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弁慶についての歴史本や実像にせまった本、小説、物語の本があれば
教えてほしいのですがお願いします。

A 回答 (4件)

義経と熊野別当湛増の子の武蔵坊弁慶が、同時期に居た事はほぼ確かですが、二人の接点は定かではありません。


正史「吾妻鑑」に義経が頼朝に追われ、京よりの逃避行の際弁慶が同行したとの伝承があるとの記載があるのみで、確かな歴史資料がないので、義経の物語に出てくるような弁慶は、実在しなかったとする学者もいます。
しかし伝承とは云え正史に書かれたのは、この伝承が無視出来ない事を示すもので、あったと見る方が自然でしょう。
弁慶が義経の家来になった時期は、義経が源氏の軍の将として京に上がった時か、義経の逃避行が始まった時が考えられますが、平氏滅亡の戦で弁慶が手柄を立てたとの話は、一部の物語を除き伝わっていないので、吾妻鑑の通り逃避行の始めでしょう。
北陸路を使う平泉への逃避行に僧(弁慶ではない)が同行し、手助けした事は知られています。    この際武力を使う必要もあり、僧兵の弁慶が活躍したこともあったでしょうが、記録に残るはずはありません。    平泉へ行ったことはほぼ確かです。
結局弁慶の実像については人柄さえもよく判らんと言うのが実態です。

熊野で武蔵坊弁慶の名のある資料が見つかり、別当湛増の子で乱暴者で僧に怪我を負わせ、修行の為延暦寺に追いやられた事が判ったとの記事を読んだ記憶があります。
義経について書かれた多くの本の中の、弁慶に関する部分を見るしかありません。
中で 岩波文書 五味文治著「源義経」が物語にも触れた歴史書でよいでしょう。
弁慶については一言もふれない義経の本も結構あります。   
最近出た 林順治著「武蔵坊弁慶」彩流社   は面白いようです。   
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からかっているわけではありませんのでご了承下さい。


当時の事を、現在に正しく広めなければならない立場でお話させていただきます。

残念ながら当時の事を正しく記載した本は現存しておりません。
(弁慶については殆どが正しい記録では御座いません。)

そのため当時の生き証人として、今の私が存在しています。
(歴史の教科書通りではないので、受験勉強の足しにはならないと思いますが、当時をお知りになりたいのであれば、当事者ですので一番役に立つと思います。)

弁慶は別当湛蔵のの子供とされていますが、定かではありません。
(私もまだ、その事は聞いておりません。)
しかしながら、現在の速玉大社の近くにある弁慶の屋敷とされる場所は、弁慶の幼い時に暮らしていた場所に間違いは御座いません。
(今も石碑が残っています。綺麗な水の湧く良いところです。)

五条大橋での刀狩のお話については皆様もご存知のとおり、これは明治大正時代に作られたお話しのようです。
(事実ではありません。)

弁慶と私(義経)は鞍馬に暮らしていた頃に出会っております。
記憶に残っているのは、京都を脱出した時。
蹴上げの山を越えて行った時には、二人にて道無き山を越えて行きました。

人柄については、体格が良い事は皆様もご存知のとおりです。
彼は、体格の割にきめ細かい性格をしております。
普段は私や仲間の体調を気遣ってくれたり、周囲の状況に細心の注意を払って危険を知らせてくれます。
私から観ると、性格的にも、見た目にも『ドラえもん』に似ています。
(ひげが口の両脇にちょろちょろとしか生えていないのです。イメージを壊すようで申し訳ない。)
ただ、皆様が知っているような白の頭巾を被ってはいません。
(彼がしていたのは、柿渋色や、山吹色、黒といった地味な色のものです。)

彼と私の首は、藤沢本町にある白幡神社に埋められています。
(私には上記の事は前世の記憶として残っているのです。)
近くの寺に弁慶の墓として祀られて場所がありますが、それは伊勢三郎義盛という者の墓となります。
間違って祀られているので、義盛には大変不自由をさせております。

皆様には、祀られている場所を正しく知っていただき、もし故人のために訪れる時は弁慶塚は、義盛の墓としてお参りいただくようお願い申し上げます。

また、中尊寺の弁慶堂で弁慶の刀の鍔として保管されている物も、義盛の所有物です。
弁慶堂では、弁慶の持ち物として、弁慶堂の朱印帳の表紙の図柄とされてしまっています。
(中尊寺近くにある義経夫婦の墓とされている場所も地元豪族の墓であり、関係がありません。)
ですから弁慶は、平泉にて亡くなりました。
(場所は義経堂の近くではありません。あの場所は、藤原頼衡という方のものになるはずの土地でした。(系図では藤原秀衡の子供とされていますが、実際はご兄弟となります。)
私の屋敷は広く、あのような高台にあったわけではありません。もっと川に近い広い場所となります。)

もっと、いろいろ思い出すことを書いたブログなども御座います。
もし、気が向かれましたらお越しくださいませ。
(下記のブログから各ブログへ行けます。)
弁慶と会ってからの事は詳しくお話しが出来ると思います。
近々、正式に資料などを揃えて、ホームページを開設する予定です。
(質問など御座いましたらわかる範囲でお答えいたします。全てを思い出せるわけではありません。内容によっては本人(弁慶)に聞くことも可能です。)

参考URL:http://yoshitunem.seesaa.net/
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#1さんの仰るとおり、


弁慶については人物像だけが
一人歩きしている感があります。

弁慶について述べられた本は、
数多くありますが、
歴史的な側面から実像に迫った本というのは、
本当に少ないです。
(中には、弁慶は妖怪だった、なんて本もありますし。)

いっそのこと、
小説や歌舞伎からその人物像に迫ったほうが、
見えてくるものもあるかもしれません。
一応、参考になりそうなものを並べてみます。

「歴史書(?)」
義経記
平家物語
平治物語

「生誕伝説」
武蔵坊弁慶生誕伝説

「能・歌舞伎」
舟弁慶(能)作者:観世信光 成立-室町時代
安宅(能)作者:観世信光か? 成立-室町時代
勧進帳(歌舞伎)作者:並木五瓶 成立-天保11年(1840)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/29 13:51

私は、こちらのお祭りの「弁慶伝説」の台本応募のため、けっこう、弁慶にからんだ本は、読みました。


一番信頼度があるとされる、「吾妻鏡」には、わずかの記載しかありません。
「義経記」「平家物語」「平治物語」は、流し読みしました。
弁慶の有名なエピソードのほとんどが、後世の創作かと、思われます。
能、歌舞伎を経て、義経という英雄のサポートである、弁慶が魅力あるキャラクターとして、一人歩きし、ますます、デフォルメがかかるという現象だと思います。
小説で、お薦めできるものは、ありません。
挙げた、3冊は、割と、読みやすかったです。
私のIDは、弁慶の弁と、生年です。

参考URL:http://www.kishu-benkei.com/
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/29 13:49

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