江戸時代に鎖国(正確には貿易統制なのですが)やキリスト教の禁教を行ったのは、イスパニア(スペイン)
の侵略を防ぐためであるとの説明がよくされます。
同時代の人にあってはそういう脅威は現実のものと感じられたのでしょうが、現代の「後知恵」で
客観的に考えた場合、当時のイスパニアに日本を征服する力はあったのでしょうか?
地球の裏側にある日本まで軍隊を送り届け、なおかつ兵站を維持する事はこの当時ではイスパニアであっても不可能に思えます。
同時代にポルトガルがモロッコに出兵したけど、太平洋どころか地中海を挟んだ対岸に過ぎない当地ですら補給が続かず壊滅したようです。
ましてこの頃の日本はヨーロッパの全てをあわせた以上の銃火器を有していて、100年以上の戦乱を経験した軍隊を持った国です。
鉄器や馬すら知らない文明を征服するのとはわけが違うように思えます。
だからこそ宣教師を使って内部から崩す作戦かもしれませんが、実際の所イスパニアが正面からでは勝てない
相手をこの宗教戦術で征服した実例というのはあるのでしょうか?
現実にはイスパニアが征服したのは文明力の差にものを言わせただけで、鉄砲や馬や集団戦術を知っている、
一定水準以上の文明を海を渡って征服できた例は無いのではないでしょうか?
皆さんの見解はいかがでしょうか?

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A 回答 (8件)

当時のスペインには、日本を侵略する意図は全く有りませんでした。


南米においてさえ、チリやアルゼンチン南部には全く進出していません。
「スペインが日本を侵略しようとしている」というのは、イギリスやオランダが流した全くのデマでしかありませんでした。

このころポルトガル・スペイン共、広大な植民地の維持が精一杯で、新たな植民地獲得どころではありませんでした。

スペインとキリスト教の関係で、キリスト教を侵略の手先に使ったというのもデマで、これもイギリスやオランダなどのプロテスタント諸国のでっち上げです。
ただし、スペインがキリスト教(カトリック)の布教を奨励したのは事実です。
それは、教皇庁との協約により、「スペインの布教した地域において教会収入(主に1/10税)の一部をスペインが得る事ができる」とされたため、労力無しに収入を得る事ができるためでした。
またスペインでは、当初ドミニコ会が宗教政策の中心となり、厳格な、強引なキリスト教布教を展開しましたが、ほとんど成果は上がらず、しだいに柔軟な考え方のイエズス会系が勢力を伸ばしてゆきます。
スペイン王室としましては、高い理想に燃えるだけで全く布教の成果が上がらないドミニコ会よりも、キリスト教が広がるためには、教義の弾力的運用を重視しキリスト教を広めていくイエズス会が重要視されてゆくのは当然の事でした。(1/10税の関係もあり)
つまり、スペインにとっては、侵略しなくても、キリスト教が広まれば税収がUPするため、あえて侵略する必要が無かったのです。

日本でキリスト教が禁止されるころ(関が原以降)は、スペインの国力が衰え、とても外征どころの状況ではなくなってしまいます。

>相手をこの宗教戦術で征服した実例というのはあるのでしょうか?

スペインの場合既に書きましたように、全くのデマですから、一例の有りません。
ただし、イスラム教においてイスラム圏との交易の有利さを説いて、国家自体をイスラムに変えてしまう事は有りましたが、侵略とは異なります。

>鉄砲や馬や集団戦術を知っている、
一定水準以上の文明を海を渡って征服できた例は無いのではないでしょうか?

これが大々的にできるようになるのは、18世紀以降です。
ただし、例が無いわけではありません。
薩摩の琉球征服
鉄砲は有りませんが、フランスのノルマンディ公によるイギリス征服
サラセンによる西ゴート王国征服などの例があります。
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秀吉・家康が禁教令を出したのは侵略を恐れたのではなく、かつての一向衆のように切支丹が団結して一揆など起こされては面倒だ、ということでしょう。

秀吉も家康も日本が軍事占領されるなどという心配はかけらも持っておらず、そんな進言をする家臣がもしいたら一笑に付したでしょう。

質問者様がいわれているように、16世紀の日本の軍事力は(海軍力はともかく)恐るべきもので、イスパニアどころか仮にローマ法王が全旧教国に対日十字軍結成を呼びかけて攻めてきたとしても恐れるに足らずだったでしょう。もっともその前に当時日本には40万くらいの軍隊はあったと思いますが、これに匹敵する大軍を運搬する手段がないのでそもそも不可能ですが…。無敵艦隊を創ったイスパニアは百数十隻のガレオン艦を建造しただけで国力や資源を疲弊させてしまいましたが、数十万の兵を送るには千単位の艦数が必要でしょうからね。

また当時の戦国軍団の獰猛さと戦術の巧みさは宣教師たちも報告しているように恐るべきものです。
薩摩の島津家がわずか7千の兵で、4万とも20万ともいわれる明・朝鮮連合軍に壊滅的打撃を与え、島津勢はわずか二百人の損害で敵数万の首を獲った話は有名ですが、ほとんどバケモノといっていい人ばなれした強さです。倭寇たちでさえ死ぬことなど屁とも思わぬ豪胆さを持ち、褌一丁で日本刀を振り回して暴れまわり「倭人の死を見ること帰するがごとし」と明兵を震え上がらせていました。戦国期の日本人は今と違って凶暴でしたから宣教師たちが日本は絶対軍事占領できぬと報告しているのも当然です。

しかし世の中には途方もないバカもいるようで、九州の一角に要塞を築いて武装蜂起をたくらんだ宣教師もいたそうで、マニラ総督に援軍要請を出して断られています。マニラ総督が断ったのは、逆に総督が『生意気だからいずれ征伐してやる』という秀吉の恫喝を受けてビビりまくっていたからです。日本軍が大挙してきたらひとたまりもないと知っているマニラ総督は、バカが九州で騒ぎを起こせば、自分たちの寿命が少しでも延びると安堵し、あえて止めなかったといいますから、日本征服どころの騒ぎではないでしょう。武装蜂起計画は計画で終わりましたが、仮に実行していたら島津が出るまでもなく、加藤家か細川家あたりの一大名家だけの力で苦もなく鎮圧されて終わりだったでしょう。

また軍事占領が無理でも日本人の大半を切支丹に改宗させれば…という手段も日本人には通用しないでしょう。権力者がひとたび禁教令を発するや、10万単位で存在した切支丹たちもあっという間に棄教。弾圧されても最後まで信仰を捨てなかったのは極めて少数派でしたから。カトリック作家だった故・遠藤周作氏がしばしば言っておられたように、一神教の「絶対の神」をまったく理解できぬ相対的価値観の日本人には、キリスト教はなかなか血肉と化しにくいと思いますからね…
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キリスト教国家にしなければ植民地にしてはならないと言う規則がありました。



南米では、天然痘が大流行します。
今まで見た事も無い奇病で死にました。

白人は天然痘にならないのはキリスト神を信仰しているからだと思い、
次々改宗し、その結果植民地になったのです。

悪魔の病気だと錯覚したのです。(画像検索も良いと思います)

日本の鎖国には、出島貿易と言う検疫と言う役目もありました。
幕末、ペストが大流行します。

アヘン戦争ではイギリス兵600名に清は負けています。
(南方に兵を集中したので船で北上して都へ600名で攻めのぼり、皇帝を捕らえて降伏させた。)

江戸湾に入り、江戸城を砲撃すれば終わりかもしれません。
(社会の崩壊、経済破綻)
輸入した大筒を大阪城に打ち込んでいますし。
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<大航海時代叢書>の「イエズス会と日本」は、日本イエズス会の会士がマニラのイエズス会本部などに送った書簡集ですが、いろいろと物騒なことがつづられていますね。


長崎は中央政府の直轄地だからムリとしても、それ以外のどこか適当な港をいくつか手に入れて、武力でそこを確保し、布教、貿易、征服のための基地にすべしなどと。
日本を征服する目的は、より大きな目的であるシナ征服のための基地とするためであったということ。
地球の裏側といっても、マニラなどに拠点があるのですから、そこから日本に攻め込んでくるのはさして困難でもなかったのでは。
戦国時代のほとぼり冷めやらぬ、勇猛果敢な侍で固めた軍事国家であったことが、抑止力として働いたにしても、鎖国していなければどうなっていたか。危機一髪だったという恐怖をぬぐえません。
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伊達政宗は、家臣・支倉常長をローマ法王とスペイン国王へ


派遣しています
伊達が徳川と戦になったときにスペイン軍やローマ法王の軍隊派遣を
打診したといわれています
松平忠輝(徳川家康の子)は豊臣秀頼と組んで、もしも徳川と
戦うことにでもなれば大阪城を拠点として戦い、大阪湾のスペイン
(イスパニア)海軍の支援をしてもらうようにイスパニア人と
交渉したらしいです
いずれもうわさであり、確証は出てこなかったわけなのですが
イスパニアが日本を占領できる可能性がありとすれば
日本の藩同士を戦わせるという戦略しかなかったと思います
徳川幕府はこのようなうわさを極度に警戒して
オランダ以外の国との交易を禁止し鎖国をしました

インカが征服されたのは、ピサロがインカ皇帝を捕らえてしまい
皇帝の親衛隊が手をだせなかったということか大きいですね
インカは皇帝以外に豪族がいなかったとか親衛隊以外の地方軍が
いなかったんじゃないでしょうか
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1491という本を読んでいます。


ここでの結論を私になりに言えば、アメリカ大陸の国家がヨーロッパの国家に征服されたのは、天然痘などで大幅に人口が減少し、社会がずたずたになっていたから。
ということになります。
宗教戦術ではなく、細菌兵器ということになります。
日本は細菌兵器にやられない、天然痘に関しても免疫ができていたので、アメリカ大陸のようにはならないと思われます。
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まったく無理でしょう。


日本が所有する銃火器の数と性能、訓練された精鋭部隊どう考えても
無理です。兵站の問題もあります。
逆にイスパニアが地球の裏側に無く日本のすぐ近くにあれば
イスパニアは日本に征服されたと思います。
秀吉が明と戦争したことは無謀な戦いだと言われてますが
秀吉がもう10年長生きするか秀次が切腹せず日本国内をまとめることが
出来たなら明王朝を倒して中国に新しい王朝を築くことが可能であったかもしれないと思います。
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しかしイスパニアは栄華を誇った南米のインカ帝国を征服し滅亡させています。


キリスト教を使ったやり方です。
インカ軍も隣接国を脅かす程強かったようですし。

案外徳川幕府の鎖国等の理由は本当かもしれない、と言うのが私の私見です。
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Qキリスト教と植民地支配

過去の歴史をみるとアジアやアフリカにヨーロッパのキリスト教の宣教師が最初やってきてその後に植民地支配がはじまるとありますがわからないのはどうしてキリスト教の布教をしてから植民地支配がはじまるのでしょうか?別にキリスト教を布教をしなくてもいきなり侵略できるのにしなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。

これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行います。
その一巻が、海外への布教活動でした。

ポルトガルの場合、まず交易船が現地に行き、現地の確認をすると、イエズス会の宣教師が向かいます。
その場所が、ポルトガルにとって有益な地と判断された場合、そこに拠点を造ります。
この場合、武力によるか、平和的に行うかは、相手しだいです。
ポルトガルの場合は、人口も100万人程度と少ないため、むやみに植民地を拡大せず、あくまで拠点支配にとどまります。
イントではゴア、中国ではマカオ、アフリカのモザンビークなど。

スペインの場合、コンキスタドールなどが、自分たちで勝手に金銀を奪い取るため軍隊を送り、その地を征服してしまいます。
スペイン王室は、その内の一定割合を王室に収める事を条件に、侵略を容認します。
そのため、スペインの植民地は、鉱産資源の豊かな場所がほとんどで、鉱産資源の無い場所や、交易に利点となる場所で無い限り、積極的に殖民を行っていません。
フィリピンの場合、フィリピンは、当時スペインの植民地だったメキシコの植民地で、中国とメキシコの航路確保のために占領しました。
スペイン軍にしても、軍勢は、コンキスタドールの私兵ですから、数百人が限度で、相手がチョットした勢力であれば、占領は不可能でした。

スペインが滅ぼした大きな勢力として、アスティカとインカがありますが、アスティカの場合、スペイン軍というよりも、反アスティカ部族(トルティカ族など)をスペイン軍が結集させ、アスティカを包囲し攻略しています。

インカにしても、当時インカ帝国では、アタワルパとルスカルが、皇位をめぐって戦争中で、ピサロとアタワルパが結び、ルスカルを倒して、インカ帝国に取り入ります。
その後アタワルパを捉え、インカを乗っ取ります。
インカでは、皇帝に権力が集中していたため、皇帝の名代として命令するピサロに反抗できず、のっとられてしまいます。

スペインにしろポルトガルにしろ、まともな国家を占領するだけの力は、当時ありませんでした。
それらを行うのは、イギリス・フランス、オランダといった諸国で、これら諸国は、キリスト教の布教には熱心ではなかったため、質問者のご質問のような事き有りませんでした。
(フランスの場合、カトリックが優位にたっているため、イエズス会などの布教が有りますが、これは占領されてからの話しです。

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。

これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行いま...続きを読む

Q何で日本は戦国時代に植民地にされなかったんですか?

大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?

すいません、もう一つ。

幕末の黒船来航の時は外圧に負けて開港させられ、不平等条約まで結ばされましたが、他のアジア諸国のように植民地にまではされなかったのはなぜなんですか?

私はまるで歴史ド素人なので恥ずかしい質問ですが、宜しくお願いします。

Aベストアンサー

>大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?

イスパニア(現スペイン)とポルトガルは当時、世界で植民地獲得競争を繰り広げていた。

1539 年には、ポルトガル国王ジョアン三世の要請を受けて、キリスト教イエズス会のF.ザヴィエルらがアジアでの布教を始めた。目的は植民地支配である。最初から武力を行使すると味方に多数の犠牲者が出るので、先ず先兵として宗教者を送り込み、現地の人々の心を支配しておけば、植民地支配が容易になる、という目論見でした。この方法は成功しました。ザヴィエルらは、日本においても布教を行うべく1549年に来日し、布教を始めました。

ザヴィエルらが日本へ来て知ったのは、ほかのアジア諸国の人民に比べて日本の人民は教養が高く、さらに戦が強いことでした。

1467年に始まった応仁の乱以後、日本国内は乱れに乱れ、内乱時代(戦国時代)でした。戦国の時代は、武器の発達が進みます。さらに武士たちの武闘能力も向上し、剣術や砲術の力が向上します。戦国時代の日本は、世界で最強の軍事大国だったという学者もいます。

そうした事情を知ったザヴィエルらキリスト教関係者が、本国の王へ「日本を植民地にするのは非常に困難です」といった報告をしたものと思われます。

織田信長はキリスト教を公認しましたが、豊臣秀吉はキリスト教を禁止し、キリスト教関係者を国外追放しました。イスパニア王フェリペ二世の日本征服の野望を知ったからです。

徳川政権もキリスト教を禁止しました。その上、鎖国しました。西洋人は日本を征服するチャンスを失ったのです。


>幕末の黒船来航の時は外圧に負けて開港させられ、不平等条約まで結ばされましたが、他のアジア諸国のように植民地にまではされなかったのはなぜなんですか?

日本も植民地にされ、列強によって分割される危険がありました。それを避けられたのは、

(1)人民の教養が高かったから。西洋の外交官は、江戸の町の本屋の店頭で、女や子供が立ち読みするのを見て、日本は植民地にすることはできないとあきらめました。多くの人が文章を読めたのです。(日本よりも西洋の方が文盲率が高かった。)

(1)武士階級が支配していたからです。清(中国)は科挙に合格した文官が支配する国でした。西洋列強の手が隣国に及んできても危険を感じませんでした。しかし日本の支配層は武官(武士)ですから、清が英国との戦争で負けて香港を割譲したことを知り、さっそく日本もやばいぞと危機感を抱きました。武士の仕事は戦争ですから、国の危機には敏感なのです。

(2)徳川幕府の外交が巧みだったからです。大政奉還と王政復古の直後の慶応3年12月16日(1868年1月10日)、15代将軍徳川慶喜が大坂城に6カ国の公使を招いて接見し、「朝廷は王政復古を宣言したが、朝廷側に内部事情があり、依然として徳川幕府が主権者である」と説明し、政権承認の確認を求め、さらに内政不干渉を約束させました。欧米諸国の目にも、この段階では、三職をトップとする新政府の実力は甚だ脆弱であり、国際社会の承認に値する政権とは見えなかったはずです。しかし徳川慶喜が各国に内政不干渉の約束を取り付けた結果、その後の内戦(戊辰戦争)では外国の介入を招きませんでした。慶喜の側近に国際法を理解していた人材が豊富だったからこその成果と言えます。徳川幕府の大手柄と思います。

>大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?

イスパニア(現スペイン)とポルトガルは当時、世界で植民地獲得競争を繰り広げていた。

1539 年には、ポルトガル国王ジョアン三世の要請を受けて、キリスト教イエズス会のF.ザヴィエルらがアジアでの布教を始めた。目的は植民地支配である。最初から武力を行使すると味方に多数の犠牲者が出るので、先ず先兵として宗教者を送り込み、現地の人々の心を支配しておけば、植民地...続きを読む

Q家の庭や畑でモノを燃やすのは違法?

近所の話なのですが、
自分の庭でモノ(枯葉やちょっとしたゴミ等)を燃やす人がいたり、
自分の畑で何か(不要物?)を燃やす人がいます。
そういう人達が結構いてます。

風の流れなどもあり、
近所に煙が漂い、窓も開けられないようになります。

こういった行為は違法でしょうか?
警察に通報したら対応してもらえるのでしょうか?

Aベストアンサー

法律では野外焼却行為(野焼き)は禁止されていますが
農業を営む方が畑の凍霜防止のための稲わらの焼却
畑の肥料となる焼灰を作る目的で灰屋での焼却など一部例外で認められている場合があります

また廃棄物処理法には「たき火(木の枝・落ち葉などの焼却)」と
「日常生活を営む上で通常行われる廃棄物の焼却であって軽微なもの」は規制されていません

ただし焼却が認められた範囲内でも、近隣住宅の洗濯物のよごれや
悪臭・煙など近隣住民の健康被害の配慮は必要です
あくまで周囲の生活環境に与える影響が軽微と判断される範囲内で認められていて
有害物質の焼却はできません

地域によっては、地方自治体による規制・消防による火災予防条例なども絡んできますので
詳しいことはお住まいの自治体に確認しないとわかりません
あまりのもひどい状況の場合は、警察や市役所に相談されたほうが良いです


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