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日本と外国とを問わず、文学者や哲学者その他の論争、あるいは権威あるビッグネームに対する他の大物からの批判、というものに興味があります。どんな有名な論争、批判があるか、思い出したり調べたりしているところなので、ご存知のものがあれば、できれば内容や時期などの背景も含めて、教えてください。

A 回答 (9件)

 


「有名な論争」というと、中世の「普遍論争」を思い浮かべますが、自由意志についての論争とか、神の存在についての論争とか、思想・哲学上の論争は無数にあります。

哲学・思想上の論争の総合的なリストのようなものがあり、参考URLのサイトの「対戦リスト」というものが、その一番大きなリストだと思います。簡潔な解説が付いています。聞いたことのない論争が多数あります。

対戦リストに載っている内容が少ないと,内容紹介するのですが、一杯あるので、紹介できません。

例えば:

>アヴェロエス × アヴィケンナ[イスラムのアリストテレス]

これはアラビア・スコラ哲学の二大権威であるイブン・シーナとイブン・ルシュドの論争というか、考えの対立です。この二人の考えの対立は、西欧のスコラ哲学や、その後の西欧思想史に大きな影響を及ぼしました。あるいは:

>プラトン × アウグスティヌス[世界の創造]

これは世界創造についてのプラトンとアウグスティヌスの違いを述べていて、アウグスティヌスにおいて、キリスト教的世界創造論が構成された経緯を簡単に述べています。

キリスト教初期最大の異端とされるのは、グノーシス主義と呼ばれる非常に不思議な考え方で、このグノーシス主義と正統キリスト教会のあいだで論争がありました。正しくは、異端ではなく異教であるグノーシス主義とキリスト教の、キリスト教史上有名な論争である「グノーシス論争」は、アウグスティヌスとプラトンの対立において純粋化して出ているのです。

その他、文学上の論争だと、詩は、音楽か意味か、という論争がありました。また、T・S・エリオットが一方の立場を代表した、詩や文学の「個人価値」と「伝統価値」の論争などもありました。

歴史では、日本古代史の論争というものがあります。一番、名が知られているのは、「邪馬台国論争」でしょう。邪馬台国はどこにあったのか、という論争で、北九州説と大和説で延々議論された話題です。騎馬民族征服説も論争だと言えるでしょう。

物理学だと、光の粒子説と波動説の論争がありましたが、これは量子力学で一応解決しましたが、いまでも、量子力学については、妥当性検証があります。また古いところで、フロジストン論争というのもありました。これは「熱」はフロジストンという一種の原子のようなものが集まると発生するのだという説です。アインシュタインが量子力学に反対した「神はサイコロを振らない」というのも論争かも知れません。

進化論もそれ自身が論争でしょう。生命の発生については、創造説と自然発生説の論争があります。自然発生説は、うなぎは泥から生まれるとかしたとされるアリストテレースの頃からありました(どこでアリストテレースが、こんなことを言っているのか確認していません。彼の生物に関する著作は、現在から見ると、驚くようなことが色々書かれていますが)。

アトランティスは本当にあったのか、どこにあったのかという「アトランティス論争」も論争だと言えます。現在では、アトランティスの滅亡の大災厄は、ティラ島として残骸が残る、地中海の島の火山の爆発とそれによる大津波が実体で、これによってクレタ文明が滅びたことが、エジプトで記録され、それをプラトンが伝聞で解釈したのだ、ということになっています。

似たような話は、「ムー大陸論争」や「レムリア大陸論争」です。「ネアンデルタール人復元」についても論争がありました。現在は、ネアンデルタール人は、洋服を着ていると、多少ずんぐりした人に見えるだけで、ニューヨークの地下鉄に乗っていても、誰も気づかないなどという話になっています。

>対戦リスト
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/fightlist.h …
 

参考URL:http://homepage1.nifty.com/kurubushi/fightlist.h …
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この回答へのお礼

詳しいご回答をありがとうございました。この対戦リストのサイトはすごいですね。これで私の関心をだいぶカバーできそうです。

お礼日時:2002/09/13 13:25

日本における事例を1つ。



松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入蝉の声」の「蝉」が、どんな蝉であるかなどの
論戦。 歌人の斎藤茂吉と、文学者の小宮豊隆。

斎藤茂吉さんは、他にも論争していたような気がしますが…。

参考URL:http://www.bashouan.com/psSemi.htm
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●ドイツ歴史家論争(1986)



ナチスやアウシュビッツ、ホロコーストというトラウマを持つドイツ人にとって、忌まわしい過去を歴史学や政治はどう位置づけるべきか。という様な事を、ドイツの大学教授とかが新聞や雑誌など紙面上で論争。国内外の学生や政治家などからも大きな関心を集め、4ヶ月以上マスコミの注目を集めたらしい。

例えば、
ユルゲン・コッカ(大学教授)
「ヒトラーの記憶は、スターリンとポルポトと比較する事によって誤魔化してはならない」
ヒルグルーバー(ケルン大)
「学問にタブーがあってはならない、問題提起は常に自由であるべき」

他にもユルゲン・ハーバーマス、エルンスト・ノルテとかドイツ中の学者の意見が飛び交ったそうです。

ナチスの罪悪は、他の虐殺と比較可能か?いや比類なき蛮行だ!いや似た様な事は他にもある!ナチス犯罪は相対性を持つか?いや比較できない独自性・唯一性だ!
とかなんとか延々と論じていたらしい。

我が国でも南京事件や従軍慰安婦、靖国神社とかが政争の具になっている事についていろいろと意見が飛び交ってますね。ドイツやイスラエルでも、過去の戦争の事については、戦後世代にまでアイデンティティーとして葛藤がある様です。

あんまりメジャーではなかったかな?うる覚えで書き込みをしているので間違ってるかもしれない。ご関心があればどうぞお調べ下さい。
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ハイエク(ノーベル経済学者)とガルブレイス。


ハイエクの弟子のM.フリードマン(ノーベル経済学者)がガルブレイスが著書で述べていることを月並みの知恵といえば、ガルブレイスはハイエクのことを”豊かな社会”でサムナー(アメリカの社会進化論系社会学者)の後継者といってます。市場原理の社会思想家と、リベラル系経済学者の論争と言ったところでしょうかね。
ガルブレイスは哲学者と呼べないでしょうが、ハイエクは思想家としても有名ですし。
あんまり哲学的にといった感じでもないのですが・・・。
あとは小説家のロレンス(チャタレー婦人の恋人)と、ブルームズベリーサークル(ケンブリッジ)に属していたケインズ(一般理論)、ラッセル達。
これに関しては清水幾太郎の”倫理学ノート”をご覧ください。とっても面白いです。

僕もasterさんの紹介されているURL見ました。すごいですね。
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アグネス論争



内容:職場に赤ちゃんを連れて行く事の是非

時期:一九七二年

参考URL:http://www.mami.co.jp/hitokotoTEXT/0300/0324.htm
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この回答へのお礼

ちょっと私の関心からはずれるのですが、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/13 13:18

音楽家ワーグナーと哲学者ニーチェ。


「論争」ではなく完全な罵り合いに発展します。

ワーグナー:自慰狂!脳性梅毒!
ニーチェ:男色!
口汚いでしょ。
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この回答へのお礼

なるほどそれがありましたね。ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/13 13:22

【法隆寺、再建(サイコン)・非再建論争】は1905年頃から始まり、しばしば新聞にも載り長期間に渡り[関野貞][喜田貞吉]らの


二人の学者間で互角に論争されたことで有名で、その論争の外野同士の論争、また論争の歴史まで出るくらいでした。

 1905年2月25日 関野貞が法隆寺金堂の非再建説を発表。
  同 年4月、喜田貞吉が反論し【法隆寺再建論争】が始まる。
  同 年5月27日・・・連合艦隊日本海でバルチック艦隊と戦闘、全滅(~28日、日本海海戦)・・・昔の学者は泰然自若か???


[関野貞]は明治28年(1895) に東京帝国大学を卒業後、翌年の12月に奈良県技師に赴任し古社寺の調査を始め、この論争では
日本書紀の記述にある【法隆寺火災:天智9年(670)】の条文を受け入れられず、その火災記事を否定する論文を書いたのです。

一方の[喜田貞吉]は2、3年後輩ですが国史科出身で、日本歴史学の草創期に考古学・民俗学・歴史地理などを統合した広い視野の
国史学を構築した学者で【法隆寺再建論】を主張しましたが【再建】論争に決着を見たのは「若草伽藍」が昭和十四年(1939)に
発掘された後で、残念ながら彼の死(1939)の後でした。


また最近、京都新聞の[2001.2.21]付けニュース欄の記事は【法隆寺の再建論争再燃?・・・五重塔 心柱伐採は594年】

という記事ですが、1939年以降の発掘調査で一応決着を見たと見られていた論争に『再燃か?』と見出しをつけています。

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2001feb/21/1 …

この論争が起きると丁度一世紀にわたる大論争ということになるでしょう。

参考URL:http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2001feb/21/1 …
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この回答へのお礼

ちょっと私の関心からはずれるのですが、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/13 13:26

こんにちは。



フランス文学の重鎮二人の大げんか「カミュ・サルトル論争」はいかがでしょうか。
カミュの著作「反抗的人間」をサルトルがこき下ろしたことから、文芸誌上でさんざんやりあっています。
確か当時はサルトルの方が文壇での権力が強くて、カミュの負け戦になったんじゃなかったでしょうか?

カミュ サルトル 論争 で検索すると色々ヒットします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。この論争は念頭にありました。ここでは優勢なサルトルもこの後、レヴィ・ストロースにやりこめられますね。

お礼日時:2002/09/13 13:22

文学からはちょっとずれるかもしれませんが、


こんなのはだめですか?

立花隆の「ロッキード裁判批判を斬る」(文庫)
田中角栄のロッキード裁判批判が雑誌、マスコミで
当時激しく展開されましたが、それに対する反論です。
裁判批判していた人たち(角栄無罪をいう人たち)が、
いかに当時裁判を見ずして批判を展開していたかが
よくわかります。
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この回答へのお礼

ちょっと私の関心からはずれるのですが、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/13 13:20

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