坂口安吾に『子を連れて』という小説がありますか?
他の無頼派の方の作品かも知れませんが・・・

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A 回答 (3件)

ANo.#1と2の指摘通りです。



現在入手可能なのは:

哀しき父・椎の若葉/ 講談社文芸文庫/葛西 善蔵 (著)/
¥951/1994.12.01発行/ ISBN: 4061963023

アンソロジー集です、代表作のみですが。

P.S.ちょっと渋いというか「忘れ去られる作家」に近い葛西善蔵も「子を連れて」があるからかろうじて文庫入手可能なのでは?(新潮など他社の文庫はとっくに品切れです)

無頼派なら石川淳(でも無頼派とか何々派というのは大抵作家本人は迷惑な、メディア側の押付分類。第三の新人とか‥)

ちなみに、坂口安吾逝去の際の「安吾のいる風景」は凄い文章です!

では~♪♪♪
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この回答へのお礼

詳細なご回答ありがとうございます。
「子をつれて」のタイトルと暗い内容のみの曖昧な記憶でした。

お礼日時:2002/08/31 07:28

『子を連れて』は葛西善蔵です。

暗~い私小説です。あまりの貧乏に、自分は落伍者であると煩悶しながら子を連れてさ迷い歩くという内容だったと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。暗い内容のみ曖昧な記憶でした。

お礼日時:2002/08/31 07:30

こんばんは。


確か、「子を連れて」は葛西善蔵だったと思うのですが…?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
葛西善蔵でしたか。作者名すっぽり記憶から抜け落ちておりました。

お礼日時:2002/08/31 07:33

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備前(すみません唐津ではありませんでした)の作家の陶印:http://www.amazon.co.jp/gp/product/4881977075/sr=1-/qid=1160105015/ref=sr_1_1/503-0624900-1144766?ie=UTF8&s=books
陶印はありませんが見方の本:http://www.amazon.co.jp/gp/product/4808707535/sr=1-/qid=1160105416/ref=sr_1_4/503-0624900-1144766?ie=UTF8&s=books

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引き裂かれて、幇間をやることを通して、自分の場所を見つけようとしています。

江戸時代の花魁(高級遊女)は、気位が高く、簡単に気を許さない。そうした花魁と旦那の仲を取り持つのも、幇間の仕事です。

それと同様、この『ジロリの女』に出てくる金龍も、ゴローが追いかける三人の女性である衣子、衣子の娘の美代子、社員のヤス子も、ゴローにとっては花魁の位置にある女性たちです。

そうして、物語が進んでいくにつれて、それぞれの境遇が変わっていき、そうしてその性質のちがいが浮き彫りにされていく。

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ご質問の会話は、ゴローが衣子の家の女中に向かって軽口をたたく場面です。
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衣子は、美代子の縁談の持参金をめぐって、大浦博士と話をする、という。

この大浦博士と衣子は実は恋人同士でもあり、同時に、財産を巡っては、争ってもいるんです。衣子は病院その他の財産を守りたい、大浦博士はなんとか手に入れたい。
美代子の結婚は、その駆け引きの道具でもあります。

ここからは「花魁」と「旦那」の話、「幇間」のアンタはお帰り、とゴローさんは締め出しをくらってしまった。ところがゴローさんも話に加わりたい。だから女中に頼むんです。

どこか、自分をこの家のどこかに隠しておいてください、と。

ここで「鼻薬」は、おこづかい程度のお金。
そうして「オヨシちゃん」がかわいい、美人だと言っているわけ。

女中なんかはさせておかない、というのは、女中をやめさせて、恋人にしてやろう、という男がいっぱいでてくるよ、って言っているんです。

あげたお金で、お酒でも買ってきて、お燗をつけてくれるとうれしいんだけどな、と、そんなことを本当は頼んでいるわけではない、頼んだとしても、実際にはそこまではしてくれないでしょう、それでも冗談で、そんなことを言っている。

それが「女中をからかいながら」ということなんです。

1.「待合い」
これは時代によって多少使い方が異なるのですが(たとえば江戸時代「待合い茶屋」というと、芸者を呼んで遊ぶところとなります)、この戦後間もない頃の「待合い」は、連れ込み宿、いまでいうラブホテルみたいなところなんだと思います。

2.この部分の背景をちょっと説明しておきます。

語り手のゴローは、江戸時代の「幇間」(読みは「ほうかん」、あるいは「たいこもち」ともいいます)を意識して演じている人物です。

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Q漫才師のネタは自前?放送作家作?

漫才はのネタはどこまでが自分で作り、どのような場合は放送作家か構成作家が作るんでしょうか。
NHKを見る限り、作家が作ったと思われる物が多い気がします。
番組によっては全て作家作の場合もあるんでしょか。

Aベストアンサー

どちらもありだと思います
漫才作家という職業の人がいて 台本を書いて それを演じる人が 肉付けをする場合もあるでしょうし
http://www014.upp.so-net.ne.jp/t-kita/shougei0024.html

チュートリアルは自前だそうです
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB_%28%E3%81%8A%E7%AC%91%E3%81%84%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%93%29

Q坂口安吾の「織田信長」の続編はあるのでしょうか?

安吾さんの「織田信長」(1978年発行)を読んだんですが、
桶狭間の所で終わっているので、
もし続きや、人生の後半も書かれているなら読みたいと思い、
調べてみたんですが、
どうも、最近発行された「信長」も、
桶狭間までの若い頃を書かれているようで、続編が見つけられません。

あとがきに、「織田信長」を発行した後に、
「信長」(続き)をまた書いた、とあった気がするのですが・・・
御存知の方、教えて下さい。

Aベストアンサー

残念ながら「信長」はあれでお終いです。

安吾先生には、長編を書き掛けては完結させずにブン投げる、
という癖があったようです。
「小説よりエッセイの方が面白い」と言われる一因ですね。

Q現代の偉大な作家(純文学)

海外・日本国内を問わないので、過去の偉大な作家に匹敵するくらいの現代の作家を教えてください。

文学の偉大な作家は思いつくだけでも数々あります。

■海外
ドストエフスキー、トルストイ、ゴールディング、ジット、カミュ、カフカ、ヘッセ、トーマスマン、ヘミングウェイ、スコットフィッツジェラルド・・・。

これらの作家はだいたい読んだんですが、それ以降の作家、すなわち最近20~30年以内の作家でこれらに名を連ねるに値するほどの作家がいれば教えてください。ガブリエル・ガルシア=マルケスに最近深い感銘を受けたので、現代の作家の本も読んでみたいと思いました。

■日本
三島由紀夫、安部公房、大江健三郎・・・。

以降で彼らに匹敵する、国際的に認められているような大作家がいれば教えてください。村上春樹がその候補の一人でしょうが。それ以外でお願いします。あまり小説の事情に詳しくないもので。

Aベストアンサー

プラハ3大文豪のカフカがいますが、あとのふたり、

カレル・チャペック
ヤロスラブリ・ハシェク

は、おすすめできるとおもいます。ハシェクは風刺作家で、かつ売文というか仕事を選ばなかったため、まとまった著作は「兵士シュヴェイクの冒険」しかありませんが、幸い岩波文庫の4巻揃いは、非常に名訳、かつ原著挿絵も全て網羅という良書なのでおすすめです。あとは短編集「不埒な人々」が平凡社からでています。
チャペックは邦訳も多く、絵本からエッセイ、伝記、まで多作です。過去の人ですが。

今日の人では、ウンベルト・エーコはどうでしょう。私は好きです。
あと、読破したとはとてもいえませんが、トマス・ピンチョン、それと、ジョージ・オーウェルもかなりいいとおもいます。新訳の「一九八四年」のあとがきが、ピンチョンだったので、新訳を買ったようなものです。

日本人では、川端康成はどうでしょうか。文章のうまさでは、志賀直哉もいいとおもいます。

Q三島由紀夫が少年時代坂口安吾のようなスポーツマンだったら?

三島由紀夫が少年時代坂口安吾のようなスポーツマンだったら?

坂口安吾と三島由紀夫の少年時代は対照的です。
坂口安吾は柔道が強く、陸上部ではないのに大会の時には助っ人を頼まれる程スポーツが得意だったそうです。三嶋由紀夫は虚弱児で、剣道やボディービルをやり始めたのは(或いは、そういうことが出来るようになったのは)大人になってからです。私は、ふと、もし三島由紀夫が少年時代坂口安吾のようなスポーツマンだったら小説家にはならなかったのではないかと思うことがあるのですが、みなさんはどう思いますか?

Aベストアンサー

cpbrさん、こんにちは。

一介の安吾ファンですが、なかなか興味深いご質問を立てられましたね。
三島が書いた安吾論は、ほとんど安吾に対する絶賛、オマージュで貫かれていると思います。
安吾も、《戦後派》一色に塗りつぶされていた文壇に、『仮面の告白』を引っ提げて殴り込みを掛けてきた三島を大いに買っていたようです。

とは言っても、もし安吾がもう少し長生きをしていたとしたら、その後の三島の文学をどれだけ評価したかとなると、私としてはちょっと疑問を覚えますね。
その意味では、二人の関係は、三島の方がもっぱら自分の中にない人間的魅力を安吾の内部に見出し、一方的に片思いをしていたのではないかと思われてなりません。

>三島由紀夫が少年時代坂口安吾のようなスポーツマンだったら?

う~ん、生まれてから小学校に入学するまで、看護婦付きの祖母の病室で育てられた三島に、やんちゃ坊主でガキ大将だった安吾のような幼少年期は望むべくもないような気がします。
で、三島が「安吾のようなスポーツマンだったら」と仮定することは、乳幼児期の三島が祖母に溺愛されなかったらと仮定することでもありますが、その場合、祖父や父親と同じように、エリート官僚として大蔵省を勤め上げ、現在も存命中なら、満85歳になっていますから、今頃は悠々自適の隠居生活を送っているのもしれませんね。

>坂口安吾は柔道が強く、陸上部ではないのに大会の時には助っ人を頼まれる程スポーツが得意だったそうです。

はい、それも、三島のような、付け焼き刃のスポーツ憧憬ではなく、幼少時の忍者ごっこの成果なのか、中学時代にはハイジャンプで全国優勝していますし、自分ではヘタだと言ってますが、野球にもずいぶん熱心だったようです。

でも、この点では太宰治と似ているのかもしれませんが、素封家の大家族の中で生まれたこともあって、平均的な家庭の子のように両親の愛情を受けて育ったわけでもなく、幼くして自分探しを余儀なくされ、早い段階で文学にのめり込んでいますよね。
そのことが、彼のふるさと思慕、しかも親とか、先祖とか、生まれ故郷とか、自然とかをも超越した、もっともっと形而上学的な、しかも生きることの現実的必要性から決して遊離しないふるさと憧憬へと彼を向かわしめたような気がします。

cpbrさん、こんにちは。

一介の安吾ファンですが、なかなか興味深いご質問を立てられましたね。
三島が書いた安吾論は、ほとんど安吾に対する絶賛、オマージュで貫かれていると思います。
安吾も、《戦後派》一色に塗りつぶされていた文壇に、『仮面の告白』を引っ提げて殴り込みを掛けてきた三島を大いに買っていたようです。

とは言っても、もし安吾がもう少し長生きをしていたとしたら、その後の三島の文学をどれだけ評価したかとなると、私としてはちょっと疑問を覚えますね。
その意味では、二人の関係は、...続きを読む

Q作家と自殺

過去の質問を見ました。
私も単純に、作家で自殺した人は多いと思っていました。それを不思議にも思っていました。
でも過去の、作家と自殺の関係を尋ねる質問では、回答された方はみんなその意見に批判的で、有名な作家が結構自殺している(芥川龍之介とか太宰治とか)から、作家と自殺を結びつけるのかもしれないが、実際は数多くいる作家の中で自殺したのはほとんどいないとか、作家が自殺するんじゃなくて、自殺する原因のある人が物を書くとか、そんなことが回答されてました。
なるほど~とも思ったのですが、私はまだ作家で自殺する人が多いと思ってしまいます。
それが不思議なんです。
そのことをつい先日、文学部に通ってる友達に話したところ、その友達はこう言ってました。
「その作家たちは、こうあるべきだと自分の中で思い描いてる世界(?)があって、その世界と現実とのギャップに悩んで、どうしようもなくなって死ぬんじゃないか」と。
なるほど!とまた思ったのですが、じゃあその作家が思い描く世界って?とも思ってしまうのです。
その作家が理想とする世界とはどのようなものなのでしょう?
それとも死にたくなる理由が他にあるのでしょうか?
それ以前に、やはり私の、作家で自殺する人が多いという考えは間違っているのでしょうか?
批判的な意見でもなんでも構いませんので、みなさんが作家と自殺との関係で思うことがあったら教えてくれませんか?

過去の質問を見ました。
私も単純に、作家で自殺した人は多いと思っていました。それを不思議にも思っていました。
でも過去の、作家と自殺の関係を尋ねる質問では、回答された方はみんなその意見に批判的で、有名な作家が結構自殺している(芥川龍之介とか太宰治とか)から、作家と自殺を結びつけるのかもしれないが、実際は数多くいる作家の中で自殺したのはほとんどいないとか、作家が自殺するんじゃなくて、自殺する原因のある人が物を書くとか、そんなことが回答されてました。
なるほど~とも思ったので...続きを読む

Aベストアンサー

 すくなくとも高度経済成長期以降、自殺する作家はずいぶん減ったと思います。むかしの作家は貧乏だった。スランプが来てかけなくなると食うのがたいへんだった。あまり高尚ではありませんが、おなかがすくと人間悲観するものです。
 それから、自殺した作家というのはなかなか英雄的である。話題とするに足る。そのせいで特にそういう人ばかり持上げられすぎているきらいがあると思います。たとえば太宰の自殺はあきらかに衝動的な心中で(作品上のゆきづまりはあまり感じられない)、しかしそれにもかかわらず芥川とか川端の自殺とおなじ範疇でくくられる。「作家だから(芸術上の悩みで)自殺した」という人と、「作家がたまたま(生活上の悩みで)自殺した」という人がごちゃごちゃになりすぎているような気もします。
 きちんとした統計をとったら、絶対に自殺しなかった文学者のほうが圧倒的に多くなると思いますよ。日本にかぎっても、大伴家持、紀貫之、藤原定価、紫式部、清少納言、式子内親王、世阿弥、井原西鶴、近松門左衛門、芭蕉、一茶、蕪村、太田南畝(蜀山人)、為永春水、十返舎一九、馬琴、幸田露伴、尾崎紅葉、正岡子規、夏目漱石、森鴎外、谷崎潤一郎、志賀直哉、みんなふつうの死にかたです。ただ、明治以降になると急に自殺する人が増えますよね。これはたしかに注目に値すると思う。
 明治の気風として「理想と現実がズレたらそれをなおさなければならない」という理想主義的な部分があるように思います(たとえば維新もそうだけど)。江戸時代のような「本音と建前ちがってていいじゃない」という気軽な生きかたが廃れてしまったことが、作家にかぎらず、明治の人々を追いつめた原因ではないでしょうか。

 すくなくとも高度経済成長期以降、自殺する作家はずいぶん減ったと思います。むかしの作家は貧乏だった。スランプが来てかけなくなると食うのがたいへんだった。あまり高尚ではありませんが、おなかがすくと人間悲観するものです。
 それから、自殺した作家というのはなかなか英雄的である。話題とするに足る。そのせいで特にそういう人ばかり持上げられすぎているきらいがあると思います。たとえば太宰の自殺はあきらかに衝動的な心中で(作品上のゆきづまりはあまり感じられない)、しかしそれにもかかわら...続きを読む

Q坂口安吾の行雲流水

1.「当世は、久米の仙人などはショッチュウ目玉をまわしていなきゃならないのさ。オレだから、がんばっていられるようなものだ。」

その久米の仙人ってなんですか?
どうして目玉をまわし泣きゃ?
どうして「おれだからがんばっていられる?

2.「だけど、和尚さん、八掛かなんか立ててくださいな。あの野クビふんづかまえて、蹴っぽらかしてくれるから。」

「八掛をたてる」ってここにどういう意味ですか?

3.「ワシもタイコクを三人もとりかえたら、その又、昔はコツやナカへ繁々と通ったものだが、当世の女流はわからん。」
「コツ」と「ナカ」って店の名前ですか?

以上、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

パンスケはパン助、パンパンの別称です。
「パンパン」とは、売春婦です。特に、第二次大戦後の日本で、アメリカの進駐軍を相手に売春をする女性を指すのですが、ソノ子はアメリカの兵隊ではなく、ふつうの日本人相手に売春をして、肺病(結核)の父親と弟妹を養っていたわけです。

この「助」というのは、ねぼうをする人を「ねぼ助」、お酒をたくさん飲む人のことを「飲み助」というように使うときの「助」ですね。

とりあえず言葉の意味さえわかれば、こういうのはいいのかな。
せっかくですから蛇足として書いておきましょう。
必要がなかったら忘れてください。

坂口安吾には、娼婦ないしはそれに近いような女性を主題にした作品が多くあります。
安吾には、女性は肉体を生きている、男性は頭と肉体に引き裂かれている、という基本的な思想があるんです。

ここでもソノ子は肉体の欲求そのままに生き、ソノ子を取り巻く男は、和尚さんも含めて、みんな引き裂かれた存在として生きることを余儀なくされています。

和尚さんは、そんなソノ子の生き方を「お尻というものが天下を行雲流水しているだけのことである」(この表現には思わず笑っちゃいましたが)と考えて、妬ましくもあり、うらやましくもあり、ついでにそのお尻に引かれる気持ちもあって、なんともかとも複雑な気持ちで彼女を見ているわけです。

そうして、この視線は、安吾自身の、自分が理想とする女性(現実にいたという意味ではなく)に向ける安吾のまなざしでもあったのだろうと思います。

社会とか、国家とか、軍隊とか、そういうのはみんな、男が、さらにいえば男の頭が創り出したものだ。戦争に負けて、男の頭が創り出したものがみんな廃墟になって、男たちはみんな途方に暮れている。そういうなか、肉体として生きる女は、その肉欲のおもむくまま、世間の決まり事やしがらみを軽々と越えて生きて行く。そういう存在に、理想の女性を見ているわけです。

パンスケはパン助、パンパンの別称です。
「パンパン」とは、売春婦です。特に、第二次大戦後の日本で、アメリカの進駐軍を相手に売春をする女性を指すのですが、ソノ子はアメリカの兵隊ではなく、ふつうの日本人相手に売春をして、肺病(結核)の父親と弟妹を養っていたわけです。

この「助」というのは、ねぼうをする人を「ねぼ助」、お酒をたくさん飲む人のことを「飲み助」というように使うときの「助」ですね。

とりあえず言葉の意味さえわかれば、こういうのはいいのかな。
せっかくですから蛇足と...続きを読む


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