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現代音楽は、みな?おどろおどろしい感じがします。とても大衆一般受けするようなものはありません。専門家でさえ、陶酔するとか感涙にむせぶとかいうことはないと思われます。音楽の本来の目的である、心地よさから離れて現代曲はある。もちろん存在意義は別にあるのでしょうが。

そこで疑問なのは、ポピュラー界には半世紀かもっとか、多少楽器や編集方法の発展はあったにしても、同じ手法で同じものを作り続けているのに、クラシック界では決してそういうことがないのでしょうか?個人的には20世紀初頭くらいの手法でもう完成させてよくて、それ以上のことは追求すべきじゃなかったのではないかと。たとえば、第二「惑星」とかいって、冥王星を抜いた、ホルストが書いた手法と同様な巨大で機能和声非機能和声を折りいれた重厚長大な曲を、もう一度作ってみようという試みは何もないのでしょうか?

金の問題でしょうか?作曲がものすごい労力の割りに、過去の曲ばかりを客はありがたがるため、マーケットとして成り立たないからでしょうか?走行しているうちに、当たり前に当たり前のよい曲を作れるクラシック界の作曲家が消滅したのでしょうか?それとも潜在的にはいて、活動できないのでしょうか?

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A 回答 (13件中1~10件)

現代音楽と大衆の乖離は確かに見られるのは現状だと思います。


しかし、現代音楽が大衆からそっぽを向かれたと捉えるだけでなく、現代音楽に大衆は追いついていかれていないという観点からも検討する必要があるのではないでしょうか。

ここであえて「大衆はバカだから」説を打ち立ててみたいと思います。

ベートーヴェンにせよブラームスにせよ、作曲家が作曲し、それが同時代の人に向けて演奏された時は、間違いなく「現代音楽」でした。
今クラシックの代表格となっている楽曲は、必ずしも初演の時から聴衆に好評を博したものばかりとは限りません。むしろ理解されなかったものの方がほとんどです。
それらは次第に演奏されていくうちに人気が出てきたりして、何度も踏み固められて「古典」となっていったのです。
むしろ初演は大好評だったのに時代と共に忘れ去られた作品なども多いのですから、同時代の聴衆の評価などはアテになりません。
今の時代の現代音楽も、たとえ今評価されないとしても、後に聴衆の感覚が変われば理解されることもあるかもしれません。
まあそのためには、既存の心地よさに対する概念を革命的に変えなければならないので、幾分の啓蒙が必要です。残念なことにそうした啓蒙に乏しいというのが現状かと思います。その点で聴衆の愚かさを一概には責められないところもあります。
今のところは、努力して現代音楽を積極的に聴く人でないと追いつけないものがあるようです。幸いにして録音技術によって、繰り返し聴くことが可能ですから、理解の一助になるはずです。

ところで、音楽で感動するというのは、ある意味で大変に危険なことです。心を動かすわけですから、下手をすれば洗脳、マインドコントロールの働きを持っています。
「大衆はバカ」説によれば、バカだからそれが洗脳だとは気付かない。
一方の現代音楽の作曲家はそのような洗脳音楽を書くつもりはない。
そのようなこともあり、現代音楽は情に訴えるよりも知に訴える音楽の方が多いのではないかな、と思います。
「このような音もアリなのか」「こういうことができるのか!」という知的好奇心を刺激する音楽は、自分から向き合わなければいけないという面倒臭さを押してでも得るものがあるのです。
現代音楽は一種の「禁断の木の実」のようなものなので、それには触れないで他の調性感のある曲を聴き続ける人がいても一向に構わないのですが、音という現象自体を楽しむという姿勢に踏み入ることがないままでしょう。

どんな音も楽しもうと思えば楽しめるのですよ。でも聴覚の狭い人はあるものを雑音と呼んだりします。雑音にも雑音の風流があるし興がある。それを味わい楽しむことができるかできないか。大衆の聴覚の狭さが現代音楽を理解できなくさせているのではないでしょうか。

まあ、仮説ですけどね。参考にどうぞ。
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この回答へのお礼

これ以上はない明快なご回答、ありがとうございます。
すべて納得いたします。
一般的音楽愛好家の現代音楽への代弁として、すごく勇気の湧くお言葉です。

お話の「馬鹿な大衆」は今昔で差があるとは思えませんが、もしこのまま現代音楽が受容される雰囲気がないまま進むとすれば、機能和声は大衆の底上げや経験不足を解消すれば大丈夫だったが、それをこえたものは、ついにその需要の場を持たなかった範囲を超えていたことになります。そしてそれは、製作者側もわかっていて、双方歩み寄ることはできないという現状が続いているのでしょう。

大衆は、新しい刺激を求めない、開発しないからこそ、そういえるのかもしれません。

お礼日時:2007/11/17 19:50

#10です。

再びこんにちは。
お礼ありがとうございました。

クラシックに限らず,ですが,作曲家の創作姿勢と生まれる作品の素晴らしさは独立したものである,と,私は思っています。

私たちが知っているいわゆる「名曲」も,パトロンに気に入られるために作ったもの,大衆受けしてお金を儲けるためのもの,自分の理想の音を純粋に追い求めたもの,これまでにない新たな表現や響きを求めたもの,無心にすらすらっとできちゃったもの,他人のアイディアを拝借したもの,などなど,創作姿勢は一曲一曲それぞれに異なります。

どんな姿勢で作られようと,あるいは,新しい音であろうと使い古された技法によるものであろうと,いいものはいいし,だめなものはだめ。まさに,「神のみぞ知る」ではないかと。

機能和声の新たな可能性とそれと全く違った新たな美しさの可能性の両方があって,作曲家たちはどちらも模索している,あるいは,作曲家は状況に応じて和声的な音楽もそうでない音楽も作れる,というのが,現代においての「健全な」状況であって,大衆が好まないからという理由で新たな技法の可能性を無視することは,新規性がないからといって機能和声(などの伝統的な技法)のさらなる可能性を放棄するのと同様に危ういことではないかと,個人的には思います。

作曲家たちがすべきことは,自分の信じる道を進むことで,受け手たる私たちがその自由を奪ってはならない,と思います。(彼/彼女らが果たして真に自由な創作を行えているかどうかは別の問題ですが)


最後に,ある作曲家さん(日本を代表する現代の作曲家)の公式サイトのURLを挙げておきますので,もしもご興味があれば。(プロフィール,Q&Aあたりが参考になるかと)
この方はこの方なりの信じる道を歩んでいらっしゃいますが,他の道を信じて歩んでいる方もいらっしゃることでしょう。どれが正しい,というものではないと思います。
http://homepage3.nifty.com/t-yoshimatsu/
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この回答へのお礼

再びご回答いただき、ありがとうございます。
まったく納得いたします。
製作者側は、やはり現代の求める芸術館というものに沿っていくしかないという現状なのでしょう。

お礼日時:2007/11/17 19:52

ここまで来てだいぶ話が分かってきましたね・・・



自分なりにも考えてみたのですが、クラシックの作曲家が調性音楽を書けない理由は「ポップスっぽくなるから」ただそれです。だから私もクラシックとして音楽を書くときに機能和声という手段は非常に選ぶにくい。

あと、質問者はまだ機能和声を持ち上げすぎです・・・
旋法(ジャズで言う「モード」)もかなり大衆的な音楽理論ですが・・・
旋法は現代音楽でもまだまだ生きている手法です。機能和声は選びにくいが、旋法ならまだまだ普通に使えます

>ならば、クラシック編成の曲で、機能和声の「新曲」が作り出せないわけがない。

できるかもしれませんが、器楽曲だとかなり難しいです

>その新交響曲は、もちろん大衆に沿った機能和声の曲です。
ポップスっぽくなりそうです・・・私達(専門家)は多分それをクラシックとはみなさないでしょう。
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こんにちは。



質問者さまが思っているような音楽は今でも作られているけれども,現代では一般的にはそれはクラシックではないものに分類されてしまうので,私たちが現在クラシックとよぶ範疇の音楽の中には,結果として,そのような音楽が存在しなくなってしまうのではないか,というのが私の個人的な見解です。

例えば,少し古いですが,ポール・モーリア,リチャード・クレイダーマン,ジョージ・ウィンストンなどのイージーリスニング,J・ウィリアムズの映画音楽,TVドラマやゲームなどで聴かれるクラシック的楽器編成による重厚で華麗な音楽,最近の日本ならば(故)羽田健太郎さんや服部克久/隆之親子などによるクラシック音楽の技法(機能和声)をベースにした音楽,などなど。
こういったものは,質問者さまがおっしゃっているような,マーケティングをもとに,商業ベースに乗せることが前提となっている(多くの人に受け入れられやすいように作られた)音楽ではないかと思います。
こうした音楽は質問者さまの耳にも日常的に入ってきているかと思いますが,一般的には,これらはクラシック音楽とはとらえられていません。

すると,使っている楽器や編成や技法がクラシックのものだからといってクラシック音楽とは言えないならば,一体何を持ってクラシック音楽というのか?・・・という大変な難問にぶつかってしまいます。


・個性や独創性を捨て芸や術(わざ)なく模倣・再生産され消費される音楽に,「芸術としての」価値はあるのか?
・一方で,美しさや感動を忘れ,目新しさだけを求めた奇抜な音響に,「音楽としての」価値はあるのか?
・「芸術的な音楽」と呼ぶに値するものは,現代のような状況の中では一体どうしたら生み出せるのか?


・・・というのは,いささか極端な問いかけではあるし,そもそも音楽を作る/聴くってそんなに小難しいものなの?という疑問もあるかと思いますが,「芸術としての音楽」に向き合う人々(作り手も,受け手も)は,現代ではこうした難しい問題に立ち向かわざるを得ないのではないか,と思っています。
そんな中で,機能和声を用いた音楽・調性音楽の中にも新たな可能性はあるのではないか?・・・という推測(希望)は,実際に勉強している作曲家たちから言わせると,分かっちゃいるけど簡単に実現できるものではないよ,ということかもしれません。


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若干話はそれますが,モーツアルトの晩年の傑作(例えば後期の交響曲やピアノ協奏曲)は,作曲当時はすでに流行遅れで,大して人気は出なかったと聞いたことがあります。
また,ロマン派の時代,大衆的に人気があったのは,他人のオペラの有名な一節を拝借して,耳に心地よくきれいに飾り立てた変奏曲であり,現在ではクラシック音楽としての価値は皆無(というか,作品自体がほとんど消失)といわれています。
あるいは,ラフマニノフという作曲家は,機能和声の可能性がほぼ開拓し尽くされたといわれている20世紀中盤になってもロマン派の作風で曲を作り続け,時代遅れで芸術としての価値はそれほど高くないという評価もあるものの,クラシック愛好家以外にも広く受け入れられやすい音楽であり,音楽として素晴らしいのだから音楽史上や芸術上の価値云々はどうでもよい,という評価もまた受けています。

以上は,作品が持つ新規性や独創性,大衆的な人気,音楽としての素晴らしさ,芸術的な価値,これらの関係はなかなか一筋縄ではいかない,という例として。
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いつの日にか,芸術としての価値と音楽としての素晴らしさ(と,大衆的な人気と商業的な成功)を兼ね備えた現代のモーツアルトが音楽界に降臨する事を期待して待ちましょう。
かなり難しそうですけれども(笑)
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この回答へのお礼

専門的世界で言う「芸術」と、単なる愛好家レヴェルで言う「芸術」と違っているというとだと思います。
つまりは、クラシック界というものが、商業として成り立つために、演奏会の広告に「○○の芸術」などとうそぶいて、内容は専門的に見ればなんの創造性もないというものがはびこっているという事かもしれません。確かに、学問的専門的な観点は、「新しい」もの「発展的な」ものしか、価値を認め得ないという宿命はあります。ポピュラー音楽が発展しないのは、確かにそういう観点からすると「芸術」ではないから。でも、私のレヴェルを含めて多数がそれを「感動」を呼ぶ「芸術」と心では思っている。クラシックの「名曲」もしかりです。一方耳慣れない現代音楽に「感動」できないので(しないのではくできない)それは「芸術」と呼んでいいのか?という違和感を覚えている。つまりは、「感動」「共感」「陶酔」「いい気持ち」という大衆的な欲求と専門家が乖離している。しかし、こういうねじれを続けていると、専門の作曲家でないと、プロ演奏家でも大衆的な感覚を「芸術」と受け入れてしまうことになるのではないかと思います。「名曲」コンサートが大分のウエートを占めるとしたらそんなことになる気もします。

ポピュラーはそれらを商業ベース化し、「芸術」と銘打ちます。その流れは本当に否定すべきものなのだろうか?そもそもなぜ機能和声音楽が、大衆の支持を経て、後に「ポピュラー音楽」という変身を遂げ今日に至っているのか?ヨーロッパの機能和声音楽は、実は人類の普遍性に訴える力を持っていたのではないか?
ポピュラーはあんな単純な理論、編成で過去何万曲か知りませんが生み出してきて、まだ作られ続ける。ならば、クラシック編成の曲で、機能和声の「新曲」が作り出せないわけがない。
最近行きませんが、クラシックの演奏会は、演奏者(団体)○○ということで行く、曲目はまぁ現代作品ばかりでないから行く←クラシック音楽の芸術性と全然向き合っていない。という構図でしょう。

もし、聴衆と生産者側に一体感があるとすれば、
「○○(現代の作曲家)の新曲(交響曲何々とか)
下のほうに小さく(演奏○○交響楽団)」
というようなチラシが作られるでしょう。その新交響曲は、もちろん大衆に沿った機能和声の曲です。

たいへん、参考になるご意見でした。芸術が一筋縄いかない状況がよく分かってきました。

お礼日時:2007/11/13 08:49

#1です。



これまで、#2さんとご質問者さんの度重なるやり取りを拝見してまして一言。

#2さんはご自身の専門的な見解からとても真摯なご意見でまさにその通りだと思います。
ご質問者さんの問題提起は、これもまた一般的に我々も思い当たる節がありごく自然な発想だと思います。

ただ、両者間には若干の世代の違い?と音楽に対する取り組み方の相違が伺えるような気がします。
前者は少しストイック(失礼があったらごめんなさい)でもあり、しかしとても純粋で音楽的に求めておられるものが私などにも何となく理解出来るような気もしますし。
古典のテキスト(原典・楽譜)からも多角的に勉強しておられる様子が文章からも十分に分かります。
後者は音楽愛好家的?見地からご自分なりの音楽観・ポリシーも十分伺えます。若干、五味康祐的?個性的な面がお強いかな?という余地は垣間見えますが(これまた失礼がありましたらすみません)。
いずれにしてもクラシック音楽に対するご自身のお気持ちの深さは甲乙つけ難いと思います。

最後に今一度、私感を述べさせて頂きます。
私自身、いいと思う音楽は中世・ルネッサンス(平均律以前のピタゴラス音律や純正律)~バロック~古典派~ロマン派~国民楽派~近代・現代まで幅広く聴きます。
12音技法等の無調も時に、とても感性に合いますし・・・
重要なのは音楽もそれぞれ、その時代に合ったニーズというものがあり各時代の作曲家たちもそれに対応していったということではないでしょうか?
だから結果として、いくら芸術である純音楽といえどもそれぞれの時代と完成された作品のスタイルとは密接な繋がりがある筈です。
仮に、今、ベートーヴェンやブラームスと同じような曲を作っても「のようなもの」であって習作・模倣としか取られないのでは?よく出来たとしても古今の大作曲家と肩を並べられるでしょうか?新古典主義を掲げる人たちもただ単に古典派の作曲家を模倣しただけでは猿真似であり音楽史には残らないでしょう。常に新しい何かを考えてそれが自分の確固たるスタイルとして確立した時、はじめてコンテンポラリーとして確かな存在意義を見い出すのでは?と思います。

モーツァルトの音楽がとてつもなく凄いのは彼が、それまでの偉大な先人達が完成させた音楽上の様々な決まりごとを忠実に守りながらも、その中に歌心、ドラマ性といった要素を籠めたからだと思います。音楽は本来、屈託無く明るく楽しいものという信条を貫き、しかし晩年の作品群は長調の中に転調を巧みに用い本質的な哀しさが随所に表れています。よく聴くと、師ハイドンの純粋な器楽的音楽に比べて彼の音楽は何か屈折した一筋縄ではいかないものも感じます。(これは後のベートーヴェンも別の意味で然り)しかし、その作品は一切無駄な音が無く、数学的完璧さできちんと形式の中に収まっており、およそ人間が作ったものとは思えません。
昨今の一時的なブームでモーツァルトを聴こうが、音楽に携わる人たちが幾度となく研究し尽くそうが、そんなのは全く問題ではありません。彼のテキストはおよそ強靭で、完璧で、誤魔化しがきかない。そして何より泉の如く湧き出る清涼な美しさ。一見、身近で親しみが湧くけれど、本当は違いおよそ人間の手の届かない遥か遠い存在・・・そんな気がします。
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この回答へのお礼

「芸術」的価値が認められるということは「新しさ」と不可分であるという事が、音楽だけでなく、どの分野にもいえるのかもしれません。ただ、私個人としては、ひとつの可能性が終わらないうちに、あるいは終わる事がないはずなのに、それが時代遅れなものとして排除されてしまうというか、大衆無化というレッテルになってしまうということに、もったいない気がします。温故知新が芸術というものおはあっていいのにと思います。これは、その専門分野においては必須なのかもしれませんが、それによって本来の「感動」から離れるという面も少なからずあります。

こう考えると、ポピュラーの世界(歌謡ロックジャズ)などは、似非芸術であるということ名になってしまうわけですが、「芸術」という言葉の多様性ということかもしれない。

お礼日時:2007/11/13 08:16

何度もすみません


私が何回書くより早いと思われますので、wikipediaより引用します。
とりあえず、まだならすべてに目を通してください
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3% …


大切なところはここだと思います
~そのため一般的なイメージとして「聞きにくい」、「わけがわからない」などネガティブなものが多く、好んでこれらの音楽を聴く層はある程度限られる。
→質問者が危惧しておられるとおりです

~作曲家たちもまた、それらの知性の積み重ねと進歩に対して自らの新しいメッセージを付加すべく新たな音楽を開拓し発信していくことで、それらの文化的あるいは経済的な支援や聴衆の期待に応えている。聴衆の期待に応えるということは決して聴衆の好みに合わせて作風を曲げたり必要以上にわかりやすすぎる音楽を作るということではなく、作曲を通しての知性への問題提起という行為によって果たされるのである。
→これがすべての答えです



これで分かっていただけたでしょうか?
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この回答へのお礼

この記述でまたよく分かりました。
今回はたいへんお世話様でした。

お礼日時:2007/11/13 07:30

ここまで来て言いたいことは分かってきました。


「社会的制約」ということについて書きます。
間違えてもらいたくないのは、今でも調性音楽を書いてもいいということです。書いてはいけないとは誰も言ってません。
合唱曲などに、今でも調性があって機能和声でかかれた作品がいっぱいありますし、ヒーリング音楽っぽくなりますが、旋法などでそれっぽくしたクラシック音楽も在りますね。

そう、別に書きたければ書いてもいいのです。たまにあった方がおもしろいし、調性は音楽の書き方の一手段としてあるのです。
ただそればかりではおもしろくない。だから10曲書くとしたら途中にちょっと調性的な曲があって、無調があって、いろいろバリエーションがあるほうが作品として面白い。
調性、機能和声で書かれた音楽は現代にもいっぱいあります。


私は、今の大学に入学してすぐ先生のところに曲を持っていって、それはベートーヴェンみたいな曲を持っていきました。初めのうちはそれでいいし、十分先生も誉めてくれました。でも同じ曲ばかり書いていては音大にいる意味なんかありません。
作曲科というのは「次はモダンなのを書こう」「独創的な曲を書こう」という音楽の追求の4年間です。
私の先生も言っていましたがわざわざ音大の作曲科に入っていながらいつまでもシューマンとかブラームスとか言ってるのは、もったいないことです。

作曲科の学生には独創的な作品を書くことが求められています。
私の先生は「楽譜を見てあっと驚くような、誰も考え付かないような曲を書いて欲しい」と言われました。
作曲も学内外にコンクールがありますが、すごいですよ?
独創的であっと驚くような作品ばかりです。

大学を卒業して作曲家として社会的ステータスがつくと、「次は○○氏はどんな曲を書いてくれるのか?」という期待を背負って作曲をします。そこでどこかで聞いたことあるようなありきたりの曲を書いたらどうなりますか?期待はずれです。

別に書いてはいけないことはありません。「私は調性音楽が書きたい」という固い意思があればどんな評価にも屈しないでしょう。でも、商業音楽が一般大衆の求めるものを目指すのと同じように、芸術音楽も芸術家として求められるものを書きます。自分の芸術性を、個性を主張します。そうやって生きていくのが芸術家です。

大衆にまったくこびるなとは言いませんが、
ただ無意味に大衆にこびるだけになったら芸術家は終わりです。

>21世紀の日本の「大衆」が求めているのは、とっくに死んだ作曲家たちの有名な旋律が出てくる曲じゃないでしょうか?

大衆の求めるものを目指すならそれは「大衆音楽」でお願いします。ポップスの作曲家が既にいっぱいやってくれています。十分ではないですか?これはクラシックです。分野が違う音楽です

あと、質問者さんは幾度とモーツァルトの例を出されていますが、私の考えですと、モーツァルトの音楽を安っぽいヒーリングやBGMとして宣伝に垂れ流す日本の現代社会の方が間違っていると思います。
「頭がよくなる」とか根拠もないような文句でやたら安っぽく上げられています。これでは一般大衆の音楽的レベルが落ちていくだけです。私はこっちの方が心配です

モーツァルトの音楽はそんなに軽いものではない、もっともっと偉大なものです。現代音楽の視点から見ても、モーツァルトの音楽は本当に神のような存在です。

現代音楽はモーツァルトと全く離れたところに存在しているわけではありません。現代作曲家たちも確実にモーツァルトを意識して曲を書いています。そうやって音楽の流れは続いているのです。



とりあえず、ここでの結論は


ただ無意味に大衆にこびるだけになったら芸術家は終わりです。
ということです。
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この回答へのお礼

専門的な立場、状況という事についてよく分かりました。それがそもそもの質問のダイレクトなご回答でした。これで、この質問を閉じてもよくなったのですが、たいへんおもしろい頭の状況になってきたので、もう少し書かせてもらうことにします。
大衆というか、私も含めたクラシック「愛好家」の状況は、ご存知の通り、現代音楽が並んだ演奏会には進んでいかない状況です。つまり、音楽に求めるものが専門家と違う。いわば、センチメンタリズムとか機能和声に慣らされた頭の受け入れる範囲内での陶酔というかそういうものを求める。さらには、「演奏者」そのものを聴きに行き、演奏曲はどうでもいい(まで行かないかもしれないが)などという、ご回答者さんにとって許しがたい?状況にあります。それなりの「受け」る曲を組みますよね。
つまり、乖離現象ですね。
芸術と大衆、それがなにか変なねじれ方をしているというのが、クラシック界にあると思います。

現代美術は音楽に比べ、受け入れるのがすんなり行っている気がします。

お礼日時:2007/11/13 07:28

再び♯2です



とにかく質問者様は
「音楽の本来の目的が心地よさである」とか
「機能和声が人間の本能」だとか
音楽に対する無知をこのカテでアピールしてしまっています…
西洋や先進諸国が世界の中心ではありません。18世紀頃のヨーロッパが文化の全てではありません。
そのような発想では「一般客に合わせる・・・」と仰られている質問者こそ、世界の人々に取り残されます…。

♯5の方の意見は大方正しいです。
「モーツァルトのような曲はモーツァルトが二百何十年前に作曲したので今更つくる余地がない」てところです。

間違いないようにしていただきたいのは現代のクラシックの作曲家でも、勉強段階で古典派のソナタの書法などは嫌と言うほど勉強しています。
書こうと思えば調性で機能和声でソナタ形式を用いてハイドンのソナタのような曲を書く能力は皆持っています。
書こうと思えば書けますよ?あなたが望むなら私は今からあなたの為にモーツァルトの真似をして1曲差し上げましょうか?できますよ

しかし、公の場でこういう曲を書くことは「クラシック音楽の作曲家」である以上はどうしても社会的にできないのです。
何故今更になって200年も前のヨーロッパの人がやったことと同じことをわざわざする必要があるのか?ここは21世紀の日本です。
質問者の言葉を借りるなら「21世紀の日本が求めている芸術音楽のニーズ」にそぐわない音楽は作れません。


質問者様は作曲家の立場になって考えてみられてはいかがでしょうか?
あと、最低限の勉強はしてください。

この回答への補足

no.4での回答は、あまり上手くできないし、残念ながら読解力の限界から質問の意図も察しかねるので、私のお礼文の中にちりばめてある要素で組んでいただきたい。大体ご質問の意図に沿う内容はあるつもりでいます。

補足日時:2007/11/11 00:11
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この回答へのお礼

インド音楽も沖縄音楽も雅楽もいいですが、ディーゼル洗濯機とか石炭自動車とかはやらない。たとえが適当でないということなら、以後とか将棋とかばかりはやって、昔の双六とかなにかがはやらず、競馬も古代の馬車レースなどがなく、イタ飯ははやったがイギリス料理などはやらない。つまり、世の中の価値観はゆがんでおりまして、そのゆがみに同調しないと商売にならないわけです。クラシックのコンサートもそのとおりのなっているわけで、現代作品のよさをいくらわかっている人がアピールしてもだめなわけです。なぜ、売れる作品を作ろうとしないのかということです。モーツアルトのような曲は再現することができると回答者さん自身が言っております。21世紀の日本の「大衆」が求めているのは、とっくに死んだ作曲家たちの有名な旋律が出てくる曲じゃないでしょうか?
どういう社会的制約なのか、それがわからないところです。

お礼日時:2007/11/10 23:45

しろうとの感想ですが、


芸術家にとって、最も恥ずべきことは「過去の作品に似ている」と言われることです。ブラームスが「ベートーベンに似ている」と言われて激怒した、ということもうなずけます。
心地よい音楽は、すでに多くの作曲家が手がけてしまっていて、なかなか新しい境地が開きにくいのです。もし、現代の作曲家に「モーツァルトのような曲を作って」と言えば、「それじゃモーツァルトを聞けばいい」と答えるでしょう。
ポピュラー音楽の世界で、似たような曲が次から次へと出てくるのは、作曲家が「恥知らず」だからです。
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この回答へのお礼

そうなんですか?似ていることがそんなに悪いのか。そういう感覚がよくわかりません。それは聴く人の耳が悪いからなんじゃないでしょうか。心地よい音楽の可能性は、まだまだ中途で投げ出されてしまったんじゃないでしょうか?モーツァルトのようなしかし現代の曲というのは実に興味ありますね。私は、似たものの繰り返しで、しかし決して同じではないということに、非常に共感します。俳句とか定型詩みたいじゃないでしょうか?しかし、現代の味わいがいやでも出てくるはず。

お礼日時:2007/11/10 23:37

♯2です


>客に合わせるという、一種の堕落がありますが、同時に美しいと感じる人間の本能にこびるという協調性もあります。

機能和声を美しいと感じるのは人間の本能ではありません。質問者様はアフリカや東南アジアの民族音楽を聴いたことがありますか?彼らには和声という概念はありません。その代わり複雑なリズムの体系を持っています。またクラシック音楽の直接の起源とされるグレゴリオ聖歌はどのような和声観を持っていたか知っていますか?すべて平行5度か平行4度です。なぜならばそれが最もはもるからです。機能和声は世界に無数にある音楽の体系のうちの一つに過ぎません。では何故機能和声は世界に広がったか。それは簡単です。楽譜の出版や理論の文字化など、世界中に広がるすべを持っていたからです。それは世界に恩恵をもたらしました。しかし弊害ももたらしたように思います。

私が危惧するのは、現代人がなぜもこう機能和声にどっぷり浸かってしまったのか?学校で習って歌う曲はほとんど機能和声です。音楽を学ぶとき機能和声から入ります。猫も杓子も機能和声。それが現代の音楽教育の弊害だと思います。

武満徹という作曲家は当然知っていますよね?彼もそのことを危惧した一人です。彼の音楽はどこまでも瞑想的でグローバルで全世界を包む力を持っています。
あなたが同じ手法で量産された商業音楽を聴いているとき、アフリカの先住民族は太鼓のリズムで歌い、踊っています。もっと世界中のさまざまな音に注目しなければいけないと思うのです。


>そこに一種の魅力とマーケッティングの可能性があります。創造性を放棄することです。

マーケティングって…それは商業用語でしょうが…
それを追求したいのならば商業音楽という確立された分野があるでしょうが…
創造性の放棄って…芸術家に死ねというのですか…?スポーツ選手に「勝利を狙うな」と言っているのと同じですよ…

>ポップス音楽の心地よさを、どうしてクラシック編成の新曲にしてはならないのか?

それはポップスだからです。では聞きます。ジャズの新曲になぜポップスを演奏してはいけないのですか?サッカーの試合をするのになぜ野球をしてはいけないのですか?答えてください。

>「心地よさ」こそマーケッティングの基本です。
ソースを示してください。あと、マーケティングは商業用語だってさっきも言ったはず…

私の通う大学は作曲科が2つあり一つは「芸術音楽コース」ともう一つは「映画放送音楽コース」です。この2つは勉強することがまったく違い、2つのコースが出会うことも共同作業をすることもありません。
今の世の中は音楽は二つの分野に分かれるのです。
ドイツ語ではは芸術音楽を「まじめな音楽“Ernste Musik(E-Musik)”」とし、娯楽音楽を“Unterhaltungsmusik(U-Musik)”という風に分けています。しかしどちらにも属さないような性格の曲もありますからドイツの作曲家、アンリ・プスールの作品に「E-Musik?それともU-Musik?」という題名の曲を作ってしまったほどです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3% …




とにかく質問者様が望まれるようなポップスとクラシックの混同はこの世の中において、近づくことはあっても明確に分野として分けられている以上、そういうものだと受け入れるしかありません。残念ながらそうしてください

ちなみに私は現代音楽を心地よく感じます。一度音大にでも足を踏み入れてはいかがでしょうか?演奏家も作曲家も現代音楽を表現する気満々です!

この回答への補足

お礼は後に書きますが、ほぼ明らかなことは、クラシック編成の演奏会が商業として成り立つためには、過去の作家作品をつれてこなくては成り立たないであろうということです。そこが、大衆アマチュアの歪曲された偏った(偏らせられた)限界なのでしょう。

補足日時:2007/11/09 17:27
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この回答へのお礼

ポピュラー音楽の姿勢というものも、ある程度正しいのではないかということは言えないんでしょうか。クラシックにしても、大衆が好むものを焼きなおす可能性はいくらでもある。

わるいですが、機能和声から外れたものを美しいと思う人は、クラシックを聴く人の中でも非常に少数派ですね。慣らされているということはたぶんにあるでしょう。そして、啓蒙心を持って、現代の作曲家は活動する。しかし、一向に一般の支持は得られない。

こんなことは音楽の世界だけではないわけで、ドラマやら映画やら文学やら芸術分野でいくらでも大衆にこびる事が行われている。しかし、クラシック音楽はなぜ、その可能性を追わないのか?まだまだ、機能和声の範疇でなされなかった印象的な曲ができるはずなのです。

なぜクラシック音楽は、堕落を容認しないのかということです。

お礼日時:2007/11/10 23:34

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