祝Queenの日!フレディ・マーキュリーの年代別ファッション&ヒットソングまとめ

タイトルの通りの質問内容なのですが。。。
Wikipediaで南北戦争を調べてみたところ

それに比べ、北部では米英戦争(1812~14年)による英国工業製品の途絶でかえって急速な工業化が進展しており、新たな流動的労働力を必要とし奴隷制とは相容れられなかった。また、欧州製の工業製品よりも競争力を優位に保つために保護貿易が求められていた

とありました。わからないのが、
・流動的労働力と奴隷制はなぜ相成れないのか?
(というかそもそも流動的労働力の定義は何か?)
・工業産業はその流動的労働力というものを要するのか?
の2点です。
一方で南部の綿花栽培が奴隷制を必要としていたのはなんとなくイメージできます。

さらにもう1つ疑問があるのですが、リンカーンなど北部の政治家が
奴隷制に反対していたのは主に人道的理由からでしょうか?
それとも↑のような、経済的な理由が主なのでしょうか?

よろしくお願いいたします。

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A 回答 (6件)

流動的労働力とは、自由意志で移動できる労働力。

南部の黒人奴隷は所有者の農地に固定されていましたので、奴隷制を廃止したら多くの黒人が北部へ移動し、北部の労働力不足が解消されると期待されました。
もちろん、そうなると南部の農場は人手不足になります。

南北戦争継続のため、黒人奴隷を解放して正規軍に入れようとする動きは、南部(連邦)側が先でした。南部で実現できたかは疑問ですが、その情報を得たリンカーンが先手を打ったものです。個人的な心情とは関係なく、軍事的・政治的理由です。
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南北戦争当時軍隊は志願制でしたから両軍共に兵員の補充に苦しみました。


この為白人だけでなく黒人も参加させることを考えたのです。
南部では志願する黒人には奴隷からの解放を歌い、北部では奴隷制の廃止を唱えたのです。

これらを受けて黒人の志願兵は急増しました。
北部では黒人兵士だけの大隊を編成し士官は白人とする制度を設けこの大隊は激戦地帯に投入しました。

リンカーンなどの政治家は本気で奴隷制の廃止をかんがえていたとは考えにくいです。
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この回答へのお礼

お返事が大変遅れてしまい申し訳ございません。
みなさまの回答のおかげで大分理解できました。
やっぱり経済や戦争が政治の軸なのですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2007/12/13 11:57

・流動的労働力と奴隷制はなぜ相成れないのか?


(というかそもそも流動的労働力の定義は何か?)
ある程度教育を受けていて、工場労働者となり得る人が必要なのでしょう。一方、既に出ているように、奴隷は固定的なものです。また、そのような労働者は同時に工業製品の消費者でもあることもポイント、と高校時代習った記憶があります。

・工業産業はその流動的労働力というものを要するのか?
日本でも季節工や(高度成長期の)出稼ぎ労働者を必要としています。

リンカーンについては、既出のように奴隷制反対論者ではありません。ただ、合衆国を維持すること、南部の独立を認めないこと、が主張だったと記憶しています。
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一部、勘違いがあるようですので


 リンカーン自身は奴隷制度賛成派です。ただ選挙に勝つために反対しただけのことです。彼は奴隷解放の宣言もしていません。(63年1月の宣言は、『現在、叛乱者(南部アメリカのこと)が支配する地域に住む黒人奴隷は自由民である』と言っただけです。脱走奴隷及び合衆国に残った奴隷3州に住む奴隷は解放していません)
 1860年の選挙は民主党が分裂を起こした選挙でした。民主党から大統領候補が二人も出たのです。そこにリンカーンが加わりました。選挙は横並びだったので、リンカーンは南部女性票を得るために奴隷を自由民とする政策を加えます。南部の農場主の一部は黒人奴隷の女性を愛人にすることが多々あったのです。南部女性の一部は奴隷制こそが浮気の原因としてリンカーンに投票するという動きがあったのです。そして38%ほどリンカーンが得票して偶然に大統領になったのです。

奴隷制度反対は人道でも経済でもありません。選挙に勝ちたいから途中から加えたものです。
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・流動的労働力と奴隷制はなぜ相成れないのか?


(というかそもそも流動的労働力の定義は何か?)
・工業産業はその流動的労働力というものを要するのか?

工場などで労働者を雇用するためには応募して、試用期間を経て雇います。
奴隷のように居ついてもらっても逆に無駄が多く効率的ではありません。


さらにもう1つ疑問があるのですが、リンカーンなど北部の政治家が
奴隷制に反対していたのは主に人道的理由からでしょうか?
それとも↑のような、経済的な理由が主なのでしょうか?

人の心の中までは覗くことは出来ませんが、大統領であるがゆえに経済が優先するでしょうね。
人道的立場から奴隷制に積極的に反対した言動は無かったと記憶しております。
結果的に奴隷解放に繋がることは考えていたのかもしれませんが・・・
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・流動的労働力と奴隷制はなぜ相成れないのか?


・工業産業はその流動的労働力というものを要するのか?


これは西部、南部から仕事を求め移動する白人労働者のことだと思います。
工業の発展には教育を受け、読み書き、計算ができる
良質の労働力が絶対に必要です。
「大草原尾小さな家」では西部の学校の話がありました。
各地に学校が設立され白人は勉強していました。


ここに黒人を受け入れてしまうと、
・白人の働き口がなくなる事
・当時は黒人が居住していないので、受け入れる土壌がない事。
などが考えられます。何より読み書きはできません。

リンカーンの件ですが、奴隷解放は人道的な面だと思います。
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Qアメリカの南北戦争って結局は黒人奴隷の取り合いだったの?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、なぜ戦ったのか不思議に感じていました。  普通考えるとあり得ないですよね。  あまりにもキレイゴトすぎるというか ・・・ もし自分が北部の白人兵士だったら、黒人奴隷を開放するために戦場に行って南部の白人と戦えますか?

結局は62万人もの犠牲を出して戦争は終結したのですが、朝鮮半島のように同胞どうしが国内で戦う悲惨な歴史をアメリカはもっているわけですよね。

そこでお聞きしたいのですが、有体にいってアメリカの南北戦争とは結局は 「黒人奴隷による安価な労働力」 を南北で取り合ったというのが正しい考え方でしょうか?

もしそうなら、リンカーン大統領はなぜ偉人というか歴史に残る大統領として今でも語り継がれるのでしょうか?

仮に 「たしかに労働力の取り合いだったとしても、結果的に奴隷制の廃止、またその後、黒人奴隷の人権も認められるキッカケになったじゃないか」 という意見があったとしても、実際にアメリカで黒人が白人同様の人権を認められるのに南北戦争後、約100年以上もの時間を要しているわけすよね?

つまり奴隷解放、人権回復というのは南北戦争がなくても20世紀に入ってからの時代の趨勢で実現されていたというか ・・・

それとなぜ英語では南北戦争ではなく、Civil War (市民戦争?) と表現されるのでしょうか?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、...続きを読む

Aベストアンサー

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですから自由貿易を望みます。
ところが新興工業地域の北部にとっては、まだ生産性が低い自国製品では進んだ英国製工業製品に太刀打ちでがきません。
イギリスからの輸入品との競争に弱い北部工業地域は、保護貿易を主張します。
南北戦争とはこのような国内産業のあり方、対外政策のあり方をめぐっての戦争だったわけです。
だから南北戦争では北部は南部に打撃を与えるための戦術として奴隷解放を主張したと思われます。(現に「勝つためなら奴隷のことなんてどうでもいい」というような発言も残っています。)

そして北軍の勝利となり、国内産業保護的な政策をとることができるようになり、これを背景としてアメリカ国内における工業が飛躍的に発展するわけです。
これがいわばアメリカ版産業革命です。

Civi lWarと呼ばれるのは多分対外戦争ではないからでしょう。

リンカーンが語り継がれるのは別に奴隷解放を主張したからではなく「人民の、人民による、人民のための政府」という演説が有名になったためでしょう。
日本でのリンカーン人気は、有色人種差別に苦しんだ明治の頃の日本人が、「奴隷解放宣言」を真に受けて広く紹介したためと思われます。

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですか...続きを読む

Qアメリカの奴隷制度の実態について

アメリカの奴隷制度の実態はどのようなものだったのか教えて下さい。

僕は歴史に全然詳しくないので、これは素人の質問であることをご了承ください。


アメリカで奴隷制度が廃止される前の黒人の生活実態はどのようなものだったのですか?

例えば奴隷制度といっても、実際には働いた分賃金をやり取りする雇用形態の形をとっていたのですか? それから黒人の労働市場は誰がどんな形で取り仕切っていたのですか?

それからもう1つ疑問なのが、現代日本の感覚で「奴隷」と言うと、完全に人権のない家畜のような扱いを受ける存在という意味で使われたりしますけど、本当にそんな扱いを受けていたのですか?

「風と共に去りぬ」とかを読むと、確かに当時は白人と黒人の身分が違う社会だということは明確に分かりますけど、案外、白人と対等に生活している黒人もいたりして、少なくとも今の日本人がイメージする「奴隷」というのとは大分違うのかなあと疑問を感じました。

Aベストアンサー

アメリカの奴隷制度を語るためには、古代からつづく地中海世界の奴隷制度を確認しておく必要があります。

紀元前の時代から「奴隷制度」というのはありふれた制度であったといえます。奴隷の多くは、アテネなどの都市国家から離れたアフリカ大陸や未開なゲルマン民族やスラブ民族であったものの、都市国家間で戦争がおき、負けたほうの市民が奴隷として売られることも多くありました。
また海賊などが船を襲ったときに、人質となった人々のうち金持ちは地元から身代金を持ってきてもらって引き換えに開放されたのですが、身代金を払えない人々は奴隷商人が買い取って、地中海から離れた中近東などに売っていたようです。

これらは1世紀ぐらいには、かなり高度に組織化されており、ローマ帝国の奴隷にはアフリカ出身の肉体労働者から、ギリシャ出身の教師の奴隷や医者の奴隷なども居たようです。また、奴隷には賃金がある程度払われており、それを元手に儲けあるいは宝くじを当てるなどして、主人にお金を払い奴隷身分から開放されたようです。
 
 またプランテーション的な農業が多かった地中海世界では、奴隷は労働力として必要だったものの、積極性は皆無だったため、馬牛などを使った場合の生産性と奴隷を使った場合の生産性について議論した同業経営書などもあったようです。

いずれにしても「奴隷」の地位は、主人の所有物であり、馬や牛などの家畜と変わらない存在でした。3世紀ぐらいの奴隷の価格は30万円前後であり、家畜を飼うほうがいいか奴隷を飼うほうがいいか、というものだったと思います。


時代が下がって中世のヨーロッパにも奴隷性が残っていました。この奴隷性の特徴はほぼ古代と変わらないのですが、供給先がアフリカとスラブ民族に変化していきます。また、当時のヨーロッパは相対的に貧しい地域でしたので、中近東などから宝飾類やスパイスなどの輸入に対して、奴隷を代金代わりに払っていたようです。
アラブ諸国では、白い肌が珍重されるために特に女性は高値で買われていたようですが、これは現代のニュースにも同じ側面が出ています。

わずかな金額で買われる少女予たち:http://japanese.ruvr.ru/2012_11_29/96332677/

アメリカ合衆国が独立すると、ほぼすぐに黒人奴隷が供給されるようなります。このときに供給したのはヨーロッパに存在する奴隷商人だったことでしょう。
アメリカは広大な土地があったため、労働力がいくらでも必要だったからです。

奴隷制度そのものもヨーロッパの制度とほぼ変わらなかったと思います。重要なのは
・奴隷は主人の所有物であること
・奴隷の子供も奴隷であること
・奴隷の生殺与奪権は主人にあること
です。

先ほど書いたように、奴隷の労働力を向上するためには多少の娯楽必要になりますので、小遣い程度の賃金を与え、日常的な楽しみは享受できた、という場合も多いようです。
しかし、アメリカ南部のなにもないプランテーションで働く奴隷には、娯楽もなにもなく掘っ立て小屋で寝起きをする暮らしの人々もいました。
 これらの処遇は、主人の資質によるところが大きく、それは古代から同じでした。

アメリカの奴隷制度を特長つけているのは、黒人法という法律でしょう。アメリカには独立当初からわずかですが自由人としての黒人がおり、また奴隷から解放された黒人もわずかながら増えていきました。
 ヨーロッパでは(実際に差別がなかったとはいえませんが)、肌の色で差別する法律は無かったのですが、アメリカには黒人法(black code)が制定されていました。

この法律が制定されたのは、皮肉なことに奴隷解放を是非とした南北戦争の後のことであり、憲法で奴隷制を廃止したのにも関わらず、黒人法で差別することになっていったのです。

つまり、私たちの知っている奴隷制というは、南北戦争までの「主人が所有する」という奴隷性と、戦後の黒人法による実質的な差別の二つに分かれます。

以後は黒人法による「実質的な奴隷制」の継続の根幹です。
黒人法は多岐にわたる法律の総称なのですが、その内容は
・選挙権の実質的な剥奪 投票税などで黒人の投票権を縛った
・異人種間の通婚の禁止 白人と黒人が結婚することを禁止した
・教育の分離      白人と黒人は教育する場所を厳密に分離された。
・公共施設の隔離    鉄道・バス・レストランなどの場所を分離した。
・武器の所持や夜間外出の禁止
・徒弟法        黒人が労働する際に、お礼奉公を義務つけるなど、実質的な職業の自由を奪った。

これにより、黒人は白人とは違った「2級市民」の扱いをうけ、特に南部の奴隷出身者は、実質的にそのまま主人の元で働くことを余儀なくされました。
また、黒人が自立して働き、個人の権利を確立することはかなり難しかったと思います。特に教育で差別され、賃金や選挙権で差別されているのですから、実質的に奴隷と同じだったといえます。
ただし、元々自由民だった黒人も少数ながらいましたし、北部では(黒人が元々少ないが)かなり自由に生活が出来ていたといえます。

これらの黒人法は1866年(南北戦争終戦の翌年)から数年で公布され、南部11州で常態化していきます。
これが解消されるのは1964年の公民権法が施行されてから、ということになり、この法律が施行されてからまだ50年たっていないことになります。

今でも黒人差別は南部が激しく、北部は比較的穏やかです。しかし、それ以外にも黄色人種差別やヒスパニック差別などもあり、白人優位主義が消えたわけではありません。
 

アメリカの奴隷制度を語るためには、古代からつづく地中海世界の奴隷制度を確認しておく必要があります。

紀元前の時代から「奴隷制度」というのはありふれた制度であったといえます。奴隷の多くは、アテネなどの都市国家から離れたアフリカ大陸や未開なゲルマン民族やスラブ民族であったものの、都市国家間で戦争がおき、負けたほうの市民が奴隷として売られることも多くありました。
また海賊などが船を襲ったときに、人質となった人々のうち金持ちは地元から身代金を持ってきてもらって引き換えに開放されたの...続きを読む

Qリンカーンは奴隷制に反対だったのか

以前ある歴史書でリンカーンは当初は奴隷制に反対ではなくむしろ賛成だったと
記述されていましたが本当でしょうか(書名は忘れました。)
南北戦争において奴隷制の賛否の重要性はどの程度だったのでしょうか。

Aベストアンサー

> 南北戦争において奴隷制の賛否の重要性

英仏が南部政府を承認するか否かという点で重要でした。彼らは奴隷制度を気にしていたので、解放意思のない南部を支持する訳にいかなかったのです。

そもそも北部にいた(メリーランド等の奴隷制度州と北部に逃げた逃亡奴隷)は所謂「奴隷解放宣言」では解放されていませんので…

ヴァージニア・ノースカロライナ・サウスカロライナ・フロリダ・ジョージア・アラバマ・ルイジアナ・テキサス・アーカンサス・ミシシッピにいる奴隷は全て自由民であると言っただけです。

メリーランド・テネシー・ケンタッキー・ウェストヴァージニア・ミズーリの奴隷と北部に逃亡した逃亡奴隷は奴隷身分のままです。

Q本日天気晴朗ナレドモ波高シ……は何故名文なのか?

東郷平八郎が丁字戦法を使ってバルチック艦隊を破った時、
秋山参謀という人が東京にこんな打電をしたそうです。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、
本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

高木彬光先生の歴史小説の中で「名文中の名文」と謳われていましたが、
どうもしっくりきません。

だって、単なる指令と天候を伝える平叙文じゃないですか。
これだけシャープに必要なことをまとめた、ということが
賞賛されているのでしょうか?

教えてください。

Aベストアンサー

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。砲撃戦に理想の天気である。しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。

ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連...続きを読む

Q白人はどうして黒人を差別するのでしょうか?

アメリカで黒人が白人に差別されたと
デモや暴動が起きているそうです。

どうして白人は黒人を差別するのでしょうか?

日本では、ボビーオロゴンやビリー隊長とか
大人気だし。野球でも黒人が大人気なのに
どうして差別されちゃうのでしょうか?

私にはどうしても分からないのでよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 まずアメリカは国土が広大で地方分権も進んでいるので地方によって人々の考え方が大きく異なり、アメリカと一口に言っても州や地方によって差別の現状は大きく異なる事と、アメリカにおける人種差別をもって白人全ての人種差別を語る事はできない事を申しあげておきます(北部ヨーロッパやイベリア半島では人種差別差別はまた違う様相を呈しています)。
 それとビリー・ブロンクスは大学教育を経て社会的に成功している黒人で、ボビー・オロゴンはナイジェリアの富裕層の出身です。一般的に差別を受ける黒人系アメリカ人とはその立ち位置は大きく違います。
 アメリカでの黒人差別は様々な要素が複合的に絡まりあって成立しています。差別の原因となっている要素を幾つか列挙してみます。

・歴史的経緯
かつて白人は黒人をアフリカ大陸から連れ出し(多くの場合、奴隷化したのは現地のアフリカ人達なのですがややこしくなるので割愛します)奴隷として過酷な労働条件で使役してきました。これを根源的な原因として加害者だった自分達白人を黒人は憎悪しているのではないかと考え、それ故に黒人との共存や黒人の社会進出を苦々しく思う白人は常に一定数存在します。

・社会階層的経緯
多くの黒人系アメリカ人は依然として貧困層であり充分な社会進出を行えていません。白人全体における犯罪経験者の割合と黒人のそれを比べるのであれば前者が明らかに高い数値を示すでしょう。その黒人は非文化的で危険であるというイメージが一部のメディアによって増幅され、それに強く感化されてしまう白人が人種差別に走り、さらにそれがイメージに輪をかけるといった悪循環がアメリカ社会には存在します。

・文化的経緯
同じかつての黒人奴隷を導入した国でも南米などでは人種の混合が進み、人種差別などそもそもどれを差別すれば良いのか解らない程複雑になっている国もあり、これらの国では当然人種差別は殆どありません。
 これとは違いアメリカでは人種・文化の混合が行われませんでした。原因については不勉強なのでなんともいえませんが(カルバン主義やアングロサクソンの島国根性が関わっているのかもしれません)、一部の白人にとって黒人が“同じアメリカ人”では無く“国内に居住するよそもの”的な存在になってしまった事は否めません。

 まずアメリカは国土が広大で地方分権も進んでいるので地方によって人々の考え方が大きく異なり、アメリカと一口に言っても州や地方によって差別の現状は大きく異なる事と、アメリカにおける人種差別をもって白人全ての人種差別を語る事はできない事を申しあげておきます(北部ヨーロッパやイベリア半島では人種差別差別はまた違う様相を呈しています)。
 それとビリー・ブロンクスは大学教育を経て社会的に成功している黒人で、ボビー・オロゴンはナイジェリアの富裕層の出身です。一般的に差別を受ける黒人...続きを読む

Q南北戦争の原因とその後の発展への影響について

アメリカの南北戦争が起こった原因として、北部と南部の産業(商工業と農業)、貿易政策(保護貿易主義と自由貿易主義)、政治体制(連邦主義と州権主義)、奴隷制(反対と賛成)を巡る対立などが一般的に知られていますが、これらの要因は具体的にどのようにして形成されたのでしょうか?
また、実際戦争には北部が勝利しましたが、もしこの戦争で南部が勝利していれば、今でも北部と南部の対立が続き、二度の世界大戦にも参加せず、現在のように全世界にこれほど大きな影響力を持つ大国には成り得なかったという意見が多く聞かれますが、これらの推測を裏付ける証拠としてどのようなことが考えられますでしょうか?
近い内の特別授業での発表内容の参考にしたいと思っていますので、皆さんのご意見よろしくお願いします。

Aベストアンサー

漫談です。

南北戦争はサムター要塞事件で本格化するのですが、まずは南北とも、

「まずいなあ、とりあえず兵隊集めなきゃ」

なんです。両方とも出だしはグダグダなんです。が、ひとつだけ大きな違いがありました。
北部、連邦はハッキリとリンカーンが「南部の軍事的撃滅。連邦再統一」という方針をもっていました。
方や南部は最後まで戦争目的が明確ではなく、最初の内は「南部が所有する資産防衛」という曖昧なまま進みます。南部は戦争初期における将軍の質以外、全ての面で、実は食料生産力でも劣っていたので、このような不明瞭なドクトリンではもう負けるしかないのです。
南部の勝利は、戦争途中の連邦大統領選挙でリンカーンが落選する以外、チャンスすらありません。

南部は漠然と、南部の綿花供給能力で欧州列強に国家として承認してもらい、北部と停戦して独立できたらいいな、が、まあ目的といえば目的なので、万が一、ゲティスバーグでリーの率いるノース・ヴァージニア軍が北部のポトマック軍を破滅的に粉砕していたら、欧州が

「おれたち南部から綿花ほしいから、戦争やめてくれ」

と言ってくれたかもしれません。ここで戦争が止まったら(終わったらに非ず)、なんとなく気まずい間柄の北部と南部が北アメリカ大陸で共存し、ゴタゴタ続きの大陸国家として歩むのではないかと思います。

戦後は、パナマ運河掘削、対スペイン戦争、ハワイ、フィリピン、日本、アラスカ対策などができなくなると思います。
で、結局これらの政策のため、「合衆国」としてある時点でまたまとまるようなオチではないでしょうか。

でも、ゲティスバーグのとき、実は名将リー、お腹くだしているので、これは大分無理があると思ってください。北部は南部を確実に撃滅できる国力があるので、勝つ戦争を捨てることはないでしょう。

漫談です。

南北戦争はサムター要塞事件で本格化するのですが、まずは南北とも、

「まずいなあ、とりあえず兵隊集めなきゃ」

なんです。両方とも出だしはグダグダなんです。が、ひとつだけ大きな違いがありました。
北部、連邦はハッキリとリンカーンが「南部の軍事的撃滅。連邦再統一」という方針をもっていました。
方や南部は最後まで戦争目的が明確ではなく、最初の内は「南部が所有する資産防衛」という曖昧なまま進みます。南部は戦争初期における将軍の質以外、全ての面で、実は食料生産力でも劣ってい...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q「人民の、人民による、人民のための政府」は誤訳?

1/13付けの産経新聞にリンカーンの「government of the people, by the people, for the people」という有名な演説のことが掲載されていました。http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070113/srn070113000.htm

筆者の拓殖大学藤岡信勝教授は、
・実は〈government of the people〉を「人民の政府」と訳すのは完全な誤訳なのである。
・なぜなら、これは「人民を『対象』として統治する政府」という意味だからである。
・「人民の政府」という日本語の語句をいくらひねくり回してもそういう意味は絶対に出てこない。
と言い切っていますが、本当なんでしょうか?文法的な解説も記述されていましたが、英語に弱いためよくわかりませんでした。どなたか分かりやすく解説していただけないでしょうか?

「人民の、人民による、人民のための政府」という有名な訳が誤訳だったなんて、ちょっとショックです。

Aベストアンサー

以下は、『ニホン語、話せますか?』(マーク・ピーターセン 著)からの抜粋です。

(藤岡教授と同様な主張が日本にあることについて)

「英語圏で141年以上も続いてきた常識的受け止め方が引っ繰り返される、リンカーンも驚くにちがいない、突拍子もない文法的解釈だが、(中略)
リンカーンの言葉について簡単に言えば、government (which is) of the people (and is) by the people (and is) for the people(ちなみに、中国ではこれは「民有、民治、民享的政府」と訳されているようだが)の of the people は、いわば、「人民の合意の上で出来た」や、「人民の間から生まれた」などのような意味を表している。リンカーンはこの言葉で「government = 政治」を説明しているわけで、government に統治されるのは the birds でも the flowers でもなく the people だよ、とわざわざ述べる必要も意図も、言うまでもなく、ない。」

QWord 文字を打つと直後の文字が消えていく

いつもお世話になっています。
Word2000を使っているものです。
ある文書を修正しているのですが,文章中に字を打ち込むと後ろの字が消えてしまいます。
分かりにくいですが,
「これを修正します。」
という文章の「これを」と「修正します。」の間に「これから」という単語を入れたときに,その場所にカーソルを合わせて「これから」と打つと,
「これをこれからす。」
となってしまいます。
他の文書では平気です。
何か解決する方法があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

入力モードが「挿入」(普通の入力)から、「上書き」になってしまっているのだと思われます。
キーボードに[Insert]というキーがあると思いますので、1度押してみてください。

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

★「封建制度」を簡単に説明してください!

世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

理解力を深めたいので、封建制度を簡単に説明できる方よろしくお願いします!

Aベストアンサー

封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
「土地をなかだちとしてむすばれた主従関係(しゅじゅうかんけい)にもとづく社会のしくみ。」
のことを言います。
御恩と奉公ですね。
もちろん日本・中国(周)・中世欧で指す封建制度とはそれぞれ少し意味が異なったりしますが、基本的には上記の意味です。

ちなみに対義する言葉は絶対王政や絶対君主制です。


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