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江戸時代までの人たちは、右手と右足を同時に前に出す、いわゆる 「なんば歩き」 をしていたと聞きました。

当時の人は着物を着ていたので、その歩き方の方が着物が乱れないし、また武士が刀を腰に差すのにも便利だったからとありました。

ところが、先日あるサイトで明治30年頃の東京の風景を写した映像が紹介されていたのでジックリ見たのですが、着物を着ている一般庶民の歩き方は今と同じでした。 つまり、右手と左足を同時に前に出す歩き方ですね。

記憶では明治に入って一般庶民も洋服を着るようになったのと、軍隊が積極的に西洋の歩き方を取り入れた事が、従来までの歩き方に変化をもたらしたと思うのですが、動画をよく見ると中年と思しき男性が着物姿で町を歩いていますよね。

画像が小さいし不鮮明なんですが、どのオジサンたちも歩き方は今と同じスタイルのように見えます。 撮影時期を考えると、これらのオジサンたちは江戸時代に生まれているはず。 という事は 「なんば歩き」 で育った人たちのはずです。 

でもこの映像では 「なんば歩き」 で町を歩く人は一人もいないのですが、なぜですか?

「なんば歩き」 を禁止するとかは、なかったと思うし、小さい頃から身に付いた歩き方を変えるというのは、大変な事だと思うのですが ・・・

江戸時代までの人は 「なんば歩き」 をしていたというのは本当ですか?

そして、それはどうやって確証されたのですか?

A 回答 (18件中1~10件)

論理的な説明はできないし、確証もないですが、自分の経験上「江戸時代の人は『なんば歩き』をしてたんやろうな」と思えます。



自分は柔道をやってたんですが、それ以降「なんば歩き」っぽい歩き方を無意識するようになました。というのも、以前「なんでそんなにノソノソ歩くん?」とか言われたことがあり、鏡を見てみたら「なんば歩き」みたいでした(笑)

実際、柔道は「すり足」で移動し、手と足を一緒に動かすんです(というか、そうしない相手と組むことができない。)。剣道や相撲もそんな感じでしたよね?

ですから、少なくとも武士層は「なんば歩き」をしていたように思われるんですが…。なにせ当時は身分制だから、身分によっていろいろ違う(たとえば、同じ武蔵の国でも、武士は今の東京弁を使い、町人は今の江戸弁を使い、農民は今のズーズー弁を用いるみたいな感じで)ったんじゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

有難うございました。
柔道をやっていると、いつの間にか 「なんば歩き」 に近くなるんですねえ。 初めてしりました。
江戸時代の人もそんな感じだったんでしょうかね。

お礼日時:2007/10/24 12:41

早めに大急ぎで回答します。



あ、本当ですね。@@;

私も先刻まで疑いながらも「なんば歩き」説に傾きかけていたので、感動しました。

「なんば歩き」は、江戸時代の風俗を写した浮世絵などから推測したものだと思います。私自身も以前検証してみたことがあります。
その中では「熈代勝覧(きだいしょうらん)」がとてもわかりやすいと感じました。「熈代勝覧」は1805年頃の江戸の今川橋から日本橋までの大通りを俯瞰描写したもので、長さ12メートルもある大作です。
このようにあの時代のメインストリートですから、「熈代勝覧」では多くの人が歩いています。そして、そのほとんどが「なんば歩き」をしています。
ただし、当然ですが、動画ではありませんので、正確に言えば踏み出した足と突き出した肩の方向が一緒だという検証の仕方になります。
また、鳥獣戯画などの蛙や兎もこのような足と肩が同時に前に出る姿勢です。

ですが、この映像をどう考えればいいんでしょうね。私もちょっと研究してみたいと思った次第です。

ちなみに、
当サイトは削除主義
ですから、YouTubeの資料映像のリンクは削除対象とみなされると思います。
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この回答へのお礼

有難うございました。
私も先ほど熈代勝覧をネットで探して見てみました。
たしかに、なんば歩きをしているように描かれていますね。
でも明治の映像では違う ・・ 謎は深まるばかりです。

お礼日時:2007/10/24 13:02

嘘です。



手をブラブラ振りながら歩くわけないじゃないですか。荷物を担い
でたり裃の前をつまんでたり刀を押さえてたりするでしょう。能な
どの伝統芸能でも腕は腰にかまえてたり扇を突き出したりしててブ
ラブラ振りませんし、基本的にゆっくりとしたすり足なので腕を
振って勢いを付ける必要はありません。また、鍬や刀を持ってれば
常に利き腕が前でして、踏み込む時に利き腕側の脚が前になるのは
歩いてるわけじゃありません。

それに、「なんば」という名称が伝わっている事自体、それが普通
に歩いている状態とは違う証拠です。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なんば歩きをしていたというのは嘘だったんですねえ。
おっしゃるように着物を着て歩くと自然に前を押さえながら歩くようになるし、今のように両手を前後に大きく振って歩くという事はなかったかも知れませんね。
一方、先ほど Wikipedia で 「歩行」 と打ち込んでみると、なんば歩きは明治以前、日本古来の歩き方と紹介されていました。
これって、あの Wikipedia が嘘の説明している事になるんでしょうか?

お礼日時:2007/10/24 13:09

そもそも、江戸時代には、歩くときに腕を振る、という習慣が無かったのだ、という話を聞いたことがあります。


武士は、拳を軽く握り、太ももの前の部分にあてて、歩く。商人は手のひらを重ねるように下腹部のあたりに持ってきて、腰をかがめるように歩く。あるいは、寒いときには懐手。女は裾が乱れないように軽くおさえながら歩く。

つまり、腕を振る必然性が無いのだとか。それでも「敢えて」腕を振って歩く場合は「なんば歩き」になるのだ、とか。つまり武士が太ももに置いた手を足と一緒に出す感じなのでしょうかね? 
だから、「なんば歩き」が一般的なのではなくて、腕を振る習慣が無いから、腕を振るときだけはそうなる、ということではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

有難うございました。
> 腕を振る習慣が無いから、腕を振るときだけはそうなる ・・
う~ん、正解はこれかも知れませんねえ。
ただ、質問に挙げました明治の映像では、着物を着たオジサンたちは現在のように両手を軽く前後に振って歩いていたのですが ・・

お礼日時:2007/10/24 13:13

#3です。


追加をお許しください。

近世までの日本の絵は、写実ではありませんので、もしかするとただの構図上の「ならわし」にすぎなかったのでは、と疑えるような気がします。
トンデモ系かも?
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この回答へのお礼

有難うございました。
実は私も、もしかして単なる当時の画法かも ・・ と感じました。
西洋画もそうですが、中にはかなりデフォルメして現実とは違う描き方をする時もあるので ・・

一方、先ほど Wikipedia で 「歩行」 と打ち込んでみると、説明の中に 「なんば歩きは明治以前、日本古来の歩き方」 と解説されていました。
これを書き込んだ人は一体どうやって確認したのでしょうか?
何か、歩き方に関する古文書のような史実があっての解説なんでしょうか? 

それと和服のように帯で固定する衣服って、おそらく日本だけじゃなく世界中に似たようなものがあると思う (間違っていますか?) のですが、なんば歩きがなぜ日本だけのスタイルなのか、理解できません。

以前、トルコの軍楽隊がなんば歩きをしながら行進している光景を見た事がありますが、これはある意味でパフォーマンスに近いもので、昔のトルコ人がなんば歩きをしていたとは思えません。
う~ん、謎は益々膨らんできました。

お礼日時:2007/10/24 13:25

江戸時代がなんば歩きだったかどうかは確証はありません。



 武道の動きか「なんば歩き」に近いという意見がありますが、柔道は明治15年頃に生まれた近代スポーツですし、剣道は大正4年(その原典はフランス式フェンシング)です。相撲も明治4年に禁止され17年に復活したものです。弓道は明治初期の写真が残っていて現代とあまり変わっていません。
 日本に西洋式歩行術が確立したのは明治10年頃ですので、現在、日本武道とされているものは西洋歩行術の後に生まれた武道です。

 映像時代は先の説明とり西洋式が普通になっています。一方江戸時代の映像はありませんのでどのような歩き方をしていたのか不明です。写真を見る限りは手は動かしていないと思いますが。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、今の武術はほとんど西洋歩行が取り入れられた後に生まれているんですねえ。 という事は日本古来の歩き方とは関係無いという事になりますよね。
質問に挙げました映像なんですが、テロップでは明治30年撮影とありました。 この中に和服を着た年寄りや子供たちが何人か登場していますが、手ぶらで歩いている人たちは今のように足とは逆の手を前後に軽く振っているように感じました。
映像の一番最初の方に手ぶらの人が何人かいたと思います。
それに映像に登場する年寄りたちは江戸時代末期に生まれて、説が正しいとすれば 「なんば歩き」 で育った世代のはずです。
一人くらい 「なんば歩き」 で道を歩いている人がいても不思議ではないはずなんですが、誰もいないというのは ・・・

お礼日時:2007/10/24 14:34

少なくとも、侍は「なんば歩き」をしていたと思います。



質問者さんが述べているように、そもそも、腰に刀を差していては手と足を逆に前に出す歩き方では、
振った際に刀に手が当たるため不便です。

質問者さんや他の回答者の方が述べているように袴を履いている状態できれいに見せるためや、
手と刀が当たらないように動くために、
手をふとももに軽く添えて、手と足を一緒に出す所作があります。
(時代劇ではよくこの所作が登場します。)

それに、武士のたしなみである剣術では「なんば歩き」のように同じ側の手と足を同時に出す事になっています。
そのため、剣術から派生した剣道・柔道・古武術等は「なんば歩き」が基本形となっており、
現代でもその経験者の中には、くせとして「なんば歩き」をする方がいます。
私も剣道経験者ですが階段を昇る時には無意識に「なんば歩き」をしてしまいます。

以上の事から、武士以外の事はわかりませんが、武士については「なんば歩き」をしていたと思われます。
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この回答へのお礼

有難うございました。
私も時代劇をよく見ますが、裃を着た侍が両手をふとももに添えて、小走りに急いで上司に報告するシーンがあります。
武士の場合はなんば歩きの方が自然に歩けるんでしょうね。

お礼日時:2007/10/25 10:15

質問者の考える、右手と右足を同時に前に出す「なんば歩き」は当時も現在もありません。


「なんば歩き=同手同足で歩くこと」とよく言われますが、そうではなくて、腰(はら)が平行移動する、上体がねじれない、重力を利用した歩き方です。

当時着物を着ていたからと言う方もいますが、着物を着て歩いても着崩れは殆どしません、もし着崩れても日常着ですので自分ですぐに直せます。
飛脚の写真で左足左手前で写っている写真があり、それを勘違いした結果現在の誤解が生じてしまったのでしょう。

武道でいえば古今東西、足と手は同じ方向の手足を出すが基本です、レスリングもボクシングも空手もカンフーもその他の武術変わりません。
重心を安定して動かそうとすれば必然といえます。

では日常の歩き関していえば、両手を固定しなければ今と同じように手足は逆になります。
両手を固定した場合は右足と右肩が同時に出てあたかもなんば歩きの様に見えるのです。例えば両手で荷物を運んだり、両手を腰に付けている時や、両手を背に回して組んでいるときです。
これは今現在でも同じ様に体は動きます。

なんば歩きは一見難しそうに思うかも知れませんが、思い荷物を持ってある程度歩けば自然に重心を安定させてなんば歩きになっていますよ。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なんば歩きは着物が崩れるからという理由を述べる方もおられますが、私も納得は出来なかったです。
今でも年配の女性などで普段から着物を愛用される場合がありますが、着崩れするからと、なんば歩きをする人は一人もいません。 皆さん、普通にあるいても着崩れはしていないと思います。

それと試しに今、両手を腰に当てたり、(寒い冬によくやるように) 両手をポケットにつっこんで歩いてみたのですが、どうも私の場合は、いつものように足を反対側の肩が前に出るようです。
無理に意識してやらないと同じ側の肩が前に出る事はなかったです。
ねじり歩きに慣れ過ぎてしまっているのでしょうか。

お礼日時:2007/10/25 10:26

>江戸時代までの人は 「なんば歩き」 をしていたというのは本当ですか?


本当です。
>それはどうやって確証されたのですか?
代表的なところでは浮世絵です。東海道53次などを見れば、といいたい所ですが、歩いている人では見分けが付きにくいです。飛脚のように走っている人が良く分かります。ネットで「浮世絵 なんば走り」の方が納得のいく情報が得られると思います。
ちなみに、佐川急便に数年前飛脚のマークがあったと思いますが、アレもなんば走りをやっています。古い車両にはまだ付いていますので、確認ください。

空手、合気道の半身の姿勢も、剣道の正眼の構えも、相撲の?(腰を落とし、手を突き出しながらすり足で前に進む基本動作;名称が分かりません。)も、阿波踊りもなんばです。まだ現代社会でも生き残っています。

>右手と右足を同時に前に出す、いわゆる 「なんば歩き」 をしていたと聞きました。
というより、極端過ぎますが、能のように上半身を動かさないというか、ねじらない動きです。日舞の歩く所作も上半身は動かしません。その逆の極端な例が歌舞伎の跳び六方かな。手の動きはそれほど重要でないというか、付属的なものかと思います。肩の動きか、肩と腰を結ぶ上半身の面の動きが、なんば歩きの特色になると思います。

>でもこの映像では 「なんば歩き」 で町を歩く人は一人もいないのですが、なぜですか?
う~ん。根拠のある話ではありません。
歩くとか走るという行為は、親から教えられるものでなく、本能でするものです。本能が今の動きです。なんば歩きは学習する必要があったと思います。行儀見習い、しつけの世界です。肩を怒らせて交互に動かす所作はやくざか与太者の所作だったのでしょうか。善良なる一般市民は肩をひねることなく、流れるように?歩く。
文明開化で考え方が180度変わり、学習しないでよい、本能のままの歩きになるのに、多くの時間は必要なかったからかな。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なんば歩きについては、江戸時代までの絵画によるところが多いようですね。
ただ、どうなんでしょう、日本の絵画が写実主義なら理解できるのですが、結構デフォルメしたり、写実とは異なる画法を取り入れているケースもあるので ・・・

でも人間、本能だけで歩くとネジリ歩き、なんば歩きは子供の時の学習によって身につける ・・ 納得です。

お礼日時:2007/10/25 10:37

スーパーコンピューター上に人体の骨格を組み合わせた人体模型を作り、それを4°の下り坂に置いたところ歩き出したそうです。

もちろん、その歩き方は現在の歩き方です。
物理的かつ医学的に考えると、左足が前に出ると重心は左に寄ります。このとき、右上半身を前にひねることによって重心を右に、つまり中央に戻すことができます。重心は常に中心付近にあったほうが安定しますから、左足を出して右手を出す歩き方が一番自然かつ合理的だ、ということになります。
絵画などにおける表現ですが、これは慣習として使われていた可能性は大いにあると思います。子供に絵を描かせると、右手と右足が出ている絵を描くことは珍しくないと思います。ルネサンス期になって遠近法が発見されるまで、遠くのものも近くのものもほとんど同じ大きさで描かれていました。馬の足の動きは、カメラが発明されてから正しい動かし方が分かったくらいで、よくナポレオンの戦場を描いた絵画で騎馬隊が突進する様子が描かれていますが、あれは足の動かし方の描きが間違えている(当時の人々はそう動いていると思っていた)のだそうです。

動画の映像と、古文書の内容と、どちらのほうが資料的に信憑性が高いかは明らかだと思いますが、なんば歩きを提唱している方々は武術の先生が多いので、私も面と向かって先生の論に異を唱えるような命知らずなマネはしないでおこうと思っています。
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この回答へのお礼

有難うございました。

全く同感です。 重い荷物を持って歩くと、なんば歩きの方が安定した歩き方になるとのご意見がありましたが、実際にやってみると、足を前に出すたびに体全体の重心が大きく左右にぶれます。 つまり安定した歩き方にならないわけです。
また当時の飛脚の描かれ方に根拠をおかれる方もいますが、これも単なる画法の一つかなと私は考えています。 実際、なんば歩きで走ってみれば分かりますが、歌舞伎の所作ならともかく、あのやり方で早く走れるわけがありません。

また動物学の専門家の方に聞いてみたいのですが、爬虫類も含めて、4本足で歩行する動物では、どちらの方が多いのでしょうね。 なんば歩きで自然に歩いているのはラクダくらいしかいないように思うのですが ・・ トカゲの歩き方を連想しても、結構、体を捻りながらノッシノッシと歩いているように思います。 
という事は人間も自然に歩くとネジリ歩きになるのが本当という結論になるわけです。 たとえ着物を日常的に使用していた江戸時代の日本人であっても。

削除されてしまったのですが、明治30年撮影の映像に登場する和服を着た、手ぶらであるく年寄りは全員ネジリ歩きでした。 この人たちは江戸時代に育ったはずなんですが ・・・

やはり Wikipedia で解説されていたように、なんば歩きは日本古来の歩行スタイルというのは大嘘なんでしょうか? その場合、一体、誰がこんな嘘を広めた事になるんでしょうか・

お礼日時:2007/10/25 10:53

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