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大学に行って、そして経歴を積んで大学の教授・学者になるという事の意義とは何でしょうか?世の中はまだまだ未熟で、毎日の食事が出来なかったり、職業が無く生活が困窮している人がいます。そんななか大学の机上で政治や経済、心理や法学について論じている学者や教授の存在意義はなんでしょうか?

A 回答 (9件)

大学で経歴を積んでも、教授・学者になれるわけではありません。


学位(博士号)をとっても、就職できず、アルバイトでやっと食べている人はたくさんおられます。
数年前に40歳くらいでケンブリッジ大学の教授になった人は、研究時間が毎週土曜日の数時間だけでした。それも奥さんに「数ヶ月だけ」とお願いしてとれた時間でした(残りは食べるためのアルバイト)。
教授になってもリストラで失職し、食べるのに困っている方もおられます。
何年勉強しても、博士号をとれない人もたくさんいます。
日本の(世界の)社会問題です。
終戦直後、後にノーベル賞を取られた湯川秀樹先生なども、食べるものに困っておられました。



もっと単純に。
「あなたは、大学へ行って存在意義のない学問を、存在意義のない教授・学者から習うつもりですか」
それとも「大学を廃止してもっと有意義なことにお金や人を使いたいのですか」

ネットや図書館で学んだ方が良いと思います。(または学ばない方が良いと思います。)

前の方がおっしゃるように、大人になる(心理学用語です)ということは、自分で自分の生きる意味と道を見つけることです。

大人の側で理解してもらうように努力することは、自分の側で相手に理解させる責任を押しつけることではありません。
(失礼な言い方かも知れませんが、最近そういう大人も子供も多いので。質問者がもがき苦しんで質問していることを期待して皆さん書き込んでおられます。)

見つけられないならば、働くか、ニートになるか、モラトリアムで放浪するか、大学や専門学校で遊びながら自分の成熟(心理学用語です)を待つ方がよいでしょう。・・これは馬鹿にしているのではありません。15-25歳前後に自分の道を探して苦しんだり、探さないでモラトリアム(心理学用語です)するのは一種の発達過程(心理学用語です)であり、この道を経ない人の方が少ないと思います。

実力があれば、少しくらい休んでも大丈夫です。
・アインシュタインは、特許局で働きながら、ノーベル賞の論文を書きました。大学受験失敗で浪人しています。
・安藤忠雄前東大教授は中卒のボクサー上がりです。
・大平光代弁護士・大阪市前助役は中2で登校拒否し、やくざの女房になりました。
・ラマヌジャン(当時世界最高の数学者。この人の予想が解決されるまでに数十年かかりました)は食べるのがやっとのインドの最下級事務員でした。
・吉川英治文化賞を受賞した相沢忠洋は納豆の行商人でした(最終学歴は青年団)
・神坂次郎(作家、日本ペンクラブ理事)は陸軍航空学校卒の特攻隊員、小説が全く売れず、道路工事で食いつないでいたそうです。
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教授は机上で論じてるだけではありません。


(1)学生に教えて、学問レベルを維持している。
(2)研究して学問のレベルを上げる。
(3)大学の運営をする(普通の教授でも、雑務>研究+授業の場合が多い)
(4)フィールドワーク(現場に出て調べる)
(5)企業や自治体などの顧問や審議会の委員をする。
(6)いろいろな講演会に出る(町の講演会からノーベル賞受賞講演まで)
(7)マスコミの質問に答える
(8)本や論文を書く

環境心理学の教授なら、現場でデータをとらないと仕事にならないと思います。
(特に准教授以下は現場で死ぬほど働いているはずです)

例えば大学機能(大学自体はネットである程度代替可能です。放送大学のように。)が失われた場合、団塊の世代が退職して、
(1)法学を学んでいない判事や弁護士があふれたら?
(2)経済学を学んでいないのが、日銀や財務省や経済産業省を動かしたら?
(3)心理学の基礎も学んでない教師やカウンセラーに見てもらいたいですか?
(4)法学を勉強していない警察官ばかりだったら?

その恐ろしさがあります。
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研究者や教授といった職業は必要でしょう。


しかし普段は偉そうにしている学者にも、
謙虚な気持ちは持っておいて欲しいものです。
そしてできることなら、自分の地位や名誉や金儲けのためではなく、
単なる研究欲を満たすためでもなく、
人間のためになることを本気で考えて実行して欲しい。
本来はそのための仕事なはずなのだが・・・。

かのアインシュタインはこう言った。
「私は一日100回は 自分に言い聞かせます
 私の精神的ならびに物質的生活は
 他者の労働の上に成り立っているということを」

百姓よりも学者の方が優れているなんてことはありえないのだから。
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 なによりも、あなた自身が「 環境心理はなんの役に立つのか? 」と


考えるべきです。その答えを他者に求めるのであれば、そもそも
環境心理を学ぼうとしている自分を自己否定することになります。

 私には、環境心理が大事な学問だということはわかりますが、
それを学ぼうと思うあなたの心理はわかりません( 私にはほかに
もっとやりたいことがあり、それを仕事にしているから )。ですので
その答えはあなた自身が見つけるべきです。見つからないのであれば、
質問にお書きになった世界の飢餓や就職難を解決できるような学問を
修めればいいのです。

 なお、現在の科学や社会でわかっている範囲でのみ世の中に役立つ
ことをすべきという思想は、危険です。現在の社会構造や科学が完全な
ものではないのに、そこで留まろうとすることになるからです。

 100 年前の科学では、飛行機も自動車もケータイ電話も作れません。
飢餓を救う手段にはいろいろありますが、100 年前より現在の技術の
ほうがはるかに有効なことは疑いようがありません。

 また、社会倫理や人権もまた研究の対象であり、数多くの研究を
通して社会での認識も変わってきています。100 年前の人権意識で
あれば、遠くの国の飢餓は放っておかれるでしょう。科学の発展と
世界的な視野の広がりがあってこそ、質問者さんのように、他国の
飢餓や就職難に目がいくようになるのです。

この回答への補足

私は環境心理学を学ぶことには大きな意義があると考えています。でもその道が正しいのか正しくないのか、という事はやってからでないと分からない、もしくは自分で正しい道にするという事が大事ですよね?

補足日時:2007/09/11 18:14
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No.1です。



私は、心理学に関しては初心者で、今のところ入門書レベルのテキストを拾い読みしている程度なので、環境心理学に特化した有用性を論じる資質はないため、以下は単なる感想です。

心理学を実践する仕事には、臨床心理士やスクールカウンセラーなど多くの種類があり、教育や福祉、産業その他の分野に広がっていると思います。心理学者の役割の一つとして、それらの人たちを大学などで直に養成したり、理論的な裏付けを提供することが挙げられると思います。
心理学においても、現状の分析・研究を掘り下げていけば、次々に新たな課題が見つかり、それに対応した理論の再構成や未分野の開拓が必要になるのであって、環境心理学もそのような新しい領域の一つなのでしょう。このような高度に知的で体系的な業績は、多大な実験・検証を要するので、その道の研究者でなければ成し遂げられないと思います。

私は、臨床心理学と精神医学の棲み分けもわからないのですが、例えば、心を病んでいる人、サポートを必要としている人を助ける専門家(臨床心理士など)に対して、教育を施したり、その仕事のバックボーンになる最新の理論を提示することなどによって、心理学者も間接的に人を助けていることになると思います。環境心理学も、そのような実践を支援する理論的側面があるのではないでしょうか。
また、環境と心理の関係を探究する中で、例えば、貧困が子どもの心理に及ぼす弊害を検討して、その解決へのアプローチを提示することも可能になるような感じをもちます。

以上、素人なので的外れな回答だったら、ご勘弁ください。
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教授は貴方に大卒の資格を与えてくれるじゃない~♪


貴方を『高卒』から『大卒』に引き上げてくれるんだから、意味があるとは思いませんか?

学者から研究を取り上げたら、失業者が一人増えるだけですよ(研究するしか能が無い・・・笑)。つまり失業問題にとっても、貧困問題にとっても、何の得にもならないと思います。
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生物としてのバリエーションでしょう。

教授も。

均一の遺伝子を持った種は弱い。

社会の中の存在の一つという、俯瞰で見ればそうなるかと、私は考えております。

個々の学者・教授が、社会に対して、無職者がいることに対して個人でどう思うかに関しては、それぞれの個人の問題。
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>>大学の教授・学者になるという事の意義


まず科学、工学の学者教授の存在意義は「現在利益にならないけど将来必要になるかも知れない技術」を存続発展させることです。基本的に企業は目先利益にある技術しか追いませんから(昔のS●nyやホン●等は例外)。
あるとき必要になってから基礎開発、研究をしても遅いのです。
・政治経済
政治システムや経済システムは未だ不完全です。より良い、多数の人々が満足する社会を作るにはそれらのシステムをどう改良するかを考える必要があります。しかし実験はそうそうできないので机上のみになりがちですが。結局失敗してしまってますが社会主義経済などもそういう過程で生まれてきました。もし誰かが資本主義よりも多数の人の満足を生むシステムを提唱したら、それにとって変わられることもありえます。まあ、このあたりの学者はテレビに出る人が多くてなにいってんの?っていうのはわからなくもないですが。
・法学
日本だと法学者って憲法や法律の奴隷、信者っていわれることがありますが
、本当の法学者は違います。現状と理想を踏まえて現法律の問題点や改善点、新法の提唱を行い、世の中に提起する。あるいはどの状況でどのような法が効果を発揮するかや法律同士の整合性などを机上で検証していくものです。たとえば憲法に問題があればそれを指摘し、改正案を提唱するのも彼らの役目だと思います。
・心理
心理学は人間社会をよりよく治める、あるいは人間のもつ善悪の部分を引き出したり引っ込めたりするのが重要です。犯罪が起こす人の心理を見てその状態を見極めて事前防止策を打ちたてて犯罪者を減らしたり、物騒なことをいうと権力者に従うようになる心理を研究して意のままに操るようにするのにも必要です。
>>環境心理
たとえばですが「その場所の環境が犯罪を誘発する」って聞いたことありませんか?よく特定の犯罪者の心理のみを追求することが多いですが、最近では「犯罪をおこそうかな~って思っている人がとある条件の環境で実行してしまう」ゆえにそのような条件の環境を取り除けばよいっていう考えがあります。こういうのが環境心理の分野だと思ってますが。
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ご質問の趣旨は、いわゆる「象牙の塔」に対する疑問に起因するものと思います。


これを一言で表すと、人文・社会科学系の学者も社会的分業の枠内に入っているということでしょう。
例えば、社会活動家が貧困対策を実践するとしても、その拠り所として、該当する事象を分析・体系化した原理・原則が必要です。これを活動家が行う暇はないので、アカデミックな専門家が要請されるのです。

この回答への補足

では、私は環境心理学(環境と人間の心理を絡めて研究する学問)を学ぼうとしているのですが、これは誰の何の役に立ちますか?

補足日時:2007/09/10 17:24
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この回答へのお礼

なるほど。そういう考え方もあるんですか!よく掘り下げて調べてみます!

お礼日時:2007/09/11 18:17

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