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なんで江戸時代の悲劇の大半は心中物なのでしょうか?近松、梅暦、などなど。

A 回答 (2件)

 心中を考える以上、その前に反社会的行為か、でなければこの世では到底果たせない恋の成就といった、当人たちにしてみれば生きていけないほどの辛い立場とかといったものがあるわけですよね。



 当時の社会でいえば、それは、当時とても罪が重かったという姦通、つまり今でいう不倫であったり、奉公先のお金の使い込み、つまり公金横領だとか、でなければ遊郭からの足抜け、あとはロメオとジュリエットのような成さぬ恋とか。

 こういうの、何時の時代でも変わらぬ下世話で話題性のあるテーマ。梨元某などレポーターというお仕事の方々ならテレビ番組で面白おかしく語るだけでしょうが、近松、梅暦といったあたりは、そこがちょっと違っていたわけで、不始末と、その挙句の無理心中となればとてもエキサイティング、これは売れると、ちょっと手を加えて舞台用に脚色したら、案の定これが大当たり、それで次々と.....ということだったのではないですか。
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身分制度と罰則の関係で、


心中してしまえば、罰則が受けません。だから、理想の不倫なのです。
罰則は、人権を失い、男性は強制労働、女性は強制売春だったと記憶しています。
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