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源氏物語のあらすじを読んでみて、平安時代の「女性の貞操観念」にふと疑問を抱きました。(ちなみに、結構ネットで調べてみましたが、明瞭な答えを得れませんでした・・。)

例えば、源氏は父の女御である藤壺と契ったり、頭の中将の元愛人の夕顔のもとに通ったり、終盤の薫と匂宮と浮舟の関係などなどに関して、なんだか凄く性に関してフリーな感覚を抱きました。
当時の貴族の女性は滅多に人前に出ないし、親は今より娘を大事にする時代のはず。いったい、当時の貞操観念はどのようになっていたのでしょうか。下記三項目が現在の疑問点です。

(イ)そもそも貞操観念はだいたいいつ頃定着し始めたのか。(貞操観念というよりは処女性や穢れという考えでしょうか。)
(ロ)(当時の人々に「穢れ」という考えがあったのならば)男性は女性の貞操を気にしてなかったのか。
(ハ)もしも浮気関係が露呈してしまった場合、どうなるのか。

もしまた違う疑問点が出ましたら、補足質問するかもしれません。宜しくお願いします。

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A 回答 (11件中11~11件)

あまり良く知りませんが、質問者さんがおっしゃっている貞操感は、戦時中から戦後に日本社会に醸成されたものだ、という話を聞いたことがあります。


証拠等を示せませんが、少なくとも平安時代の貞操感は、源氏物語に記されている通りのはずです。
また、江戸時代くらいでも、浮世絵に描かれているような世界が一般的だったと、これも聞いたことがあります。
明治以降でも、赤線が、赤線として存在していたわけですから、少なくとも、現在の貞操感とは全く異なる感性の社会だったと思います。
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この回答へのお礼

御回答有難うございました。参考にさせて頂きます。

お礼日時:2007/11/28 20:37

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Q日本における貞操観念の歴史について

詳しい方教えてくださると助かります。

貞操観念は明治以降、西洋思想を吸収する際に付随して作られ、昭和になって広く広まったとする説もある一方、
源氏物語にも、ある種の貞操観念が見られる、と
小耳に挟みました。

実際のところどうなのでしょうか。

日本では昔から、祭りの際のフリーセックスや、政府が積極的に遊郭を作る、大名はホモが多い、などホモ、ヘテロを問わず性風俗に関してはゆるやかだったとされています。でも一方で独占欲や嫉妬もあり、そのため「貞操」が重視される、というのは昔からあったと思います。

勝手な想像ですが、

江戸時代女が男よりも多くなって、女性は操を守るなんていってられなくなり性風俗が乱れる。
  ↓
明治時代、西洋思想を輸入するに当たって、西洋人が日本人の性風俗を見てびっくりする。
彼らはキリスト教徒で、処女信仰なんてのもあるくらいだから当然の反応。
  ↓
でもその反応を見た日本人が、「おいおい、うちらは性風俗乱れてるらしいよ、これは直さないと、文化的に遅れてると思われちゃうよ」といって反省
  ↓
キリスト教起源の貞操のモラルをまねる
  ↓
今に至る。そろそろヨーロッパの物まねも飽きてきたので、ちょっと乱れてみる

なんて思っています。多分間違っていると思うので、
誰か日本における貞操観念の変遷についての定説を教えてください。

よろしくお願いします。

詳しい方教えてくださると助かります。

貞操観念は明治以降、西洋思想を吸収する際に付随して作られ、昭和になって広く広まったとする説もある一方、
源氏物語にも、ある種の貞操観念が見られる、と
小耳に挟みました。

実際のところどうなのでしょうか。

日本では昔から、祭りの際のフリーセックスや、政府が積極的に遊郭を作る、大名はホモが多い、などホモ、ヘテロを問わず性風俗に関してはゆるやかだったとされています。でも一方で独占欲や嫉妬もあり、そのため「貞操」が重視される、というのは...続きを読む

Aベストアンサー

中世のヨーロッパにキリスト教国に初夜権という制度があったように、日本にもそういうものがあったようなんですね。
(ヨーロッパの初夜権制度が本当にあったのかどうかまだ確信はなく、実際あったとしても税金みたいなもので、金を払えば領主や聖職者に花嫁を寝取られずに済んだのか、金が無い農奴はどうしていたのか、何故そのような伝説が生まれたのか定かではないのですが)

さて、日本にあった初夜権。
村の長老が新婦の処女を奪ってあげるという風習があったという話を聞いたことがあります。
真実はどうなのか今の段階ではわかりませんが、こんな話があります。
  ↓
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/24436_14407.html
【日本の歴史は、語部と言はれた、村々国々の神の物語を伝誦する職業団体の人々の口頭に、久しく保存せられて居た律文が、最初の形であつた。此を散文化して、文字に記したのが、古事記・日本紀其他の書物に残る古代史なのである。だから成立の始めから、宗教に関係して居る。神々の色彩を持たない事実などの、後世に伝はりやうはあるべき筈がないのだ。並みの女のやうに見えて居る女性の伝説も、よく見て行くと、きつと皆神事に与つた女性の、神事以外の生活をとり扱うて居るのであつた。事実に於て、我々が溯れる限りの古代に実在した女性の生活は、一生涯或はある期間は、必巫女として費されて来たものと見てよい。】

【「神の嫁」として、神に出来るだけ接近して行くのが、此人々の為事であるのだから、処女は神も好むものと見るのは、当然である。】

という具合に、日本の初夜権という概念は、普通の女性達が結婚初夜に庄屋に処女を奪ってもらっているのがあたり前だったというのは、誤りであると思えます。

後世になると、その特別な女性はもっともパワーを持った神の使者であると同時に、権力を欲しがる男に力を与える儀式を与えるため寝るものを、軽蔑的に見るようになり、神殿に仕える娼婦と捉えたのではないかと思えます。

これは世界各地の巫女たちも、異教徒たちがその宗教を馬鹿にする時の材料として使っていたようです。


で、朱色の鳥居がいくつもあって、そこをくぐって到達する。
これは通過儀式だったのではないかと思えます。
朱色=血。
血は穢れたものであると考えられていましたが、実は清めるものでもあるとも捉えられていた。

ユダヤ教に血を塗った家だけ、神による災いがふりかからなかったという話がありますが、日本にも同じ神話があります。


さて、遊女はいつ頃誕生したのかはまだわかりません。
江戸時代に一角に遊郭を設けたようなのですが、私の想像では町ができるようになり、貧富の差が拡大していき、富めるものが町に集まりだして、彼らの娯楽として遊郭が発展したのではないかと思えます。
飢饉などで、年貢を納めることができない家が、娘を売るようになったり、子どもを芝居をして回り金銭を得る業者に売ったりなどするようになったのではないかと思います。

遊郭においては管理されていたようで、誰でも遊郭を開いていいというわけではなかったようです。


その時代の頃、特権階級の人たち限定ではなく、一般庶民にどうような貞操観念があったのかはわかりません。

世界で唯一日本人とユダヤ人には処女信仰が無いと聞いたことがあります。

日本ではキリシタン弾圧が行われましたが、理由があったようです。
来た頃は日本に危害を加えない穏やかな団体だと思われ認められたようなのですが、来たキリスト教のその団体の闇の部分が露呈し、恐ろしい団体だとして迫害が始まったようなのです。
その団体が大名に弾圧された理由の一つが人身売買。
http://www.gameou.com/~rendaico/nihonchristokyoshico/zinshinbaibaico.htm
これは一つにしかすぎず、日本から追放されるに至った悪事はまだまだあるようです。
ただし、これはキリスト教団の本部がやっていたことではなく、キリスト教団に公認された団体がやっていたこと。
その団体がキリスト教団の宣教部門を担当し、世界各地にキリスト教を広めるため宣教活動をしていたので、表向きは宣伝部門だったわけですが、実はキリスト教の戦闘部隊・諜報部隊という側面も持っていたわけです。
日本にやってきた理由も宣教が本当の目的ではなかった。

確かにキリスト教の本家本元は清貧・貞節をスローガンとして掲げていますが、実際やった内容を見ると異常なまでに性に対する強迫観念に囚われた人が本部に集ったのではないかと思えます。
聖職者は妻と性交してはならない。子どもを儲けてはならない。それができないなら罰金、投獄、公開鞭打ち刑、しまいには結婚の無効まで決めてしまったようなんです。
神の祝福とは子どもを授かることですが、何故かキリスト教はその神の祝福を否定するということを教えているという変な団体です。

日本の貞操観念が一体どんなものかわかりませんが、あるとすれば、身分制度が撤廃されたあと、それでも庶民とは違う高貴な家系だとするため利用されたのではないかと思います。

結婚とは家と家の結びつきです。
家と家の結びつきのために不可欠なのが娘。
婚姻関係になれば縁がむすばれ、相手の権力・財産の恩恵が与えられる。
そういうわけで、なるべくいい権力者に嫁がせたい。
それで箱に入れておいて、家が望まない男が近づかないようにした。
これが日本の貞操観念の実体じゃあないのでしょうか。

中世のヨーロッパにキリスト教国に初夜権という制度があったように、日本にもそういうものがあったようなんですね。
(ヨーロッパの初夜権制度が本当にあったのかどうかまだ確信はなく、実際あったとしても税金みたいなもので、金を払えば領主や聖職者に花嫁を寝取られずに済んだのか、金が無い農奴はどうしていたのか、何故そのような伝説が生まれたのか定かではないのですが)

さて、日本にあった初夜権。
村の長老が新婦の処女を奪ってあげるという風習があったという話を聞いたことがあります。
真実は...続きを読む

Q元来の日本文化に、女性の貞操など存在しない?

現在、性の乱れと言いますが・・・、
女性の貞操が言われ出したのは、江戸時代・末期ぐらいからだと思います。

それまで、
 平安時代の貴族は、嫁入り前の通い婚・夜這い、など普通で、
正式に婚姻が決まるまで、複数の男たちと関係していたのです。
帝(天皇)に嫁ぐ予定の娘は、別格扱いらしいが・・。
 
 戦国時代は、他人の正室であれ、子持ちであれ、後家であれ、御構いなし!権力者が気に入れば横取り!
 江戸時代ですら、婚前性交は当たり前。
遊郭から身受けした遊女を正妻にする例もあったようです。

結婚するまで処女だとか、嫁に行けない、などの古臭い考えは、
じつは、日本では、江戸末期~昭和後期までの、短い間だけなのです。

元服前の男子でさえ、性の対象。男色も文化。
日本が貞操を重んじる国なんて、大ウソですよね(笑)
これについて、どう思いますか?

Aベストアンサー

武家階級や町人でも↑のクラスの娘となると
嫁入り前になんかある というのは一応問題になったようですね
ただそれがために(嫁入り前に男性とことを起こしたために)
なにか罰や損害をうけた ということはなかったみたいですが。
日本でも比較的西の地域は特に、↑から↓までおおらかな性の考えを
持っていたようです。公家文化の文化圏ですからそうなってしまったのでしょうか・・。

大名階級の女性でも江戸時代には何度も離縁されたり再婚している
例があるようですが、立場的に不利になることは
全くなかったようです。
お隣韓国は同時代頃婚約者に死なれたというだけで
一生独身だったというのに・・日本でこのような目にあったのは
将軍家継(幼くして亡くなった)の婚約者等
ごく少数だったのではないかと思います。

庶民階級となると・・戦後になっても一部では
夜這い・歌垣(お祭りにともなって行われる乱婚)のような
ものがあったようです。 夏のいわゆる「盆踊り」というのも
もともとはそういった男女の出会いの場だったそうですよ。

厳しい恋愛感・男女感というのは
一部の裕福な階級や知識人から始まったのではないでしょうか。

武家階級や町人でも↑のクラスの娘となると
嫁入り前になんかある というのは一応問題になったようですね
ただそれがために(嫁入り前に男性とことを起こしたために)
なにか罰や損害をうけた ということはなかったみたいですが。
日本でも比較的西の地域は特に、↑から↓までおおらかな性の考えを
持っていたようです。公家文化の文化圏ですからそうなってしまったのでしょうか・・。

大名階級の女性でも江戸時代には何度も離縁されたり再婚している
例があるようですが、立場的に不利になることは
全く...続きを読む

Q昔の性交の実態

現代社会では、モラル的な圧力で、第2次性徴が来てもまだ性交適齢期でないとか社会的に未成熟とか言う理由で抑圧しますが、昔はもっと自然に、子供が生める体になったら交わり始める、と言う感じだったのですよね?
でも、女が12歳くらいで子供を産むって言うのも大変だと思います。そのへんの規制的なものはあったのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>女が12歳くらいで子供を産むって言うのも大変だと思います。そのへんの規制的なものはあったのでしょうか?

まず、回答から先に述べますと、
結婚や出産の年齢の「上限」はありましたが、「下限」はありませんでした。
まあ、12歳前後になると、現代で考えると確かに未成熟ではありますが、その時代の風潮として、それ位の歳になれば、もう、周囲からは立派な大人扱いをされましたので、女性も、もう、そうした心づもりで嫁に行ったりしました。
まあ、お産については、大変な苦労があったと思います。出産の最中に死亡したり、産後の日だちが悪くて死亡したり、また、生まれて来る子どもも未熟児ですぐに死亡したり、と、苦労?も多かったのが実際でしょうね。

(よもやま話)
(1)ある大名家(判ってはいますが、ここではあえて伏せます)の嫡男15歳に政略結婚で7歳の少女が嫁ぎました。初夜の時に、乳母や女中連中が少女の股を無理やり、押さえつけて、開かせ、姦通させた、という話が残っています。(明らかに「幼女姦」)。
(2)また、男女が共に7~8歳前後で結婚した場合は、夫婦とは名ばかりで、10歳位になるまでは、遊び友だちでした。
(3)江戸の商家の娘になると、自由恋愛は全くと言って良いほどできませんでした。また、商家の娘は「箱入り娘」と呼ばれたように、自由に街中を歩くことさえできませんでした。
(4)現代のようにウインドショッピングを楽しむ場所もありませんでしたから、たまに、小物が欲しいと、街へ出ても、乳母や女中がお供をして出歩きましたので、自由にどこでも行くことは許されませんでした。
(5)では、着物や櫛(くし)、簪(かんざし)などが欲しいというと、大店の丁稚がそうした店へ使いに走り、店からの出張販売でした。
(6)江戸時代を例にとると、儒教の精神が上は将軍家から、下は町人まで、
「男女7歳にして席を同じゅうせず」
でしたので、武家はもちろん商家でも、双方の家柄や財産などを基に、親同士が決めた「許婚(いいなずけ)制度」で、特に、父親の権限が強く、父親の許可なしには結婚できませんでした。
(6)江戸の街には「分一(ぶいち)」と呼ばれる「仲人専門」の職業の人がいました。これは、結納金の十分の一が謝礼として貰えることから、そう呼ばれました。
(7)適齢期の男女を物色し、商家へ縁談を持ち込む。ただし、男は40歳前後まで、女は20歳まででした。となると裏をかえせば、10歳前後の結婚もあった、と言うことでしょう。
(8)「十分一(じゅうぶいち)取るにおろかな舌はなし」
と、狂歌にもよまれたように、「口先三寸」のやり手でした。
(9)また、逆に、将軍家や大名家の大奥では30歳になると「おしとね御免」と言って、夜の相手ができなくなる話はご存じだと思いますが、30歳位で妊娠すると、今度は、医療技術がお粗末だったため、高齢出産となり、母体の安全から子どもを作ることはできませんでした。ただし、町人などは、側室などいませんから、子どもを生むこともありました。
現代でも40歳以上になると、やはり、高齢出産と位置づけられますよね。江戸時代から400年余り過ぎても、医療技術が進歩したとはいえ10歳しか「上限」が上がっていない。
(10)ここには、主に、江戸時代で江戸の街を中心に述べていますが、地方(田舎)も似たり寄ったりでしょう。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>女が12歳くらいで子供を産むって言うのも大変だと思います。そのへんの規制的なものはあったのでしょうか?

まず、回答から先に述べますと、
結婚や出産の年齢の「上限」はありましたが、「下限」はありませんでした。
まあ、12歳前後になると、現代で考えると確かに未成熟ではありますが、その時代の風潮として、それ位の歳になれば、もう、周囲からは立派な大人扱いをされましたので、女性も、もう、そうした心づもりで嫁に行ったりしました。
まあ...続きを読む

Q田舎の『夜這い』文化についてご存知の方いますか?

(1)女の子は驚かないのでしょうか?好みじゃ無い男が夜這いに来たらどうするのだろう…(2)田舎の女の子は全員では無いにしろ、貞操観念が無いと言うか、ヤリマンが多いですか?だとしたら田舎は都会に比べて安っぽい女が多いって事?(3)夜這い、またやる事がないからセックスするってのは現在でもあるのでしょうか?

Aベストアンサー

夜這い文化については#3さんが書いた通りです。
もう少し補足すると、日本の若者(男性のみ)が社会人になるための儀礼や儀式のひとつとして行われていた側面もあります。
夜這いにもルールがありましたので、それを守れない者は、狭いムラ社会からは排除されました。
(1)については、もちろん年頃の女の子は男が夜這いをかけてくるのを楽しみにしていたと思います。年頃の娘を、外に向いた部屋に寝かさない父親は非難されましたし、そのように育った娘を箱入り娘といいます。(けしていい意味ではありません)

(2)田舎に限らず、男女の別なく、日本人は今でも世界的に見て貞操観念が希薄な国民だと思います。ラブホテルなんていうセックス専用のホテルは日本にしかありませんし、キャバクラ・ヘルス・イメクラなど売春ではない性風俗がこんなにあるのも日本だけです。

(3)夜這いはありませんが、娯楽が少なくなれば当然セックスは大きな娯楽のひとつになります。
70年代の話ですが、ニューヨークで大停電があったときは、その10ヶ月後だけ出生率が上がったそうです。
また、地方に行くと必ずナンパスポットがあります。
もちろんセックスだけが目的ではありませんが、他にするといっても、田舎では飲酒・カラオケ・ボーリング・ドライブぐらいしかありませんから、クラブ・ホストその他性風俗が何でもそろう都会に比べたら、やることがないからセックスすると言えます。

夜這い文化については#3さんが書いた通りです。
もう少し補足すると、日本の若者(男性のみ)が社会人になるための儀礼や儀式のひとつとして行われていた側面もあります。
夜這いにもルールがありましたので、それを守れない者は、狭いムラ社会からは排除されました。
(1)については、もちろん年頃の女の子は男が夜這いをかけてくるのを楽しみにしていたと思います。年頃の娘を、外に向いた部屋に寝かさない父親は非難されましたし、そのように育った娘を箱入り娘といいます。(けしていい意味ではありません...続きを読む

Q平安時代の一般人について

「平安時代」というと、
私の中では貴族のお姫さまや花合わせ薫物合わせといった雅なお遊び、
あとは和歌くらいしか思い浮かばず、平民の様子がまったく想像できないんですが、
誰もがこんな優雅な暮らしをしていたはずがありませんよね?
平安の平民たちはどんな暮らしをしていたんでしょうか。
いろいろ検索にかけてみましたが、貴族の生活ばかりが出てきます。
平民の生活というと範囲が広すぎて知っていても答えづらいと思うので、
特に気になるところを。

1.平民の職業ではどんなものがあったのか。
  中でも若い女性はどんな仕事を持っていたか。

2.街中にはどんな店があったのか。出店のようなものはあったのか。

3.一般人と貴族が交流することはあったのか。
  貴族を街で見かけても話しかけることはできなかったのか。
  よくある「身分の差の恋」などはなかったのか。

4.貴族のように教養を備えていない人は、和歌を詠むこともなかったのか。

5.女性(女の子)の着物は髪型以外江戸時代の町娘と同じようなものなのか。

6.平民は年貢の取立てや貧しい食事になんとか耐えて生活していたのか。

質問が多すぎてすみません。
レポートなどの資料にしたいわけでなく、まったくの興味本位ですが、
どれかひとつでもいいので、平安時代に詳しい方の回答を得られると嬉しいです。

「平安時代」というと、
私の中では貴族のお姫さまや花合わせ薫物合わせといった雅なお遊び、
あとは和歌くらいしか思い浮かばず、平民の様子がまったく想像できないんですが、
誰もがこんな優雅な暮らしをしていたはずがありませんよね?
平安の平民たちはどんな暮らしをしていたんでしょうか。
いろいろ検索にかけてみましたが、貴族の生活ばかりが出てきます。
平民の生活というと範囲が広すぎて知っていても答えづらいと思うので、
特に気になるところを。

1.平民の職業ではどんなものがあったの...続きを読む

Aベストアンサー

1.
いろんな職業があったと思われます。当時はある程度の自給自足をしていたとはいうものの、都市部の人ではすべて自分たちでまかなえていたとは思えません。特に工業では、紙、陶器、武器、などのいろんな職工がいたようです。
女性にも職業があったことが予想できます。「振り売り」といわれる行商、機織、海女、白拍子のような芸能関係など、女性ができそうなものは何でもあったと思われます。専業もいたでしょうし、家事・育児・手伝いの傍らだったりもしたでしょう。また、古今東西、富裕な家のメイドは当たり前ですし、男女の仲を取り持つ「仲人」とか「仲媒」といった特殊な職業も文献に見られます。こんなものまであったのですから、衣食住に関するさまざまな職の基本はすでにこの頃にもあったことがうかがえます。
今昔物語などを読むと、たいそう活発な女性が多くいることから、そんなに窮屈な身分制度に押し込められていたわけではなく、わりと社会に出て元気だったようです。

2.
平安京には東西に市が設けられていました。このことから、全国に店はあっただろうと推測できます。ただし、商流の多くは「振り売り」という行商です。明治・江戸時代まで商業の中心はこの「振り売り」です。

3.
あったと思います。直感的にも、今ほど自由さはないにせよ、今も昔も、男女の仲が身分で隔てられるとは思われません。
たとえば、源氏物語の夕顔は貴族とはいえません。通っていた愛人の家の隣に、たまたまあったあばら家に住んでいただけです(実は友人のもと愛人だったわけですが)。逆に貴族の女に下衆の男を紹介する、ということもあったようです。こんなことの手引をやっていたのが、前述の「仲人」「仲媒」といわれる人達(主に女性)だったわけです。源氏物語や伊勢物語でも明示はされていませんが、たくさん出てくる仲介している女のなかには、職にしていたものも含まれていると思います。下女のサイドビジネスでもあったかもしれません。

4.
没落貴族もたくさんいましたし、そのひとたちの影響うけたりして、下々の方へも少しは広まっていたと思います。

5.
もちろん多少違いますが、庶民の服の基本は昭和時代までほとんど変わっていません。変わっているのはブルジョワジーやプチプルジョワジー以上の階級です。
ちなみに土間&高床の住居も、ふすまや障子がふえたくらいで基本は、昭和までほとんど変化していません。

6.
年貢の取立てよりも、自然との闘いと村・部落クラスの行政官の不法徴収・不法雑役などが厳しかったと思います。年貢は貨幣でもありませんし、農民は米だけしか作らなかったわけではなく、実際は野菜や雑穀、油、織物などで自足したり商売していたりして、それほど苦しくはなかったと思います。生活が破綻してしまうくらい苦しくなる原因の多くは自然だったでしょうね。

1.
いろんな職業があったと思われます。当時はある程度の自給自足をしていたとはいうものの、都市部の人ではすべて自分たちでまかなえていたとは思えません。特に工業では、紙、陶器、武器、などのいろんな職工がいたようです。
女性にも職業があったことが予想できます。「振り売り」といわれる行商、機織、海女、白拍子のような芸能関係など、女性ができそうなものは何でもあったと思われます。専業もいたでしょうし、家事・育児・手伝いの傍らだったりもしたでしょう。また、古今東西、富裕な家のメイドは...続きを読む

Qいわゆる江戸時代の娼婦はどうやって避妊してたんでしょうか

コンドームのない時代にどうやってたのかな?
とよく思うんです。

事のあとで洗浄するとか、外出しですか?
(あの時代にはピンと来ない方法ですが…)
それとも妊娠の都度、堕胎したんでしょうか?

ご存知の方いらっしゃったら、教えてください。

Aベストアンサー

吉原細見というHP(http://yosiwarasaiken.net/)に「遊女と避妊(http://yosiwarasaiken.net/moyou/hinin.html)」というサイトページがあります。それによりますと…

遊女(吉原の花魁などの幕府公認遊興場の売春婦=女郎;深川・辰巳などの岡場所の売春婦は売女と言った)の世界では妊娠は恥とされていた。当時は絶頂を迎えると妊娠しやすいと言われていたため「男に負けた」的な捉え方をしていたようです。
避妊の方法は「洗浄」「薬」「灸」それに「道具」。道具は男性用として大人のおもちゃのようなものと、女性用として御簾紙という薄い髪を丸めたタンポンのようなものとがあったそうです。いずれも紙製の頼りないもので避妊率は極めて低い、ほんの気持ち程度のものでしかなかったようです。
それでも妊娠すると堕胎する場合がほとんどだったそうで、場合によっては遣り手(遊女を取り仕切る年寄り女…「遣り手ババア」は吉原のこの役職の女性が語源)に強引に堕胎させられていたとか。当然ダメージを負った女性の中には性病や容姿の悪さなどで追いやられた遊女達と一緒に羅生門河岸という最下級の場所に送られたとか。

…というと江戸時代=昔=封建社会という背景も助長して「女性がとても虐げられている」というイメージが強いですが、実は江戸市中でも最も女性が強かった地域でもあるのです。特に花魁ともなると容姿はもちろん最高級の教育を受けた教養の高い女性であり、「源氏物語は、全部読んでありんす」というスーパーウーマンであり、それぞれの廓屋の看板であり、身分の高い武家階級や大金持ちの大店の主人を相手にするにふさわしい女性であったのです。
廓屋が大枚を叩いて徹底的な教育を仕込む所なんざ映画「プリティ・ウーマン」を思い起こさせますが、あの程度の金の掛け方では花魁の簪ひとつ分くらいじゃない?というくらい破格のものでした。今風に言えば伊東美咲に叶姉妹やマリエやデヴィ夫人や西川先生の持っているそれぞれ10倍くらいのものを与えちゃった、って感じです。
おまけにこれだけのスーパーウーマンだから、誰でも床入りできるような「安い女じゃない」のです。なんと花魁が気に入らなかったら床入りを拒否出来ちゃったんです。「いっくら金積んだって、あちきはあんたみたいな下衆とは、お断りでありんす」だったんですな。それだけに花魁目的で廓屋に通う男達は身だしなみに気を使いセンス良く知的におしゃれして花魁に気に入られようと必死だったのです。事実一生処女のまま生涯を閉じた花魁もいたのです。

それなりに格のある身分の遊女はおいそれと抱く事はできなかった、というわけですが…今の時代もそうですね。銀座の高級クラブはもちろん六本木の超有名キャバクラ嬢だって、気に入らなきゃ「おめえとなんか寝ないよ、バーカ」です。故杉浦日向子さんは「江戸時代の江戸市中は女性主導の社会だった」と指摘している通り、実は花のお江戸は女性によって成り立っていたようです。それが男尊女卑に一変したのは明治維新以後…長州と薩摩の習慣が入ってきたせいかなぁ、と個人的には考えています。
もちろん廓屋という特異な世界では劇になるような悲惨な面もありますが、実は現代とさほど変わらない面もたくさんあるんですね。

吉原細見というHP(http://yosiwarasaiken.net/)に「遊女と避妊(http://yosiwarasaiken.net/moyou/hinin.html)」というサイトページがあります。それによりますと…

遊女(吉原の花魁などの幕府公認遊興場の売春婦=女郎;深川・辰巳などの岡場所の売春婦は売女と言った)の世界では妊娠は恥とされていた。当時は絶頂を迎えると妊娠しやすいと言われていたため「男に負けた」的な捉え方をしていたようです。
避妊の方法は「洗浄」「薬」「灸」それに「道具」。道具は男性用として大人のおもちゃのようなもの...続きを読む

Q平安時代の寝殿造り.....冬はどうやって寒さをしのいだのでしょうか?

寝殿造りと呼ばれている建物は廊下をはさんで部屋にすだれ(みす?)や屏風が
あるくらいで、特に戸になる物は無い様に思うのですが、
冬はどうやって寒さをしのいだのでしょうか?
やはり着物を重ねる事でしのいだのでしょうか。

仮に火鉢などを部屋に置いてもかなりの寒さだったと思います。
さらに雨風が廊下から吹き付けば、濡れてしまったり....。

平安時代に限らず、現代から見ると昔の家は不思議ですね。

無知ゆえわかにくい質問ですが当時の暮らしぶりがとても気になります。
なにかお知りの事があったら教えてください。
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

「家のつくりようは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり」これは鎌倉時代の終わり1330年ごろに兼好法師が「徒然草」に書いた、日本の気候風土と住まいについて書いた有名な一説です。

寝殿造(しんでんづくり)は、夏向けの建物です。そのかわり装束は冬向けに作られたといわれます。
寒さを凌ぐために、重ね着を着れるだけ着たでしょうし、綿衣(わたぎぬ)という真綿(まわた)を袷(あわせ)の中に入れた今でいう綿入れのような冬着もありました。舶来の毛皮などもありました。

几帳、屏風、衝立、襖は寝殿造りの内部の調度品のなかにあって日本独自のものとして生まれ、これが工夫されて、間仕切りの少ない寝殿造りの防寒、機密性を保つ為に作られたものと考えられているそうです。

部屋は帳(とばり)を引きつめて、炭櫃(すびつ)や火桶(ひおけ)を部屋に集めてがんがん焚けば、それなりにしのげたようです。

火桶(ひおけ)・火櫃(ひびつ)・炭櫃(すびつ)
木をくり抜いて金属製のおとしを入れ、その中に灰を入れ、炭火を焚いて暖を取る暖房機具。主に桐の木で作られる。炭への灰のかけ具合で暖かさを調整する。本来は円筒形のものを火桶、方形のものを火櫃と呼んでいたが早くから混同していたらしい。炭櫃は方形で脚のあるもの。または、据え付けの大きな角火鉢のこと。

建物の風雨を防ぐ物としては、格子(こうし)、蔀(しとみ)妻戸(つまど)等がありました。

   http://www.iz2.or.jp/kizoku/chodo.html

「家のつくりようは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり」これは鎌倉時代の終わり1330年ごろに兼好法師が「徒然草」に書いた、日本の気候風土と住まいについて書いた有名な一説です。

寝殿造(しんでんづくり)は、夏向けの建物です。そのかわり装束は冬向けに作られたといわれます。
寒さを凌ぐために、重ね着を着れるだけ着たでしょうし、綿衣(わたぎぬ)という真綿(まわた)を袷(あわせ)の中に入れた今でいう綿入れのような冬着もありました。舶来の...続きを読む

Q平安時代の貴族の結婚

平安時代の貴族の結婚について質問させて頂きます。<(_ _)>

(1) よく奥さんのことを「北の方」と呼んでいますが、これはどうしてでしょうか?
「北の対屋」に住んでいたからでしょうか?
(2) 平安時代は夫が妻の家に通う「通い婚」だったと思うのですが、妻が夫の家で一緒に住むこともあったと思います。
どのような場合、妻は夫の家に入るのでしょうか?
(3) 複数の奥さんが一緒の屋敷に住んでいる場合、部屋割りはどのようになされていたのでしょうか?
やっぱり、「東の対」「西の対」という様に、対ごとに分かれて住むのでしょうか?
またこの場合、誰がどの部屋(対)を使うかということは、どのように決められたのでしょうか?
身分や立場によって、ある程度決まるものなのでしょうか…。

質問ばかりで申し訳ありませんが、どうぞ宜しくお願い致します。<(_ _)>

Aベストアンサー

ご質問の件、あまり深く考えたこと無かったです。(笑)
でも、気になって調べてみました。

(1)奥方の住んでいた場所が、寝殿造りの北の方角にあったためらしいですね。
http://www.asahi-net.or.jp/~hy6t-ymgc/1-01a.htm
「おかあさん」の項参照

(2)「通い婚」というのは、元々結婚の当初は男が女のもとに通い
  その後一定期間が過ぎると夫方か妻方かのどちらかに同居す
  るものだったと思います。
  ただ、女性は男性の経済状態に左右されなかった=父親の身
  分に左右されたので、実家の状態にもよったのではないでし
  ょうか?
  基本的に、夫婦となるには「世間に認められる」事が前提に
  あったはずですので、身分にもよったと思います。
  源氏物語でも、明石の方は身分が低かったせいで、世間的に
  は「妻」としてお披露目されていなかったですよね?

http://www.heian-library.com/yamato/yamatoes01.html
(通い婚のリンク参照)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kajyu/genji.htm

(3)これに関しては、ちゃんとした資料がないので、あて推量なの
  ですが・・・。
  源氏物語で光源氏が晩年、関わった女性達をすべて自分の屋
  敷内に引き取ったという部分がありますが、それぞれの女性
  は、対の中に部屋を割り振られていたと思います。
  もちろん人数が少なければ、対毎に別れて住んだということ
  もあったかもしれません。
  どこに誰を住まわすかについては、男性が決めたのではない
  でしょうか?

きちんとした資料を提示できればいいのですが、ちょっとみつかりませんでした。
すいません。
でも、調べてみておもしろかったです。(^-^)

ご質問の件、あまり深く考えたこと無かったです。(笑)
でも、気になって調べてみました。

(1)奥方の住んでいた場所が、寝殿造りの北の方角にあったためらしいですね。
http://www.asahi-net.or.jp/~hy6t-ymgc/1-01a.htm
「おかあさん」の項参照

(2)「通い婚」というのは、元々結婚の当初は男が女のもとに通い
  その後一定期間が過ぎると夫方か妻方かのどちらかに同居す
  るものだったと思います。
  ただ、女性は男性の経済状態に左右されなかった=父親の身
  分に左右されたので、実家...続きを読む

Q平安時代の庶民の名前

 執筆中の小説に平安時代のキャラを出そうと思っているのですが、当時の庶民(貴族以外)がどんな名前だったのが全然わかりません。

 部曲の廃止とかで名字は勝手に名乗っていたらしい、とか、庶民の女性は「~女」が流行っていた、男性は「~右衛門、~左衛門、~兵衛」がほとんどだった、までは調べられたのですが、そこで行き詰まってしまいました。

 直接教えていただけなくても、参考となるサイトのURLを貼っていただくだけでも構いませんので、ご助力の程、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは、初めまして。
中古文学&平安時代にハマって◎◎年の専業主婦です。
平安時代の庶民の名前・・・との事ですが、まず女性名については
『日本の女性名』角田文衛著を読まれると大変参考になると思います。
皇族貴族から遊女まであらゆる階層の女性の名前を紹介しています。
ある程度の規模の公立図書館もしくは大学図書館に蔵書されているかと思いますので、確認してみてください。ちょっと前に復刊されたのですが、それは大変高価で豪華な装丁がされています。20年ほど前に刊行されたものは上下(上巻ですよ)に分かれていて手頃で読みやすいので、こちらをお薦めします。(ネット検索できる図書館はたくさんありますよ)
男性名に関してはこれといってご紹介できる専門書は知らないのですが、「~右衛門、~左衛門、~兵衛」は少しばかり年代が下るのではないでしょうか?(室町時代以降位かな・・・と。専門家ではないので余り適当な回答を差し上げてはいけませんが)貴族といっても天皇周辺の大貴族から六位以下の下人や位官を賜っていない者まで様々です。また庶民にも平安京に住む下層の貧民もいれば、京より遙か遠くの地方在住でも実際は大規模な土地保有者で非常な富豪である者(負名・田堵といいます)もいます。
角田文衛氏の『平安人物志 下』の<大春日兼平>という章に、長徳二年(996年)に京で強盗を働き逮捕された者の名簿の一覧がありました。そこには<藤井国成><田辺延正><伯耆?吉><津守秋方><能登観童丸>などといった名前があげられております。仰るところの<庶民>かどうかは確認できませんが、位官については明記がないので官人では無いと思われます。
余り詳しい資料をご紹介できなくてすみません。

こんにちは、初めまして。
中古文学&平安時代にハマって◎◎年の専業主婦です。
平安時代の庶民の名前・・・との事ですが、まず女性名については
『日本の女性名』角田文衛著を読まれると大変参考になると思います。
皇族貴族から遊女まであらゆる階層の女性の名前を紹介しています。
ある程度の規模の公立図書館もしくは大学図書館に蔵書されているかと思いますので、確認してみてください。ちょっと前に復刊されたのですが、それは大変高価で豪華な装丁がされています。20年ほど前に刊行されたものは上下(...続きを読む

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む


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