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歴史の本を読むと「川を使って物資を運んだ」などと書いてあることがありますが、現代のように発動機がなかった時代、日本のように狭く、流れが速い川をどのような方法で上流に上っていったのでしょうか?

A 回答 (5件)

例えば、最上川のケースなんか調べると面白いかも知れません。



最上川は河口に西回り航路の要衝・酒田港を抱え、上流の藩が挙って物流のための基盤として使っていました(最上舟運という)。
http://www.thr.mlit.go.jp/bumon/b00097/k00360/t- …

船を見ると帆が付いていますので、風次第で帆走、あるいは屏風絵
http://libzao.kj.yamagata-u.ac.jp/benibana/ezu.h …
(の松川舟運図屏風)
を見る限りでは魯か棹によって進んでいます。
その他、特に急になっている瀬に関しては両岸から曳いていたようです(図にも曳かれているところが描かれている)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
最上川のようなケースは私も気になってました。帆走ができるくらい時代が下がると人力だけの時代よりははるかに実用性を実感できますね。

古代史の専門家が簡単に川を「古代のハイウェイ」みたいに扱っているのに、彼らの描く舟はいつも人力の舟なんです。肝心の川登の方法が帆船を除けば、人力・・・「そんな川上まで人力だけで舟で上れるの?」だったのです。

私の質問の仕方も悪かったなと反省しているのですが、帆船が日本に入ってきた時代がまずよく判らなかったのが質問の動機でした。
私のつたない調査では、ローマ帝国が陸のシルクロードの断絶により
帆船を使って中国まで来たのが、東アジアに帆船が伝わった経緯のようなのです。

ご紹介のサイト、大変参考になりました。山の民の中に水の民を見た気がしました。

お礼日時:2007/11/24 18:27

歴史の本に書かれているのは天竜川の木曽材の運搬や熊野の紀州材のような筏による運搬などから連想されているとおもわれます。



事実船による運送は多量輸送に適していますから日本でも可能なかぎり多用されたとおもわれます。
急流や狭い川ではそれなりの工夫があったとおもわれます。

小型の船に積み替えるとか引き船の為の道路や人手の用意、場合によっては人力で船を担いで運ぶ事もかんがえられます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

数年前、石棺を筏に乗せて船で運ぶという実験?をどこかの大学で、行っていたのは知っていましたが、下りや平坦な場所なら理解できたんですが、上るのに筏・・・と半信半疑でした。
が、気になって調べてみました。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/it50803b.htm
残念ながら、上る前に実験が終了しているようでした(涙)。

>場合によっては人力で船を担いで運ぶ事もかんがえられます
そうですよね。考えると色々あるんですね。
今は、川を上るのは筏が一番適してるのかなと思い始めています。

komesさんの返信欄ではありますが、komesさんをはじめお答えいただいた方にお礼を言わせていただきます。ありがとうございました。

調べなければいけない方向性も見えてきたように思います。

お礼日時:2007/11/26 00:51

扇状地の急な流れは別にして、平野部を流れる川は現在のように、改修


により流路が直線化される前は、蛇行しながらゆったり流れてたようです。
その分、水量豊かで手漕ぎ、帆走で上れたのではないでしょうか。

関東では、江戸と川越を舟行した新河岸川。 関西では、大阪湾と大和
盆地をつなぐ、大和川あたりを検索するとよいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>大和川あたりを検索するとよいと思います。

最も気になっているのが、糸魚川-諏訪-安曇野、そして大和川-現在の桜井市、橿原あたりです。

建御名方命、或いは神武の弥生末期に山間部を人力でこの二つの川を上りきれたのかな?というのが出発点でした。

現在は荒川、利根川に近いところに住んでいますが、その前は大阪に13年。元は練馬です。
関西本線と仲良く走る三郷(奈良県側)-柏原(大阪府側)間は25号線を通るたびに気になってました。
大阪側の下流域は時代とともに変化してしていますが、このあたりはそんなに変わってないんでしょうか。2000年前と現在とでは水量も変わってるでしょうから・・・
流れが緩やかなところもありましたが、浅瀬もあるし流れがきつそうなところもあったように記憶してます。
大阪にいるときもっと調べておけばよかったと後悔してます。

お礼日時:2007/11/24 20:28

水量が今の川よりも多いことが少なくないので、今よりも水運向きだったようですね。



さて、川を上る場合ですが、帆走や魯などのほか、陸から綱で引く場合もあったようで、絵を見たことがあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

やはり困難な場所では陸から曳いたのでしょうね。

お礼日時:2007/11/24 18:30

>「川を使って物資を運んだ」



日本の場合川下りしか川を運輸目的に使わなかったのではないでしょうか。
例えば、材木を流して深川の木場に集める様な。

江戸の発展している所も川の下流の方が多かったですよね。
また、江戸の隅田川や神田川など流れは穏やかですので、上るにしても人力で船をこげたと思います。

>日本のように狭く、流れが速い川をどのような方法で上流に上っていったのでしょうか?

流れの速い川で上流に運ぶときは、馬や人足、牛車、荷車で陸地を運んだのだと思います。

ドイツのInn(イン)川では川を上るときは船を馬に引かせたそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

平野部の川登りならなんとなく判るんですが・・・

下りのみの使用だと、舟が使い捨て?或いは舟自体が商品になったということなんでしょうか。このあたり、もっと調べてみます。

お礼日時:2007/11/24 17:57

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よろしくお願いします。

Aベストアンサー

川舟といえば、全国的に使われた高瀬舟ですね
基本的には人力で引上げていきます
高瀬川では一艘に3、4人の「曵き子」がついたようですが、
(綱道がありました)
たいていは船に乗っている人員で引上げました
最低編成では船頭(船)、中乗り(櫂でこぐ)、艫(とも=船尾)乗りは最後尾で櫓を操りるのですが、
瀬が早い場所になると船頭が船に残り、その他の人が岸に上がって船を引くのです
川によって、事情は少し異なり
風を利用したところもあります

◆高瀬川(運河)
9箇所の舟入り(船着場)があった
http://park23.wakwak.com/~hotaru2/ayu.html
◆富士川(帆掛け=風の利用)
4人一組の図や写真があります
(新しいものは帆かけ舟実演行事の写真)
◆岡山県の勝山
川沿いに石畳の船着場があります
こういうところはまだ引きやすいかと思います
http://4travel.jp/traveler/sansai_meijin/album/10268324/


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