
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
従来の金本位制が世界大恐慌と世界大戦の原因となったという共通認識から、戦後の世界通貨体制を構築するに当たって、圧倒的な経済力を持つアメリカのドルを基軸通貨とすることを基本として、1944年に国際復興開発銀行(IBRD)と国際通貨基金(IMF)が設立され、自由貿易や資本移動の促進を目的に金1オンス=35ドルと定め、常にドルと金は交換可能とされた(ブレトン・ウッズ体制)。
ここにドルを国際通貨(基軸)とするIMF体制が確立された。しかしドルの大量流失に伴い、1973年に先進各国は変動相場制へと移行した。○崩壊の原因
アメリカの貿易赤字の拡大によりドルが大量に黒字国に流出し、公定価格での金との兌換が不可能になった。ニクソンは71年に金との兌換を停止しするとともに、固定相場での変動幅を拡大させついに固定相場を一方的に放棄した。これにより貿易黒字国の通貨である円、マルクなどに対して大幅なドル安を実現させた。
理論的には、アメリカについては、固定相場は国際通貨であるドルを垂れ流すことへの規律が存在せず、制度の崩壊は時間の問題であった。一方、固定相場は相場の調整が例外的に可能であったが、これが短期資金による投機によって相場の大幅変動を引き起こすとみられた。経済理論では変動相場によて、国内のインフレと景気に経済政策を専念できるとするM.フリードマンのマネタリストの発言が圧倒していた。これを信じて、後に世界経済は手痛いしっぺ返しを受けることになる。通貨の乱高下と世界的金融恐慌が再発したのである。
No.1
- 回答日時:
第二次世界大戦後を考えるならば、固定相場制は、アメリカの経済が圧倒的に大きいので、アメリカの経済に世界の経済が従属するという点で、世界の通貨が対アメリカのドルに固定された。
ということになります。つまり ブレトンウッズ体制です。
長期的に見れば、アメリカの絶対的な経済支配が無くなったが、アメリカの経済力の絶対性に変わる体制(たとえば、ドル 円 ポンド マルクなどのプール制とか)が成立できなかったので、変動相場制になったということになります。
なぜ固定相場制を最初に導入したか
この質問をされている時代背景がわかりません。
戦後、すでにできていたブレトンウッズ体制に日本の経済も組み込まれたので、「最初に」という質問自体が成立しないと思います。
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