「黒田官兵衛」について興味があるのですが,面白いHPか本はないでしょうか?

 また,「黒田官兵衛」についてどんな印象があるかも教えて頂けるとありがたいです。

 なお,「播磨灘物語り」は読んでおりますし,一応ネット検索も行ないましたが,皆さまの印象(感想)も知りたいですので宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

こんにちは。



印象はずばり!!『野心家』です。月並みですが・・・理由は関が原合戦のあたりで、期を見て兵を挙げようとしたところです。合戦が1日で終わってしまったのが誤算でしたが・・・

また、秀吉に恐れられている事にいち早く気づいて、距離をおいたところなんかは処世術に長けていると見てよいでしょう。

この抜け目の無さは軍師としては最適ですが、当主としてはどうでしょうか・・部下をあまり信用せずに、ワンマンになりがちな気がします。また、第一に考える事は仕えていた秀吉よりも自分の事という感じがします。常に身の施し方を考えていると言うような・・・優秀な人間なのにいまいち人気がないのは(どちらかというと竹中半兵衛のほうが人気がある)、このあたりに原因があるかも。

こんなところでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 印象はずばり!!『野心家』です。
 ヤッパリそうですか。何かの本だったかに,そんな事が書かれていましたね。

> この抜け目の無さは軍師としては最適ですが、
> 当主としてはどうでしょうか・・
 そうですね・・・,どうなんでしょうか。私にはよく分りません。と言うか,そう言った事も知りたくての質問です。

> 優秀な人間なのにいまいち人気がないのは(どちらか
> というと竹中半兵衛のほうが人気がある)、
 なるほど。竹中半兵衛も好きですが(と言うより,軍師と呼ばれる人が好きです),私の印象では「竹中半兵衛=軍師」で「黒田官兵衛=策士」と言った感じです。お書きの特徴がこの辺の印象の違いになっているようにも思います。

お礼日時:2002/09/12 18:52

海援隊の「二流の人」という歌があります。


もろ「黒田官兵衛」の歌です。機会が有れば一度聞いてみてください。いい歌ですよ。

この回答への補足

nakaichi さん,yusei さん,改めて回答お礼申し上げます。

 yusei さんの回答から1週間経ちましたが,追加回答もありそうにありませんし,質問も「歴史」カテゴリーの3ページ目になってしまいましたので閉め切ることに致します。

 今後とも宜しくお願い致します。

補足日時:2002/09/19 10:16
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

 そんな歌があったんですね。普段あまり意識して歌番組など見ないものですから全く知りませんでした。

 今度レコード店(今でもレコード店でしょうか?)に行く事があれば,探して見ようかと思います。

お礼日時:2002/09/12 18:56

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aに関連する記事

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q黒田官兵衛?NHKの大河ドラマの軍師官兵衛の主人公

黒田官兵衛?NHKの大河ドラマの軍師官兵衛の主人公・黒田官兵衛?の右顔に青アザがあるのはなぜですか?

Aベストアンサー

ちなみに官兵衛の幽閉話は後世の創作です
鵜呑みにしないように

Q黒田官兵衛の名の読み方

戦国末期に日本にきたカトリックの宣教師の書簡には「くゎんひょうえ」と表音されている、と司馬遼太郎『播磨灘物語』で読みました。
今は「かんべえ」と呼んでいますが、いつ頃から読み方が変わったのですか。
「くゎん」は分かるのですが、「兵衛」の部分が分かりません。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

兵衞を「ひょうえ」から「べえ」と読むようになったのは江戸期のようです。現代ではないでしょう。
以下のサイトが参考になります。
http://homepage1.nifty.com/longivy/note/li0006.htm

Q黒田官兵衛について教えて下さい

 「黒田官兵衛」について興味があるのですが,面白いHPか本はないでしょうか?

 また,「黒田官兵衛」についてどんな印象があるかも教えて頂けるとありがたいです。

 なお,「播磨灘物語り」は読んでおりますし,一応ネット検索も行ないましたが,皆さまの印象(感想)も知りたいですので宜しくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。

印象はずばり!!『野心家』です。月並みですが・・・理由は関が原合戦のあたりで、期を見て兵を挙げようとしたところです。合戦が1日で終わってしまったのが誤算でしたが・・・

また、秀吉に恐れられている事にいち早く気づいて、距離をおいたところなんかは処世術に長けていると見てよいでしょう。

この抜け目の無さは軍師としては最適ですが、当主としてはどうでしょうか・・部下をあまり信用せずに、ワンマンになりがちな気がします。また、第一に考える事は仕えていた秀吉よりも自分の事という感じがします。常に身の施し方を考えていると言うような・・・優秀な人間なのにいまいち人気がないのは(どちらかというと竹中半兵衛のほうが人気がある)、このあたりに原因があるかも。

こんなところでしょうか。

Q意外と…地元の人って黒田官兵衛知らんの?

軍師官兵衛が始まりましたが…
福岡の人って意外と官兵衛の事知らないんですか?

実際は
秀吉から豊前中津12万石を与えられたのに
関ヶ原の後褒美として中津に12万石を与えられた
と言っていました(しかも福岡の要人です 言ってた人は)

他にも
官兵衛は播磨の人だけど元々九州の産まれだと思ってる人が意外と多かったり
(某ラジオで言ってました)


地元の偉人ってこんなものなんですかね?

Aベストアンサー

途中で、名前変わってますから、そのせいもあるのでは?

長州でも、桂小五郎は知ってても、明治になって改名した名前・木戸孝允の方で聞くと、誰?って感じで知名度ゼロに等しいありさま。

地元だけ知名度が高い人って、限られていると思います。

Q黒田官兵衛本人は中国大返しでどうやって移動した?

歴史はまったく分からない素人です。

秀吉の中国大返しはよく分からないことが多いのですが。

本能寺の変のとき、黒田官兵衛は毛利との交渉などのために高松城のところにいたはずですよね。

その後、中国大返しで驚異的は速さで行軍が行われたとされてますが、黒田官兵衛は体が悪く走ることはできませんから、やはり輿に乗って超高速で移動したのでしょうか?
それとも馬には乗れたのでしょうか?

黒田官兵衛も、とにかく秀吉と一緒に返らないと困る立場だと思いますが、輿に乗ってどうやって高速移動したのか?と疑問に思いまして。

Aベストアンサー

中国大返しで高速移動したのは秀吉・秀長の軍勢5000程
これがまず真っ先に掛けに掛けて姫路まで戻っています

黒田・蜂須賀などの部下は後から合流しています
ゆっくりとは言いませんが 秀吉ほどの高速では帰ってない様です
官兵衛は体が悪かったと思われてる(大河ドラマの影響か?)様ですが 実際はそんな事はありません
馬にも乗ってましたし走る事も出来ましたよ

Q日本史人物,松岡磐吉,知ってる事教えて下さい。史実に限らず,伝説的抽象的話もOK,

■「松岡磐吉」について、どんなことでもOK!ご存知の事教えて下さい。
但し、ネット検索「松岡磐吉 - Wikipedia」に記載されてる事を除きます。

■出身_韮山情報:「ズバリ本人情報」又は父,兄,など近親者,末裔の事,伝記,情報,関連図書,埋葬,寺,彼亡き後の松岡家は・・・などの地元の言い伝えなど,
■他に知ってることといえば、父の名前役職,彼が次男坊,辰の口牢獄_当初、荒井と共に1番房入牢(入牢中の経緯不明),朝陽轟沈の彼だけ獄死,ぐらいの知識しかありません。
■長崎海軍伝習所2期生、それでも生年月日は?卒業名簿で探すとかできないのでしょうか?年齢的に、榎本や,甲賀,荒井,沢などと比較して、「誰よりは、どうやら若いらしいという話を聞いたことがある」など曖昧系情報でもOKです。

Aベストアンサー

下記のサイトによると初めて沿海測量を実施した人のようです。

参考URL:http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/mapsuv200/200nin/ma-gyou/ma-11.htm

Q大河ドラマの黒田官兵衛が殺したのは?

大河ドラマの黒田官兵衛で、9月21日放映分で

官兵衛が殺して涙を流していたのは

どういう立場の人ですか?

教えてください。

Aベストアンサー

それは
城井 朝房(きい ともふさ)
(黒田官兵衛の家臣。)
ですかね?

元は豊臣側と敵対していた城井鎮房の息子で、暗殺された時は黒田官兵衛の家臣でした。
和睦の人質として黒田側で生活する鶴姫のお兄さんです。

城井鎮房が豊臣秀吉の命令(転封・国替え)を拒否したことで怒りを買い、
城井氏滅亡を黒田官兵衛に指示します。
文献には『刺客によって暗殺された。』となっています。
ちなみに
鶴姫は13人の侍女と共に磔の刑(はりつけ)に処されました。

参考意見

Q播磨灘物語について

いま司馬遼太郎の播磨灘物語を読んでいます。
物語も終盤に入ってきましたが教えていただきたいことがあります。

高松城攻めの最中に、本能寺の変のことを知ってうなだれる秀吉に対して官兵衛が言ったと伝承されているという謎のようなこと、
「さてさて天の加護を得させ給ひ、もはや御心の儘になりたり。」
とは、どういう意味なのでしょうか。
私の読解力がないためにわからなくて困っています。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

天下取りのチャンスです。


天下様≒信長

というパラダイムで生きてきた秀吉にとって、信長の死は世界観の崩壊であった。
ところが官兵衛は

天=宿命 と捉え直し

秀吉が宿命の加護の下にある。
御心(=秀吉が、その段階でぼやっと思っていた自分が天下人になるかもという気持ち)のままに天下を取れと。

ぼやっと思っていたことを的確に指摘されたため、その時は官兵衛をありがたい人材と思ったが、のちのち「自分の野心にいち早く気づいた、恐ろしいやつ」ということで、功績の割に、少ない領土しか与えなかった。。。というような感じで説明されてる

Q黒田官兵衛の策は賢いのかセコイのか

黒田官兵衛ブームがありますが、

「軍師」と言われても、申し訳ないと思いつつ、
若干、その策が賢いというより、セコイ・卑怯感を感じる部分もあります。

そういった、セコイ」・卑怯というものが、どういうわけか、賢い・勇気ある行動というようにされて、
今の世の中に浸透している人っていますか?

Aベストアンサー

アントニオ猪木があのモハメド・アリと異種格闘技戦をやったときに猪木が寝っころがったままひたすらアリにローキックばかりかましたのは有名ですが、当時は「せこい」「戦ってない」と散々でした。当時はNHKニュースにも取り上げられましたが、NHKのニュースキャスターが「茶番」と揶揄したのは有名な話です。
でも今、立ち技に寝技が対抗するにはああするのが最も合理的な判断であったと格闘技ファンの間ではいわれているようですね。

ちなみに朝倉宗滴さんという戦国初期のカリスマ武将が「武士っちゅうもんは、犬だの畜生だのいわれても戦さに勝つことが肝心だ」というお言葉を残しています。
セコかろうが、卑怯だろうが、勝てば官軍、負ければ賊軍。英語にも「might is light(力は正義)」ということわざがあります。

Q大河ドラマの官兵衛が最後に天下統一をしようとする訳

こんにちは。
大河ドラマの軍師官兵衛を見ていて、なぜ最後になって天下統一をしようとする気になったのかわかりません。
これまで、「戦のない世の中を」という義の為に、天下泰平を求めていたと思います。
秀吉に付いたのも秀吉で天下統一ができると踏んだからでしょう。
関が原でも三成側につかないのであれば、家康側についておけば早めに戦が終わり、特に問題なかったと思います。
(息子が家康側でしたし)
最後に自分の力を試したくなったのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。

天下泰平を求めるにはそれ相応なトップが必要でした。
官兵衛がそれが務まる人として認めたのは最初は信長、次に秀吉でしたが、
秀吉に関してはご存知の通り、子供が出来て以降、人が変わってそれが叶わず。。。

徳川家康にしても、石田三成にしても
官兵衛からしてみるとどちらも、理想的な人物ではなかったのかもしれません。
だったら、自分が動いて自分がトップになった方が、なにかと都合がよく
優秀な黒田家の家臣もたくさんいたことですから後々の事を考えると
手っ取り早かったのかも…と思いました。

時期的には、家康と三成が激突するタイミングとほぼ同じだったので
終わるタイミングはさほど変わりがないように思います。

ドラマでは、力試しを楽しんでる様も見受けられますね^^


……まぁ…結果的には長政がいたことによってトップにはなれませんでしたけどね…。


人気Q&Aランキング