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仏教には、キリスト教の「洗礼」に当たる入信の儀式がなく、誰でも望めば仏教信者としてふるまうことができると思いますが、キリスト教の「ミサ」や「礼拝」に当たる定例行事も少なく(私は「坐禅会」に参加していましたが)、日常的にお寺に接することが少ないために、葬式などの時以外、普段の生活ではなかなか信仰を意識する機会がないと思います。
実際、若者で、自分は仏教に興味があるという人にはほとんどお目にかかったことがありませんし、仏教関係の集まるに行っても、参加しておられるのは、年配の方ばかりです。

又、お寺さんが管理している「檀家」の構成員も若い者はほとんど都会に出て、核家族を作っていますから、地方の寺を守り立てる檀家は衰退の一途をたどっていると思います。

このような隙間を埋めるように、「創価学会」、「立正佼成会」、「真如苑」などの仏教系の新宗教は、組織的活動を強化し、老若男女を問わず、集客に励んでいるように見受けられます。

お寺を預かる和尚さん方や、仏教関係者の皆さんは、このような現状と未来をどうみているのでしょうか?
何か、若者や都会の各家族を捉える施策やイベントは考えておられないのでしょうか?
「檀家制度」や「葬式仏教」からの脱却、ネットの活用や一般マスコミへの浸透策などについて、考えておられることがあったらご教示ください。

尚、この質問は、日本における仏教の将来は?http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3504585.html の続編として位置付けています。
その時は、あまり専門家の方のお話を伺えなかったので、今度はよろしくお願いします。
勿論、どなたからの回答も歓迎します。

gooドクター

A 回答 (5件)

 私はどちらかといえば教義のほうが専門で、社会科学的な立場は専門ではありませんが、避けて通ることは出来ないように思い少し文章をまとめさせていただきます。



>>仏教には、キリスト教の「洗礼」に当たる入信の儀式がなく、誰でも望めば仏教信者としてふるまうことができると思いますが、キリスト教の「ミサ」や「礼拝」に当たる定例行事も少なく(私は「坐禅会」に参加していましたが)、日常的にお寺に接することが少ないために、葬式などの時以外、普段の生活ではなかなか信仰を意識する機会がないと思います。
 こういった入信の儀式というものがないわけではありません。私は浄土教系の宗派を信仰していますが、そういった入信の儀式を「帰敬式(ききょうしき)」と呼ばれています。本来は本山や別院に出向いて受ける儀式ですが、浄土真宗の大谷派では多くの寺院で気軽に受けることが出来るようになっているようです。
 また、定例行事に関してはそれぞれのお寺で月に何度か「お説教の会」や禅宗さんであれば「座禅の会」浄土系であれば「念仏講」が行われていると思いますよ。大きな法要ということであれば「花祭り」「お盆」「お彼岸」「それぞれの宗派の祖師のご命日の法要」等々年間行事を上げていけば結構ありますよ。

>>実際、若者で、自分は仏教に興味があるという人にはほとんどお目にかかったことがありませんし、仏教関係の集まるに行っても、参加しておられるのは、年配の方ばかりです。
又、お寺さんが管理している「檀家」の構成員も若い者はほとんど都会に出て、核家族を作っていますから、地方の寺を守り立てる檀家は衰退の一途をたどっていると思います。
 ご指摘の通りであると思います。こういった問題に関しては、仏教は「自覚の宗教」と呼ばれることがあるそうですが、ここにネックがあるようにも思います。「自覚の宗教」というのは、「自分自身で問題意識を持って取り組まなければ意味がない宗教」とでも言えばよいでしょうか。こういった、仏教関係の行事に参加することは仏教者の義務ではありません。しかし、キリスト教さんはミサに参加したりすることは義務に近い強制力を持っていると思います。
>>このような隙間を埋めるように、「創価学会」、「立正佼成会」、「真如苑」などの仏教系の新宗教は、組織的活動を強化し、老若男女を問わず、集客に励んでいるように見受けられます。
また、ご指摘にあるような宗教団体の中にも、義務に近い強制力を持って人を集めていらっしゃるところもあるようです。
 勧誘ということにおいても同じようなことが言えるかもしれません。私が信仰している浄土教においては「自信教人信(じしんきょうにんしん)」善導大師のお言葉にあります。「自らが阿弥陀仏を信じ、そして自分自身が信じる姿をもって他の方々に阿弥陀仏の教えて信じていただこう」という布教法です。こういった布教法は浄土教に限ったことではなく、仏教各宗派全体にも言える「自覚の宗教」であるが故の布教法であると思います。しかし、現在仏教を基盤とした新興宗教の中においては過激な勧誘によって被害を受けた方もなかりいらっしゃるようです。そして、そういった過激な勧誘をよしとする宗教の中においては、幾人か勧誘すると宗教的身分が上がるというようなことを言うところもあるようです。また、宗教的身分で言えば子供にテストを受けさ良い成績を修めたり、研修を受けさせたりすると親身分が上がるという制度のあるところがあるようです。話しがそれましたが、そういった勧誘を全ての仏教がよしとしているわけではありません。あくまで、仏教の布教法は勧誘ではなく共感という優しい布教法のはずです。しかもそれは、自分以外の誰かがやったことによって身分が上がるということもない様に思います。
 しかし、これは逆の言い方をすれば非常に厳しい布教法です。強制や義務がないということは、自発的なものでなくてはならないということです。もちろん、私たち仏教を信仰する者は、そういった自発的な心を起こしていただけるよう努力は出来ますが、起こすかどうかは最終的な判断は相手次第です。これは「自覚の宗教」の厳しさであるようにも思います。ご年配の方が多いのは、生老病死という人間の持つ苦しみと向き合うという仏教的な叙情のようなものを自発的に感じておられるからだと思います。

>>お寺を預かる和尚さん方や、仏教関係者の皆さんは、このような現状と未来をどうみているのでしょうか?何か、若者や都会の各家族を捉える施策やイベントは考えておられないのでしょうか?「檀家制度」や「葬式仏教」からの脱却、ネットの活用や一般マスコミへの浸透策などについて、考えておられることがあったらご教示ください。
 私は仏教であるない関係なく、まずはお寺のある場所を認知していただくことが大切あると思います。土地の名前でも、「~寺」や「寺町」などの名前があるように、寺はランドマークの役割の一端を果たしていたと思います。
 また、「あのお寺はまた面白いことをやってるぞ」説きたくなる寺を造ることも大切です。そもそも、落語や浪花節、浪曲などの講座ものの話芸はお坊さんのお説教からの分派です。そういった意味で有名なのは、落語の祖浄土宗の安楽庵策伝、浄土真宗の節談説教などが挙げられます。つまり、お坊さんはエンターティナーであり、お寺はイベント会場の役割を持っていたわけです。
 ですから現在、一部のお寺では寄席や美術展をひらいたり、寺の敷地内で高齢者向けのパソコン教室などのカルチャースクールなども行われています。またお坊さんのなかにはボーズバーなどのお店を開いたり、本山の中にカフェを設置したりしているところもあるようです。徐々にではありますが、こういった「人に来ていただける寺」「人が来やすい寺」を作っていこうとするお寺が増えているようです。

 しかし、これも知る人ぞ知るどまりです。ネットやマスコミなどによる浸透策はあまり熱心ではありません。私の個人的な意見かもしれませんが、お寺がマスコミやネットにあまり出たがらないのは日本人が固有に持つ宗教者への固定観念にその要因があるようです。これは「お寺のお坊さんはそんな仕事しないでほしい」というものです。日本人は古来から宗教者への聖性を持っています。日本の民間信仰の中において、神と交流できる者は厳しい自己抑制のすえになされるというような信仰です。しかも、それはムラの当番制で回ってくるものでありました。私の知る限りでは、田畑を耕すという普段の生活をしながら、食事制限や睡眠制限などを三年間行うというようなものもあります。しかし、そんなこと誰もやりたくありません。だからこそ、それを専門で行う職が作られていったのだと思われます。つまり日本には古来から宗教者は厳しい修行や苦行をしていなくてはならない、自分たちとは違っていなくてはならないというものがあるようです。
 しかし仏教においてお釈迦様は「中道」をとかれ厳しい修行や苦行には反対でしたが、西域、中国、朝鮮半島を経由して来るうちに、修行法がいろいろ整備され厳しい修行も復活していきます。その厳しい修行に日本人は飛びつきます。そういった厳しい修行に反対し念仏を説いた法然、親鸞、一遍などの浄土教の祖師たちがいても、日蓮が題目一行を説いても、未だに日本人の大半はお坊さんは厳しい修行をしていると思い込んでいます。その心は「自分は厳しい修行はしたくないけど、宗教者は厳しい修行をしていてほしい」という日本人が古来より持っていた民間信仰の心から日本人が脱却できていないことを示しています。まず、そういった固定観念を取り除かなくては、ネットやテレビラジオなどのマスコミという、ひざを突き合わせて話し合うことが出来ないものを使う危うさを仏教者は感じているようにも思います。
 
 また、ご指摘の中にあるように檀家制や葬式仏教という言葉は批判的な意見で用いられますが、これは日本仏教の一つの文化体系ということも出来ると思います。この葬式仏教は変化し続ける仏教のなかでも、他の国では見ることがない日本独自の仏教進化の一つの形です。
 葬式仏教の始まりは奈良時代までさかのぼることができ、756年聖武天皇の葬儀において、陵墓に向う行列の組み方のみのようですが中国仏教における葬儀形式が採用されています。天皇の中で仏教の受戒が流行すると、葬儀がより仏教色が強くなっていったようです。また、一般の庶民はどうかといえば、平安末期随筆家鴨長明は『方丈記』のなかで、飢饉や天災・疫病で鴨川には死体がいっぱいであったと描かれています。こういった死体の処理をしていたのが、私度僧とよばれるもぐりのお坊さんたちです。こういった死体を集めて燃やしながら、念仏を称えたりお経を読んだりしていたようです。中世においては代表的なのは菅原道真ですが、時として死者は生者に害をなし、それを抑止することが葬式仏教の役割でもありました。江戸時代に入れば制度的に生死の記述をを管理する戸籍の役割として葬式仏教が取り込まれました。つまり、日本仏教の歴史の大半は葬式仏教と付き合いがあるわけです。
 しかし、今のままでいいと思っているわけではありません。今日の葬式は仏教はしばせば惰性的な儀式として、ただの寺院の収入源になっています。前述の通り、中世や江戸時代では、葬式仏教の役割が変わっているように、現代における葬式仏教もその意味を変えていく必要があると思います。日本においては葬式仏教という長い歴史を持っている。それは、葬式というイニシエーションをつかさどる力であると思います。「イニシエーション」とは宗教的な意味の要素も強く、オウム事件においてあまりいい印象のある言葉ではありませんが、分かりやすく言えば「心の方向転換」という意味なんだそうです。成人式なんかもイニシエーションの一種のようです。つまり葬式仏教の持っているものとは、愛する人を亡くした悲しみの心からの方向転換を助ける知識の集積であると思います。陰気くさいめんどくさい無意味な金儲け主義の葬式仏教から、やってよかったと思っていただけるような葬式仏教への転換をはからなくてはいけないのだと思っています。宗教を問わず葬儀というイニシエーションは、仏様や神様故人ご先祖様との接点であるということが日本人にしみこんでいるように思います。残された方々にとって「非常に良かったなぁ」と思っていただける葬式であり、また仏様の教えに興味をもってもらえたならばとても喜ばしいことですし、充分に意味がある「葬式仏教」になると思います。
 このような充分に意味のある葬式仏教とはどのようなものであるか私も模索中ではありますが、日本仏教には千数百年という知識の集積があり、その中から新しいものが生まれてくる可能性はまだまだ見出せるように思います。

 ただ、お寺もoozora2000さんのおっしゃるような、努力を怠っているわけではありません。仏教内部の保守派からの批判、外部からの批判、経済的地理的な問題、そういったものと折り合いを付けながら、多くのお寺が自分のお寺に合わせた努力はしています。まだまだ、始まったばかりなのかもしれませんが、成果を上げているお寺もあるようです。こういったことが、既成仏教これからの課題であるとお寺自身も認識しています。守っていくことと、新しいことを生み出していくことは、矛盾するものではなく助成しあっていくものだと思います。私も微力ながら努力させていただいています。もう少し、見守っていただけるとありがたく思います。

長々えらそうに書き連ねましたが、お答えになっていませんね。申し訳ないです。どうぞ、文意を読み取っていただきたく思います。
 合掌 南無阿弥陀佛

この回答への補足

お礼欄だけでは字数制限で書ききれないので、ここから書き始めます。

懇切丁寧なご回答恐れ入ります。
キリスト教の「ミサ」や「礼拝」にある程度強制力があるのに比べ、仏教が「自覚の宗教」と呼ばれていることに問題があるかもしれない、というご指摘はありうるかもしれませんね。

「仏教の布教法は勧誘ではなく共感という優しい布教法のはずです。」というご指摘も納得です。

落語や浪花節、浪曲などの講座ものの話芸がお坊さんのお説教から来ており、お坊さんはエンターティナーであり、お寺はイベント会場の役割を持っていたわけだとすれば、もう少しこういった芸能に出て行くのも手かもしれませんね。
ボーズバーやカフェを開いて庶民の忌憚のない話の聞き役になって頂くのも有難いですね。カトリックでもそういう神父様がおられます。
→ http://www.epopee.co.jp/neyrand.html
「人に来ていただける寺」「人が来やすい寺」を作っていこうとする地道な努力は必要だと思います。
しかし、宗教者への固定観念(お寺のお坊さんはそんな仕事しないでほしい)も根強いのは確かですよね。宗教者には、孤峰のようにそびえ立っていて、崇めるような存在であってほしい、宗教者は厳しい修行や苦行をしていなくてはならない、自分たちとは違っていなくてはならないという願望も確かにあると思います。 (宗教者が自分たちがやりたくない、やれない厳しい修行を専門でやってくれる職として形成されて行ったという説、それからお釈迦さまがそのような難行苦行に実は反対だったという話は「目からうろこ」です。)

でも宗教家は生き神様ではなく、神様と人間を橋渡しする方々ですから、良寛さんや一休さんのように、とっつきやすく、子供と戯れる慈父のような存在であってもらいたいというのはありますよね。

仏教系の新宗教はいずれも積極的に、義務に近い強制力を持って人を集めている面があり、確かに信徒は増えているのでしょうが、それによってトラブルも避けられないと思います。
(お礼欄へつづく)

補足日時:2007/11/30 23:19
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この回答へのお礼

キリスト教が、人間の誕生や結婚などの若い段階で、信者を囲いこもうとしたのに対して、仏教は人間の死の段階で「葬式仏教」という形式で、「檀家」にかかわろうとしたのはよく理解できます。 いずれのイベントも「イニシエーション」(「心の方向転換」)になりうる人生の大きなイベントであり、そのようなイベントのイニシアチブを取ることによって、宗教の有難さ、重要さを訴えようとしたことは当然だと思います。ただ、もう少し葬式だけでなく、人生の色々なイベントにもかかわろうとするバリエーションがあってもいいのではないかと思うのです。
キリスト教では、結婚式、葬式の他にも成人式や七五三、敬老の日などのイベントを積極的に行事に取り込み、お祝をしていますよ。

人間はなかなか気づかないものです。又仮想的な優越感もあり、宗教のような一見「不確かな存在」はなかなか認めようとしないと思います。このような存在に対して「自覚の宗教」という方向からではなかなか気づかせることが至難の業だと思います。年配になって漸く、生老病死という人間の持つ苦しみと向き合うという仏教的な叙情のようなものを自発的に感じられるようになるというのは事実でしょうね。
しかし、出来ればもっと早い段階で、キリスト教のように、華やかな結婚式や、欧米(キリスト教)文化のようなエサ(言葉は悪いですが)で若者の心を釣るのも一案かと思います。

個々の寺院が、住職さんの才覚、アイディア次第で、色々な工夫や努力をされていることは見聞きしています。音楽ライブを誘致したり、ネットを充実させたり、幼稚園経営や慈善活動などを通して、社会との接点を求めておられることも承知しております。
ただ弱いと感じるのは、個々の寺院が独立した宗教法人となっていて、同じ宗派ましてや仏教全体としてあまり連携が図られていないように感じられることです。(カトリックの場合は、個々の教会で宗教法人になっていることはなく、もう少し大きい組織でなっていると思います。)個々の独立性、個性を尊重しながらも、宗派内でもっと結束し、統一して大きな行動に出ることも必要と考えます。
長々と自説を述べたて失礼しました。
又、ご指導頂ければ有難いです。

P.S. 明日は久しぶりに坐禅会に参加します。心の平安を得て来たいと思います。

お礼日時:2007/11/30 23:18

 お返事が遅くなって、申し訳ありません。

お礼の中に質問事項が含まれていましたので、少しお話させていただきます。

>>落語や浪花節、浪曲などの講座ものの話芸がお坊さんのお説教から来ており、お坊さんはエンターティナーであり、お寺はイベント会場の役割を持っていたわけだとすれば、もう少しこういった芸能に出て行くのも手かもしれませんね。
 こういったことに関してはすでに、浄土真宗系が派閥問わずに取り組み始めています。それが、「節談説教」というものです。俳優の小沢昭一さんや浄土真宗のお寺に生まれ元放送作家でタレントやエッセイストの永六輔さんの呼びかけによって「伝統芸能」としての節談の復興が叫ばれ、それに共鳴し浄土真宗は宗派をあげて「布教」としての節談の復興に取り組んでいます。

>>宗教者が自分たちがやりたくない、やれない厳しい修行を専門でやってくれる職として形成されて行ったという説、
 これはあくまで日本における宗教者の聖性ということの一考察です。しかし、現代人はいまだに宗教者に聖性と言うものを求める心は消えませんね。多分日本人の6~8割くらいはお坊さんが滝に打たれたことがあると思っていると思いますよ。そんなことはないんですけどね。
>>それからお釈迦さまがそのような難行苦行に実は反対だったという話は「目からうろこ」です。
 大まかに説明しますと、お釈迦様は王位を捨て出家した後に何人かの師匠につきますが、全て理解はできるものの真の悟りとは違うとお感じになり、師につくことをやめ一人修行法を模索し始めます。そして出家して6年、食事制限、絶食等々の苦行し続けました。しかし、苦行はいたずらに心と体を痛めつけるだけで、人生の根本的な問題である「苦」の解決にはならないとお気づきになり難行苦行を捨てられたといわれています。その後、村娘スジャータの乳がゆの布施を受けます。気力体力ともに回復したお釈迦様は、菩提樹の下で49日間の瞑想の後に悟りを開かれたそうです。
 このような、苦行を捨て快楽を捨て境地を「中道」と呼びます。この中道については、
「琵琶の糸はきりりと締めればぷつり切れ、さりとて緩めればべろんべろん」琵琶の糸は締めすぎれば切れてしまうし、切れてしまうからといって緩めすぎればべろんべろんでいい音は出ません。丁度善いところにあるからこそ、琵琶は良い音色を出すことが出来るのです。
という歌で言われます。いつでもどこでも誰にでも、丁度よいところを探るのが仏教の真理であるのかもしれません。

>>でも宗教家は生き神様ではなく、神様と人間を橋渡しする方々ですから、良寛さんや一休さんのように、とっつきやすく、子供と戯れる慈父のような存在であってもらいたいというのはありますよね。
 私もそのように思います。しかし、一休さんにしても奇僧であり、良寛さんもその部類にはいります。二人ともお酒が大好きで、いろんな方と杯を酌み交わしたといわれます。こういった話は憧れを抱きますが、ずいぶん美化もあるように思います。わたしもお酒は大好物でして、在家の仏教好きの方々と飲み交わす機会をなるべく持つようにしています。それでも、そういった場で飲んでいると、他のお客さんからは「なんでいるの??」「お酒飲んでもいいの?」という声がいまだに聞かれます。一休さんや良寛さんの時代の反発はもっと大きかったと思われます。
 こういった話をするとき私が思うことは、私一人がそういったことで、迫害を受け犠牲になるなら堪えられるかもしれません。でも、家族親戚にまで迷惑をかけるかもしれない。または、お檀家の方々にも迷惑をかけるかもしれない。それでもそれがつらぬけるか?? 私ははっきりいってそれが出来るほど強い人間ではありません。自分の弱さは私自身が一番知っています。それでも、法然上人が説き、親鸞聖人が身をもって示して下さった「どんな愚か者でも救われる仏教がある」ということを、私自身が愚かさを包み隠さずさらけ出すことで身をもって示していかなくてはいけないと思っています。小さな抵抗かもしれませんが、居酒屋での仏教談義も数人の方々は楽しみにしてくださっているようですから続けていこうかとも思います。まぁ、何より私が飲むのが好きなだけですかでね。

>>ただ、もう少し葬式だけでなく、人生の色々なイベントにもかかわろうとするバリエーションがあってもいいのではないかと思うのです。キリスト教では、結婚式、葬式の他にも成人式や七五三、敬老の日などのイベントを積極的に行事に取り込み、お祝をしていますよ。
 そういうことでしたら仏教も、成人式、七五三、結婚式、大歓迎ですよ。初詣ということでも、お寺では少なくとも三が日はお正月の法要はどこのお寺でも時間は違うでしょうが営まれているはずです。最近は仏式の結婚式(ちなみに天皇家は明治維新以前は仏式の結婚式だったようです)が見直されてきているようですし、お檀家を集めた忘年会新年会のような行事も行っております。前回答は「葬式仏教」ということの再構成ということであって、他の行事等々でかかわっていくことをやめるべきということではありません。あくまで、仏教に出会うきっかけは何でも良いのではないかということです、七五三でもいいですし、初詣でも良いですし、定例の法話会でもいい、そしてお葬式でもいいということです。ですから、葬式や法事といった収入になる以外の行事も、大いに力を入れていく必要はあると思いますし、収入度返しで無料のイベントを開催しているお寺さんも多くあります。

>>出来ればもっと早い段階で、キリスト教のように、華やかな結婚式や、欧米(キリスト教)文化のようなエサ(言葉は悪いですが)で若者の心を釣るのも一案かと思います。
 そうですね、おっしゃるとおりです。浄土真宗の蓮如聖人は「わかきとき、仏法はたしなめと候。」とおしゃっております。まえに結婚式について少しお話しましたが、仏式の結婚式もずいぶんキリスト教的なものを取り入れ始めています。流れるのは賛美歌ではなくお経ですが、ウエディングドレスでもかまわないようですし、施設もご本尊がキリストさんか仏さんかの違いであって見分けがつかないところもあるようです。
 ただ、私は気をつけなければないらないと思うのは、そこだけで終わらない工夫です。いままで、多くのイベントや行事を上げてきましたが、そういったことに力を入れたお寺が必ず成功しているとは限りません。成功しているお寺の多くは、イベントをその場限りのおつきあいではなく、普段から仏教とお付き合いしていただくきっかけ作りとして成功したお寺であると思います。そういったイベントごとがなくとも、お檀家さんが仏教とかかわりをしっかり持っているお寺さんは成功しているお寺さんだと思います。イベントが盛り上がるかどうかということとともに、そういったことも考えなければならない問題です。

>>ただ弱いと感じるのは、個々の寺院が独立した宗教法人となっていて、同じ宗派ましてや仏教全体としてあまり連携が図られていないように感じられることです。個々の独立性、個性を尊重しながらも、宗派内でもっと結束し、統一して大きな行動に出ることも必要と考えます。
 そういった、宗派をあげてのイベントもあるんです。それぞれの祖師のご命日何かが代表的ですね。日蓮宗さんなんかですと身延山を取り囲む町全体がお祭りですからね。子供からお年寄りまで、活気のある雰囲気でした。他の宗派でも、何日間もかけてやっていますよ。
 まぁ、仏教全体ということはなかなか難しいですね。地域ごとに仏教会というのがありますが、機能していないところもかなりありますね。、会長を決めようとしても、そんなもの誰がやってもいいのに、宗派ないでの身分があるのか「あの人がやらないなら、私は出来ませんよ」とか「私は宗派でこういった役職についていますからできない」等々、あまり積極的でないお寺さんも多いのです。お恥ずかしい限りです。けれども、そういった仏教会だけでなくお寺同士が宗派を越えて連携しあっている仏教会もあります。そういったところでは、「花祭り」「成道会」など宗派を越えていとなめる行事を行っているようです。
 
 一つ一つがもっともなご質問でありました。心の中に置いて取り組んでいきたいと思っています。
 またしても長々書き連ねましたが、時間におわれ支離滅裂なものになってしまったように思います。申し訳ない、どうぞご容赦ください。
 合掌 南無阿弥陀佛

この回答への補足

随分長いことそのままにして申し訳ありませんでした。
本質問はこれで締め切ります。 ご丁寧な回答を頂き、改めてお礼申し上げま
す。

このあとは「お寺さん同士の交流や協力関係はどの程度あるのでしょうか?」
という新質問に引き継ぎたいと思います。

補足日時:2008/01/18 21:39
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この回答へのお礼

折角ご回答を頂きましたのに、長いこと放置しまして申し訳ありませんでした。
この度も数々の示唆に富むコメントを頂き、有難うございました。

浄土真宗の「節談説教」のこと、お釈迦様のさとりへの経緯と「中道」のいわれ、仏式結婚式が見直されていること、仏教会の現状など、よくわかりました。
特に、「いつでもどこでも誰にでも、丁度よいところを探るのが仏教の真理であるのかもしれません。」、「「どんな愚か者でも救われる仏教がある」ということを、私自身が愚かさを包み隠さずさらけ出すことで身をもって示していかなくてはいけないと思っています。」、「成功しているお寺の多くは、イベントをその場限りのおつきあいではなく、普段から仏教とお付き合いしていただくきっかけ作りとして成功したお寺であると思います。」などというお言葉が心に染みました。

日本の仏教界の飛躍的な発展と社会への浸透を心から願うものです。

お礼日時:2007/12/30 14:30

単に「究極の悟りを得る」というようなことが目的であれば、若者へのアピールなんて拡大策は不要ですよね?禅をやっている人が、「禅やりませんか?」て宣伝するのって、ちょっと違和感あるように思えますが。

ヨガであれば、スクールとして生徒拡大を狙うのは当然ですけど。

宗教で若者にアピールして人を増やそうとする理由は、通常では、お布施の収入増大とか、選挙での組織固めなどの理由だと思われることが普通だと考えられてしまいます。

キリスト教でのマザーテレサに象徴されるような「貧困者の救済」って方向性なら、「格差社会を無くせ!」「派遣法を元に戻せ!登録派遣は原則禁止にしろ!」って活動をされている若い方たちにアピールできて、連携できそうですが、イメージ的には、反体制になるわけですね。火あぶり覚悟(むしろ名誉!)のキリスト教者ならOKでしょうが、仏教者は、そこまでの気合は無いでしょうからね。

iPodにしても、地デジにしても、人々に訴える「感動!」があって広がっていると思います。そういう感動を若者に限りませんが、仏教が与えられないなら、アピールできないでしょう。

仏教は2600年前、リアルに現実を見つめていた釈迦によって始ってますよね?現代社会を、現実を見ていれば、年金、医療、少子化、国の借金、格差、教育、防衛、拉致、自殺、学校や会社でのイジメなど問題山積みです。もちろん、宗教がタッチすべき分野ではない部分も多いでしょうが、こうした問題に対して、アイデア・機転のきいた解決策を出すとか、組織の力で現実を改善していくとか、体制の手先と僧侶が戦って暗殺されるなんて感動的なシーン?があれば、アピールすると思うのですが。
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この回答へのお礼

お礼遅くなりました。

>iPodにしても、地デジにしても、人々に訴える「感動!」があって広がっていると思います。そういう感動を若者に限りませんが、仏教が与えられないなら、アピールできないでしょう。

確かに、信仰は自分の心の内の叫びから入るものであって、他人からの営業活動や宣伝などによって、それじゃ一寸つきあおうか、というものではないと思います。本当にこの教えは「自分の心の内の叫び」と共鳴していると思えなければ長続きしないと思います。
「自分の心の内の叫び」はあなたの言う「感動」と言い換えてもいいと思います。

実は私はカトリック信者なのですが、宗教は政治とは別物であって、直接社会の矛盾を政治的に解決することはできないと思いますが、いじめやDVや貧困などによる社会的弱者の相談に乗ったり、生活を支えたり、募金活動をしたりすることはできます。(例えば東京の山谷の炊き出し活動や「いのちの電話」など)
仏教にも相談電話などのシステムがあるように伺っています。

常に社会の中にあって、弱者の味方であるという立場を取り、社会的矛盾の解決に地道に取り組むことは、宗教者にとって大切だと思います。

お礼日時:2007/11/28 23:54

素人です。

最近スマナサーラさんの本で「慈悲の瞑想」を知り、
実践しようと心がけている程度の者です。

スマナサーラさんという方のテーラワーダ仏教協会は精力的に
活動していると思います。
スマナサーラさんは本もかなり出版されています。
人気もあると思います。
アマゾンでレビューをチェックされていかがでしょうか?
テーラワーダ仏教協会のHPではスマナサーラさんの説法を聞くことが出来ます。

テーラワーダ仏教協会の教えは、日本の仏教の教えとはかなり違っていると思います。
スマナサーラさんが主張するように仏教は宗教ではなく心の科学であるというのが適切だと私も思います。
スマナサーラさんがいう宗教とは妄想によって成り立っている教えです。

私はテーラワーダ仏教教会の教えは生きていく上で役に立つ知恵(?)であると思います。
でもなぜ多くの人が知らないのかというと、布教活動を目的とした組織ではないからだと思います。
布教活動をし信者さんを多く集めた人が徳を積むという宗教ではないので知名度は低いのではないでしょうか?
またクリスマス、バレンタインデー、ミサなどのお祭り的な行事がないことも知名度が低い原因であると思いますが、
テーラワーダ仏教協会はお祭り的な行事を大切ではないと判断をしていると思います。
愚かなことであると思っているかもしれません。

日本の宗教は葬式仏教と言われるようになってしまいましたが、
テーラワーダ仏教教会という団体は、
地味ではありますが多くの人にとって意味のあることを教えてくれる団体なので時間が経てばこの教えは広がると思います。
また、急激に知名度があがる宗教団体というのは、
危険な組織である可能性が高いと思います。

日本の仏教が活気を戻すためには、
お寺さんが子供を含めその地域の住民のために、
人生が良くなるような事を教えることが良いと思います。
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この回答へのお礼

スマナサーラさんのテーラワーダ仏教協会について、サイトを拝見しました。日本に伝わった通称「大乗仏教」と比べると大分趣の違った印象を受けますね。でも、穏健なまっとうな仏教だと思います。
地道でも、日本でも広がっていけばいいと思いました。

>日本の仏教が活気を戻すためには、
>お寺さんが子供を含めその地域の住民のために、
>人生が良くなるような事を教えることが良いと思います。
基本的には地域に根付くのが、一番いいと思います。
そこで、和尚さんがたも、地域に貢献する名士の一人として、人徳の高い方であれば、自然と皆もお寺に出入りするようになると思います。
キリスト教の教会は、よくボーイスカウトの拠点になっていることがあります。青少年教育に対して、いくらかでも貢献する道もあると思います。

お礼日時:2007/11/25 23:02

教えが必要とされない以上、廃れていくのみです。


はっきりって、釈尊の生きた時代から年月が過ぎすぎました。
もはや、人によって、解釈も理解も異なりすぎて、救いにいたることができません。

意義を失った宗教など、無価値です。
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この回答へのお礼

お礼遅くなりました。
時代が立つと、段々流派も別れ、解釈も多様になって、最初の理念が薄められていくというのは、宗教も例外ではないかもしれませんね。

お礼日時:2007/11/25 22:43

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