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「親の背を見て子は育つ」この考えに賛成・同調できますか?
それとも反対、あるいは違和感を感じますか?
親子間のコミュニケーション不全が社会問題化している現代で
親はきちんと言葉で意思の疎通を図っているのでしょうか?
自分の姿を子供はきちんと見ていてくれる、というのは幻想でしょうか?

A 回答 (7件)

こんにちは。



うまく言えませんが、「親の背を見て子は育つ」のだと思っています。
夫を見ていると、親の影響をしっかり受けていて、それを本人も自覚しています。
良い面、悪い面ありますが、彼の育った家の文化が感じられます。

私の場合、親は「反面教師」です。親の背中を見て幻滅したり、苦しんだりしたことを受け止めて生きています。それも私の育った家庭の特徴なのかも知れません。

子供とのコミニュケーションは言葉だけでしょうか。生活そのものが大切なのでは。さりげない会話だけでなく、問題に直面したときの対応のし方、躾、礼儀作法、人と接する態度、親の価値観や考え方、いろいろのものを感じ取り、その中から子供が自分の考えに沿うもの、沿わないものがでてきて、衝突したり、意見を交わしたりして過ごす、普通の生活にこそ大切なものがあると思います。

「親の背中」に嫌悪感があっても、頼もしさがあってもそれは大切なことです。それを一つの基準として、子供は何かを量っているところもあるのかも知れません。

わかりにくい文章でスイマセン。
多分「親の背中」というのは、自分と社会の最初の出入り口だと思います。夫婦の関係や親の社会性を象徴しているのかな…なんて。
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私は「親の背を見て子は育つ」の意味を、「子供は、親が子供に対する姿勢でなく、社会一般に向っている姿勢を見ているもの」だと捉えています。



ただ使い方としては、二通りあるようです、どちらも親しい人が親へ使う言葉ですが、

・割と新米の親に対して、「子供は、いくら口酸っぱく注意しても、親の普段の行ないを見ているから子供へ注意するより、先ず自分の生活を律せよ!」と、戒めの言葉として使う場合。

・普段から仕事やいろんな世話で忙しくしていて、子供との時間が取れていなくて少し心配になっている親に対して「子供は親の一生懸命の姿をちゃんと見ているよ。」と、慰めの言葉として使う場合。

上記二通りの使い方をするわけですが、言葉の意味は同じでも使い方によって、微妙に考え方も変わると思います。

前者は「子供とのコミュニケーションも大事だが、先ず親たる自分がしっかりすべき」

に対して後者は、「子供とのコミュニケーションを取れなくても、しっかりした親ならば、信頼関係の元に子供は自ら成長する」と、なります。

ですから、ご質問の
Q1・「親の背を見て子は育つ」この考えに賛成・同調できますか?それとも反対、あるいは違和感を感じますか?
→ 賛成いたします。違和感をもたれる方は上記の使い方を混同されていらっしゃるのではないかと思います。

Q2・親子間のコミュニケーション不全が社会問題化している現代で親はきちんと言葉で意思の疎通を図っているのでしょうか?
→個人によるので、子供との対話時間などの統計資料が無いと判りません。が、これだけ理解しがたい犯罪が増えた背景にはコミュニケーションの基本である親子の対話が出来ていないご家庭が多いのではと思います。私個人としては、なるべく言葉で意思の疎通を図りたいと思っております。私がだらしないのは見れば直ぐわかるので。(^-^;

Q3・自分の姿を子供はきちんと見ていてくれる、というのは幻想でしょうか?
→「きちんと見ていてくれる」という言葉には親のエゴ又は期待感が備わっているような気がします。単純に子供は、良くも悪くも親の姿は見ていると思います。普段はだらしなくても、いざっ!って言う時は頼りになる格好良い親父であれたら!と、思ってはいるのですが…。

以上、参考になりましたら幸いと存じます。
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こんにちは。

5才と1才の子供の親をやってます。churaさんとほぼ同意見になりますが、子供は日々親の言動を観察してやっていいこといけないことをこちらの気が付かない間にも繰り返し繰り返し学習していますね。しかしまだまだというかなかなかそれが行動には結びつかず、これからも先の長い戦いは続くでしょうが。自分の幼少の頃を思い起こしても善悪良否の判断基準になるのは親に怒られるかほめられるかと親はどうしているかが唯一の判断の手がかりだったと思います。とりあえず大人は何でも知っていて、大人のやることは正解のはずだと思ってました。ただそれと自分の苦楽とはどうしても対立して結局はよく叱られてました。やはり、親が無意識に道にゴミを捨てれば子供は道にゴミを捨てても良いと理解し、親がゴミを拾えば子供はゴミを捨てるのは良くないと判断すると思います。ただうちの子がもっと大きくなって自分でいろいろ思い悩む年になればこちらから時折言葉でのコミュニケーションも意識していかないと難しいかなと思っています。話は飛びますが、最近は皆どこへ行くにも車で出かけるので電車の中で小さい子供連れの家族をあまり見かけなくなった様な気がします。小さい頃に公共マナーを身につける機会もなくみんな大きくなっていくのでしょうか。
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高校生の子供(微妙??)ですが。



大賛成ですね。

言い方悪いけど…、街中で見るワガママ言い放題でうるさいクソガキ(普通の子供は好きですよ)の親は本気でクソですね。
基本的マナーの無いガキは、親がマナー無かったり。

不良になるかは別として(この頃は自分で考えて行動できる歳だし)、
「やさしい、冷静、真面目、静か、怒りっぽい」
とか、基本的な性格は親や周辺の人の行動で決まると言ってもいいと思ってます。
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私も「賛成派」です。



仮に多くを語らない親の元で子供が育っても、「親の背を見て子は育つ」し、言葉だけがコミュニケーションツールとして重要視される訳ではない、と思っています。最近では、大人になりきれていない人が親になってしまったが為に、不幸な事件が多発しているように見えます。また、子供と本音で関わる事を避けている親も、多いのではないでしょうか。良くも悪くも、子供は大いに親の影響を受け、育っていくと思います。
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いい意味でも悪い意味でも子どもは「親の背中」を見ていると思います。


子どもの手本となるには親がまずきちんとしなければいけない。いくら口で偉そうなことをいっても親の行動を子はきちんと見ていますから親の悪いところをそのまままねするということでしょう。
悪いことをする親ならそれを子どもは見ています。見てくれているというよりどうすればいいかは親がどうするかによるという面が強いと思います。

>親子間のコミュニケーション不全が社会問題化している現代で親はきちんと言葉で意思の疎通を図っているのでしょうか?
この言葉はあなたの上記の発言とは直接関係はないと思いますが...。例え会話がなくても愛情というものがきちんと存在していればいい面を見て子はすくすくと育っていくと思います。逆に会話があっても上っ面だけの言葉では子どもには響きません。
少々とんちんかんかもしれませんがお許しを。
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私はこの考えに大いに同調しますね。


とはいっても、最近は悪い面での『背を見て育つ』ですが。
子供は見ていますよ。態度にも出ていると思います。
怒らない親の家庭というのは大体子供が俗に「不良」と呼ばれるグループに入っていますし。そうした面で少し意味は違うかもしれませんが背を見て育っています。
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