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もしセ・リーグにDH制があったら、日本ハムから移籍した張本をDHにすれば高田が左翼から動かなくて済みましたか?
どなたか御回答を宜しく御願いします。

A 回答 (3件)

高田選手が動いた理由としては張本選手が来たのとNo.1の方が仰っている通り


長嶋選手引退の後の正サードが不在であったため、コンバートされました
そういう意味ではDH制があってもサードにコンバートされていたかもしれません
が、外野手として名手であった高田選手をリスクを冒してまでのコンバートは
無いような気もしますね
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これはまた古い話やなぁ。



DH制を採用していたとして、やはり三塁は高田、レフトは淡口ではなかったでしょうか。

確かに張さんの守備は酷かったなあ。
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どうもこんにちは!



確かに、1976年の高田選手のサードコンバートの直接の原因は、張本選手の獲得であることは間違いありません。

しかし、その2年前に引退した長嶋選手の後を埋めるだけの選手がいなかったことも大きな要因だと思います。
あまりにも大きな存在であった長嶋選手の後継者を育成しなかったフロントのミスですが、そのツケが他でもない長嶋監督に回って来たのです。

前年のサードは、本来はセカンドであるデーブ・ジョンソン選手と富田勝選手がセカンドや外野手も兼任しながら守っていました。
しかし、ジョンソン選手は慣れないサードの守備で打撃が振るわず(打率.197、セカンドに戻った翌年は打率.275でベストナイン&ゴールデングラブ賞)、富田選手も打率.189に終わり、高橋一三選手と共に張本選手との交換要因として日ハムへ移籍して行きました。

そこで長嶋監督は高田選手の野球センスに注目し、当時殆んどなかった外野手から内野手へのコンバートを断行して、賛否両論渦巻く中で注目の的となりました。
結果的には、長嶋監督の目に狂いはなく勿論、高田選手の努力もあって、コンバート1年目からゴールドグラブ賞を獲得し、チームもリーグ優勝を成し遂げることとなったのです。

ということで、もし当時DH制があったとしても、バリバリの三塁手を連れて来ない限り、現有の選手の中からサードにコンバートしなければならなかったわけですから、いずれにしても高田選手に白羽の矢が立つことに変わりはなかったのではないかと思われます。


ご参考まで
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