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戦国時代あたりを見ていると、秀吉や徳川家康が京都にいる際には二条城を拠点にしているみたいなんですが、それはどうしてなんでしょうか?

二条城にはどういった長所があるんでしょうか?

回答お待ちしています。

A 回答 (3件)

>秀吉や徳川家康が京都にいる際には二条城を拠点にしているみたいなんですが



秀吉は、聚楽第を拠点にしていました。

>二条城にはどういった長所があるんでしょうか?

二条城は、家康が「御所警護・守護」「将軍家宿舎」を公的な目的として築城しました。
(当時は、城とは呼ばず「二条新御所」「二条新屋敷」と呼んでいたようです)
が、実際は「御所の喉下を抑える」目的があります。
同時に、天皇家と将軍家が同列(地位)だとの力を(庶民に)見せたのです。

家康・秀忠時代。
大阪城には「秀頼」がいましたが、御所近くに二条城があるため「大阪方は、二条城を攻撃できない」事を考えていたようですね。
(現在の二の丸周辺が、当時の二条城)

家光時代、増改築が行われました。
(本丸周辺を増改築し、現在の二条城となる)
将軍家宿舎としての意味よりも、軍事的な意味合い強まったようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
訂正してくださってありがとうございます。
徳川の関わりがやっぱり強いんですね。御所との関係も教えてくださりありがとうございました。

お礼日時:2007/09/09 02:40

信長が本能寺で討たれたのを同時代で見ている訳ですから、



天皇に対する事務的な機能(使者を迎えるとか)と
軍事的な機能(自前の軍隊を収容する規模や抜き穴がある等)を
兼ね備えた施設だったのではないでしょうか。

専門的な研究をしている訳ではないので想像ですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!
大変参考になります。どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/09/09 02:38

お城だから攻められにくい。

京都は朝廷がある。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!

お礼日時:2007/09/09 02:37

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