武田泰淳の妻・百合子さんの作品「富士日記」を読んでいます。
昭和40年7月27日の日記に「一昨日、交通事故で2人を
ひき殺した作家G。」という記述があります。
この作家Gとはだれなんでしょうか?

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A 回答 (1件)

五味康祐です。


事件当時は誰でも知っていた有名な話なのに、それ以降の世代の人にはほとんど知られていない話のひとつ。

参考URL:http://www.geocities.jp/showahistory/history05/t …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。気持ちがすっきりしました。紹介していただいたのは、興味深いサイトですねえ。張本さんは今でも乱暴者というイメージですね。江戸川乱歩さんの死は「富士日記」に書かれていました。 なにげない日常を描きながら、とても味わい深い作品ですよ。

お礼日時:2007/10/19 18:46

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Q日本でノーベル賞候補になる作家は村上春樹だけ?

日本でノーベル賞候補になるような作家は村上春樹だけなんでしょうか?
ほかにいないんですか?

Aベストアンサー

以下の方々らしいです。

津島佑子、多和田葉子、小川洋子、谷川俊太郎、吉増剛造

https://note.mu/nanaoku/n/n6f4171f774c8

Q漱石のロンドン日記?

夏目漱石が イギリス国王の訃報に際して ロンドン市民が 大泣きしている様子を 書いた文章を 見たことがあり もう一度読んで見たいと思います。

しかしその文章が、何と言うタイトルなのか分からず また 全集を全部読むことも出来ず 苦慮しております。

もし、その文章のタイトルを ご存知の方が いらっしゃいましたら ぜひ 教えてください。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「ロンドン市民が 大泣きしている様子」の場面記述は存じませんが、
夏目漱石の生涯で「イギリス国王の訃報に際して」となりますと、
御質問タイトル「漱石のロンドン日記?」と留学中の事なら「ヴィクトリア女王」、
御質問文中の「イギリス国王」=「男性」の御主旨で留学中以外なら「エドワード七世」、
何れか曖昧な可能性も含むかもと(勝手に)想定して、少し調べてみましたので、
「ヴィクトリア女王」除外が明らかな場合、以下は笑ってスルーして下さいm(_"_)m

留学中(1900<明治33>年10月28日ロンドン着~1902<明治35>年12月5日ロンドン発)の
「ヴィクトリア女王」崩御(1901年1月22日)に関連する日記と書簡の記述を
以下に抽出してみましたが、残念ながら「ロンドン市民が 大泣きしている様子」の
場面記述は登場せず、どちらかと言えばドタバタした様子も伺えます。

〇『漱石全集.第十五卷 日記及斷片/夏目漱石著/漱石全集刊行會/昭和11.7』
「日記(明治三十四年一月一日より十一月十三日まで)」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883350/28
<28/484>(38・39頁)
・一月二十一日 月/女皇危篤ノ由ニテ衆庶皆眉ヲヒソム
・一月二十二日 火/The Queen is sinking.
 Craig 氏ニ行ク、 ほとゝぎす届く子規尚生きてあり
・一月二十三日 水/昨夜六時半女皇死去ス at Osborne. Flags are hoisted at half-mast.
All the town is in mourning. I, a foreign subject, also wear a black-necktie to
show my respectful sympathy. "The new century has opened rather inauspiciously,"
said the shopman of whom I bought a pair of black gloves this morning.
・一月二十四日 木/Edward VII 卽位ノ Proclamation アリ、妻ヨリ無事ノ書狀來ル、
 終日散歩セヌト腹工合ガ惡イ散歩スレバ二圓位ノ金ハ必ズ使ツテ歸ル此デ困ルナー
…(中略)…
・一月二十六日 土
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883350/29
<29/484>(40・41頁)
/女皇ノ遺骸市内ヲ通過ス
…(中略)…
・一月二十八日 月/昨日ハ女皇死去後第一ノ日曜ニテ諸院皆 Handle ノ Dead March ヲ奏シ
 muffled tolls of Bells ヲ響カス此夜モ鐘聲頻ナリ
…(中略)…
・二月二日 土/Queen ノ葬儀ヲ見ントテ朝九時 Mr.Brett ト共ニ出ヅ
 Oval ヨリ地下電氣ニテ Bank ニ至リ夫ヨリ Twopence Tube ニ乘リ換フ Marble Arch ニテ
 降レバ甚ダ人ゴミアラン故 next station ニテ下ラント宿ノ主人云フ其言ノ如クシテ
 Hyde Park ニ入ルサスガノ大公園モ人間ニテ波ヲ打チツヽアリ園内ノ樹木皆人ノ實ヲ結ブ
 漸クシテ通路ニ至ル
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883350/30
<30/484>(42頁)
ニ到底見ルベカラズ宿ノ主人余ヲ肩車ニ乘セテ呉レタリ漸クシテ行列ノ胸以上ヲ見ル、
 柩ハ白ニ赤ヲ以テ掩ハレタリ King German Emperor 等随フ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883350/31
<31/484>(45頁)
・二月十四日 木/今日ハ Edward VII ガ始メテ國會ヲ開ク開院式デ大騒ギダ
 此間ノ Victoria ノ葬式デ閉口シタカラ行カナイ、…

〇『漱石全集.第十六卷 書簡集/夏目漱石著/漱石全集刊行會/昭和11.12』
「明治三十四年」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883362/77
<77/444>(137頁)
・一〇一/二月九日 土/
…(中略)…
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883362/78
<78/444>(139頁3~4行目)
…(中略)…
 …夫から倫孰の方はいやな處もあるが社會が大きい女皇が死ねば葬式が倫孰を通る
王が卽位すれば「プロクラメーシヨン」が倫孰である…
…(中略)…
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883362/81
<81/444>(144頁7~10行目)
 先達ての女皇の葬式は見た「ハイドパーク」と云ふ處で見たが人浪を打つて到底行列に
 接する事が出來ない其公園の樹木に猿の様に上つてた奴が枝が折れて落る然も鐵柵で尻を
 突く警護の騎兵の馬で蹴られる大變な雜沓だ僕は仕方がないから下宿屋の御爺の肩車で
 見た西洋人の肩車は是が始ての終りだらうと思ふ行列は只金モールから手足を出した
 連中が續がつて通つた許りさ
…(中略)…
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883362/82
<82/444>(147頁)
・一〇三/二月二十三日 土/
…(中略)…
〔はがき 四月二十日發行『ホトトギス』より〕
女皇の葬式は「ハイド」公園にて見物致候。立派なものに候。
    白金の黄金に柩寒からず
屋根の上などに見物人が澤山居候。妙ですな。
    凩の下にゐろとも吹かぬなり
棺の來る時は流石に靜粛なり。
    凩や吹き靜まつて喪の車
熊の皮の帽を載くは何といふ兵隊や。
    熊の皮の頭巾ゆゝしき警護かな
もう英國も厭になり候。
    吾妹子を夢みる春の夜となりぬ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883362/83
<83/444>(148頁)
當地の芝居は中々立派に候。
    滿堂の閣浮檀金や宵の春
或詩人の作を讀で非常に嬉しかりし時。
    見付たる菫の花や夕明り

なお(前掲)『漱石全集.第十五卷 日記及斷片』では、
「日記(明治四十二年九月一日より十月十七日まで)」の次は
「日記(明治四十三年六月六日より七月三十一日まで)」、
「斷片(明治四十二年一月頃より六七月頃まで)」の次は
「斷片(明治四十三年夏胃腸病院入院中頃)」の構成で
何れも「エドワード七世」崩御(1910<明治43>年5月6日)頃の分の記述は無いようです。

一方(前掲)『漱石全集.第十六卷 書簡集』「明治四十三年」では、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883362/401
<401/444>(784・785頁)
・九七六/五月二十二日 日/…
 …昨二十日は英國先帝の遙拜式有之大分盛大の模様、
 白馬會と太平洋畫會と同時に開會賑やか候。…
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883362/403
<403/444>(788・789頁)
・九八三/六月四日 土/…
 …○此間の英國皇帝の遙拜式の記事(築地會堂の)は讀んで面白かつた。
  且書き方がうまいと思つた。…

などと、「エドワード七世」崩御関連はあるものの、
我が国での遙拜式とその記事に言及する程度。

 以上 仮に「ヴィクトリア女王」の可能性を含むとしましても、
前記抽出文では全くピンとこられず御記憶と符号しない場合と、
また「エドワード七世」限定の場合でも上記から、
「日記」「書簡」類などは除外できると言えそうですね^^

「ロンドン市民が 大泣きしている様子」の場面記述は存じませんが、
夏目漱石の生涯で「イギリス国王の訃報に際して」となりますと、
御質問タイトル「漱石のロンドン日記?」と留学中の事なら「ヴィクトリア女王」、
御質問文中の「イギリス国王」=「男性」の御主旨で留学中以外なら「エドワード七世」、
何れか曖昧な可能性も含むかもと(勝手に)想定して、少し調べてみましたので、
「ヴィクトリア女王」除外が明らかな場合、以下は笑ってスルーして下さいm(_"_)m

留学中(1900<明治33>年10月28日ロンドン着~...続きを読む

Qフランスの作家コレット、未翻訳作品

フランスの作家コレットの未翻訳作品をさがしています。
フランス語でかかれたコレットの本をいくつか参照してネットで調べているのですが、フランス語力が足りずよくわかりません。

そこで、未翻訳作品のさがしかた、もしくはコレットの未翻訳作品をご存じのかたは教えてくださいm(__)m

Aベストアンサー

どうしてそれほど本邦未訳にこだわるのか分かりませんが。
Colette は二見書房から『コレット著作集』全12巻(1970-1980)が出ているのでね。

一応各巻のタイトルを挙げておくと、
1 学校のクローディーヌ  クローディーヌは行ってしまう
Claudine à l'école
Claudine s'en va

2 パリのクローディーヌ   家庭のクローディーヌ
Claudine à Paris
Claudine en ménage

3 いさかい   私の修業時代  青い灯
Duo
Mes apprentissages
Le fanal bleu

4 さすらいの女  宵の明星
La vagabonde
L'étoile vesper

5 青い麦  踊り子ミツ  夜明け
Le blé en herbe
Mitsou
La naissance du jour

6 シェリ  シェリの最後  牝猫
Chéri
La fin de Chéri
La chatte

7 シド  ル・トゥトゥニエ  ジュリー・ド・カルネラン
Sido
Le toutounier
Julie de Carneilhan

8 仮装した女  動物の対話  動物の平和
La femme cachée
Douze dialogues de bêtes
La paix chez les bêtes

9 気ままな生娘  ミュージック・ホールの内幕  ベラ・ヴィスタ
L'ingénue libertine
L'envers du music-hall
Bella-Vista

10 クローディーヌの家  純粋なものと不純なもの  ホテルの部屋
La maison de Claudine
Le pur et l'impur
Chambre d'hôtel

11 愛の隠れ家  第二の女  ジジ
La Retraite sentimentale
La Seconde
Gigi

12 きずな  軍帽
L'entrave
Le képi


あとはここと照らし合わせてみて下さい。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Colette

どうしてそれほど本邦未訳にこだわるのか分かりませんが。
Colette は二見書房から『コレット著作集』全12巻(1970-1980)が出ているのでね。

一応各巻のタイトルを挙げておくと、
1 学校のクローディーヌ  クローディーヌは行ってしまう
Claudine à l'école
Claudine s'en va

2 パリのクローディーヌ   家庭のクローディーヌ
Claudine à Paris
Claudine en ménage

3 いさかい   私の修業時代  青い灯
Duo
Mes apprentissages
Le fanal bleu

4 さすらいの女  宵の...続きを読む

Q作家の小川有里さんの出身地は?

WEB検索では高知県出身としかわかりませんので、どこの市町村かご存知の方、教えてください。
1946年高知県出身というところが、家内と同じなので・・・

Aベストアンサー

下記URLの断片情報によりますと、
(現在名)「高知市春野町」出身の様子です。

http://www.47news.jp/blog/OUT/%E9%AB%98%E9%BD%A2%E8%80%85-%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE.html

ただし、Wikipediaによれば、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E9%87%8E%E7%94%BA_(%E9%AB%98%E7%9F%A5%E7%9C%8C)
「春野町(高知県)」は、
1956(昭和31)9月30日、
「吾川郡 弘岡上ノ村・弘岡中ノ村・弘岡下ノ村・仁西村・森山村・西分村・平和村」
の7村合併「吾川郡春野村」誕生。
1969(昭和44)年9月30日、町制施行「吾川郡春野町」。
2008(平成20)年1月1日、「高知市」に編入合併。

なので、実際には上記7村の何れかでの御誕生、
あと下記ブログ情報では「高知県立高知追手前高校の出身、同学年生」とありますから、
高校生当時は「吾川郡春野村」になっていたようです。

〇ブログ高知
・四国、よいとこ 101
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/cat2361943/index.html
『定年ちいぱっぱ 〝二人はツライよ〟』
二〇〇五年十月二十日。
『定年ちいぱっぱ 〝二人はツライよ〟』(小川有里著、毎日新聞社)を読了。
著者は高知県立高知追手前高校の出身で同学年。

・四国、よいとこ 1013
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2006/11/post_095b.html
高知市 小川有里(おがわ・ゆり)さんの「定年後夫婦 ゴキゲン生活大作戦」。
二〇〇六年十一月二十六日。
話をしてくれているのはエッセイストの小川有里(おがわ・ゆり)さん。
高知県立高知追手前高校の同学年生です。

以上 疑問解消に繋がれば幸いです^^

下記URLの断片情報によりますと、
(現在名)「高知市春野町」出身の様子です。

http://www.47news.jp/blog/OUT/%E9%AB%98%E9%BD%A2%E8%80%85-%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE.html

ただし、Wikipediaによれば、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E9%87%8E%E7%94%BA_(%E9%AB%98%E7%9F%A5%E7%9C%8C)
「春野町(高知県)」は、
1956(昭和31)9月30日、
「吾川郡 弘岡上ノ村・弘岡中ノ村・弘岡下ノ村・仁西村・森山村・西分村・平和村」
の7村合併「吾川郡春野村」誕生。
1969(昭和44)年9月30...続きを読む

Q多和田葉子のような文章を書く作家

多和田葉子さんの作品の文体や雰囲気が好きす。彼女の作品は独特だと思うのですが、もし彼女のような雰囲気の作品を書く他の作家さんをご存知でしたら、教えて頂きたく、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

私も多和田葉子さんの作品は大好きです。ちょっと他の人には真似のできない雰囲気と文体で、これまでずばり似ている作家とはお目にかかったことがないですが、柴崎友香さんの一部の短編小説はちょっと近いかなと感じたことがあります。

似ていると思った小説は「私のいなかった街で」「ビリジアン」「週末カミング」あたりです。

似ているところは、「自分自身の意識の流れを延々と記述する。」「現実の描写と空想の風景が時として混然一体となっていく。」あたり。違うところは、多和田さんの方がやや哲学的(その割に下ネタも結構好き)なのに対し、柴崎さんの方がやや形而下的(結構ミーハー)&アナーキーなところか。

Qお好きなアメリカ作家は?(教えて下さい)

19世紀から21世紀にかけての範囲内で、アメリカのお好きな作家をお教え下さいませんか。

今回は、ファンタジ・SFは、一応除外させていただぃます。

作家、作品名に短いコメントをいただければ幸いです。

よろしくお願申し上げます。

Aベストアンサー

イーユン・リー「千年の祈り」
カーレド・ホッセイニ「君のためなら千回でも」
どちらも映画化しました。移民系です。
特にホッセイニは欧米や中国で人気が高いです。
「千の輝く太陽」は原書でも読みました。

ブレット・イーストンエリス、ジェイ・マキナニーもいいですね。

Aベストアンサー

太宰治の女性遍歴は有名ですね。
詳しくはこちらをご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%B2%BB

Q「押絵と旅する男」の中で'お富士さまの作りもの'は何ですか?

江戸川乱歩さんの「押絵と旅する男」を読んでいる外国人です。

作品の中で次のような部分があります。

"その頃の浅草公園といえば、名物がまず蜘蛛男の見世物、娘剣舞に、玉乗り、源水のコマ廻しに、のぞきからくりなどで、せいぜい変ったところが、お富士さまの作りものに、メーズといって、八陣隠れ杉の見世物ぐらいでございましたからね。"

ネットで検索してみましたが'お富士さまの作りもの'は説明を見つけることができませんでした。

どなたかわかる方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

これは、浅草の六区に一時期あった、はりぼての富士山の事です。
引用文献より
「2)富士山の見せ物
 浅草寺五重塔は明治初年、修理の資金を調達するために工事用足場を有料で公開したところ大当たりで、1886(明治19)年には修理のめどが付いた。
 これを見ていた香具師寺田為吉は、翌年11月、六区4号地に木骨石灰塗り込めのハリボテ富士山を作り、富士山縦覧場として行楽客を集めた。高さ32.4m、裾周り270m、頂上の広さ25坪で、螺旋状登山路を作り、頂上を展望台にした。結局台風で壊れ、2年半で取り壊されてしまったが、跡地はパノラマ館となり、現在はROXがある浅草の一等地である。」
なお、ここに記載されているパノラマ館も江戸川乱歩の小説には良く登場します。

Qアンネの日記の真偽論争。今更ですが

教えてください。
僕はアンネの日記を勿論本物だと信じ、読み終えました。
それは人生や幸せについて非常に考えさせてくれるものでした。
また、この本がきっかけでヨーロッパ旅も敢行しました。
しかし未だに、アンネの日記は偽物だ!と決めつけている人がいるようです。
確かスイス連邦裁判所(みたいな感じの機関)で、本物と証明されたんですよね?
なのに何故未だに偽物だと決めつける人がいるのでしょうか?
また、本物である!ことの決め手になったのはどういう物的証拠だったんでしょうか?

Aベストアンサー

日本のWikiには
<オットー・フランク(アンネの父)の死後、原本はオランダ国立戦時
資料研究所に寄付され、そこで科学的調査が行われた。その結果、原本に
使われている紙・インク・糊は当時のオランダで入手可能なものであり、
原本自体はアンネ自身によって書かれたものであると最終報告された。
また1990年、ハンブルク地方裁判所は原本の筆跡がアンネ本人のもの
であると結論づけた。>
とまとめられています。

ドイツ語のWikiと比べると、かなり不正確です。以下はドイツWikiからの
経時的なまとめです。

1)1947年に日記が出版(オランダ語)され1950年にドイツ語へ翻訳
 (英訳は1952年)されると、暫くしてその信憑性を疑う人々が出た。
2)1950年代後半にヨーロッパ諸国で、その様な主張宣伝を行う事を戦争
  犠牲者に対する冒涜・侮辱として禁止する法律が制定された。
3)1959年、それにも拘わらず日記を偽物と宣伝する北ドイツ・リューベックの
  教師 Lothar Stielauに対しオットー・フランクが最初の訴訟を起こした。
  被告は偽物との主張を撤回し、裁判は停止に。
4)しかし、偽物との主張はナチ信奉者の間で引き継がれて来た。
5)1976年、Heinz Rothの「アンネの日記―偽物」のビラを使った街宣活動に
  対し、オットー・フランクがフランクフルト地方裁判所に提訴。
6)1978年、裁判所から日記に使われた紙とインクの調査依頼を受けたドイツ
  連邦刑事庁(BKA)の 結論
 a) 紙とインク共に1950年以前の物で、1941~1944年に使用されたもの。
b)「本文用紙に差込まれたメモ用紙に黒、緑、青ボールペンによる書込みあり。
  使われたボールペンは1951年以降に作られたもの。」と云う4行の附記あり。
7)1979年7月Heinz Rothの上告は却下され、有罪が確定。
8) BAKの附記は偽物説の拠り所と成り、ドイツの高級紙Der Spiegelでも
  取上げられる。
9)1980年にオットー・フランクが亡くなり、その原本を譲り受けたオランダの
  オランダ戦争記録文書研究所(NIOD)が国立司法科学研究所に原本の文書記録
  技術的官邸と筆跡鑑定を依頼した。その結果、アンネ自身の手による物と
  断定された。
  国立司法科学研究所はBAKにも協力を依頼し、BAKは本紙では無く、差込
  メモ用紙に26ヶ所のボールペンを使った同一人物*による書込みを見出し、
  その殆どがオリジナル文書の綴りミスや文法ミスを訂正したもので、1文字や
  1単語に限定されていると断定。*後日、初期の調査作業を手伝った婦人による
  ものと判明。
10)2006年、相変わらず続く偽物主張に対し、BAKは1980年の科学技術的
  調査は日記が本物である事に何等の疑義を挿むものでは無い事を改めて
  公に言明。ネオナチによるアンネの日記焼却事件に関連して。

要約すると、本物との根拠は
1)ドイツ連邦刑事庁(BAK)による1978年の紙とインクの鑑定と1980年の
  再鑑定、
2) 1980年のオランダ国立司法科学研究所による文書記録的鑑定と筆跡鑑定、
3) ボールペン書込みに対する婦人Dorothea Ockelmannの証言
   (偽物説の拠り所への反証として)、
の3点でしょうか。

偽物説の拠り所はボールペン書き込み以外は、少女らしくない、でき過ぎている等の
客観性に欠けるものばかりです。

日本のWikiには
<オットー・フランク(アンネの父)の死後、原本はオランダ国立戦時
資料研究所に寄付され、そこで科学的調査が行われた。その結果、原本に
使われている紙・インク・糊は当時のオランダで入手可能なものであり、
原本自体はアンネ自身によって書かれたものであると最終報告された。
また1990年、ハンブルク地方裁判所は原本の筆跡がアンネ本人のもの
であると結論づけた。>
とまとめられています。

ドイツ語のWikiと比べると、かなり不正確です。以下はドイツWikiからの
経時的なまとめです。
...続きを読む


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