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仏教法典の種類はいくつ位ありますか?
キリスト教だと新約聖書と旧約聖書が経典だ、
それを読む必要があるとわかりますが、
仏教法典は一体どれが、読む必要がある法典なのでしょうか?
教えて下さい。

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A 回答 (3件)

#1・2です。



 続けてすみません。そろそろおいとましますが・・・

 仏教で経典・論書がたくさんあるいちばんの要因は、仏教が「無神教」だからということになるかと思っています。

 お釈迦さまは「創造主」でも「神の子」でも「預言者」でもなく、世の中の真理・理法に「気がついた人」という感じになるだろうと思います。仏教の教えは、お釈迦さまが考えて作ったものでもなく、誰かからお釈迦さまに特別に授けられたものでもないわけです。
 お釈迦さまは未踏峰の山に初めて登ったというような「偉大な先駆者」的な位置づけでしょうか。

 仏教ではかなり初期から、このことははっきり認識されていて、お釈迦さまが悟った事柄は、お釈迦さまが悟ろうが悟るまいが元からあったもの(=この世の普遍の真理である)とされています。
 そして、仏教ではその真理(法)を奉じるという信仰態度を求め、絶対的な超越者を説きませんでした。仏教内でのお釈迦さまの存在は絶大ではありますが、唯一絶対の神様という存在ではありません。
 大乗仏教では超人的な如来や菩薩がたくさん登場しますが、理想的な修行完成者や修行者を少々オーバーに表現したモデルであったり、何事かを象徴させるために意識的に擬人化されたものであったりで、経典の文言そのままに「実在」するとは製作者側も考えていなかったと思います。

 経典や論書は法を説くのと同時に法に近づいて行くための「手段」としての役割を負うため、いろいろな説き方が可能だ(手段は多い方が良いだろう)と考えられたということになるのだろうと思います。
 お釈迦さまの教えをどう伝えるか、そして大乗仏教ではお釈迦さまの悟った真理の内容は何か、真理をどう捉えどう表現するかがさまざまに考えられ、経典がどんどん増えた・・・という感じかと。
 さらに(とくに大乗仏教では)経典は人々を仏教に引き入れるための手段としての役割も担いました。(「功徳」が強調される傾向がある)

 確かに尋常な量でないですから、学者さんやお寺さん、余程に興味でもない限り、数多くの経典を実際に読む必要はないと思います。(なによりも時間的にムリです。)
 数多くの経典があっても、それは「全部読め」という意味ではないと思いますし。その人その人に合った教え、その人が仏道に向かうことができる教えが見つかれば、それがその人の「読むべき経典」だったということになるでしょう。

 幸い日本は、おそらく(はっきり調べたわけではないですが、)「仏教に関する情報量」は世界一だと思います。
 研究に進み具合とか細かいところでは欧米の方が進んでいる分野もあるかと思いますし、「情報量」が多いことがそのまま良いことなのかどうかは意見の分かれるところかと思いますが・・・全体の情報量ではダントツで多いだろうと思っています。

 時間をムダにしないためには、いきなり経典を読むよりは、研究者の方の概説書を当たってみる方が早道かと。

 何度もすみませんです。
 
 
 
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この回答へのお礼

有難う御座います。
仏教典が沢山ある原因は仏教が無神教だという
ご見解、大変素晴らしいですね。
全然、気が付きませんでした。
そうすると、儒教と似たようなものなのでしょうか?

お礼日時:2007/09/30 22:30

#1です。



 お礼ありがとうございました。
 自分も勉強中なので、思いつくままという感じですが。

 刊行されたものとして、手に入り易く、図書館などでもすぐ見つかるものは、岩波文庫に収録されたものかな、と思います。
「スッタニパータ」=中村 元『ブッダのことば』
「ダンマパダ」「ウダーナヴァルガ」=中村 元『ブッダの真理の言葉 感興のことば』
「テーラガーター」=中村 元『仏弟子の告白』
「テーリガーター」=中村 元『尼僧の告白』

 最近とくに、単なる翻訳だけでなく、入門書として原文を引きながら専門家が解説する形の書籍が増えてきたと感じています。
 NHK出版の「仏典のエッセンス」シリーズでは、上記の経典と初期仏教版の涅槃経を取り上げた『パリニッバーナ』が出ています。
 同じくNHK出版の「NHKライブラリー」の中には法華経・華厳経や大乗仏教の思想のひとつ唯識思想を扱うものがあります。

 経典を中心にしつつ、仏教史・思想史と現代的な研究成果を盛り込んだ入門書的概説書としては中村 元 他の『バウッダ』も良いかと。概要をさっくりつかむのに役立ちます。
 角川文庫ソフィアの「仏教の思想」シリーズも概説書として役立つと思います。

 大乗経典・論書の原典を翻訳で読む場合は、中公文庫の「大乗仏典」シリーズ、漢訳の訓読文を読む場合は大東出版社の「国訳一切経」シリーズからピックアップする、という感じかな・・・と。
 国訳一切経は高いし、ものすごい巻数なのですが、バラ売りしてくれます。大東出版社のホームページで何部の何巻に何が収録されているかわかります。

 ある程度の規模の本屋さんへ行くと、年毎に「仏教書総目録」がおいてあって知りたい分野を重点的に探すことができます。(一冊あるとヘンにネット検索するより早い場合があります。)

 思いついた限りですが、こういうところです。では。
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この回答へのお礼

大変有難う御座います。
しかし、キリスト教はこれだけ読めば良いという
みたいですけれど、仏教は、これだけ読めば良いという
のは無いのでしょうか?
何故、もの凄く増えていったのでしょうか?
そんなに沢山読まなければ何かわからないものだったら
人生を無駄に過ごしているように思って不思議なのですが。

お礼日時:2007/09/21 02:02

こんばんは。



 よく「8万4千の法門」などと言われますが、実際のところ現在に伝わっているのは、数千というところかと思います。
 日本で一番最近にとりまとめられた大正新脩大蔵経には、3053部の経典が納められているとのことです。
 これに南伝の経典(南方仏教諸国に伝わった初期仏教の経典)や、チベット仏教の経典類を加えると、ざっと5千前後というところか?と思います。(これらには、経典だけでなく論書や、戒律を記した律蔵も含まれます。)

 仏教の何をお知りになりたいかによって、読むべき経典・論書は異なると思います。
 ともかくまずは手始めに、ということであれば、初期仏教の経典(阿含経典)が良いかなと思います。有名どころの「スッタニパータ」「ダンマパダ」、「テーラガーター」「テーリガーター」「ウダーナヴァルガ」あたりは、最初期の仏教を知るのに良いです。

 そこから関心ある方面へ進むのが良いかと。では。
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この回答へのお礼

有難う御座います。
出版されているどんな本を読めば宜しいのでしょうか?

お礼日時:2007/09/19 22:09

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Q仏教経典の数はいくつあるのでしょうか

般若心経・法華経・大集経など、~経といったお経は
全体でいくつぐらいあるのでしょうか。

教えてくださいよろしくお願いします

Aベストアンサー

中国唐代の『開元釈経録』という目録には、
1076部(5048巻)
があるとされ、

日本の大正から昭和にかけて出版された『大正新脩大蔵経』には、
3053部(11970巻)
が収められています。

ということで、1000~3000はある、ということになります。
ただ、これら中には、「経」だけではなく、「論」や「律」、
また経典に註釈を施した「章疏」なども収録されているので、
厳密に「経」が何巻あるかは、分かりません。

そういう研究をなさっている専門家もいらっしゃるとは思いますが、
「経」と付いているものでも、中国で作られた偽経もありますし、
「仏教のお経の数は××だ!」と、確定して言える方はいないのではないかと思います。

Q法華経の教えを簡単に言うと

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

どうぞ簡単に簡潔に教えてください m(_ _)m

Aベストアンサー

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦如来が実践したように、衆生伝道も含まれるのですね。これは菩薩が立てる四弘請願で明らかですね。簡単に言えば己を磨き、衆生を助ける「上求菩提下化衆生」ですね。
鎌倉期以降は「上求菩提下化衆生」が「上求菩提」と「下化衆生」型宗教に分かれてなにやらわからなくなってしまってますが、
1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。
3.学んだ教えを広めましょう。
の3点が本来的な主題ですね。仏教では正しく物事を観る、判断することを「正見」といいますがこれは「正信」つまり、正しい信仰を持つことと同じ意味ですね。
仏教では釈迦如来に帰依することが「正信」ですから、本尊は釈迦如来以外にはないですね。
釈迦如来を役割の違いで阿弥陀仏や大日如来と言い換えているだけですね。表現方法は寛容ですね。ということで仏教においては、弟子やお経は本尊には決してなりませんね。

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦...続きを読む

Q釈尊が法を説いた順番

私は仏教徒の家に生まれ、
仏教に興味があるのですが、
釈尊の説いた法は莫大な量であるようです。

そこでお伺いしたいです。

(1)釈尊は華厳、阿含、方等、般若、法華、涅槃の順番で
経を説いたと教えられましたが、
それは真実なのでしょうか。
論拠、反証も大歓迎。

(2)特に法華経は釈尊の最晩年に説かれた経で、
法華経以後には涅槃経しかとかれなかったと教わりましたが、
それは正しいのでしょうか。
論拠、反証も大歓迎。

(3)日蓮は念仏宗を激しく批判していると聞いたのですが、
日蓮の依経と法然の依経は、それぞれなんなのでしょうか。
また、それぞれの依経はどちらが後に説かれたものなのでしょうか。
それぞれの論拠、大歓迎。

以上、(1)~(3)で少しでもご存知のことがあれば、
教えてください。

Aベストアンサー

>>鋭い知性と深い教養を感じました。
そんなにほめても何も出ませんよ(笑)

>>私の生来の信仰では、
>>念仏無間と教えられました。
どうやら日蓮系の方のようですね。私は某日蓮系新興宗教の方々に折伏なるものを何度か経験したことがあり、しっかりと日蓮教学を学ぶ必要があると感じ日蓮聖人についてもずいぶん学ばせていただきました。
学んでみると日蓮聖人自身は非常に優れた宗教家であり、私は浄土真宗を信仰していますが法然上人や親鸞聖人とはまた違ったパワフルな魅力の持ち主であるとおもっています。

>>十八願の唯除五逆誹謗正法の句に、念仏宗がどう答えるのか、
疑問に思ってもいます。

 これについては先に少し述べましたが、浄土教側の意見としては「誹謗正法」などしてはいないと考えています。法然上人の立場はあくまで「仏説は全て百点満点」という立場をとります。「大原問答」という法然上人が天台宗、真言宗、南都六宗などの方々とが問答することになったときも、「教えはお釈迦様がお説きになっている以上、どちらが優れているとか優れていないとか決めることはできませんが、自分自身の機根を時代背景や心の中を見つめなおし考慮したとき自分自身は「凡夫」であって、凡夫が誰でも救われるという立場からなら浄土教の教えが最もあっているといえるでしょう。」とお説きになって、仏説はすべてがすばらしいものであって、甲乙付けることはできないとしています。しかし、自分は末法に住む凡夫であるからにはその機根に相応した教えを選択するのがベターであるとします。ですから、問題は経典のほうに存在しているのではなく、自分自身の中にあるとします。これって「誹謗正法」になりますかね?
 また『無量寿経』「唯除五逆誹謗正法」の言葉は、まだ作られていない悪に対してそれを制止させるためのものであるとも考えます。それを「抑止門(おくしもん)」とよびます。 これに対して、『観無量寿経』下品下生には「十悪五逆を犯したものも、仏教を誹謗したものであっても、そのことを改めて心から念仏すれば極楽に往生できる」と説かれています。これは、すでに作られてしまった悪をも救いとるためのものであると考えます。それを「摂取門(せっしゅもん)」と呼びます。仏様の思いはすべての者を救いとるということには違いないが、悪いことをすれば悲しみ、善い行いをすれば喜んでくれるのであれば、仏様が悲しむようなことはしてはならない。ということになりますかね。
 今まだはBの立場です。つぎにAの立場から言えば『無量寿経』の「唯除五逆誹謗正法」の文に関しては、東大の名誉教授である山崎正一氏の説によれば、この文は比較的古い経典には欠けていて、比較的新しい経典に多く書かれているという。したがって、この部分は後世になってから経典が増広や補筆されたときに書き加えられた部分であるようです。このように、阿弥陀仏の凡夫に対する救いに「唯除五逆誹謗正法」という制限を加えたのは後代の人間であって、阿弥陀仏の救いにはもともと制限は存在していないことになります。

>>反面、理屈ではなく、生命感覚として、念仏に魅かれるものも感じます。
 私自身屁理屈な人間なもので理屈を並べましたが、あなたのおっしゃるとおりであるかもしれません。質問者にとってのお題目はそうかもしれませんが、私個人は阿弥陀佛が十八願に定めてくださったお念仏をとなえるからこそ、今を安心して一生懸命生きることができるように思います。理屈ではないんですよね。
 
>>私は自分の信仰を選び取る年齢に来たと感じています。
>>それが自分自身の知性と感情の両面で納得できるのであれば、
>>仏法でもキリスト教でもイスラム教でも構わないのです。
私もそのように思います。その、感覚は忘れないようにしていただきたいなと思います。
また連絡は、メールお教えていただければこちらからメールさせていただきます。

また長々書き連ねまして申し訳ありません。あしからず。
合掌 南無阿弥陀佛

>>鋭い知性と深い教養を感じました。
そんなにほめても何も出ませんよ(笑)

>>私の生来の信仰では、
>>念仏無間と教えられました。
どうやら日蓮系の方のようですね。私は某日蓮系新興宗教の方々に折伏なるものを何度か経験したことがあり、しっかりと日蓮教学を学ぶ必要があると感じ日蓮聖人についてもずいぶん学ばせていただきました。
学んでみると日蓮聖人自身は非常に優れた宗教家であり、私は浄土真宗を信仰していますが法然上人や親鸞聖人とはまた違ったパワフルな魅力の持ち主であるとおも...続きを読む


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