アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

ジャンヌ・ド・ラ・モットが起こした首飾り事件がきっかけとなって、フランス革命が起き、マリー・アントワネットが処刑されたということですが、

マリー・アントワネット本人は問題の首飾りを購入していないのに、なぜ民衆のいかりをかったのでしょうか?

A 回答 (3件)

下記の理由からです。



http://www.ffortune.net/social/people/seiyo-mod/ …


この事件に関してマリー・アントワネットには何の責任も無いわけですが、この事件は国民に大きな衝撃を与えました。

「王妃の名前を騙れば、そんな高額の買い物ができるのか?」
「国民がこんなに苦しんでいるというのは、王妃はそんな贅沢をしているのか?」

これでマリーアントワネットの人気は急落してしまい、彼女が演劇を見に劇場へ行くと、観客の中から激しいブーイングが起きたりして、彼女は劇場へ顔を出せなくなります。そしてこんな歌が巷で流行りました。

  羊飼いさん、羊飼いさん、
  雨が降ってきましたよ
  はやく羊たちをおうちに
  連れて行ってあげなくちゃ

羊飼いとはマリー・アントワネット、雨というのは革命の予感です。
しかし政治的な感覚の弱い彼女には、まだ事態の深刻さは充分認識されていませんでした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

さっそくご回答ありがとうございました。

>「王妃の名前を騙れば、そんな高額の買い物ができるのか?」
確かに、一般庶民の名前を騙っても高額の買い物は無理ですね。
王妃が贅沢三昧していることがばれてしまったということですね。

マリー・アントワネットを羊飼いにたとえたお話なども面白かったです。

お礼日時:2007/10/08 22:44

もうひとつ言うと、もともとオーストリア女として


マリー・アントワネットが嫌われていたというのが
まずあったというのが前提になるでしょうね。
嫌いな人間、気に入らない金持ちのスキャンダルだから
悪い方に悪い方に解釈されたということです。
王妃は閉鎖的なベルサイユで、取り巻きだけと遊んで、
世間と疎遠でしたから、どんな人かは民衆は知りもしなかったんですが
長年の敵国の出身で、彼女の政敵オルレアン派などの流言もありましたから
きっとやな女に違いないという固定概念がありました。
当時はメディアが発達してませんから
悪意あるデマや流言飛語が面白おかしく飛び交うと、
真実の報道なんてもの存在もしなかったことも重要な要因です。
特に、パリでは卑猥なシャンソンが大人気で、
政治家や著名人を茶化したりすると受けるのでそれを流したり、
根拠のない批判パンフレットを書いて生計を立てているひとが
大勢いて、虚構をつくって面白おかしく煽っていたわけです。
東スポのネタが大嘘だってことが日本人がよくわかっているように
当時のパリジャンもマリー・アントワネットネタの大半が
嘘八百だということは百も承知だったんですが、
パリの貧民は刹那的でしたから恐怖政治が始まって
貴族の処刑という見世物が盛況になると、裁判の内容なんて
どうでもよくなったというのが実際です。
簡単に言えば、スケープゴートにされてということ。
マリー・アントワネットの裁判の罪状で、有罪を問えるのは
外国との共謀という部分だけですが、これも何通か手紙があるだけで
実害があたったかどうかは不明確。
あとの罪状は、首飾り事件とか、近親相姦とか全くのでっち上げ。
酷いものでした。
マリー・アントワネット”処刑”は、実のところエベール派の公約のようなもので
裁判は始まる前から結果が決まっていて、内容はお粗末極まりないものだったので
首飾り事件はただの口実にされただけで、
民衆がそれに怒っていたとかいう事実もないといっていいでしょう。
ひょっとすると1793年には忘れてたかもしれません。

フランス革命の直接の原因は、不況と飢饉、食糧難です。
とくにパリへの穀物流入量が減ったことが暴動を誘発し、
不作によって国税の減収と、三度の戦争で
財政難に陥った国家が軍事力で鎮圧する自信がなかったことが問題でした。

首飾り事件がフランス革命の引き金というのは、過大評価。
あるいは極端な単純解釈といえます。

マリー・アントワネットは、道義的にはもちろん、法的にも政治的にも、
処刑する必要はなくて、ハプスブルク家に対して講和や、
人質交換、身代金をとれるという点で、有益な交換材料だったんですが、
当時はちょうど革命政府の内紛が強まった時期で、
各派が勢力争いをしていて、民衆をどう味方につけようかと
あの手この手をつかっていたときだったのです。
エベール派は矯激派ともいわれますが、定見のない極左グループで、
人気取りのためにマリー・アントワネットの処刑を実現させました。
逆にいえば、彼女の首が落ちるのをみて民衆は楽しんだということです。
これは奇妙に思えるでしょうが、当時は死刑は見世物だったわけです。
そしてこの日はちょうど、ワッチニー会戦が勝利した日でもあり、
前祝いみたいになりました。

しかし悪いことは出来ないもので、エベール派は数ヵ月後に失脚して
主なメンバーはすべてマリー・アントワネット同様にギロチン行きになります。
ラモットは、ギロチンにはかかりませんが、イギリスで借金取りに殺されますから、この事件は全体として政治的な意味は皆無と言えるでしょう。
(旦那のほうは逃げ押せて、無罪放免でフェードアウトしているけど)
首飾り事件をことさら重視するのは、フィクションの世界の虚構でしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

敵国出身の外国女じゃ、嫌われそうですね。
政治的反対派が関与していたとは知りませんでした。
貴族の処刑が流行るなんて、よほど民衆が貴族に怒っていたのでしょう。

当時の状況がわかりました。ありがとうございます。

お礼日時:2007/10/09 09:46

「パンがなければ、お菓子を食べればいいのに・・・」


は、後世の創作とされていますが、彼女を表すのに、わかりやすい表現です。
元々、不満という、火種が、くすぶり続けていたところに、油が注がれたということだと思います。
真偽などは、どうでもいいことで、「彼女なら、しそう、やりかねない」で、よかったのだと、思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>「パンがなければ、お菓子を食べればいいのに・・・」
有名な言葉ですね。

偽でもマリー・アントワネットが処刑されてしまうなんて、かわいそうな気がしますが、貴族制度がなくなる時代の流れだったのでしょうね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/09 09:27

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!