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江戸名所図会に出てくるどの店も、間口の高さが3メートル以上ありそうです。
江戸時代の店はそんなに高い軒の高さだったをしていたのでしょうか?
それとも店の奥まで見せるための絵画上の誇張でしょうか?
TVの時代劇ではそんなに高くないのですが。

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

江戸名所図会を見ました。


ご質問の「店」は、三井呉服店でしょうか、それとも大伝馬町の木綿店でしょうか。
どちらも、店となる1階部分は高いですね。
人物と比べて見ると、なるほど3m近い高さになります。
しかし、同じ図会で
「三河万歳の才蔵市」では、人物に比べて家が小さすぎますね。
また、「日本橋魚市」では、魚が巨大です。

http://www.city.nishio.aichi.jp/kaforuda/40iwase …

他の絵巻を見ても、強調したい部分が誇張して描かれていますね。

明暦大火(1657年)以後、幕府は3階建ての規制を強化しています。
つまり、2階建てしか建てられなくなったわけで、
その制約の範囲内で、店の権威を演出するために店となる1階を高くしています。
同じ頃、2階部分を座敷にして、四方を眺めてはならないと規制されています。
2階は物置ですね。
通風と明り取り程度の窓が設けられているだけです。
丁稚小僧なら立って歩ける程度の高さですが、そこで寝た使用人もいたことでしょう。

江戸の町に限らず城下町は、
同じ業種の店が軒を連ねていましたから、他の店との連帯で軒高を揃えていますね。

明暦大火で町を再建するとき、幕府は、
両隣と高低差がなく、見た目に映りよきようにと通達を出しています。
町民がこの通達をよく守ったということでしょうが、他方、材木の供給・流通の面から
考えると、長さの規格があったはずです。
江戸だけではなく京もたびたび大火に見舞われています。
ものすごく大量の材木が一度に必要になったはずです。

そこで京に遺っている江戸後期の町家のことを本で調べてみますと、
「軒柱」は「丈四」または「丈五」で統一されています。
ざっと、4.2mまたは4.5mです。
そして、1階部分が3m、2階が1.2-1.5mとなっています。
土台となる敷石を含めると、1階の天井はもう少し高くなりますね。

飛騨高山の三之町も軒高4.2mと下記のサイトにあります。

http://www.hidaroman.com/personal/takayama2.html

江戸ではどうでしょうか。
江戸、京、大坂、高山は幕府直轄地ですから、同じように規制されたと思いますが、
具体的な軒柱の長さを突き止めることはできませんでした。
江戸の材木は、どこから供給されたのか、それも詳しくは知りません。
材木の長さは、筏の制約を受けますから、筏で検索してみると、
平屋用の3mという長さは出てきましたが、丈四・丈五は見当たりませんでした。

参考 丸山俊明著『京都の町家と町なみ』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/ws …
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> 江戸時代の店はそんなに高い軒の高さだったをしていたのでしょうか?



していないはずです。
江戸時代の町並みが残る場所の写真を見ても、商家の間口の高さがそんなに高いものはありません。精々2.5m程度でしょうか。

例として一枚写真を挙げておきましたので、参考にしてください。

参考URL:http://apple3.cool.ne.jp/nishi/tokushima/0301392 …
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