痔になりやすい生活習慣とは?

(異性間で)人を好きになるという経験は誰にでもあると思うのですが、「人を好きになる」とは自明のようで自明でない気がします。

人によって、定義というか、感じ方が違うと思うのですが、突き詰めて考えると「人を好きになる」とはそもそもどういう事なのでしょうか?

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A 回答 (8件)

●A.社会的に好きであるということ


 哲学カテゴリというか、社会学で通常いわれていることになりますが、社会学では、近代における恋愛行為について「ロマンティック・ラブ」という定義を用いることがよくあります。

以下、Wikipediaより引用します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E% …
1.一時の衝動による相手への執着ではなく、人格的な結びつきによる愛情であるが、プラトニック・ラブとは異なり性行為により相手と一体になることを求める。
2.経済的、政治的な打算などではなく、純粋に二者間の間にある愛着だけで結びついた関係である。
3.常に男と女の一対一ではぐくまれる愛情であり、相手以外の者に恋愛感情を向けることなく、二者間の他に性的接触をもたない(モノガミー)。
4.恋愛対象を「運命の相手」とし、一生の恋愛関係にあることが理想とされる。そのため結婚は恋愛感情と結びついたものとして一生維持される。

 こうした理想系を「ロマンティック・ラブ」と呼び、近代においてこうした概念が蔓延した結果、お見合い結婚よりも恋愛結婚のほうがいい、という発想が強くなったりしている、…と。そういうことがよく言われます。とりわけ、フェミニズム系の議論では常識の部類に属するか、と思います。あと、ロマンティック・ラブ・イデオロギーは同性愛を排除していたりする点もだいじです。

●B.生物的に好きであるといこと

ただ、上記の議論は胸キュン!とは何かという議論というよりも、近代において人は胸キュンをどういうようなものとして取扱うようになったか、ということですので、質問者さんの質問とは少しずれるかもしれません。ただ、異性間の経験に限定されてしまうと、上記Aのような答え方をしてしまいたくなりますので、異性間の恋愛に限定されない胸キュン体験ということで括らせていただきますと、
 …ただ、正直、この話はあまし真剣に考えたことがないので、考えたことをだらだら書きますが、胸キュン!の話は、個人的には、美(学)の領域に近い話ではないか、という気がしますが、
 まあ、それはさておきとりあえず分類を提示しますと、たとえば
  a.会えるはずのない異性のアニメキャラを好きになる
  b.会ったことのない異性のアイドルを好きになる
  c.近所の牧場にいる異性の馬を好きになる。
  d.宇宙で出会った人間に近い知能・外形の異性(っぽい)他星人を好きになる。
  e.同性の友人を好きになる。ネカマを好きになる。
  f.いつも会える異性のクラスメイトを好きになる

 という5つの現象には違いがあるのでしょうか。簡単に考えると、

  あ)コミュニケーション可能か(a/bcdef)という違い
  い)コミュニケーションをしたことがあるか(ab/cdef)という違い
  う)人間の言葉でコミュニケーションができるか(abc/def)という違い
  え)セックスして子供が産めるか(abcde/f)という違い
 になるのかな、と。

 好きになりやすさ、という話でいくと一般には「知人の異性」とかが一番とか思われがちです。ですが、熟練したネカマとか、ギャルゲーのキャラクタとかは結構多くの人をノックアウトしているので、好きになりやすさとかではかるのは、たぶん難しいようにも思います。まあ、ただそもそもは、もちろん、え)セックスして子供を産めるか ということが最初にあって他のものはその派生系として奇妙に発達していった形態だろうとは思いますが。
 ただ、そういう生物学的な必要性の話をするならば、この世には真性半陰陽者というのがいます(http://x51.org/x/05/02/0904.php)ので、彼らにとっての胸キュンとは生物学的なところさえ実質的に関係なくなりますよね。そもそもにおいて<例外>である彼らにとっては、胸キュンにおいて<例外>と<非例外>を分ける「セックスして子供を産めるか」という基準も通用しない。ネカマも宇宙人も関係ない。

●社会的条件も、生物的条件も外したら、何が残るのか。

 そう考えると、人が人を好きになるというのは、セックスと常に関係しているとも言い切れない。コミュニケーションができれば可能なんだよな、というように思います。ネット恋愛とかはまさしくそうですし。
 ネット恋愛の場合、向こう側に異性がいるのか同性がいるのかわからないし、それが宇宙人でも、超天才チンパンジーでも、チューリングテストに合格するようなAIでも、わからない。
 あと、ナルシズムの問題とか心の理論(参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE% …)と呼ばれているものとかをどう考えるのか、というのも重要なように思います。結局、ネットの向こう側で人工無能と対話していても、好きになれたりするわけですし、やっぱり自分が相手にどういう想像を投げかけるのか。相手をどのように捉えるのか。
 人が人を好きになるというのは、「自分の想像力を介して相手を好きになる」「相手はこういう人だろうと想像して好きになる」あるいは「想像の範疇を超えるから好きになる」とか。そういうということをやっぱりしているのじゃないかなー、というように思いますね。知り合ったばっかりのときに相手に対して勝手にポジティブな想像を働かせているときとか、相手に対するポジティブなイメージが強化されたときに、胸キュン度合いがあがることが多いような気がします。逆にそれが裏切られるとゲンナリー。

 以上、てきとーにだらだらと書きつつ考えてみました。こんなことぐらい既に言われているような気はしますので、どっかから引用引っ張ってきた方がスマートだったかもしれませんが。……と言ってみたところでこれってやっぱりセクシュアリティの発想について述べただけのような気がしてきました。

 そして、ググってみたら「人間の性」でけっこうきちんと書いてありますね。。。しょぼーん。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93% …

 とりあえず、長文で失礼いたしました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

非常に勉強になりましたm(_ _)m
リンクなどもじっくり読ませて頂きます。
つまるところ、好き=胸キュン(脳内の快楽物質が分泌される状態?)で、そうなる条件としてはコミュニケーションができれば可能、その理由は人間には想像力があるからって感じでしょうか。なるほどなるほど。

お礼日時:2007/11/11 21:10

こんなのいかが。


Love (John Lennon

Love is real, real is love,
Love is feeling, feeling love,
Love is wanting to be loved.

Love is touch, touch is love,
Love is reaching, reaching love,
Love is asking to be loved.


Love is you, you and me,
Love is knowing we can be.

Love is free, free is love,
Love is living, living love,
Love is needing to be loved.
pureですね でもちょっとギターを片手に速攻で作った適当な曲という雰囲気がありますしね;

軽薄な意見は聞くに値するという見方もある!
でももっとすばらしい愛を歌った曲があるのですよジョンレノンは。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

聞いたことないんですが、今度聞いてみようと思います。

>全回答者様へ
皆様ありがとうございます。
私の質問の仕方が漠然としすぎていたため答えにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。
また、質問させて頂くときは宜しくお願いしますm(_ _)m

お礼日時:2007/11/11 21:20

逆に人との関係が破綻しそうになった時のことを考えてみると新しいヒントがみつかる気がします。



それでもその時残るもの、見えてくるものは何か?
愛着?対抗的魅惑?お互いの望み、正体?恨み?自己愛?犠牲心?.....??etc

そういえば、「愛の領分」という本があったナァ。
実に冴えない話でしたが^^;
題名がよかったですね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

破綻しそうになったときですか。う~ん。寂しいでしょうか。
いろんな人に同じ事を聞いて統計を取れば何か見えてくるかもしれませんね。

お礼日時:2007/11/11 21:17

人の数ほどかたちがあります。


一人の人でも いくつかの場合があるようです。

《「人を好きになる」とはそもそもどういう事なの・・・か》が分からなければ 分からないままでいいことです。
分かったという人は その分かった内容だけでいいことです。ちがった内容もあるでしょうし ひょっとして 他の人と同じような好きになるなり方があるかも分かりません。

つまり定義する必要のないことだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

同じ「好き」という言葉を使ってコミュニケーションが可能という事は何らかの一般性があるはずですよね。その一般性がしりたいんです。

たしかに定義する必要のない事ではあるかもしれませんが、一般性を探ることで、モヤモヤした感情の理解につなげたいと考えてます。

お礼日時:2007/11/11 21:14

私見ですが、人が人を好きになるという現象は、動物としてのヒトの本能的な部分に理由があると思います。



太古において、人類の祖先が自然環境を生き抜くことは並大抵の苦労ではなかったろうと思われます。

そこで人類の祖先は生存率を高めるため、その手段の一つとして社会性を持つに至りました。
具体的には仲間が集まり群れを作ることなのですが、これは厳しい自然を生き抜くにおいて、非常に友好な手段でした。この特性のおかげで人類の祖先は激しい生存競争を勝ち抜いていくことになります。

更に同種の中でも適者生存を繰り返し、より強固な絆で結ばれた群れを作りやすい個体が生き残り、繁栄し、子孫を残しました。そして、その強固な絆を作る原動力こそ、他者を好きになるという感情なのではないでしょうか。その延長線上にある人類にも、その本能が色濃く受け継がれているわけです。

すなわち他者を好きになるという気持ちは、人類が厳しい環境を生き延びるために獲得した本能の中でも、特に社会性を形作る上で重要な役割を果たしたと思われます。

そして異性に対して特に好きという感情を抱くのは、やはり同性にその気持ちを向けるよりも、異性に向けたほうが繁殖繁栄の面で有利だったからに他なりません。

以上からして、人を好きになるという事は「その人と一緒にいたいと思う気持ちの現れ」で、本能的に感じる感情だと言えそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

私も同意見です。この文章を見て自分の考えがより整理できた気がします。

お礼日時:2007/11/11 21:28

 「恋」ということに限定すれば、「相手と共有したくなる」ことのように思います。


 恋をすると、時を共有し、空間を共有し、出来事を共有し、そして人生を共有したくなりますから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

「共有したくなる」ですか。たしかにそうかもしれませんねぇ
共有したくないと思うけど好きというのは思いつきませんし。。。
なるほど。

お礼日時:2007/11/11 20:51

何かをその人に求めていると言うこと。


その何かが表在性のものか、内在性のものであるのかはわかりませんが。
脳がフェロモンを感じ取って、DNAの違いが大きい人を好きだと思う。あるいは魂が共鳴することで好きになる。と諸説ありますが、好きならそれでいいような気も…
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
私個人としては唯物論者なので、魂説は受け入れられません(笑)

>好きならそれでいいような
その「好き」の定義が知りたいのです。どこからどこまでが好きなのか、どうなったら好きといえるのか、何故人を好きになるのか・・・

お礼日時:2007/11/11 20:43

「生きてきてよかった。



私にとっては、そういうところでしょうか。
個人的な感覚ですけれど。。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
生きてきてよかったですか☆好きって感情は人間にとってすごく大事ですもんね。でも人によって当然捉え方は違いますよね。
苦しかったり、楽しかったり。色々な反応がある中での「好き」という言葉にこめられた一般性が知りたいです。

お礼日時:2007/11/11 20:40

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ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む


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