 正負の向きなどを含めたいろんな関係のあり方として それを愛(つまり 愛情と嫌悪)とよぶのにも 不都合はない。

最後に 第一の《〈自己〉の社会的な――もしくは公共的な――力》が 重力であり 表現として 万有引力(?)である。

主体の社会的な意味での重さとは 意志のことであり これを同じく 愛(自治・自己経営)と呼ぶのに不都合はないであろう。

男女の関係としては その夫婦一組としての社会的な職務(生活というほどの意)にかかわった力の問題にあたっている。婚姻は 第二の電磁相互作用の場 これが 婚姻関係〔の場〕として新たに確立したときの力の過程である。それは 重力の作用つまり自由意志によるかと思われる。

婚姻に限らず 一般的に人びとの連帯が成立するのは やはり 万有引力に比されるべき人間の意志によるのであって 或る主題の科学的知解や 或る問題の解決へ向けての運動として考えられる。

時に これを階級的な連帯と 唯物史観がみたのは この力を基軸とするというわけだ。民族としてのまとまりは 微妙であるが それが国家としての統合であるとき それはまさに国家的な電磁場の〔幻想的な〕確立を 一つの経験現実としているのであろう。

けれども 個人の二角関係のうちの 男女の対関係における結婚という結び付きは 四つの力が統一的にはたらいているかも知れない。接触(弱い相互作用)・自己確認と相手の選択(強い相互作用)・そして意志(重力)にもとづく愛の関係(電磁相互作用)。そうして 私的にして公共的な職務(生活)にあたる(重力)。・・・・・・

この回答への補足

われわれは現在形と過去形によって現在と過去を区別されているに過ぎない。(ギブソン1979)

大胆に説明すると、時間はない、言語的に表現されているだけだと。

では、力はどうでしょうか、社会的力は「観念的」な力のようですが、物理的力が社会的な力とは違って「観念的」ではないようですが、本当でしょうか。

brageloneさま、失礼しました。

補足日時:2007/09/22 07:06
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます、
最近は、お礼が遅れてばかりで、申し訳ありません。

最初に、物質的力と社会的力の関係に否定的な説明、一般的で普通はその通りでしょうが、もう暫くは、疑ってみる可能性や常識を揺るがすような、視点がないものかと、あれこれあがいてみます。

質問の意図に沿って、力の分析、今回は社会的力と個人の関連で、分析頂き、参考になります。個人の力を、物理的な四つの力の比喩を使うことや、光の概念を力と関係させる辺りは、大変面白いですね。

力の分析に関して、事実を観察して、規則性を論証することと、事実を観察しつつ、規則性を仮定に沿って推論することは、厳密には区別し、後者は科学的には不備があるとの事ですが、今回は、物理的力と社会的力の共通項を探しています、物理的力の、重力と磁力では、磁力の方が強いにも拘らず、磁力は互いに打ち消しあう結果、宇宙は重力が支配しているとか、こうした、物理的力の類推から、社会的力を分析するのも面白いのでは、ただ、核力は実際良く解らないらしく、無謀な推論かもしれませんが。有難うございました。
ご回答の最初の部分に関して、気が付いた事を、補足をお借りします。

お礼日時:2007/09/22 07:05

教育といっても多岐にわたりますが、有資格者、教育者でなくて


も子供に教えることは沢山あります。私は性教育を疑っているの
ですが、それは自分で質問を立てたりしてます。倫理の問題を学
校がするのか、親がするのか微妙なものがありますが、現実や真
実を教えることもやって欲しいです。

悪い事をするとどうなるか?刑務所の視察や賠償でローン地獄の
話とかする。詐欺や誘惑に乗らない方法、企業イメージやマスコ
ミを信じきってはいけない理由とか、失恋から立ち直る方法とか、
ケンカの仕方とか(西郷さんを尊敬してます!弱い者を助け傷を
負っても平然としてたそう)削除依頼の方法とか(謎)
実に実用的と思いますが、発想がこんなものなのです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。
こんな時は、慌ててお礼をすると、つまらない行き違いが起こるから、よく考えて、お礼を書こう、などと思っていますが、先週辺りの、時間が有るときは、お礼は早い方が良い、なんて考えていましたね。
自己の同一性に、不安が付きまといます。

性教育ですか、前回は、教育と規範の区別をしていましたが、性教育はどっちなのか、ふと考えてしまいました、性教育は、性の喜びを伝えるのか、性の危険性を教えるのか、教育自体に二面性があるような気がします、益々、自己の同一性に不安が募りますが。

性の問題は、根本的に生物学的力と関係しそうですが、人間の内面の内奥の奥、取り扱いに注意を要する危険物でしょうか、昔、専門の方が見えましたが、私の記憶では、退会処分とか。
くれぐれも、お気を付けて、有難うございました。

お礼日時:2007/09/22 06:18

「足掛かり」ならば、あなた御自身の一連の質問と寄せられた回答、


回答者と御自身のあいだでの遣り取り、
それらを振り返れば見えてくるものがあるのでは?
別途に参考資料をつけてもよいのですが、今回は見送ります。
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この回答へのお礼

沢山のご回答を頂き、参考になりますが、
お馬鹿さんの私には、
足掛かりは多い方がよい訳で、
それに、力の分析は、まだまだのようですが。
有難うございました。

お礼日時:2007/09/18 19:54

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