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 いま、終戦直後の満州開拓団の状況を書いた本を読んでいるのですが、その中で開拓団の人々が現地中国人に襲われた一因として日本人に土地を奪われたことをあげているのですが、同じ本の中で体験者の談として「未開拓地に農場をつくった。」ということも載っています。
 実際のところ、日本から行った開拓団の人達が手にした土地は現地人のものを奪ったものなのか、それとも文字通り「未開の地」を一から開墾したものなのか、どちらなのでしょうか?

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A 回答 (8件)

 NO.4,6,7です。

NO.7の補足のURLありがとうございました。
 大分細かく出ていますね。まあ、あちら側のレポートですから丸のみは危険かもしれませんが、強制的地上げは事実でしょうね。
 私が真実だと思っていますのは、次のような理由からです。
(1)【開墾は大変】私は終戦前から戦後にかけて、小規模ですが開墾らしきものの経験があります。果物では腹の足しになりませんので、柑橘類の果樹園をサツマイモ用の畑地に仕立て直しましたが、こんなものでも大変な作業でした。
 森林を畑にするのはもっと大変です。樹木を伐採するだけではすみません。切り株を掘り起こし、処分しなければなりませんが、大木になると切り株を掘り起こして処分(薪用に細かくする)するのに丸一日以上かかります。
 樹木の生えている森林については、樹木を取り払えば作物の取れる畑地になります(松林の場合はあてになりませんが)。しかし、草がパラパラとしか生えていない荒地は難しいでしょうね。
 移民は資金力の無い人がほとんどです。採算の取れる畑地に何年もかける余裕はありません。
 移民から破産者が多く出たり、移民希望者が減ったりすると軍や役人の責任問題になります。

(2)【過去に多くのマスコミが取り上げていること】今までに新聞、雑誌に多く書かれており、本も沢山出ています。私はそれらが正しいとも間違っているとも、断定できる能力を持ち合わせていません。
 しかし、それらを読んでみると、まあ大筋ではそういうことはあったんだろうな、という感じは十分にします。否定する根拠は思い浮かびませんでした。
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NO.4,6です。


>現地人たちはその「地上げ」をどのように受け止めていたのでしょうか?
また「安い値段」とは日本人にとってなのか現地人にとってなのか?

・・・下のURLは比較的真面目な論文です。参考にどうぞ。
 用地買収を巡って満人の請願や暴動が起こったと言うことは、満人が不満であったからで、暴動は不満の爆発と解釈するのが普通でしょう。
http://ideaix03.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/ … 

この回答への補足

ちなみにご紹介の論文からたどっていきこんなものを見つけました。

劉含発:日本人満洲移民用地の獲得と現地中国人の強制移住
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2 …

ご参考までに。

補足日時:2007/12/08 21:31
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この回答へのお礼

ご紹介の論文を拝見いたしました。まだ途中なのですが,このペースだと全部読み終えるのはだいぶ先になりそうなので、とりあえずこちらへ戻ることにしました。
これによると、当初は関東軍が直接関与して用地買収に関わっていたようですが、不満をつのらせた現地人たちが暴動を起こしたことを受けて、それ以降は満州国政府が用地買収に関わるようになったようですね。
たいへん参考になりました。

お礼日時:2007/12/07 19:22

NO.4です。



●『国が満州人の農地を安い値段で強制的に買い上げ、日本人開拓団を入植させた』・・・このことを書いた本は無慮数百冊はあるでしょう。
 とりあえずウィキペディアの記事を下に貼っておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E8%92%99% …
 酷寒の北満の荒野を、イチから開墾してものにするのは至難の業です。そんな土地を日本人にあてがっていたら、満州への移民は進みません。ですから、移民を促進するために、満人の農地を安い値段で強制収用し、日本人移民に与えたわけです。
 戦争に負け、結局は棄民同様になってしまいましたが、少なくとも当初は政府も(満州国政府=日本政府)、満人には苛烈でしたが、日本人には親切?であったわけです。戦後の南米ドミニカ移民に代表される外務省の無責任な棄民策よりマシだったといえますかな?
http://s-tamura.cocolog-nifty.com/oioi2/2006/06/ …
 
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No2です。

「満州開拓団の土地の取得方法」というお題からは若干ズレますが、
「開拓団引き揚げ時に満人が襲ったのは、土地を強制的に地上げされた恨みもあったかもしれませんが、単に「物が欲しかった」という追剥ぎ的行為の可能性の方が強いと思います」
について。

開拓団が現地人から徹底的略奪強姦を受けた様子は、

満州・その幻の国ゆえに 中国残留妻と孤児の記録 ちくま文庫
林郁/著 筑摩書房
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=04062653

満州女塾
杉山春/著 新潮社
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=19761895

祖国よ 「中国残留婦人」の半世紀 岩波新書 新赤版 386
小川津根子/著 岩波書店
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=19515660

などに詳細に書かれています。いずれも、あまりにも凄惨な内容で最後まで読むのが辛い本ですが。前二者は絶版ですが、アマゾンのマーケットプレイスなどで入手可能です。
※ 古本が気軽に自宅で手に入る便利な時代になりました。

さて、そのような状況が起きたのは、
「開拓団の人々が現地中国人に襲われた一因として日本人に土地を奪われたこと」
よりも、
「単に「物が欲しかった」という追剥ぎ的行為」
であり、さらに言えば

1. 開拓団は、ソ連参戦前後の「根こそぎ動員」でほぼ全ての成人男子を徴兵で失っており、女と子供と老人だけだった。それらが非武装・集団でモノを持って避難しているのですから「襲って下さい」と言っているに等しい状況です。開拓団が避難する過程で召集令状が届き、開拓団を守るべき男性がまた一人徴兵されていく(そしてシベリアへ送られる)エピソードも、上記の本に記録されています。

2. 当時の中国では「売買婚」の習慣があり、貧民は一生嫁を貰えずに終わるのが普通でした。その前に大量の「若い女」が守る者もなく現れたのですから、これを略奪しない手はありません。「モノ」以上に「オンナ」に価値があったのです。
先に示した文献「満州女塾」には、
「開拓民の妻として生きる道を絶たれた女性たちが、現地の農民の「臨時の妻」となって辛うじて生命をつないだ。結局は多くが「残留婦人」となって日本に戻れなかった」
ことが記録されています。
現代中国で、長年の一人っ子政策で若年人口の男女比が崩れ「嫁不足」が起きています。そのため、農村の女性、北朝鮮から脱北した女性、海外から出稼ぎに来た女性などが人身売買され、「複数の男性の共有物」にされるような事態が起きています。原因はまったく別ですが、結果は同じようなことです。
開拓団の人たち(多くが若い女性)は、避難する過程で全てを略奪されて本当に「丸裸」にされました。辛うじてハルビンや新京といった都市にたどり着いた開拓民には、「裸足で全裸の上に穀物を入れる麻袋を着ている人」や「うつろな目で、全裸で手で前を隠しながら歩いている若い女性」が見られたといいます。これは、それらの都市に元々住んでいた日本人の手記に出てきます。
(そういった人たちは、昭和20年秋の時点で一文無しになっている以上、100%日本に帰れずに死んでしまうか「残留婦人」になったから)

みいちゃんの視た満洲の最期
小西惠/著 文芸社
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31553834

また
「勤勉で農業技術が優れた日本人が入植したので、ウンと立派な畑になり生産量が格段にあがりました」
現代の中国で「美味しいコメ」の主産地は黒龍江省など日本から開拓団が入植した地域です。中国の中で、気候が水田耕作に適していると思われる
淮河
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%AE%E6%B2%B3
以南の地域ではありません。意外なことですが事実です。

これは、平たく言えば「日本人開拓団の農地や技術を中国人がそっくり継承した」結果が現在も生きているということです。喜ぶべきか悲しむべきか良く分かりませんが…
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この回答へのお礼

再び詳しい解説をいただき、ありがとうございます。
私も襲われた主原因が土地だとは思っておりません。やはり、いわゆる「追い剥ぎ」であったと思っております。

お礼日時:2007/12/04 18:28

(1)>未開の地を一から開墾した・・・こういうケースはあります。

ただ、内地とは比較にならない気候の厳しいところですから、軌道に乗せるまでは長い年月と大変な苦労を要します。
 ですから、(2)の方法によったことが多かったわけです。

(2)>現地人のものを奪った・・・ただで収奪したということはないと思います。
 この時代はもう、アメリカンインディアンの土地を白人がただで収奪したような時代ではありません。法治国家でしたから満州人の農地を金を払って買い取った形になっています。
 国が安い値段で強制的に買い上げ、日本人開拓団を入植させたわけです。まあ、今で言う「地上げ」の強烈なやつです。
 この土地は満人がまがりなりにも作物を作っていたわけですから、勤勉で農業技術が優れた日本人が入植したので、ウンと立派な畑になり生産量が格段にあがりました。
 満人は「未開の土人」と言うほどではありませんが、あらゆる面で日本人に比べレベルが低く、日本人の彼らに対する蔑視はひどいものでした。
 なお、開拓団引き揚げ時に満人が襲ったのは、土地を強制的に地上げされた恨みもあったかもしれませんが、単に「物が欲しかった」という追剥ぎ的行為の可能性の方が強いと思います。

 まあ、こういうものを考えるとき、加害者(ただし引き揚げのときは満人に襲われた被害者)とされる日本人の側から見るか、被害者の満人の視点に立つかで評価は全然変わってきます。
 日本人であれば、一度先方の立場で考えてみれば、多少なりとも彼等の気持ちが理解できるんじゃないでしょうか。
 自分の立場からでしか物事を考えられない人や国は、実社会や世界で生き残っていくことができません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
立場が違えば物事の捉え方も違ってくるというお話はよくわかります。
ですが、oboeteGoo様のご回答文の中の「今で言う「地上げ」の強烈なやつ」を受けた現地人たちはその「地上げ」をどのように受け止めていたのでしょうか?
また「安い値段」とは日本人にとってなのか現地人にとってなのか?
この辺がはっきりしてくれば、立場の違いを超えてある程度客観的な見方ができるのではないかと考えております。

お礼日時:2007/12/04 18:04

どちらもあったんでしょうね


http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=44259
鳥取県の公式HPにある満州鳥取村はどうみても北満ではありません。
朝鮮よりの場所。

日中の認識の違いがあるかもしれません。
粗放的な農業をやっている場所は日本人にとっては「開拓されていない土地」に見えます。
別の言い方をすれば、満州族が狩猟を行っていた森林を切り開くことは、切り開いた日本人にとっては未開拓地に農場を作ったことになりますが、満州族にとっては狩猟の場所を奪われたことになります。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。ご紹介のリンクを拝見いたしました。
なるほど、確かに現地人の開墾地を明け渡す形で入植している事例のお話ですね。たいへん参考になりました。
 ただちょっと惜しいのは、リンク先の文中で、既墾地に入植したから→「入植地は先住の中国・朝鮮人農民から安く強制収用した既耕地」とか「理想の村は侵略と収奪のうえに成り立っていたのです」とか結論づけているのですが、「安く強制収用」や「侵略と収奪」と表現した部分の裏付けを書いてないのが残念でした。

お礼日時:2007/12/04 14:47

No1で紹介されているURLは


「天皇制政府は「満州」人から広大な土地をとりあげ、国内の過酷な支配体制――大地主制度などの搾取のもとで苦しめられていた農民たちを、「満州に行けば自分の土地がもてる」との甘言でさそい、大量の移民者をおくりこんだ」
という書き方からしてマルクス主義史観丸出しですので、あまり信用しない方が良いと思われます。

内地から開拓団が入植したのはソ連との国境に近い地域「北満」がほとんどです。日露戦争の頃の奉天から北の満洲は「ロシアが作った鉄道沿い以外は未開の大地」であったようです。

曠野の花
中公文庫 石光真清の手記
石光真清/著
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=00887423
に、その頃の満洲の様子が詳しく書かれています。それから20年ほどで、満洲の農業開拓が中国人の手で急速に進んだという話は聞きません。

北満の農地化が進んだのは、満州国が建国され、日露戦争以後もロシア→ソ連が所有していた長春より北の東清鉄道(中東鉄道)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%BA%80% …
が、満州国に売却された1935年以降でしょう。これ以後、北満に鉄道網が短期間で建設され、農作物を遠方に出荷することも容易になりました。開拓団の入植は、北満鉄道網の整備と並行して行われたと思われます。農作物を作っても、それを消費地に輸送する手段がなければ仕方足りませんので。

開拓団についての記録を見ると、質問者様が指摘されるように「未開拓地に農場をつくった」という趣旨の記述を多く見ます。一方「中国人から土地を奪った」という趣旨のことを書いた本も確かに見ますが、具体的な根拠は書いていないものが多いように思います。

満蒙開拓青少年義勇軍として入植した人の妻となり、昭和20年の敗戦とソ連侵攻を迎え、南満洲の鞍山まで移動して昭和20年の冬に死亡した女性の手記が下記の本に掲載されています。古い本ですが、県立図書館等で探して下さい。

http://www.7andy.jp/books/detail?accd=05194748
ああ満蒙開拓青少年義勇軍
森本繁/著
出版社名 家の光協会

「私たちが耕作していた土地は、森林を切り開いて開拓した土地であった」
「だから、日本が戦争に負けてもそのまま耕作し続けられると思っていた」
「そのような考えは甘いことがやがて分かり、中国人の絶え間ない略奪強姦を受けながらの逃避行に移った」

という趣旨のことが書かれています。北満の歴史を考えても、そうした例(未開の土地を開拓団が切り開いた)が多かったのではないか、と推測します。
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この回答へのお礼

丁寧な解説をいただき、ありがとうございます。たいへん参考になりました。
ご紹介頂きました資料、当たってみたいと思います。

お礼日時:2007/12/04 09:36
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この回答へのお礼

早速ですね。ありがとうございます。
ただ…、どうでしょうか…?
記述内容が少々偏っているかのように思えるのは私がシロウトだからでしょうか?また土地取得についての記述が薄いのが残念です。

お礼日時:2007/12/04 09:25

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