第一次大戦後のヨーロッパにおいて国家と民族の関係はどのように変わったのでしょうか。 

A 回答 (1件)

限られた情報ですが、下記の参考URLに記載されています。



参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~vx2s-szk/mypapers04. …
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Q第一次世界大戦のアメリカ参戦に関して質問です。

第一次世界大戦時、アメリカは当初中立を保ったのち、協商国側で参戦しましたがその参戦の理由は、

・ルシタニア号事件などドイツの無制限潜水艦作戦によるドイツ感情への悪化

・国民世論が参戦へと傾いた

などと言われていますが、実際アメリカが参戦したのは英仏に多額のお金を貸しており早期に決着を付けなければお金が取り戻せなくなるからと考えたというのは正しいのでしょうか?それとも、アメリカは第一次世界大戦が始まった当初は中立を維持し参戦しようなど考える人は殆どいなかったのですか?

Aベストアンサー

投資したお金を回収するためですね。
参戦したお陰でドイツを負かすことが出来て、戦後の賠償も手加減しないようにアメリカが誘導し、戦後のアメリカは空前の好景気になりました。
負けたドイツも、勝ったフランスなども、長い戦争で消耗しきっている中で、アメリカ一人勝ち状態になったのです。

Q第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由 

 第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由って何だったんでしょうか?。
 学生時代に習ったはずなのにまったく覚えていません。 
 直接的なきっかけを知りたいんですが。

Aベストアンサー

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

WW1では確かにオーストリア皇太子暗殺によって勃発しましたが連合国も枢軸国も同様の問題を抱えておりたまたまトランプでジョーカーを引いたのが枢軸国側だと思って貰って結構でしょう。ある意味熾るべくして熾った戦争とも言えます。

それに対してWW2はと言うとこれはWW1の戦後処理の拙さと世界恐慌が連続した事による側面もあったのです。
WW1後のドイツは確かに最悪のインフレに悩まされました。しかしながらドイツ人自身の資質とアメリカからの資金援助(借款)によりなんとか再生への道が見えていた時代が確かにあったのです。しかしご存知の通りアメリカ発の世界恐慌でそれは御破算。かてて加えてフランスがルール地方を強制的に借金(賠償金)の担保として押さえたりと外圧が加わりました。一方でドイツ国内では数十年前までは群雄割拠しておりその後はドイツ帝国として成立した経緯であり、WW1敗戦後のワイマール憲法による民主主義が成熟していたとは言えない状況です。
ちなみにナチスのSA隊とは当時の民主主義時代の選挙活動等で敵対する共産党などの他政党からの妨害を排除するために結成された経緯があります。まぁ平たく言えば政党お抱えの暴力団とも言いますね。勿論これは当時のナチスだけでなく他の党も多かれ少なかれやっていたことです。当時のドイツの民主主義は暴力団を使った抗争とセットになったものとさえ言えるでしょう。
そんな絶望的な状況下でナチスと共産党以外の党が政権を担ったのですがどれもこれも失敗。でドイツ人はダメ元でナチスを選んだのですが・・・悪魔が実在する証明だったのでしょう。彼らは相当に悪どい事をやってでも一定の成果をだしました。ナチスが政権を確立できた要因がここにあります。

一方でフランスやイギリスの思惑もありました。イギリスのチェンバレン首相は融和派でありWW1の再現だけはなんとしても回避したいがためにドイツに譲歩を重ね、それがヒトラーの増長へとつながりポーランド侵攻へと繋がったとする説は当を得ていると言えるでしょう。
しかしこれがソ連を視野に入れると状況は変わってきます。ソ連による共産主義の拡散は他国にとっては脅威以外の何者でもありませんでした。共産化すれば確実にその国のトップは粛清されることが確実だからです。そうした視野から見ればソ連vs英・仏・独・米といった状況の出現もあり得るのです。実際スターリンはその事を一番恐れていました。
地図を眺めれば分かると思いますがソ連がヨーロッパへ侵攻するとなれば一番バッターになるのは確実にドイツ。二番手がフランス・・・となります。そこでチェンバレンはそこも視野に入れての抱込みの意味での譲歩を重ねたと言えるでしょう。実際にWW2以後のドイツは東西に分裂し西ドイツ軍は強力な陸軍国となっていますしね。

少し話が逸れましたがヒトラーがああも政権を維持できた理由として最大の原因がWW1の戦後処理です。同時代の人はこう言っています。
「過酷にしては生温く、生温いにしては過酷だった。」とね。これはもう二度と立ち上がれない位に潰すのか逆に過剰な程に優遇して恩に着せるかして陣営に抱込むかしておけばWW2は回避できたか規模の縮小はできたのではないのか?という考察です。
実際WW2以後はこれを踏まえて日本と西ドイツを西側陣営に引き込む事に成功してますし両国ともPKO等の派兵位で済ませています。WW1での教訓は敗戦国を潰そうとしてもその国民は恨みをバネにして即座に復興して矛先を真っ先に戦勝国に向けてくる事を踏まえた教訓によるものなんですよ。

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

WW1では確かにオーストリア皇太子暗殺によって勃発しましたが連合国も枢軸国も同様の問題を抱えておりたまたまトランプでジョーカーを引いたのが枢軸国側だと思って貰って結構でしょう。ある意味熾るべくして熾った戦争とも言えます。

それに対してWW2はと言うとこれはWW1の戦後処理の拙さと世界恐慌が連続した事による側面もあったのです。
WW1後のドイツは確かに最悪のインフレに悩まされました。しかしながらドイツ人自身の資質とアメ...続きを読む

Q第一次世界大戦後のアメリカ

第一次世界大戦後のアメリカは債務国から債権国に変わったため世界一裕福な国になった。
と習ったんですけど、聞きたいことがあります。
(1)なぜ、そのようになったのか?
(2)なぜ、変わったら裕福になるのか?
Ps "債務国","債権国"は一応辞書で調べてみたんですけど、全然意味がわからなくて・・・

Aベストアンサー

(1)アメリカは、第一次世界大戦中に、連合国(イギリス、フランス、ロシア、日本など)に物資を供給し続け、莫大な利益を収めました。それ以降も豊富な資源を生かして、ますます経済が発展し続け、世界の金融市場を支配するようになりました。

(2)債務国(借金のある状態)から、債権国(金を貸している状態)に変わったので、裕福になります。
国と言うレベルではなく、個人のレベルで考えてみれば分かりやすいです。
裕福になる(経済的繁栄を誇る)とは、すなわち物がたくさん売れることです。
第一次世界大戦でたくさんのものを売ったアメリカは、金がたくさん入ってくるので当然裕福になります。

豊富な資源のアメリカは、そのように売るものがたくさんあるので、どんどん金持ちになっていきました。

Q第一次大戦のときと第二次大戦の比較

ドイツ軍がより勝算があったのはどちらのときでしょうか?

Aベストアンサー

勝機というか、敗北しないですんだのは一次大戦の方でしょう。

まず、最大の懸念である東部戦線が革命で消滅します。
地中海方面はトルコがガリポリで勝利し安定し、ここもロシア正面が消滅するので安心です。

当時は洋上でUボートの攻撃を防ぐ手段が極めてお粗末なので(特に、航空機支援がありえないので)、早い段階で無制限潜水艦攻撃をし、Uボートの増産をすれば二次大戦より深刻な事態に英国は陥ります。
実際、ドイツが無制限潜水艦攻撃をはじめたときは、英国海軍省と植民省は本気でダメだと思っていたと、チャーチルが回顧しています。護送船団方式をとるまえに、徹底的にUボートを使うと、本当になにがおきたかわかりません。

で、ナチス・ドイツと講和する気になる国はそうそういないと思いますが、ドイツ王室の帝政ドイツとなら王室が縁戚関係の英国は講和にのれるとおもいます。
ドイツは「ウチが共産主義国になったらタイヘンだろ? 講和しよう」という、切り札がきれるからです。フランス単独ではドイツを押さえられないので、英国さえテーブルによびこめればいいのです。

これなら、ドイツの軍部はベルサイユ体制に組み込まれないですむから実質勝利だと思います。

でもこのあと、フランスにはおそらくドイツを恨み恨んだ政権ができるでしょうし、その政権が共産主義政権でない保証はありません。オーストリア・ハンガリー帝国もどうなるのかなあ。

勝機というか、敗北しないですんだのは一次大戦の方でしょう。

まず、最大の懸念である東部戦線が革命で消滅します。
地中海方面はトルコがガリポリで勝利し安定し、ここもロシア正面が消滅するので安心です。

当時は洋上でUボートの攻撃を防ぐ手段が極めてお粗末なので(特に、航空機支援がありえないので)、早い段階で無制限潜水艦攻撃をし、Uボートの増産をすれば二次大戦より深刻な事態に英国は陥ります。
実際、ドイツが無制限潜水艦攻撃をはじめたときは、英国海軍省と植民省は本気でダメだと思ってい...続きを読む

Q写真と英文の意味、第一次世界大戦の関わり

『Barney Searle from Lethbridge(カナダある街の名前です) lied about his age to join the War in 1916. He told his mom that he could think of no better way to spend his life than in the service of his nation. He died 2 weeks after being deployed to the front.』 これはどんなメッセージもしくはメインポイントが含まれているのでしょうか。そし第一次世界大戦とどんな関わりが込められているのかわからないので、是非教えてください。

Aベストアンサー

いかなる戦争であれ、1%の年寄支配層が若者を洗脳・利用し、
人柱と為して自身の保身を図る、という国家戦争の普遍的事実を伝えています。

Q第一次世界大戦と第二次世界大戦らへんのこと様ですが。。

↓↓↓の問題が分かりません・・・。

「1923年にフランスは、ドイツの賠償金支払い遅延を理由にどういう手段をとったのでしょう。また、フランスがこの手段を行ったことにより、ドイツ経済にどんな現象が起こったのでしょう。」

「ドイツが国際連盟に加入したのは何年ですか。」


急いでいるのでお願いします!!!

Aベストアンサー

>1923年にフランスは、ドイツの賠償金支払い遅延を理由にどういう手段
1月11日にベルギー軍とともにルール地方を占領
>ドイツが国際連盟に加入したのは何年
1926年9月8日

Q第一次世界大戦後、日本はアメリカ、イギリスに次ぐ大国になったのでしょうか

第一世界大戦後、戦勝国が軍拡競争を推し進めましたが、無秩序な競争を止めようということでワシントン海軍軍縮条約が取り決められました。

その際の戦艦の保有比率を見て驚いたのですが、英:米:日:仏:伊が5:5:3:1.67:1.67となっており、日本の保有数がアメリカ、イギリスに次いで3位となっていることです。

現代の世界においては経済力によって国力が決まりますが、帝国主義の当時の世界においては軍事力によって国力が決まり、特にハイテクな海軍はその花形でしたので、当時の日本はアメリカ、イギリスに次ぐ大国だったといってよいのでしょうか。国力に加え、アメリカ、イギリスに次ぐ戦艦保有を世界に認めさせた政治力も見事なものです。

当時の日本はアメリカ、イギリスという覇権国家に次ぐ大国であり、フランス、イタリアといった欧州の大国に勝るとも劣らない力を持っていたと考えてよいのでしょうか。
陸軍は貧弱だっただろと批判する人もいるでしょうが、海軍力で優っていれば少なくともおあいこにはなるはずですから。

Aベストアンサー

№3です。丁寧なお返事をどうも。
>私は1940年でなく、第一次世界大戦後を聞いており、大正10年前後のことです。
 ⇒1940年だって第一次大戦後でしょうに。戦艦の保有数なんかを引き合いに出してこられるからてっきり第二次大戦前夜の話かと思ってしまいました。大正10年ならそう書いていただければ。

 で、大正10年(1921年)当時のおよそのGDPは、日本が約900億ドル、ドイツは1100億ドル、イタリアは950億ドル。アメリカは6000億ドル、イギリスが2000億ドル、フランスは1300億ドル、ソ連は(おそらく)2400億ドルです(諸説ありますが)。
 単純に国力(これはGDPだけじゃないですが)で比較するとアメリカ・ソ連・イギリス・ドイツ、フランス、イタリアに次ぐ7番目ということになりますね。海軍力では国力に比較して不相応なほどであったということは事実のようですが。
 
 戦争は最終的には歩兵が相手の領地を占領することで決着がつくともいいます。海軍力が強いから大国だ、というわけではなさそうです。だからアメリカ・イギリスに次ぐ大国というのはちょっと無理筋かもしれません。

>その当時はドイツが戦争に負け、またロシア革命直後でもありましたから、日本のGDPはドイツよりもソ連よりも上だったでしょう。
 ⇒実態としては国がぐちゃぐちゃのドイツやソ連にも負けてますね。貧しかったんだなあということを実感します。

>世界3位の日本をビリと書いているのもどうかと。フランスやイタリアも海軍に力を入れていましたし、スペインやオランダなんかも海軍国でした。
 ⇒確かに3番目をビリと書くのは失礼でした。栄えある3番目ですね。ただしその他の国はフランスは超ド級が3隻、イタリアは超ド級はゼロ。スペインは19世紀末の対米戦で海軍が壊滅、再建途上で超ド級どころじゃない、オランダも似たようなもので海防戦艦(1万トン以下)を数隻保有するだけ。
 これらを海軍国って言うのはちょっと無理があるんじゃないですかね。

№3です。丁寧なお返事をどうも。
>私は1940年でなく、第一次世界大戦後を聞いており、大正10年前後のことです。
 ⇒1940年だって第一次大戦後でしょうに。戦艦の保有数なんかを引き合いに出してこられるからてっきり第二次大戦前夜の話かと思ってしまいました。大正10年ならそう書いていただければ。

 で、大正10年(1921年)当時のおよそのGDPは、日本が約900億ドル、ドイツは1100億ドル、イタリアは950億ドル。アメリカは6000億ドル、イギリスが2000億ドル、フランスは1300億ドル、ソ連は(...続きを読む

Q第一次世界大戦の日英同盟から、第二次世界大戦に至るまでについて質問させ

第一次世界大戦の日英同盟から、第二次世界大戦に至るまでについて質問させて下さい。
第一次世界大戦で共に連合国側で勝利を収めた日と英が、第二次世界では敵になったところまでの流れが知りたいです。日英同盟の中で、日本はイギリスからの兵力要請に応え、その活躍に感謝されたと何かで読んだのですが、関係が逆転した原因や背景を教えて下さい。

Aベストアンサー

補足説明として、

1)英国の国力の減退。
2)アングロサクソンの基準からはみ出した国家主義との対立。
3)両国の中国での利権が対立。
4)中国人の対外不満を日本に集中させるために日本を悪者化。

Q第一次世界大戦後、連合国軍は何故アメリカに対して債務を負ったのか?

第一次大戦後、イギリスやフランスの連合国軍(戦勝国)は何故、アメリカに対して債務を負ったのですか?

ドイツが連合国軍に対して賠償金を支払う義務を課せられたのは理解できます。

でもなぜ、戦勝国であるイギリスやフランスまでもがアメリカにお金を払う必要があったのですか?

この大戦でアメリカがある意味で「調停役」を負ったのはわかりますが…

Aベストアンサー

敗戦国として、アメリカに債務を負ったのではなく、欧州が戦場となったため、戦争遂行に伴う、アメリカからの武器や物資の輸入債務や、戦地復興に伴う、アメリカからの借入や国債売却等で、債務を負ったのでは?

日本も戦場から遠く離れていたため、欧州への輸出が拡大し、大きな利益を得て、好景気になりました。

にわか成金が、夜の玄関口で、自分の靴を探すのに、お札を焼いて探す絵は有名ですよね。


ちなみに、ドイツは敗戦国としての戦争賠償の債務を負いました。

Q小学生のころから歴史が好きで、今まで 戦国時代→第二次大戦→湾岸戦争→中東・イライラ戦争→第一次大戦

小学生のころから歴史が好きで、今まで
戦国時代→第二次大戦→湾岸戦争→中東・イライラ戦争→第一次大戦と
勉強をしてきました、ほかに何か良さそうなものありますか?

高2です。

Aベストアンサー

必ずしも歴史書が歴史の真実を記しているとは限らない。それに、歴史書は必ずしも面白くない。面白く無ければ人間は読むのをやめてしまう。

そこで私が推薦するのは、パール・バックの「大地」だ。中古で千円以下で手に入るようだ。第一巻だけでも読むと良い。あなたの人生が変わる。とてつもない価値の有る本だ。ピューリッツァ賞と、ノーベル賞を取っただけの事はある。


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