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ランバ・ラルの通り名「青い巨星」命名時期が分かりません
他の有名なパイロットたちの多くが、MS実戦初投入であるルウム戦役で名を上げているのに対して、ランバ・ラルはルウム戦役に参加していません
「青い巨星」という名前はルウム戦役以前、もしかすると一年戦争以前に定着したものなのでしょうか?詳しい方教えてください

A 回答 (3件)

一年戦争後に「青い巨星」と名づけられました。



ランバ・ラルはルウム戦役に参加していて巡洋艦と戦艦を計6隻沈めた事になっています。
ただ、軍から冷遇されていたためその功績が認められず昇進はしませんでした。
この時に乗っていた旧ザク(当時は最新機でした)が青く塗られていました。

シャアの「赤い彗星」と違って彼の「青い巨星」は戦中には呼ばれていませんでしたが、
戦後にジオンのエースパイロット達の活躍が広く知られるようになり、彼らに異名を付けるようになったため、
青い旧ザクやグフに乗っていたランバ・ラルも「青い巨星」と呼ばれるようになりました。


No.2さんもご指摘のとおり「青い巨星」という通り名は劇場公開時のプログラム等のあおりとして使用されたもので
ガンダムの作中では呼ばれていません。

上記の設定もMSV等の販売戦略上に後付けされた物です。

この回答への補足

では、MSVとジオリで食い違いが起こっていて、
MSVではルウム戦役での活躍から
ジオリではグフでの活躍から
戦後に付けられたということでいいのでしょうか?

補足日時:2007/12/11 11:25
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「青い巨星」が初めて使われたのは、劇場版「哀戦士編」公開時のポスターにおいてですね。

当然セリフ中でも「そう呼ばれた事は一度もない」ので、定着していたとは「考えられません」。

ただ、ランバ・ラルは実力至上主義の「宇宙攻撃軍」でさえ、ある種冷や飯を食わされている状態です。ダイクン派という事が相当-に働いていたのでしょう。
今でさえ「青い巨星」が一般化して、青い旧ザクが普通に見られますが「Realに考えれば」死後に送られた二つ名であるかもしれません。ランバ・ラルが倒れた時に、その青いグフになぞらえ「蒼き巨星堕つ」として知られるようになった可能性が高いと考えますがいかが?
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誰も「青い巨星」なんて呼んでないのでしょう。


通り名があった方がいいから誰かが無理やりこじつけたのかも。
「赤い彗星」に対抗しただけ。
だいたい、ダイクン家に仕えていたラル家の人間が、公国の中で「巨星」なんて敬われるわけがない。
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