
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
家光の代までは、次男坊以下が分家立藩・旗本・御家人になる事がありました。
が、以降は譜代・外様を問わず例が非常に少ないです。
当時は、旗本でも次男坊以下の扱いに困っていた状態です。
既に、旗本の数が増えすぎていたんですよ。
幕府財政も苦しいですから、旗本・御家人は減らしたい!
旗本といっても、役職が無い者(無役)が多数でしたからね。
幕府財政を圧迫していた原因です。
次男坊以下は、お家存続のためのスイペアーでしか存在価値がありません。
俗にいう「部屋住み」です。
例えば、幕末の大老・井伊直弼。
分家・養子・旗本にもならず、ずーーっと城内の部屋住みでしたよね。
井伊家でこれですから、外様の状況が分かるでしよう。
この回答へのお礼
お礼日時:2007/10/17 23:32
ご回答、どうもありがとうございます。
比較的初期の頃までだったのですね。
部屋住みのまま、結婚もしないで一生を終えていたのでしょうか。
それとも、家臣の娘辺りを妻にしたり、側女のようなものを持っていたのでしょうか。
どちらにしましても、姫と違って次男以下は下の弟になるほど大変だったわけですね。
No.1
- 回答日時:
本家からいくばくかの禄高をわけてもらって旗本や大名になることはありましたが、幕府から新たに禄をもらって大名や旗本に取り立てられた例は江戸時代初期をのぞいてはほとんどありません。
江戸時代初期なら前田利家の五男の利孝が本藩とはまったく別個に大名(上州七日市藩)に取り立てられたような例がありますが。(この場合は人質として江戸に送られて徳川秀忠につかえて取り立てられたのですが。)
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