一般的には佐野,西新井,川崎とか聞きますが,千葉県のホームページに小塚というのが出ていました。佐野はあれほど有名ですが違うということなんですかね。千葉の佐原にも三大厄除け大師の一つがあるそうですが?一体どれが本当なんですかね。

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A 回答 (3件)

個人の主観によって異なる様です。

そこで、単純にどれだけ大師=弘法大師=空海と縁があるかという事で判断してみてはいかがでしょうか・・すると、びっくりな事が判明しました・・・
×川崎大師(川崎市)は弘法大師は来てません(本尊のみ・びっくり)○西新井大師(足立区西新井)は弘法大師来てます。×佐野厄除大師(栃木県佐野市)は弘法大師と全く別の大師さんが開山。○小塚大師(千葉県館山市)は弘法大師が本尊+来てます。△深台寺(東京都調布市)そばで有名ですが弘法大師との縁は不明○観福寺(千葉県佐原市)弘法大師来てます。という訳で関連の深さから言えば、西新井、小塚、観福寺が関東三(大)厄除け大師と言えるのでは・・?
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佐野 明治神宮 川崎大師 だと思っています


実際にはテレビ局ですら言っているとが違っていますから、定義はないと思われます
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佐野厄除大師の宣伝で「関東の三大師」といっているだけで、特に公的に決めたものではないのではないでしょうか? 

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Q玉川大師(玉川大師玉眞院)について教えて下さい

玉川大師は、「高野山奥之院の清流「玉川」に縁み此の地に開山龍海大和尚大正十四年大師堂建立 昭和三年より六年の歳月をかけ地下佛殿完成。地下佛殿は御本尊弘法大師の大慈悲を具現する」「当地に開山龍海大和尚、開基竜海阿闍梨として大正14年大師堂を建立、昭和9年に地下佛殿を建立して創建」したとのことですが・・・

1:「龍海大和尚」とは、どの様な来歴の人物で、どういう経緯でお寺を創建されたのでしょうか? 何か事業に成功されて、私財を投じてお寺を造られたのか、それとも、何かの思いに駆られて、寄付を集めてお寺を造られたのか・・・

2:地下仏殿は当初から計画されていたのでしょうか? また、四国八十八ヶ所、西国三十三ヶ所霊場の巡礼のご利益があるなどという考えは、どなたが発想されたものなのでしょうか? 真言宗にはそういうものが元々あったのか、それとも、龍海大和尚が考えられたものなのか、後に、そう言われるようになったのか・・・

3:他にも地下仏殿のある寺院はあるのでしょうか?

4:明治・大正・昭和・平成になってから開山されたお寺で、ユニークでお薦めのお寺を教えて頂けると有り難いです。また、それらは、どういう由来で設立された寺院が多いのでしょうか?

以上、一つでもいいのでご回答頂けると有り難いです。

玉川大師は、「高野山奥之院の清流「玉川」に縁み此の地に開山龍海大和尚大正十四年大師堂建立 昭和三年より六年の歳月をかけ地下佛殿完成。地下佛殿は御本尊弘法大師の大慈悲を具現する」「当地に開山龍海大和尚、開基竜海阿闍梨として大正14年大師堂を建立、昭和9年に地下佛殿を建立して創建」したとのことですが・・・

1:「龍海大和尚」とは、どの様な来歴の人物で、どういう経緯でお寺を創建されたのでしょうか? 何か事業に成功されて、私財を投じてお寺を造られたのか、それとも、何かの思いに駆られて、...続きを読む

Aベストアンサー

4だけですが。たまたま2つとも曹洞宗ですが、そんなの無数にあると思いますよ。曹洞宗だけでも寺の数は1万5千もあるのですから説明しきれない。

岡山県岡山市 曹洞宗普門寺
http://www.fumonji.net/

曹禅寺|大田区池上にある曹洞宗寺院
http://www.tesshow.jp/ota/temple_ikegami_sozen.html

Q日本史人物,松岡磐吉,知ってる事教えて下さい。史実に限らず,伝説的抽象的話もOK,

■「松岡磐吉」について、どんなことでもOK!ご存知の事教えて下さい。
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■他に知ってることといえば、父の名前役職,彼が次男坊,辰の口牢獄_当初、荒井と共に1番房入牢(入牢中の経緯不明),朝陽轟沈の彼だけ獄死,ぐらいの知識しかありません。
■長崎海軍伝習所2期生、それでも生年月日は?卒業名簿で探すとかできないのでしょうか?年齢的に、榎本や,甲賀,荒井,沢などと比較して、「誰よりは、どうやら若いらしいという話を聞いたことがある」など曖昧系情報でもOKです。

Aベストアンサー

下記のサイトによると初めて沿海測量を実施した人のようです。

参考URL:http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/mapsuv200/200nin/ma-gyou/ma-11.htm

Q佐原と言う名字の人居られますか?

新潟に住んでいるものですが、自分の先祖がたぶんこの地からきたはずですので
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目に付いた方がお分かりでしたら教えてください、よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 どういうことが聞きたいのですか。
佐原姓は全国で約12,300人いらっしゃいまして、順位は1375位になっています。垣武平氏の平良茂ー良正 の子孫のうち、相模国三浦郡に住んでいたのが三浦氏を名乗り、その一族から佐原、葦名(芦名)、和田などが生まれました。ことに、葦名、佐原は血族的に近かったため、交互に氏を名乗ることもありました。葦名は後に会津の戦国大名になり、一族に佐原姓も散見されます。葦名本家は滅亡しますが、後会津に入ってきた保科家、秋田に行った葦名家と縁戚の佐竹家に召抱えられたものも多かったと思います。新潟でも一部は会津領だったのでその関係で越後にいった人もいるでしょう。
 ほかに、やはり垣武平氏の千葉氏から佐原姓を名乗ったのいます。

参考URL:http://www.saitoh.ne.jp/~takao/2000/1400.htm

Q幕末歴史,五島列島出身通詞,長崎の事,横浜の事,榎本軍蝦夷島,教えて下さい。

歴史,幕末,又は五島列島、長崎の事、横浜の事、榎本蝦夷島プラン参加人物一覧詳細、★お詳しい方、是非教えて下さい。★或る一人の「逃げた通詞」の本名と、経緯情報★キーワード:1_幕末、五島列島出身、通詞,2_東海徳左衛門氏末裔の養子,3_尺振八,4_本山小太郎,5_宋近治,★解っている情報と、別途過去にどこかで読んだ本の記憶が交差して気になるため、下記【質問大別A~D】の4種の推論を設定してみました。
(解っている事概略)○五島英吉と名乗る人物が、榎本軍逃走して、ロシアの教会神父に救助され、教会内に潜伏,約10年の後(1878年前後)函館でコックになり、晩年横浜付近で暮らした様子。しかし、「五島英吉」は命を守る為の偽名。役所には、何という名前で登録されて、最終死亡になっているか不明。神父に「本名は宋近治,五島列島出身」と語った形跡もありますが、これも偽らしい。○「蟠竜」に乗船したらしいが、江戸脱出時なのか、蝦夷参戦中か不明。
(本の記憶と自己の推論4種)
■(1830~1840年代位の生まれと想定される人物。
■幕末、長崎の通詞に、ジョン万次郎同様に、漂流が原因で、他国船に救助されて帰国した五島列島出身の商人経歴者がいた。ジョン万次郎同様、正確な英語を話せることから、幕府に江戸近郊勤務人材として、直接スカウトされ長崎を去った。
■彼は長崎で仕える事前段階で、武士身分取得する為に、 長崎の誰か(※)通事の養子になった。当時、英語通訳セクションがない為、一応阿蘭陀語の通詞の形で、通事でなく、通詞になった。(※_彼を養子にしてくれた人物とは、唐語の通訳者:東海徳左衛門氏の末裔=「宋氏」ではないか?と推測中!)
■【質問大別A】_出元、出身地側からの捜索:関連情報、本名、経緯、長崎から出た後の就職地名等。五島列島,福江藩,長崎情報から当該可能性有の人物の話。
■【質問大別B】_【榎本自身が認知した上で、榎本蝦夷共和国に携わった通詞(但し、林薫三郎を除外)】_榎本プラン参加人物一覧中、10人外人担当通詞等の角度から、途中リタイア、死亡、逃走などに該当する通詞情報は?「東海さん」とか、苗字は別で、名前に「宋」が混入している人物等、
■【質問大別C】
【榎本軍投降以前に、早々、船が沈没した時に逃げたかも?の角度から推察】_○1868/11/15江差で開陽沈没,○1868/ 11/22神速沈没_この時、誰か外人に専属通詞として乗船していて逃げた?
■【質問大別D】_【榎本がスカウトした以外のパターンで紛れていた英語が堪能な人物の推察】_巻き込まれて、通詞としてではなく、不幸にも戦闘部隊の一員にされていた場合、早々段階で逃走していたと仮定して捜索。もしかして、○○さんかも?系の情報。
◆D_1_【中島系】_中島三郎之助は通詞とつきあいがある。誰か連れ込んでないか?
◆D_2_【三人の局外客人:藩主追従系】_4月に返された3人、板倉勝静(松山藩主),小笠原長行(唐津藩主),松平定敬(桑名藩主)の家臣達は、乗船人数定員オーバー。その為、新撰組に入隊(=戦闘部隊になる事)を条件に乗船した。戦闘苦手人物も紛れる可能性有?この中に英語を話せる人物は?
◆D_3_【伊庭系】_伊庭八郎は美嘉保丸座礁後、官軍の追跡を逃れ逃亡→イギリス船で蝦夷到着。その経緯中、横浜の英語教師「尺振八」に匿われていた。
◇a◇_熟生徒の誰かが伊庭に影響されて追従したかも?
◇b◇_「尺振八」自体が「ジョン万次郎同等の経験から英語力を幕府に見込まれ、スカウトされた人物」かも?五島と名乗る人物はその弟子?
◇C◇_五島と名乗る人物は「本山小太郎」?松前の「折戸台場」で死亡した物語になっていますが、出生他詳細不明。武人というより、謎の役人肌だったらしい。実は、死亡は虚偽で逃がしてもらった?または、「本山」説とは別に、塾生徒の誰かが、伊庭に追従していたとすれば、大苦戦の「折戸台場」の時、戦闘不向きの「通詞肌のタイプ」であれば、不憫に思われ、逃がしてもらったか?逃げた?・・・の三方向から推測パターン】
「尺振八」氏自体、死亡までの後半情報は確実でありながら、出生などの詳細が不明。★「尺振八」自体が、「五島」と名乗った人物だと仮定した場合の推理は、
「五島英吉=宋近治」と名乗った人物が、神父達に語った内容とは、苦し紛れに、恩師「尺振八」の経歴を、我が身の経歴と偽って語ったと憶測。生徒であれば、阿蘭陀語、英語の他に、唐語もOKだった可能性有。
戦闘部隊に紛れていれば、通詞と異なり、抗戦派の一員として見なされ、斬首等重刑の可能性を怯え、神父達に対してのみ、内密に語ったとされる「本名=宋近治と経歴」も偽りだったとしても、仕方ない嘘だからです。或いは恩師=尺振八、または他の人物に迷惑をかけるため、生涯、本名出生を偽りのまま過ごした?

歴史,幕末,又は五島列島、長崎の事、横浜の事、榎本蝦夷島プラン参加人物一覧詳細、★お詳しい方、是非教えて下さい。★或る一人の「逃げた通詞」の本名と、経緯情報★キーワード:1_幕末、五島列島出身、通詞,2_東海徳左衛門氏末裔の養子,3_尺振八,4_本山小太郎,5_宋近治,★解っている情報と、別途過去にどこかで読んだ本の記憶が交差して気になるため、下記【質問大別A~D】の4種の推論を設定してみました。
(解っている事概略)○五島英吉と名乗る人物が、榎本軍逃走して、ロシアの教会神父に救助され、教会内に潜伏...続きを読む

Aベストアンサー

1700人はいたであろう通詞からこれを見つけるのは無理です。

大体は26家を探していますが、自分のテーマが大きいので誇大です。

幕府は唐、蘭、英語を通弁させていました。
ので、弟子と言っても格下の
内通詞、内通詞見習いともなると調べようがありません。

浜田彦蔵ではないし、仙太郎ではない。小栗 重吉でもない。
音吉、寿三郎、庄蔵は帰国していない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%B3%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

Qボーディダルマ(だるま大師)の 師について教えて下さい。

中国に渡った ボーディダルマの師が女性だということだけは教えてもらった。
{教えてくれた私の師は この世に居ないので…}
どなたか ボーディダルマの師の情報(名前、等)をご存知の方 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

禅の系譜では、菩提達磨の師が般若多羅尊者であることははっきりしています。
(#1のご回答に「プラギャターラ」とありますが、これはちょっと不正確で、実際には「プラジュニャーターラ」《梵語では「明白な智慧」といった意味にもとれる》になると思います。発音符を除いたアルファベット表記は「Prajnatara」で、これで検索するとかなりの数のサイトがヒットします)

禅は依所の経典がない分、「誰の法を嗣いでいるのか」という人の系譜を極めて重視するのですが、にも関わらず、般若多羅尊者については詳しいことはわかっていないのが実情です。

というのも、そもそも菩提達磨大師自体の出自すら歴史的には不明確で、それゆえに中国で禅を宣揚するために後代になって“捏造された架空の人物”である、という学説も昔から根強くあるほどです。
ですから、その師とされる般若多羅尊者についても、中国で伝えられる定型的な説明以上のものはほとんどありません。その教えの枢要なところは何であったのか、達磨大師の独特な壁観の坐禅は師から嗣いだのかどうか、などの諸点は、禅宗史の中で遡及的かつ伝説的に伝えられるだけで、詳しい事はわからないのが実情でしょう。
(実際にPrajnataraで検索してヒットするどのサイトも、残念ながらほとんど情報量は同じです)

珍しいところとしては、「宏智広録(わんしこうろく)」という11世紀頃の禅籍に、般若多羅尊者の言葉として以下のような偈が載っています。

「貧道は出息衆縁に随わず、入息(にっそく)蘊界(うんかい)に居せず。
 常に如是経を転ずること、百千万億巻なり。但一両巻のみにあらず」

自分はあれやこれやの理屈をいうことなく、あるがままに真理であるこの世界を生きている、というような意味でしょうか。中国禅の香りに溢れた内容で、真偽のほどはわかりませんが、これも達磨大師の師の言葉として遡及的に作られた言葉であるようにも思えます。

参考までに、英語サイトですが祖師の絵の載ったサイトをひとつ紹介しておきます。
(内容的にはしっかりしているようです)
http://www.goldsummitmonastery.org/patriarchs.shtml

参考URL:http://www.goldsummitmonastery.org/patriarchs.shtml

禅の系譜では、菩提達磨の師が般若多羅尊者であることははっきりしています。
(#1のご回答に「プラギャターラ」とありますが、これはちょっと不正確で、実際には「プラジュニャーターラ」《梵語では「明白な智慧」といった意味にもとれる》になると思います。発音符を除いたアルファベット表記は「Prajnatara」で、これで検索するとかなりの数のサイトがヒットします)

禅は依所の経典がない分、「誰の法を嗣いでいるのか」という人の系譜を極めて重視するのですが、にも関わらず、般若多羅尊者については...続きを読む


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