人に聞けない痔の悩み、これでスッキリ >>

東海道53次の難所、中山道の難所(歩いて疲れる場所)を○○と○○の間、というような回答でアドバイスお願いします!

A 回答 (6件)

No1です。

東海道を忘れていました。
あ、経験者さんのご説明が出ていますね。
もう、↓必要ないかも・・・。

東海道の難所

箱根八里=小田原宿ー16.5kmー箱根宿ー14.8kmー三島宿

薩堙峠=由比宿ー9.1kmー興津宿

鈴鹿峠=亀山宿ー5.9kmー関宿ー6.5kmー坂之下宿
    • good
    • 4

由比町:東海道の親不知(おやしらず)



富士川以東と富士川以西の間を往来するには、由比の断崖を海岸線に沿って進まねばならないため、古くから東海道最大の難所として、親不知と称されて来たそうです。

本家の越後の親不知は難所として最も有名です。それと同じ名が東海道にも。
    • good
    • 1

中山道ですと、御嵩宿~大井宿(恵那)までの山道でしょうか。

国道から離れているので昔の雰囲気を残していますが、敢えて木曽川沿いを避けて難路として設定したせいもあって、上り下りが多く難儀したと思います。
    • good
    • 0

金谷宿(25)寄りに位置している「佐夜の中山」(日阪宿)も箱根峠、鈴鹿峠とならんで東海道の難所のひとつとされています。


日阪宿(26)の次は掛川宿(27)。
その難所たる急な坂をころがるように降りてきたところに、「夜泣石」の伝説で知られる、恐竜の卵のような巨大な岩石があり、「南無阿弥陀仏」と刻まれていました。
その昔、妊婦がこの石のそばで殺され、その際に赤ん坊が生れ落ちた。その赤ん坊を慕う妊婦の霊がこの石に乗り移り、以来、この石が夜鳴きをしたとか。
    • good
    • 0

五街道すべて歩きました。



旧東海道の難所は特にはありませんが、
強いて言えば鈴鹿峠、道を見失わないよう気をつけて下さい。また関宿から水口宿まで27km鉄道の駅がありません。
あとは天竜川を渡る新天竜川橋、車がビュンビュン走るのに歩道がありませんので路肩を歩きます。
おなじみ箱根峠、石畳の道は結構歩きづらい。

旧中山道の難所は、昔は「木曽の桟、太田の渡し、碓井峠がなくばよい」と言われました。
現代でも碓氷峠の東側は急峻で難所です。軽井沢側も旧道を見つけられるかどうかという意味で難所です。
木曽の桟から上松宿に向かう国道19号線は川を渡る際に歩道が無くなります。トラックがかなり怖い。
太田橋は歩道どころか路肩すらありません。走り抜けましたがこれは相当怖かった。
    • good
    • 0

中山道の難所



碓氷峠= 坂本宿 -(碓氷峠)- 軽井沢宿 (7.8km)

和田峠=和田宿 -(和田峠)- 下諏訪宿 (五里十八町(約23km))
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q京都から東京まで徒歩で何日かかりますか?

京都から東京まで徒歩で旅をしたいと思うのですが、特にスポーツもやっていない普通の生活をしている人間です。普段歩くことも少ないです。ホテルで寝ている時や食事の時以外は極力歩こうと思いますが、大体何日ぐらいかかりますか?

Aベストアンサー

500キロ近くあるわけですが、
http://drive.mapion.co.jp/route/?nl=35.37359460896306&el=137.6477600911867&scl=2&stx=135.7699174066398&sty=34.99114873312197&edx=139.68247972582876&edy=35.67667313215638&chg=0

長距離を歩く場合は翌日に疲労が残ることも考えて、
時速3キロで8時間くらいが妥当なところでしょう。
けっこうだらだらのペースです。
普通に歩くと4キロ
早足で5キロくらいになります。

日によっては7時間ということもあるでしょうし。
となるとやはり1日20キロから25キロくらいとなるわけです。

とすると普段歩き慣れていな人が歩くとなると、約20日くらいですね。
もちろん、3日も歩けば歩くことに慣れてくるので、
ペースは上がりますが、その分疲労も蓄積されてきます。

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

Q「越すに越される大井川」船で渡ればよかったのに

江戸時代、東海道最大の難所「越すに越される大井川」ですが、
技術的に橋を架けるのが困難だったようですが、
それでは船で渡ればよかったのではないでしょうか?
すうすれば「大井の渡し」としてにぎわったものと思います。
「徒歩渡し」よりずっとよいシステムと思いますが。
また、他の川で「徒歩渡し」をしていたところがあったでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

これ,実は本が出版されています。「大井川に橋がなかった理由」(創元社:著者 松村博) というそのものズバリの題名の本。
橋が架けられなかった直接的な理由は,川の流れや傾斜という地勢上,それから当時の架橋技術上の問題です。

>それでは船で渡ればよかった

その通りです。当時でも舟で渡ることは当然可能でしたし,その方が合理的でした。事実,江戸時代には何度も「渡し船を認めて欲しい」という請願が,幕府に対して出されています。ところが,幕府はこれを曖昧にして握りつぶし続けたのだそうです。

実は,「江戸時代前期に島田と金谷の両宿で川越しの人足とそれを束ねる組織と制度が整備され、彼らが独占的に川越し業務を行うことを幕府が認め保護したことにより、それが既得権益化」したのが理由だそうです。何しろ最盛期には1000人程度の人足がいたそうですから,当時としては巨大産業です。

橋にしろ,渡し船にしろ,実現すればその人達は失業です。それで猛烈な反対運動が起きるのだそうです。ストライキみたいなこともあったようで,幕府としても触りたくない課題だったのだそうです。今と変わりませんね。

だから,幕末の官軍(朝廷軍)は進軍に当たって,あっさり橋を架けさせてしまっています。軍事的理由というのが,いかに嘘かが分かります。さらに明治新政府ができると,川越人足制度そのものを取りやめにしてしまったそうです。

これ,実は本が出版されています。「大井川に橋がなかった理由」(創元社:著者 松村博) というそのものズバリの題名の本。
橋が架けられなかった直接的な理由は,川の流れや傾斜という地勢上,それから当時の架橋技術上の問題です。

>それでは船で渡ればよかった

その通りです。当時でも舟で渡ることは当然可能でしたし,その方が合理的でした。事実,江戸時代には何度も「渡し船を認めて欲しい」という請願が,幕府に対して出されています。ところが,幕府はこれを曖昧にして握りつぶし続けたのだそう...続きを読む

QCorei7とXEONはどっちの性能が良い?

自作PCを考えていますが、CPUの選び方がイマイチ、よくわからないことに気が付きました。

Q1. Core i7とXEONはどっちのほうが性能がいいですか?

Q2. Core i7 2.10GHzとCore i5 2.50GHzみたいな場合はどちの性能がいいのですか?(実在するかは置いといて)

Aベストアンサー

A1. パーソナル向けに設計されたCPUがCoreシリーズとなり、
業務用などのサーバー用途に設計されたCPUがXeonとなります。
性能はXeonの方がいいかと考えられますが、DIYなどで使用するには、
マザーボードがXeon CPUをサポートしているかになります。
また、トータルコスト面で高価になる場合がありますので、
チョイスするならばよく考えて下さい。


A2. Coreシリーズはi7, i5, i3があります。

同一のソケット1155であれば、一部のCPUを除き、基本的には、

i7 コア4個 スレッド8 ターボブースト○
i5 コア4個 スレッド4 ターボブースト○
i3 コア2個 スレッド4 ターボブースト×

となり、もう少し考え方を変えてみると

i7 4人の調理人が両手で料理可能、頑張れモードあり
i5 4人の調理人が片手で料理可能、頑張れモードあり
i3 2人の調理人が両手で料理可能、頑張れモードなし

といったところでしょうか、
上記からi7が性能が高いです。

Q昔の人は冬の寒さをどうやってしのいだのですか。

灯油ストーブが各部屋に普及するのはいつ頃なんでしょう

上流階級から庶民まで各時代の日本人はどのように寒さをしのいでいたのでしょうか。
素足で粗食、隙間風。
あるじ以下全員集合で囲炉裏ばた?
殿様もヌクヌクとはいかなかったのですかね。
日本人らしいですよね。何でですかね。日本人はケチ文化なんですかね。
私は暖房入れていないのですがこれでは冬に寿命が縮みます。昔をしのばれる状況です。
昔の人はどのくらい寒い思いをしていたのですか。平成の現代人には耐えられませんよね。


ご教授のほど宜しくお願いします。

Aベストアンサー

こんばんわ。
bungetsuです。

お読みいただきありがとうございます。


>>行火も含めて炭にかかる出費は生活を圧迫したり無駄遣いとはされていなかったのでしょうか。

江戸時代は士・農・工・商と言われましたが、江戸市中を見る限り農業は0%、工業(鍛冶職、鋳物職など)は10%、商業は30%、後は、大工や鳶職などが10%、武士は軍事上の秘密から公表はされていませんが50%。

従って、江戸は一大「消費都市」だったのです。

さて、話を戻しましょう。

以外と思われるかも知れませんが、江戸の周辺には「炭焼き」が非常に多かったのです。

武蔵(八王子、川越、秩父など)・・・・東京都および埼玉県
伊豆、駿河、遠江(とおとうみ)・・・静岡県
相模・・・・・・・・・・・・神奈川県
甲斐・・・・・・・・・・・・山梨県
常陸・・・・・・・・・・・・茨城県
上野(こうずけ)・・・・群馬県
下野(しもつけ)・・・・栃木県
上総(かずさ)、安房(あわ)・・・千葉県
下総(しもふさ)・・・・千葉県の一部と茨城県の一部

「享保通鑑」という史料によると、享保11年(1726)に船などを使って江戸へ運び込まれた炭は89万9710俵、薪は1829万9687束とありますが、薪は当然のことながら、主に煮炊き専用でした。

前回も述べた通り、江戸では囲炉裏などで大々的に火を焚くことは禁じられていましたので、必然的に暖をとるためには炭に頼らざるを得ませんでした。となると、値がどんどんと吊り上ってしまいます。

そこで、幕府もたびたび炭の値段については「御触れ」を出し、庶民でも気軽に購入できるよう「価格統一」などを行いました。

しかし、薪に関しては、なぜかこの「価格統一」がされませんでしたので、大量に出回るにもかかわらず、結構な価格となってしまいました。

従って、炭は割合安く購入できたようです。ただし、備長炭のように長持ちはしなかったようですね。

まあ、長屋暮らしなどでは家計費を圧迫はしたとは思いますが、寒さにかえられなかったのではないでしょうか。

ご存じ、赤穂浪士の討ち入りで吉良上野介が隠れていたのが「炭小屋」でしたね。
武家は炭は安かったので、結構溜め込んでいたようです。



>>明治以降戦後についてもご存知であればご教授ください。


明治に入ってからは、近代化が進み、西欧諸国から工業技術を積極的に取り入れたため石炭の採掘に力を入れ始め、年間200万トン余りも生産されていた炭も火力が弱いために、10年も経たないうちに約6万トンの生産量・・・と言うよりも使用量に減ったと言われています。

そして、現在のように一般家庭で電気、ガス、石油が使われ始めたのは、何と、第二次世界大戦の後の1950年後半で、それまでの木炭(炭)、薪、石炭から電気、ガス、石油への転換が急速に進みました。
これを「燃料革命」と呼ぶ学者もいます。

こんばんわ。
bungetsuです。

お読みいただきありがとうございます。


>>行火も含めて炭にかかる出費は生活を圧迫したり無駄遣いとはされていなかったのでしょうか。

江戸時代は士・農・工・商と言われましたが、江戸市中を見る限り農業は0%、工業(鍛冶職、鋳物職など)は10%、商業は30%、後は、大工や鳶職などが10%、武士は軍事上の秘密から公表はされていませんが50%。

従って、江戸は一大「消費都市」だったのです。

さて、話を戻しましょう。

以外と思われるかも知れませんが、江戸の周...続きを読む

Q東海道の鈴鹿峠を徒歩で越えるには

東海道を名古屋から京都へ10回に分けて歩こうとしています。
道中はすべて電車とあればバスを考えています。
その日のコース終点から駅までを歩き、次回はそこまで戻り、コースを歩くことを考えています。
すべて日帰りを考えています。

その日の距離と、駅名が分かる資料か実績を示すものはありませんか。
検索すると、たくさんあり過ぎて見つけること出来ません。
1回の距離を15kmにすると、鈴鹿峠を越える前後の駅はどこがよいか等が特に知りたいところです。

Aベストアンサー

名古屋側から鈴鹿峠を越えるとなると、三重県側は関宿または坂下宿が起点となり、滋賀県側は土山宿でしょうかね。

関宿を起点とする場合、最寄り駅はJR関西線の関駅です。
土山宿からの公共交通機関は、土山バスストップ(新名神の土山SA内)まで出て名鉄の高速バスで名古屋まで戻るか、甲賀市のコミュニティバスを利用してJR草津線の貴生川駅に出て、草津線~関西線で名古屋に戻るか。
時間が合えば、高速バスが楽で便利だと思います。JRも本数が少ないので、よく調べて計画を立ててください。
JR関駅~土山SAは、Google Mapで距離を計算すると、15.8kmと出ます(関宿・坂下宿で国道ではなく旧道を利用)。

鈴鹿峠越えの起点を、峠の直前の坂下宿とする場合は、JR関駅前から亀山市コミュニティバスで「伊勢坂下行き」終点下車、という方法もあります。(以前は亀山駅から三重交通バスの路線がありましたが、廃止されました)
坂下からだと、土山SAまでの距離は約9km。

甲賀市も亀山市も、コミュニティバス路線は本数が少ないので、気をつけてください。


人気Q&Aランキング