江戸時代 苦労せず一生安楽に暮らせた『美味しい商売(職業・身分)』は何でしょうか?
 殿様? 大名や旗本にしても、実際は楽じゃなかったようで・・・。

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A 回答 (10件)

日本橋石町(こくちょう)の時の鐘をつく人。


鐘の音が聞こえる限りのところから、お金が入ってきたので、相当、おいしい職業だと思います。

お寺さん・・・独占事業ですし、治外法権ですし、死人に限りがあることは、ありませんし、法事や、お墓の維持費や、説話会など、四方八方から、お金が入ってきます。

参考URL:http://kkubota.cool.ne.jp/tokinokane12.html
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この回答へのお礼

 鐘を突く人、辻源七っつぁんはいい商売ですね。
 お寺、確かに死人は無限に出ます。正に丸儲け。寺請制度で美味しくなったんでしょう。

お礼日時:2007/10/01 19:12

苦労のほどは知りませんが・・


とにかく羽振りが良かった職業は札差(ふださし)でしょう。
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この回答へのお礼

札差(ふださし)でしょう。・・・おっしゃる通り、ご家老も先にお辞儀をしたとか・・・。
 ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/02 06:19

以前何かの本で読みましたが、貸家業、今で言うマンションのオーナーなど楽な商売と思います。


奈良茂の子孫を題材にした小説で、先代は紀文と張り合って豪遊したが、子孫は地道に暮らせるように店を閉め、貸し家を生業とするように手配して亡くなった、息子は仕事が無いのでやることも無く、さりとて生活に困るわけでもないが豪遊は出来ない生活で、無気力になって引きこもりになるという粗筋だった記憶です。
資料では大正時代にご子孫が千住で質屋をやっていましたから、ご子孫も資産家だったんでしょうね。
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この回答へのお礼

 貸家業はいいと思います。戦前まではよかったです。最近は店子の権利が強くなりすぎて、ヘンな店子に入られてしまうと追い出しもできず、困ってしまいます。

お礼日時:2007/10/02 06:17

髪結いの亭主


はいかがですか。
商売ではないけど、広義の身分の分類に入ると思います。
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この回答へのお礼

髪結いの亭主・・・これはいいや! しかし、亭主に納まるには?
 我輩じゃ無理じゃな、自信なし。

お礼日時:2007/10/02 06:14

博打ですね。



寺銭と言う言葉が残っていて、寺で行います。
自社奉行の管轄なので
町奉行の与力と言えど手出しは出来ません。

しかも胴元が丸儲けです。

次が力士。

十両では十両の給金です。
郷土力士は、国(藩)の自慢と自信でもあり、城主も鼻高々です。
地元でも手刀は切りまくりでしょう。^^;

次が商人。
買占め、闇カルテル、価格操作、賄賂は当たり前。
御用商人ともなれば、ブランドで各国の藩主も御用します。

次が歌舞伎役者。おいらん。

浮世絵だけでも大儲け。
現代の芸能人(特権階級。)

次が夜盗。
国の外へ逃げれば無罪に近い。
火盗改めでもなければ国を超えて捜査は出来ない。

私の藩の与力では駄目与力だとでも言っているのか?
大問題になりかねない。

火付け盗賊改めも、評判が悪く、一時廃止された程。
隣の国で良い人を演じればそれで良し。(完全犯罪成立)^_^

きっぱり!

「悪党」ならば
>苦労せず一生安楽に暮らせた!!

「太く!!長く!!」^^;

完全犯罪。
権力と癒着。合法的殺人。
人を「ハメル。」(濡れ衣を着せる。)

幕府役人との癒着。
権力を利用しまくる!! ^_^;
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この回答へのお礼

「悪党」ならば
>苦労せず一生安楽に暮らせた!!
・・・現在の左団扇の天下り役人のようなものかな。

お礼日時:2007/10/02 06:12

ANo.5です。



お城将棋で給金をもらうよりも、町に出てカモを見つけて賭け将棋で、ふんだくったほうがいいかもしれません。

天野宗歩クラスなら楽儲けですが、その場合は素性がわかるので、ほおかむりをして指さなければお金になりません。。。
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この回答へのお礼

天野宗歩は強かったらしいですね。ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/01 20:39

お城で将棋を指してお金をもらう人。

[棋士]

おそらく才能さえあれば、楽な仕事だったと思われます。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。
 う~ん、自分だけがウンと強く、他が飛車角落ち程度であれば楽でしょうがねえ。

お礼日時:2007/10/01 19:15

> 江戸時代 苦労せず一生安楽に暮らせた『美味しい商売(職業・身分)』



そんな職業はありません。金入りが良かった商売としては死体処理屋(人も動物も)、オアイ屋(糞尿屋)、危険公共土木(お台場建設など)でしょう。
台場建設だけで75万両(現在のお金に換算すると600億円相当)の巨費が注ぎ込まれています。

身分に関しては勘弁してください。この方々は子供のお墓すら作れるほどのようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/10/01 19:04

札差、蔵前でしょう。


株を入手するのが大変ですが一旦なってしまえば御安泰。
札差は銀行のようなもので融資先さえ誤らなければ大丈夫。
蔵前は現在の倉庫業で荷物さえあればシンパイ無用。

身分では将軍家。 まじめにやれば苦労しますがのんびりしておればそれなりに苦労なし。
検校という身分も手に入れるのが大変ですがその身分についてしまえば美味しい身分でした。
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この回答へのお礼

検校・・・これ、美味しそうですね。ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/01 19:03

商人の中の「金貸し」とか「質屋」とか。



時代劇の見すぎかもしれませんが。。。。

私の祖先は商人で「うどん屋」だったのですが、貧しかったらしいです。
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。
 ご先祖様はうどん屋さんですか。うどん屋チェーンの親玉ならば羽振りがいいでしょうが、当時はチェーンなんてないでしょう。食べにくるお客が貧乏人でしょうから、うどん屋も「清く貧しく」っていうことなんでしょうねえ。
>「金貸し」とか「質屋」とか。
・・・これはなかなかよさそうな商売です(貸付金の取立てをうまくやる必要がありますが)。
 ありがとうございました。


 

お礼日時:2007/10/01 12:23

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Q「旗本」はお殿様?

「旗本」はお殿様?
江戸時代,将軍直属の家臣のうち,禄高一万石以下で御目見おめみえ以上の格式を有する者。
旗本は、お殿様と呼ばれていたのですか?
旗本は、自分の支配する領域も、自分の城もあり、一国一城の主?
大名は藩主?今の「県」の主?
旗本は「市」や「町」の主?

Aベストアンサー

旗本は、自分の支配する領域も、自分の城もあり、一国一城の主?

いいえ、
一国一城令のため
旗本が持てるのは陣屋となります。
一国一城令で城持ちが許されたのは1万石という特例藩が1つあっただけで、普通は10万石以上となります。

今の感覚で領主ってわからないですよね

ある一定の地域から税金をとる権利を貰ってそれをお給料にできる人のことです。
とるだけじゃなくて
道が壊れたらお給料から直すお金を出したり、台風や地震で家が壊れたり、食べ物が無くなったりしたときも自分のお給料から支払います。

会社の社長のようなものですね。


大名は藩主?今の「県」の主?

藩主とは廃藩置県する為に一年だけ存在したものです。
領主のほうがしっくりきます。
数で言えば今の県知事よりはたくさん居ました。
県とは明治政府がだいたい100万石になるように適当にくっつけたものです。
大名や小名と呼ばれた領主の領地は今で言う自治区です。
日本国に所属はしてるけど独立した国のようなものです。
軍隊ももっていますしね。

県知事とはちょっと違いますよね。
小さい国の王様が妥当じゃないかな


旗本は「市」や「町」の主?

いいえ、
旗本はひとまとめに出来ません。
例えば無役で家督を継がない旗本は年収3両1分しかありません。
最下層の家督を継いでも30俵2人扶持。
とても主と呼べない人も居ました。
そもそも旗本とは徳川家親衛隊です。
師団長も居れば兵卒もいるわけです。

町や村の主は

まちなぬし、むらおさ、なぬし、しょうじ
などと呼ばれる土着の人がなります。

うえで書いたように
領地とは自治を認められた外国のようなものなので、100石でも30万石でも領地持ちならば王様って考えていいと思います。

詳しくは【守護と地頭】を理解して貰うとわかると思います。

役人ではなく、兵隊なんだってとこがめんどくさいですよね。

旗本は、自分の支配する領域も、自分の城もあり、一国一城の主?

いいえ、
一国一城令のため
旗本が持てるのは陣屋となります。
一国一城令で城持ちが許されたのは1万石という特例藩が1つあっただけで、普通は10万石以上となります。

今の感覚で領主ってわからないですよね

ある一定の地域から税金をとる権利を貰ってそれをお給料にできる人のことです。
とるだけじゃなくて
道が壊れたらお給料から直すお金を出したり、台風や地震で家が壊れたり、食べ物が無くなったりしたときも自分のお給料から...続きを読む

Q大名・旗本

大名・旗本の屋敷は家格に応じて門の造りなどが違ったそうですが、具体的にはどんな差異があったのでしょうか?

Aベストアンサー

武家屋敷には家格によりつくることができる表門は細かく定められていました。
まず、お目見え以下の御家人クラスの屋敷の門は屋根がなく冠木門で、お目見え以上であれば長屋門でしたが、同じ長屋門でも禄高・格式などにより行(ゆき)いくらと細かい定めがあったようです。
5000石を超えると長屋門ではなく薬医門あるいは改良型の高麗門ということになります。
城には櫓門もよく使われていますが、これは屋敷につかわれることもありませんでした。

Q大名・旗本

大名同士はどう呼び合っていたのでしょうか?
例えば島津修理太夫と伊達陸奥守は互いにどう呼び合っていたのでしょうか?
「陸奥殿、薩摩殿」でしょうか?「薩摩守殿、陸奥守殿」と「守」をつけて呼んだのでしょうか?
「島津殿、伊達殿」と苗字で呼ぶ事もあったのでしょうか?

守名乗りをしない旗本同士だとどう呼んだのでしょうか?

Aベストアンサー

大名は官職名だけで呼ばれます。
島津は薩摩守、毛利は大膳太夫(だいぜんのたいぶ)、水戸家は中納言で、苗字は付けないのが正式な呼び名です。同じ国の守が同じときに2人以上付くときがあります(普通でした)が、そのときも苗字や名前は呼びません。
この呼び方ができるのは大樹(幕府)だけです。
徳川家の記録書(徳川実紀)も幕府の記録なのでこの呼び方です。

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Q大名・旗本

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Aベストアンサー

ちょっと不十分な点や勘違いがあったので訂正します。
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その後、幕末になって新たに奥詰衆がつくられましたが、こちらは綱吉時代の奥詰衆とは異なって身分が低く、これが将軍の親衛隊でした。

Q大名・旗本

特に仲の良かった大名同士(旗本同士)・特に仲の悪かった大名家(旗本)を教えて下さい。

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元々越前松平家は長幼の順では将軍家より上位で、家門筆頭ですから、以降は越後か越前かどちらの松平が本家か争い、仲が悪かった。

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