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最近、ネットでたまたま「部落」という言葉を知りました。
似たような意味の言葉で「同和」もあるようです。

・この2つは、差別を受けてしまっているようなのですが、なぜ、差別を受けているのですか?

・部落の歴史はどのようなものなのですか?

最初に、「最近部落という言葉を知った」と書きましたが、以前「「えた」「ひにん」の子孫が部落だ」と聞いたような気もします(確かな記憶ではありません)

気になるので、知っている方がいたら教えてください。

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A 回答 (15件中1~10件)

江戸時代以前については知りませんが



エタとは皮革等の職人集団で経済的には(地方ごとの差は有りますが)、潤っていたそうです。
(東日本で皮革職人が足らず西日本から移住させた等の記録もあるらしいです)
立派な、皮革等の職業を独占していた職能集団と言えるでしょう。
(近い記憶では、昭和天皇の崩御?の際、我々こそ棺を担ぐ権利が有ると主張していた方々がいらっしゃいました)
エタ頭の車弾左衛門は大名並の処遇を江戸幕府から受けてもいました。
一方、差別として町民は才覚、金などで侍の身分を買えるなど他の職業に就く事が出来ましたがエタには許されませんでした。

対してヒニンとは、色んな理由で社会から追放された、或いは落伍した人々です。
例として、経済的困窮者、障害者、犯罪者など。
彼等はエタに使役される立場にありました。
エタの下部組織といえるでしょうか。
(エタは長吏「チョーリ」とも言われ、ヒニンは長吏の棒「チョーリンボウ」と言われていたようです)

彼等に対する差別は江戸期より、四民平等が成された、明治、大正期に激しくなったようです。経済的な問題も職業が自由に選択できるようになったこの頃から発生したという見方もあります。(職業を独占する事が不可能になった、その上、他の職種に就きづらい)

そして1960年代頃、在日問題と共に部落差別問題が取り沙汰されたと記憶しています。
現在でも差別は色々な形であるようです。
(警察の発表によると、暴力団構成員の約7割が被差別部落民、3割が在日その他の方々だそうです。就職差別の結果でしょうか?)
地方によっては、被差別部落と特定され辛いように集落名を変えたり、集落の位置(範囲)を変えたりしているようです。
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学術的根拠の無い話をします。



部落問題は、人種差別でしょうね。
大和民族は肉食をタブー視していました。
おそらく大和民族に征服された人々や、大陸から渡来した肉食の習慣のある人々が神道の教義的に「穢が多」であるので、「非人」として差別されたのでしょう。
つまり「非人」とは、「大和民族に非ざりき人」ではないかと思います。(ユダヤ教のゴイムみたいですね)
徳川家康の旗印(馬印)は「厭離穢土欣求浄土」でありますから、当然として「穢」は「離」します。
それが徳川家康の思惑と離れ、政治的に都合よく利用されて「部落」政策になり、民衆の不満のはけ口の対象として位置付けされたのではないでしょうか。
今の世の中は、ほとんどの人が肉食をタブー視していません。
つまり、明治以降の日本人は「穢が多」で「大和民族に非ざりき人」になっており、皆等しく「非人」だと思います。
特に大戦後は「非人」度が桁外れにアップしています。
これを良いと見るのか、悪いと見るのかは個人の判断に任せますが、「非人」が「非人」を「非人」と言って差別している状態なんですね。
どっちもどっちの状態です。つまり、個人的なレベルの高い人が勝利するんです。(狭義的にですが)
腕力や脅しなどで同和政策の甘い汁をすすっている人がいるのも、同和地域に住んでいるから差別されている人もいるのも、それが今の現状です。
別の見方をして「非人」を「日本人」とはめ変えて見ましょう。
「日本人」が「日本人」を「日本人」と言って差別している状態って、可笑しいでしょう。
明治政府が四民平等などするからいけなかったんです。人類平等にすれば良かったんではないかと愚考します。(無理でしょうが)

白土三平の諸マンガや峰隆一郎の小説などがお勧めです。
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「部落」と「同和」という言葉について補足しますと、


部落は明治時代や昭和初期に使われた「細民部落」「特殊部落」や
現在でも使われる「被差別部落」の略です。
携帯電話を携帯と略すようなものです。
ネットで検索すると東日本では本来の集落という意味で普通に
使われるとよく書かれていますが、私の地元の鳥取県でも
郊外や郡部では部落会とか部落長という言葉が時々使われています。
それぞれ自治会、自治会長という意味です。

「同和」は同様に「同和地区」の略です。
これは同和対策事業が行われた地区を指す行政用語です。
2つを合わせて俗に「同和部落」と言ったりすることもあります。

また、現在残っているとされる差別ですが、
非科学的な迷信は既に消えていると思います。
部落の人は穢れているとか、地面を掘ったら血が出てくるとか、
本気で信じる人はまずいないのではないでしょうか。
また、生活や経済状況は同和対策で相当改善されました。

おそらく現在の差別の実態は、直接的な差別というより2次的なものだと思います。
具体的には、部落は差別されているという風評が広まっているために、
自分が部落の人間と同一視されると自分も差別されるのではないかという不安です。

残念ながら、少なくとも我が鳥取県に関しては
そういった風評を広めているのは少なくとも人権啓発を行っている行政や、
部落解放同盟といった運動団体と言わざるを得ません。
これは紛れもない事実なので書きますが、
教職員や運動団体が教育や啓発活動の場で、具体的な部落の場所や
誰が部落民であるかを明らかになるようなことを
公の場で教えている実態があります。
また、鳥取県に限らない話であれば部落民に対しては
あなたは部落民であると教える教育が行われています。
これは実際に私が地元で幼い頃から目にしたことです。

地域によってはさすがに地元の反発が強くて
このようなことは陰をひそめつつあるようですが、
我が鳥取県については、今すぐなくすことは難しいでしょうね。
同和対策が行われた頃に教育だけでなく、公共事業など行政のあらゆる制度に
誰が部落民かそうでないかを分けるしくみが組み入れられてしまっていますから。
もっと具体な話があるのですが、とりとめなくなってしまうのでこの辺で。
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部落といっても、地域によって起源は異なります。


おそらく最も多いのは江戸時代以前に「えた」や「ひにん」身分の人が集められた集落です。
江戸時代に飢饉などの理由で他の地域から流れてきた人が集まった、今で言えば「難民キャンプ」のようなところもあります。
あるいは、そのような集落から開発等のために他の地域に移住した人で作られた集落が、移住先の地域から被差別部落とみなされることもあります。

では、なぜ差別の対象となったか言えばいくつか理由があると思います。
1つは江戸時代の政策的な差別の名残です。
「えた」や「ひにん」身分の人々は、政策上他の身分とは隔離されていました。
もう1つは部落の生活環境や経済状況によるものです。
歴史的経緯から生活、教育、経済の面においても非常に状況が劣悪だったことです。
その結果として犯罪に走ったり、ヤクザが多かったために周辺の住民からは評判がよくありませんでした。
もう1つは、よそ者に対する排斥です。
例えばある地域の部落がその地域にある移住者の部落をさらに見下すといったことがあったようです。
都会の方にはピンと来ないかもしれませんが、
田舎に対する悪いイメージを想像すれば、少しは理解できますよね。

この質問に対して様々な回答があるのは、
実際のところ、部落の歴史や差別の起源について定まった学説というのはないからです。
地域によっても違いますし、奈良時代からの歴史があるとも言われているので
はっきりとしたことは分かっていないことが多いのです。
なので、部落差別があるとされる地域でも、
理由はよく分からないまま、あたかも都市伝説のように
あそこは部落だと陰でささやく人がいる、というのが現状です。

ただし、はっきりしているのは1960年代に開発から取り残されていた
部落のインフラを整備するため、あるいは差別をしないよう
地域住民を啓発するために、法的に「同和地区」として部落の場所を
行政が把握していたことは事実です。
これが同和行政というもので全国レベルでは2002年まで行われていました。
以降も、条例を制定して同様のことを行っている自治体が多いです。
参考URLをご覧ください。

同和行政は同和地区の開発のために費用の2/3を国が出すというもので、
この予算を獲得するために同和地区のある地方では何でもあり状態で
時には不正も行われました。
それが大阪の飛鳥会事件や、奈良市の病欠職員という形で明るみになってきたわけです。

現在も差別が続いている、というのは同和行政に一部失敗した部分があるためだと私は考えています。
そのことを大っぴらに主張しても当事者の方々が真剣に受け止めようとしないし、
同和行政とあまり縁のなかった地域の人々に理解されないことが歯がゆいところですけどね。

参考URL:http://blhrri.org/kenkyu/data/jourei/jourei.htm
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私の母方の田舎のほうにも、その名称でよばれる地域がありました。


町よりすこしはなれた場所に、その部落はありました。

都会の人間の目からみると、ある程度大人になったら、東京とか大阪にでてしまえば、素性もそれほど問題なくなるようにみえます。
ただ、この問題を扱う番組をみていると、
・その地域の人々の意識の中にその出身であるという意識があり、それがくさびのように土地と結びついている
・親もその意識のためか、職業もそれなりの職業になってしまう
・収入も高くなく、住んでいる地域が離れているため、子どもの学習や意識もなかなか改善しない
など、悪循環にはまってしまうようです。

例えはよくないですが、私はその番組をみていて、会社にもこのような部署や、せかっくのチャンスをつかまず向上心も学習心もない社員がいるが、にてるなあ、と思いながらみていました。
そして、これは社会にはどうしても存在する影の部分であると同時に、自分たちでは這い出せない、社会も改善しにく、不思議な空間にも映りました。
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>なぜ、差別を受けているのですか?



中国から入ってきた律令制度が引き金になったのではないかと思えます。


>部落の歴史はどのようなものなのですか?

民俗学の方から研究をした人がいます。

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81 …

もののけ姫の映画を作った宮崎監督も恐らくこれを読んだと思えます。

もののけ姫の映画の中に、ある集落があり、そこには女たちや全身包帯に巻かれた人たちが暮らしている描写があります。
彼らは何者なのか。



身分制度ができて差別されることになる前は、何者だったのか。

昔、日本列島は一つの権力が全体のトップにいたわけじゃなかった。
各地に豪族がおり、民族が違い、それぞれのグループにはリーダーがぎて、その元に暮らしていた。

大和朝廷というものが大きくなりだし、地方のグループを吸収していった。
そかし、大和朝廷を奉わないグループもいた。
この大和朝廷を奉わない人々の総称が<蝦夷>。
蝦夷人ってわけじゃないんですね。

大和朝廷に奉わない人々は、大和朝廷と戦い負けて吸収されていったわけです。


NHKで、日本人の源流みたいなものを観たことがあります。
日本列島にはいくルートからも人々が移り住んできた。
南方より来た人々、ロシア方面から来た人々など。
北の方から来た人々は、針葉樹林が多い場所で、自然界の恵みを受け、取れるものを食べていた。
そこに大陸から来た鉄の文化を持つ人々がやってきて、その鉄製品を使い、木々を切り倒すことがそれでできたので、開墾していった。

ところが、先住民がいて、小競り合いになるわけです。
鉄を武器にもできる相手ですから、戦っては勝ち目がない。
しかし、自然が守ってくれる。
彼らは、鉄製品を使っても開墾が困難な場所に身を隠すわけです。
すると住み分けが起こるわけです。

しかし、人々が増えていくと、領土拡大が必要になり、また畏怖する何者かが森林に潜んでいることが心を乱すため、討伐したりしていた。

人々が集まると村ができ、町ができ、それらの人々を統率する豪族ができ、やがて大和朝廷という大きな国家みたいなものができる。

しかし、大和朝廷に服従しないグループはいくつもいた。

http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/miyazaki/kisoc …

http://www.ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku …

もののけ姫に登場する少年アシタカ。
彼は大和朝廷に奉わかなった集団の子孫として描かれている。
http://www.ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku …

サンを育てたモロたちのグループは恐らく山神一族とされた人々を当てはめているのではないかと。
犬じゃなく人間。

乙事主をリーダーとする一族はの九州の一族。
動物のイノシシじゃなく、人間。


アシタカの村を襲った蜘蛛もやはり人間。


日本の風習は穢れを忌みますよね。
大陸と貿易などをしていたグループもおり、人が流れると病気も一緒についてくる。
タタラ場にいた包帯グルグル巻きの人々は、病気にかかり、グループから排除された人々。

エタという言葉がどこから来たのかと思いましたが、
<ここでは神聖な泥水に浸かった男が、里に降りて幸福をもたらすと言う。その泥水を「ニタ(ニッジャ)」と呼ぶ。ニタとは、古来、猪が虱を取るために浸かる(「ニタをうつ」と言う)場所を指す言葉である。>
のニタが変化してエタになったのでしょうか。


タタラ場の女たちは恐らくこの映画では、非人とされた元権力者として描いているのではないかと。
   ↓
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%81 …


古代の人々のほとんどは農民だったとされるが本当にそうなのか。

http://www.amazon.co.jp/%E7%95%B0%E5%BD%A2%E3%81 …
などを読むと、兼業だったと思える。
農業を専業とせず、農業の合間に商業もしていた。
それが律令制度により、仕事を分けられ、身分というものが権力者から押し付けられ、庶民はここで仕事による人を差別をするようになった。


つまり行政により大きな差別問題がひきおこって、現代まで後遺症は残っているわけです。

その一つが蝦夷討伐で、何度目かで成功し、彼らを一定の地域から出ないように留め置いたんですね。

遊女もそう。
各地を自由に旅行できていた帝すらものいいできないほどの権力者だった非人が、律令制度により身分を落とされていき、果ては遊郭に閉じ込められるまでになった。

といっても、彼女らは非人だと偽って踊って稼いでいた偽者だったのかもしれませんが。


差別される側にまわらずうまく成功したと思えるのは歌舞伎。
非人が行っていた芸術をうまく使い、権力者に取り込んでいって保護されていったわけです。


このように差別されるに至った人々は一種類じゃない。
卑しいとされた仕事をしていたからじゃない。
大和朝廷に服従しなかった人々が悪い人だったからでもない。
神と人の間に座する仲介者とされた人々が、穢れた人々だったからでもない。

制度により、差別が起こったわけです。
豪族が統一しようとし、他を排除していくか吸収していくかしていき、負けた方が差別されるものになっていったりもした。

つまり勝った方が負けた方を差別しただけで、悪いことをしていたから差別されて当然だったからじゃない。
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この問題は歴史の暗部に属する問題です。



古代から血を汚れと見なす風俗から発している部分もあり、死体を扱う業を特殊視するようになりました。
さらに流動的生活をして定職を持たない人々(狩猟民族や散民)も含まれるようになりました。  大和民族以外の蝦夷、隼人、などの渡海人の子孫も含まれました。  
その流れが歌舞音曲に従事する人(出雲のお国や歌舞伎役者の一部)にまで広がったのです。

中世にはこれらを特殊視するまでには至りませんでしたが、これらの人々が次第に集団化し一定の地区に定住するようになると周辺から区別が生まれるようになったのです。
楠木正成が散所の民の首領であったとする説もありますが、彼が功績抜群なのに冷遇されたのはその為ではないかという説もあります。

一般人と区別するようになったのは江戸時代からで階級制度で人にあらずという階級を作りだしたからです。
ある種の職業に従事する人を非人として区別した習慣が定着してしまいました。  彼らとの婚姻を避けるように成り、その結果血族結婚が増え、遺伝学的なリスクも増加しました。

これらの総合的な結果が現在に残ってしまったのが現状です。
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私は関西出身なので学校の道徳の時間に習いました「にんげん」という教材があったのを覚えています。


東日本ではこの様な教育がなされていないこともあって部落の存在自体を知らない方も多いし、在日朝鮮人・韓国人への差別と混同されている方も多いようです。
まず部落は江戸時代からとの間違った説が流布しているのも認識不足が原因と思います。江戸時代は士農工商○○・●●と制度化されただけで、発祥は中世以前にさかのぼります。
(○○、●●は放送禁止用語で漢字変換しても一発変換は不可能です)
さておき、このような所で聞いても本質の1%もわからないでしょう。ネットで情報収集する、書籍を読む等で幅広い知識を得られることをおすすめします。

関係するキーワードとしては
・陰陽師・安倍晴明
・歌舞伎・歌舞伎者
・破戒(島崎藤村作)
・橋のない川(住井すゑ作)
・ 野中広務 差別と権力(魚住昭著)
・手紙/チューリップのアップリケ(岡林信康詞曲)
・鶴の恩返し(民話)
・信太の狐火(民話)
・同和
・解放同盟(解同)
・水平社
・士・農・工・商・○○・●●
・狭山事件
・八鹿高校事件
関連する、政治・思想・利権団体が複雑に絡んでいます、迂闊に関係者に近づかず、ご自分の目と耳で調べてください。
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この回答へのお礼

関西では小学校からこのような問題を取り上げているのですね。
それだけ身近な問題ということでしょうか。
江戸時代からの問題とばかり思っていたのですが、中世までさかのぼるとはビックリです。
本当に歴史のある問題なのですね。

やはり自分で調べた方がより多くの知識を得られるようですね;;
たくさんのキーワードも挙げていただいたので、それを参考に調べてみようと思います。
自分は安倍晴明とか結構好きなのですが、部落問題に関わりがあるとは驚きました。
他にも歌舞伎とか、島崎藤村とか、民話とか、聞いたことのあるキーワードも多く含まれていて、身近な問題だと感じました。

有り難うございました。

お礼日時:2007/12/22 15:13

1:非科学的な迷信。


江戸時代は非科学の時代ですから。

2:江戸時代に置ける都市部での政府御用達の3K業務。
現代でも3K職業は嫌われますね。
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この回答へのお礼

迷信から出来てしまった身分・・・みたいな感じでしょうか?
江戸時代は今よりも神様とかを信じていたみたいですから、ありそうな話ですよね。

3Kというと、危険・キツイ・汚いとかの3Kでしょうか?
確かに今でも進んで就きたい職業ではないですね;

有り難うございました。

お礼日時:2007/12/22 15:09

質問内容から、勝手にお若いかただと想像して・・・



まずは、「橋のない川」という映画をご覧になってみて下さい。

重いテーマですが、渡部篤郎さんや中村玉緒など、よくお見かけする役者さんが出演されているので、入りやすいと思います。

映画を突破口に、その後、深く掘り下げた書籍などを読まれると理解しやすいのでは?
http://www.cine.co.jp/works1/bridge/index.html
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この回答へのお礼

まだ大学生なので、若い人だと思います。
ご紹介いただいた映画も知りませんでしたし・・・

「橋のない川」見てみようと思います。
確かに映画なら見やすそうですね。
URLも載せていただき、有り難うございます。

映画を見てから、詳しく書かれた本で調べてみようと思います。

有り難うございました。

お礼日時:2007/12/22 15:01

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悔しくて夜も眠れずこちらに辿り着きました。
(理解していただきたいので内容が細かく、長いです。申し訳ありません。)
出会った当時私は学生で、夫は県外の人間でしたが仕事の為に都心部に移り住んでいました。
結婚して4年です。子供が一人います。
夫が実家近くに転職したので、今は夫の実家の近くに住んでいます。
私は3人姉妹の末っ子で、父が中学生のときに亡くなったので母親に育てられましたが、祖父母が会社を経営していたので何一つ不自由なく育ちました。
出会った当時、夫は実家にルートセールスで度々来ていました。
母は時々物を買っていて、私と知り合う2年前から夫を知っていました。
その間、彼氏がいなかった私の写真を見せていたのは知っています。よく母から、「面白いお兄さんがいて○○(私)に会ってみたいと言っているけれど、どうする?」と言われており、その一年後に初めて3人で食事に行きました。
付き合いはそこからです。
付きあってから度々悩まされたのは、他人に対して暴言を吐いたり道路の真ん中で車を止めて怒ったりすることでした。
(先日も駐車場の枠外にとめていた車の人に暴力団のような言葉を吐いていたので知らない顔をして子どもと逃げました。)
私にも暴言や暴力(年に数回)があり、何度も別れようと思ってきました。
しかし、夫にも優しい所があり、初めての人でしたので夫がすべてだという気持ちがあり、結局結婚に至りました。
何かがおかしいと思ってきたのは結婚してからのことです。
毎週夫の実家に行くごとに義父母から親戚の職業を耳にしてきましたが所謂部落の方が多い職業についており、部落の方と結婚している人がとても多いのです。
また、義父は自営業をしていますが暴力と酒癖が悪く部屋中のものを壊したり、年に数回は義母の顔にあざができるほど殴るので本当に恐ろしいです。
本人たちの口から「部落」という言葉は結婚してからは何度となく聞いていますが、自分たちは違うというニュアンスで話してきます。
差別があるから夫のいとこは子供をつくらないし、結婚もしないとも聞かされてきました。
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調べるきっかけとなったのは私の職場に夫がやくざまがいの電話をしてきたことでした。
それは、私の仕事用携帯に職場の男性のアドレスがあっただけのことでした。私的なメールは一切しておらず、上司から同僚まで全ての電話番号とアドレスが入っています。
夫はそれを浮気だと勘違いして、会社に怒鳴りこみの電話をしてきました。しかも妊娠初期の事でした。
その後出産の為辞めることとなりましたが、会社の上司から夫のことをかなり詳しく聞かれた上でそれとなく言われました。
本当にショックで血の気が引きました。
その後、義父母や夫がよく口にする地区をネットで検索してみると、全て部落に当てはまる地区で自分が住んでいる地区も昔はそうだったと知りました。
本当にショックでした。
冒頭に「悔しい」と書いたのは騙されたと感じるからです。
結婚前に夫の性格や暴力のことで母や親戚から反対されながらも結婚を選んだのは私です。
でも、墓場まで持って行こうとした夫が許せません。
私に話していたら結婚は迷ったかもしれない。
でもきっと結婚していたと思うんです。
それなのに純粋な気持ちでずっと夫を思ってきたのに隠し通そうとしている夫は裏切り者です。大嘘つきです。
夫を許せません。
結婚するまでは部落の人がいるのかどうかも知りませんでした。そして、部落が何かもよくわかりませんでした。
しかし、少しずつ勉強したり地区や周りの人間を見ていく中で分かったことがあります。それは差別する人間だけが悪いのではなく、差別される側にも問題があるということです。
義父や夫の親戚の会話は人間の血が通っていなくて、私にはとても理解ができません。酷い言い方かも知れませんが、気が狂いそうになるほど見ず知らずの他人を悪く言ったり暴言を吐きます。
私が言われることもあります。
今、人生にとても悩んでいます。こどもが小さいので母子家庭は厳しいかもしれませんが、穏やかな暮らしがしたいです。
夫とも義父母とも一切の縁を切ってこの土地からも逃れたい・・普通の考えをした人間と関わりあって生きたい。これが正直な気持ちです。
簡単にはいきませんが、何も考えずに生活しようとしても夫や義父が何か言動を起こす度にうんざりしている自分がいます。
まとまりの無い文章ですみません。
経験談やアドバイスなど、皆さんの考えをお聞かせ下さい。
どうぞ宜しくお願い致します。
最後まで読んで下さってありがとうございました。

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出会った当時私は学生で、夫は県外の人間でしたが仕事の為に都心部に移り住んでいました。
結婚して4年です。子供が一人います。
夫が実家近くに転職したので、今は夫の実家の近くに住んでいます。
私は3人姉妹の末っ子で、父が中学生のときに亡くなったので母親に育てられましたが、祖父母が会社を経営していたので何一つ不自由なく育ちました。
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Aベストアンサー

難しい問題ですね。 差別する事はいけない事だと倫理を
説いても、実際にはいろんな形で区別されている事も事実。

自分がその立場に立った時に、つゆほども気にせず過ごせるか?
と聞かれると自信がありません。

普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

昨今は、まだ昔ほどの差別はないにしても、中には未だに
違った目で見る人がまだまだいる事も確かです。

そのうえ、いろんな事件が世間を騒がせますから、この事が
表だって知られるようになれば、なにがしかの弊害はあるやも
しれませんしね。

この事案からまったくかけ離れた所で生活している物が
当事者に対して簡単に「差別はいけません」とは言い難いです。

関わった物の苦しみは関わった者しか分かりませんね。

輪の中に身を置くという事で、私は単なる個人の人格だけの
問題でもない気がします。

生活の環境と言う物は、個人の主観に大きく影響します。

周りを取り囲む人々が同じ価値観で接してくれば、少なからず
感化されますからね。

さて、問題は今後ですよね。
離婚されるなら身を隠す必要があると思いますよ。

今までの言動・行動を見ても旦那様自身がこの事をかさに
人を威圧する性格が見受けられます。
そういう境遇が持たしたら性格かもしれませんが、実際問題
多少危険である事は覚悟する必要があると思います。

出来れば御実家のご両親にもきちんと相談されて、考えうる
対応を模索しておく必要があると思います。

それでも先を考えれば、行動する価値は十二分にあると思います。
今は×1も珍しくありません。
心穏やかな生活が迎えられると良いですね。

難しい問題ですね。 差別する事はいけない事だと倫理を
説いても、実際にはいろんな形で区別されている事も事実。

自分がその立場に立った時に、つゆほども気にせず過ごせるか?
と聞かれると自信がありません。

普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

昨今は、まだ昔ほどの差別はないにしても、中には未だに
違った目で見る人がまだまだいる事も確かです。

そのうえ、いろんな事件が世間を騒がせますから、この事が
表だって知られるようになれば、なにがしかの弊害はあるやも
しれませ...続きを読む

Qたくさんの方に教えて頂きたいです!結局、部落差別って何なのでしょうか?

僕は北海道出身です。
北海道には『部落』と呼ばれる地域がありません。
ですから部落差別と呼ばれるものも存在しないと思います。

青春時代を関西の田舎町で過ごしましたが、その時初めて『部落差別』なるものの存在を認識し、とても大きな衝撃を受けました。
『同和教育』なるものも北海道の小学校では教わった記憶がありませんし、未だに根強い差別意識が残っている事に疑問を感じています。

部落地域に住む方々の過去などは関西在住時に友人達から説明を受けましたが、いまいちそれも良くわかっていないというのが現状です。

『なぜ部落と呼ばれる地域の人たちは差別の対象となるのでしょうか?』

ちなみに僕自身は『部落』が何なのかという認識が薄く、周囲の人たちが言う事を全く気にせずに(詳しい事を知らずに)普通にお付き合いをしてきた経緯がありますし、今もそのような認識をもっています。

なお、差別的な認識は全くない状態でこの文章を作成しましたが、何か問題があれば質問自体を削除して頂けるように管理人さんにお願いするつもりです。

Aベストアンサー

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作等々の作業です。
そこで、古代、あるいは中世ころからこれを家業とする一族を作り(あるいは自然に生まれ)、専門家集団として一般農民とは一線を画していたのです。
いつのころからか(少なくとも江戸時代初期以前)、こうした一族は人間以下のものとみなされ、不当な差別を受けるようになっていきます。差別は生前のみとは限らず、ある地域では死後においても墓石の法名に「畜○○」などと書かれました。
一説には、農民にしっかり働かせるため、農民以下の存在として工・商を置き、さらにその下に非人を置いたとも言われています。
一族は差別を受けた反面、法的な保護も受けていました。例えば牛馬の処理はこれらの一族が独占しており、刑場での作業も一般の農民や町民が使われることはなかったのです。
こうした差別は明治政府によって撤廃されたのですが、そのころに作られた壬申戸籍では「新平民」と記載されてしまいました。そのため、戸籍を見ると部落の出身であることがすぐに分かってしまい、色々な悲劇を生み出すこととなりました。
明治維新からすでに130年以上経過しております。インドのカースト制度などでは、名前で階級が分かってしまい、また宗教上の理由からも差別の撤廃が困難なようですが、日本では戸籍を調べるにも限界があり(明治期の戸籍はもうほとんど調べられない)、いずれはなくなるものと思います。またそうであることを願ってやみません。

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作...続きを読む

Q部落出身かどうか調べるって・・・。

 今日彼と話してたんですが、彼の親は、私が部落出身者でないかどうかを調べるっていうんです。彼は怒って親と口も聞いてないみたいです。私は自分がそうなのかどうかは全くわからないけど、もしそうだとしたら結婚は無理なのかなぁ・・と考えてしまって悩んでいます。調べるってどういう方法があるのですか?彼との話で「部落出身者は他の地区の人と結婚できないから身内同士で結婚したりするらしい」って言ってたんですけど、うちの親戚も身内同士で結婚したりしているし、また私の両親はかなり田舎の出身なのでもしかして・・・って思ったりします。なんか自分がこういうのを気にしないといけないっていうのがすごく悲しいです。引越ししていても調べたら分るものなのですか? もし私の文章を読んで気分を悪くされた方がいらっしゃったら申し訳ありません。無知なので何もわかりません。どなたか教えてください。

Aベストアンサー

私の父は探偵をしているため、娘(あるいあh息子)の結婚相手を調べて欲しいという親からの以来がとても多いです。
つまり部落出身かどうか。
それは、住民票をみます。
住民票は手書きです。
同和地区の住所というのが昔ありました。
それが同和地区差別を無くそうってことで
住所を変えたり引越ししたりします。
そういう方が非常に多いので
いちいち全部の住所を書き直してられないため
一部分に二重線を引っ張って住所を一部分手書きで訂正します。同和地区の差別反対が起こってから
昔、急速にその作業が行われました。
その修正をしているかそうでないかで
分かるそうです。
あくまでも同和出身を調べる一つの手段であるため
これだけで分かる場合も有るし
分からない場合も有ります。
以上、父から教えてもらったことです。

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q部落差別はまだ根強く残っているのですか?

私は奈良に生まれ、人生の半分以上を京都で過ごしました。

京都は部落が多いと言われますが、私は京都の地で生きる中で、部落差別をこの目でありありと垣間見たことはありません。
部落という言葉自体、中学校の道徳の授業で取り扱っただけです。

・部落は特定の土地を指す
・もともとは人々が忌み嫌う職業についていた人を差別したものだった
・部落差別は部落出身者が差別されることを指す

学校で学んだのはこの程度です。
京都に部落が多いと聞きますが、実際何処が部落なのか、私含め、同級生は誰も知りませんでした。
親ももともと京都の人間ではないせいか、「どこが部落なの?」と聞いても「多分、○○(家から車で2時間ほどの場所)がもともと部落だった場所じゃないかな」「家売りだした時ここの土地が安いから、恐らく部落なんだろう」と、曖昧な返答があるだけでした。


ただ、私の親の少し上の世代は、確かに部落という言葉に敏感だなと感じます。
私の友達が部落の出身だったらしく(本人さえ知りませんでした)、結婚相手の男性の母親が素性調査を行い、部落出身だという事で結婚を反対されたということがありました。


また、私の経験として、部落出身だという方と知り合ったことがありました。
その方はとても貧しくて、「自分が職に付けないのは部落出身で差別されているからだ」と言っていました。
よく金銭を貸してくれと頼まれ、「大学の授業料払わないといけないし、今月教科書買わないとだから・・・」等と断ると、「私の命より自分が優先か、大学にいく余裕があるくせに」とよく言われました。

部落の近くに住んでいる人たちは、それは部落出身の人たちの気質で、そういう気質だから嫌われるというのもある。実際金銭を強請られて怖かっただろう?といっていました。


確かに私はその時怖いという恐怖と同時に、関わりたくないという気持ちがありました。
しかし、それは部落とは関係なく、その人自身の人間性が招いたものです。
部落出身の方は、そういった周りの態度が差別だと言っていましたが、私は部落差別は一切関係ないと思っています。


こういった経験からの疑問です。
部落差別は、未だに根強く残っているものなのでしょうか?
それとも、私のような、いわゆるゆとり世代が部落について無知・無関心・無責任なだけでしょうか?
また、京都人というだけで「部落差別で冷たい人間」と言われたことがありますが、本当に京都に住んでいる人たちにはそのような気質が備わっているのでしょうか?



差別について無知でお恥ずかしい限りです。
よろしくお願いします。

私は奈良に生まれ、人生の半分以上を京都で過ごしました。

京都は部落が多いと言われますが、私は京都の地で生きる中で、部落差別をこの目でありありと垣間見たことはありません。
部落という言葉自体、中学校の道徳の授業で取り扱っただけです。

・部落は特定の土地を指す
・もともとは人々が忌み嫌う職業についていた人を差別したものだった
・部落差別は部落出身者が差別されることを指す

学校で学んだのはこの程度です。
京都に部落が多いと聞きますが、実際何処が部落なのか、私含め、同級生は誰も知りま...続きを読む

Aベストアンサー

京都市内については現在は「根強い差別」なるものは残っていません。
部落が怖かったのは昭和後期までで、今残っているのは「部落利権」です。

>京都人というだけで「部落差別で冷たい人間」
京都でややこしいのは昔部落だった地域に韓国・朝鮮人が入り込んで
いるからですね。おまえら部落と直接関係ないやん!と言いたい。
(しかもヤクザも絡んでいる)

関西で現業職(環境局・上下水道・交通局)公務員の犯罪や事件が
多いのは公務員の部落採用枠と言うのがあって優先的に部落地域の
人を採用したためです(今は廃止されています)。
部落出身者の救済の為だったのですが実際にはヤクザ・チンピラが
公務員として多数潜り込んでいるんです。
(大阪の公務員で刺青入れている人が多いのはそういう理由)

>しかし、それは部落とは関係なく、その人自身の人間性が招いたものです。
まさにその通です。
真面目に試験を受けて採用された公務員にとっては部落採用枠の
公務員が度々事件を起こすのは非常に迷惑でしょう。
一般市民としてもエセ同和活動で税金が無駄遣いされるのは困ったこと
だと思います。

Q部落の人は育ちが悪いのですか?

部落の人は育ちが悪いのですか?

母の家庭の育ちが悪いように思います。
具体的には、兄弟が多いのですが、学歴、学力が極端に悪かったり、
娯楽の話題が低俗だったり、
母は人(主に父など)のお金を盗むことばかり考えています。
それとは逆に娘の私には良い暮らしをさせようと必死になっている傾向があります。

母の実家の場所をネットや古地図で調べると
都内ですが部落の地域でした。

差別をする意図はないのですが、部落の人とは
えた、非人のような育ちという事なのでしょうか?

Aベストアンサー

部落の人とは、おおよそ先祖がえた、非人であることを指します。なので、そこらへんの認識は正しいです(元犯罪者とかも入りますけどね)。
育ちが良いか悪いか、という質問に対して答えますと、平均すると悪い方が多いです。
別に先天的に人間が悪いのではなく、部落の人々は過去に劣悪な環境に押し込まれ、その環境が現代に続いていることが多く、そのため育ちは悪くなりがちです(悪い環境とは狭い地区に家が固まっているなど。今でも改善できていない地区は多いです)。私は仕事柄、部落の方々と接触することが多いですが、立派な方もいますし、常識のない方もいます。ただ、それでも平均値をとれば育ちは良くはありません。
なので回答は、育ちは平均値をとれば悪い、ということになります。
けれど「部落の人だから」という理由で悪いと決まったわけではないので、よく付き合うことが重要だと思います。
それでもダメな人だと思うなら距離をあけるのもいいでしょう、でも、それは部落以外の人にも言える話です(母親は別ですが)。
なので、部落など気にせず、ダメな人はダメ、良い人は良い、と考えて人間関係作っていけばいいんじゃないでしょうか。

部落の人とは、おおよそ先祖がえた、非人であることを指します。なので、そこらへんの認識は正しいです(元犯罪者とかも入りますけどね)。
育ちが良いか悪いか、という質問に対して答えますと、平均すると悪い方が多いです。
別に先天的に人間が悪いのではなく、部落の人々は過去に劣悪な環境に押し込まれ、その環境が現代に続いていることが多く、そのため育ちは悪くなりがちです(悪い環境とは狭い地区に家が固まっているなど。今でも改善できていない地区は多いです)。私は仕事柄、部落の方々と接触すること...続きを読む

Q部落出身の方との結婚。

今、結婚を約束している彼氏がいます。
付き合い初めに彼から同和の話は聞いていましたが、私は全く気にしていません。
彼の家族に会ったこともありますが、礼儀正しく、とても良い御家族です。
実家に行った事もありますが、特に気になりませんでした。

私の両親には彼氏の実家が同和地区にあることを一切話さず、彼氏を紹介しました。
わざわざ言っておく必要もないと思っていたんです。

両親は「若いのにとてもシッカリしている」と言って、結婚相手として気に入ってくれているようでした。

しかし母と一緒にネットの地図を見ながら兄の新居の話をしていた際、私が何気なく彼氏の実家はこの辺りだと伝えた所、バレてしまいました。
県も違うので地図くらいでは分からないだろうと思っていたのですが、父が耳にしたことのある地名だったそうです。
両親はもしかしてと思い、私にその話をしました。
私が知らずに付き合っていると思ったみたいです。

私は彼が部落出身だということを知っていて付き合っていた事を明かし、それでも結婚したい伝えました。

両親には「それを知っていて結婚したいというなら仕方ないけれど、親戚にはおおやけにできないので、結婚式はできないだろう」と言われました。

理由は、兄や親戚の女の子も結婚を控えており、まだまだ結婚する前に相手の家の事を調査するような家もあるので、私達の事が原因で兄や親戚の女の子の結婚が破談になってしまうような事があれば責任がとれない。
そういう家と血縁関係になる事を隠さなければならない。との事でした。

両親が言っている意味は分かります。
そんな事になってしまったらと思うと、大変怖いです。

私は式が出来なくても構わないので、結婚したいと言いました。両親もそれなら仕方ないという事で話は落ち着きました。

大変心が痛みましたが、彼氏にもその事を正直に話ました。
結婚式が出来なくなったのですから、いつまでも隠してはおけません。
私の両親は結婚式を重要視しているタイプだったので、いきなりしないというのは変です。

彼は結婚式なんてどうでも良いけれど、差別されたことに凄くショックを受け、「俺が何をしたって言うんだ」と怒っていました。
私の両親と仲良くなりかけていたので、ショックも大きかったのでしょう。
もう私の両親とは関わりたくないので、両親と絶縁するか、別れるか決めてくれ。とまで言われました。

私には彼の気持ちも分かりますが、両親の気持ちも分かります。

結婚事態を反対されるケースも少なくない中、結婚を承諾してくれたダケでも、両親には感謝しています。
差別を口にする事は絶対にあってはならないけれど、最大限私の気持ちを汲んでくれたと思うのです。

どうせ結婚したら、両親にはあまり会う事は出来ないでしょう。
ですが絶縁ではなく、なるべく穏便に結婚したいです。
両親には今まで大切に育ててくれた事に、大変感謝していますし、私の幸せを心から願ってくれている人達です。

彼には落ち着いて話をすれば分かってもらえるかもしれませんが、差別を受けたというショックは永遠に消えないでしょう。

入籍前の両家の顔合わせは、やはり出来ないのでしょうか?

結婚は許してもらえているので、駆け落ちのような事はせず、式は出来ないまでも、お互いの親しい友人を呼んで2次会のようなパーティーは出来ると思うのですが...
そのような結婚をされた方はいらっしゃいますか?

やはりこのような場合、入籍だけ済ませて嫁いでいったほうが良いのでしょうか?

もし同じような境遇の方がいらっしゃいましたら、アドバイス頂きたいです。

長々駄文ですみません。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

今、結婚を約束している彼氏がいます。
付き合い初めに彼から同和の話は聞いていましたが、私は全く気にしていません。
彼の家族に会ったこともありますが、礼儀正しく、とても良い御家族です。
実家に行った事もありますが、特に気になりませんでした。

私の両親には彼氏の実家が同和地区にあることを一切話さず、彼氏を紹介しました。
わざわざ言っておく必要もないと思っていたんです。

両親は「若いのにとてもシッカリしている」と言って、結婚相手として気に入ってくれているようでした。

しか...続きを読む

Aベストアンサー

住まわれている土地によっては世間体を気にして大変悩まれる問題だと思います。
以前友人があなたと同じように同和地区の方とお付き合いをしていました。勿論二人の視野には結婚もあったと思います。当時彼女の方から私は相談を受けていましたが、彼女の両親が二人の付き合いに猛反対でした。特に父親は公務員で、体裁もあったのだと思いますが、同和の彼との付き合いを嘆き、毎晩酔いつぶれ、それを見ては母親は泣き崩れていたということでした。そのうち親戚までもが出てきて親族会議…。とにもかくにも結婚は許さないということで、彼女の場合は泣く泣く彼と別れる羽目になりました。
その後彼女は今の旦那さんと出会い幸せに暮らしていますが、何かの折に彼女と話した際、あの時の彼との悲しい別れは一緒忘れないと言っていました。

どんな道を選ぶのも最終的にはあなた次第だと思います。
生まれてくる子供が…と心配をされる考え方もありますが、それはその子の人生であり、生い立ちが全てを不幸にする訳ではないように私は思います。

幸いにもあなたのご両親は認めて下さってるようで、それは娘であるあなたへの深い深い愛情の賜物だと思います。
彼の絶縁発言はちょっと頂けませんが、おそらく不当な偏見に彼自身胸を傷め、唯一の抵抗なんだと理解します。


私は同和の友人が何名かいますが、結婚式にも喜んで出席させてもらいました。友人のお相手は同和ではない方でしたが、普通に結婚式を挙げてますね。 そこのところは両家で良くお話し合いをしてはいかがでしょうか?

お二人のめでたい門出、胸を張って皆さんに御披露目して頂きたいものです。
正しい行いをして生きてきたのであれば、これからの未来に何も後ろめたさを感じる必要はありません。

最後に、どうか理解あるあなたのご両親のことはいついつまでも大切にされてくださいね。

住まわれている土地によっては世間体を気にして大変悩まれる問題だと思います。
以前友人があなたと同じように同和地区の方とお付き合いをしていました。勿論二人の視野には結婚もあったと思います。当時彼女の方から私は相談を受けていましたが、彼女の両親が二人の付き合いに猛反対でした。特に父親は公務員で、体裁もあったのだと思いますが、同和の彼との付き合いを嘆き、毎晩酔いつぶれ、それを見ては母親は泣き崩れていたということでした。そのうち親戚までもが出てきて親族会議…。とにもかくにも結婚は...続きを読む

Q江戸時代、えた・ひにんの人ははどうやって選ばれたのか?

江戸時代に士・農・工・商・えた・ひにんなどの身分制度が出来ましたが、このえた・ひにんに該当する人たちは、どうやって決定されたのでしょうか?
中学校では「時の権力者が世の混乱を治めるために低い身分の人を作って不満のはけ口にした」などと習った気がします。しかし、この"低い身分"の人たちはどのようにして選ばれたのでしょうか?貧しい農民をこの身分に割り当てたのでしょうか?私の思いつきでは前科のある人やその家族などをこの身分にしたのではないかと思ったのですが、実際はどうなのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

まず、身分制度についてですが、士・農・工・商ですが、次にくるのは「非人」「穢多(えた)」の順です。

で、ここで、あなたの質問に答えるとしたら、地方の成立は雑多な部分もありますので、話が長くなります。そこで、江戸および江戸時代についてのみお話をいたします。

確かに、士農工商の序列ではありましたが、実際としては、士・工・商・農、という序列が正しいと思います。

年貢(税金、または、武士の給与)確保のため、武士の次に農民が位置しましたが、士農工商で一番苦労したのは、農民でした。

まず、「非人」について:

元々は「人非人」あるいは「僧侶」の意味でした。つまり、人間界を捨てた「世捨て人」のことを指しました。やがて、賎民(せんみん=貧しい人)を指すようになり、中性では「穢多」と混称されるようになってきました。しかし、江戸時代に入ると両者は「厳密」に区別され、「非人」は良民(平民)のなり下がりとして位置づけられ、良民への復帰の道が開かれていました。
「穢多」と違っているところは、「皮細工等の生産に従わず」卑属な遊芸や物貰いの独占権を持ち、「穢多」よりも上位に位置していました。

「非人」にも2種類あり、「抱非人(かかえひにん)」と「野非人(のひにん)」とに分かれていました。

「野非人」は今日で言われる「路上生活者」。つまり、ホームレスで、主に、農村部で飢饉や病気などにより年貢が納められなくなった者が「人別帳」を離れて江戸へ流入した者たちでした。つまり、「無宿者」と同じ考え方です。江戸でも厳しく取り締まりをし、一定の区域に住まわせたりしましたが、効果はなく、後の、「無宿狩り」などへと発展していきました。

一方、「抱非人」は、例えば、
(1)姉妹伯母姪と密通した者。
(2)男女の心中(相対死)で女が生き残った場合。もしくは、両人とも生き残った場合。
(3)主人と下女の心中で主人が生き残った場合の主人。
(4)15歳未満で無宿の子どもが盗みをした時。
などとなっていますが、
非人小屋頭が江戸の各地にあり、そこの頭の支配を受けていました。この非人組頭の頂点に「弾左衛門」という人物がおり、その支配下に「頭」と呼ばれる者が4~5人いました。最も有名なのは、荒川土手(地名は分かってはいますが、人権に関わることなので、ここでは、あえて、荒川土手とします)に木組みと筵(むとろ)で住まいを造り、痩せた土地を開墾し、非人同士が結婚して子どもが生まれても、その子どもも非人でしかなかったのです。

まあまあ、幅を利かしていたのが「車善七」率いる人たちでした。

非人の生計としては痩せた土地から得るものは少ないので、主に「物乞い」でした。江戸時代、非人以外が「物乞い」をすると、逆に、罪になりました。また、街角の清掃、門付(かどづけ)などの清めに関わる芸能を披露。そして、街角の清掃に付随して紙くずを拾って、それを発展させて「再生紙」造りにも寄与しました。(現代のリサイクルの先駆け?)。さらに、町役の下役として警備や刑死者の埋葬、また、斬首の刑(首切りの刑)などでは、罪人を押さえつけたり、その後の死体処理をしたり、入牢した者が病気に罹った時の看病。少年犯罪者の世話などに従事しました。

そして、「非人」は、上記(1)~(4)などの罪で非人になっても、家族や親類縁者が、多少の「銭」を支払うことで、平民に戻れたのです。

そこへいくと、「穢多」は、「非人」よりも、さらに下位に置かれ、町民の住居からは、かけ離れた場所に、一箇所に集めて住まわされました。その条件?としては、「非人」の中でも、さらに「素行」が悪く、「非人の秩序」を乱す者などが対象でした。しかし、支配をしていたのは、やはり、「非人組頭」の弾左衛門でした。

彼らは、例えば、死んだ牛馬を百姓から貰い受け、その肉を食い、皮は皮製品などにしました。この斃牛馬(へいぎゅうば=死んだ牛馬)の取得権は「穢多」の何よりの独占権でした。
その他にも、藁(わら)細工、燈心細工、破魔弓矢(はまゆみや)細工等簡単な手工業的生産に携わりました。

この「穢多」の歴史は、戦国時代に戦国大名から鎧(よろい)や鞍(くら)などの武器としての皮製品調達のために、当時は長史(ちょうし=村のまとめ役)に皮製品の上納を命じたことに始まる、と、されています。その見返りとしては、年貢を安くしてもらったり、とかの恩恵も与えられました。

しかし、江戸時代に入ると、「穢多」は、、「士農工商・非人・穢多」と「非人」より下位に位置づけられ戦国時代と同じような職業に従事し、一生涯「平人(ひらびと、または、ひらんど)=庶民」に戻ることはできませんでした。

こうした「非人」や「穢多」は、収入があってないようなものでしたので、租税を課せられることもなかったので、やがて、その租税免除により、幾らかでも貯えをし、土手などから、平地に土地を持つ者も出始め、大きな意味で「部落」ができました。

そして、明治4(1871)年に制定され、明治5年に編成された、いわゆる、壬申戸籍(じんしんこせき)には、「皇族」「華族」「士族」「卒」「地士」「僧」「旧神官」「尼」「平民」「新平民」「非人」「穢多」などという「階級」が書かれており、当時は、まだまだ、身分制度が色濃く残っており、しかも、誰でもがこの戸籍を閲覧することができました。

しかし、昭和43(1968)年に、差別部落の人を探し出す事件が発覚し、大企業での採用取り消し、部落民との結婚禁止などという事件が発生し、同年、「閲覧」および「公開」を禁止し「永久封印」とされました。

とは言うものの、現在に至っても、「部落名」を聞いたり、そこに代々住んでいたということで、「偏見の目」が向けられ、現在、「部落開放運動」や「同和問題」が今なおクローズアップされているのが現状です。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

まず、身分制度についてですが、士・農・工・商ですが、次にくるのは「非人」「穢多(えた)」の順です。

で、ここで、あなたの質問に答えるとしたら、地方の成立は雑多な部分もありますので、話が長くなります。そこで、江戸および江戸時代についてのみお話をいたします。

確かに、士農工商の序列ではありましたが、実際としては、士・工・商・農、という序列が正しいと思います。

年貢(税金、または、武士の給与)確保のため、武士の次に農民が位置し...続きを読む

Q被差別部落出身者であることは、現在も調査すれば分かるのですか?

被差別部落出身者であることは、現在も調査すれば分かるのですか?


明治期の戸籍には、旧身分が記載されていたことは知っているのですが……

【質問1】現在も調査すれば部落出身者か否かだということが分かるのでしょうか?

【質問2】もし分かるとしたら、それはどういった事由から分かるのですか?(戸籍などの書類・氏名・出身地区などから分かる?)
よろしくお願いします。

(注:私は差別撤廃推進論者です。ただ単に詳しく知りたいと思って質問しております)

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>【質問1】現在も調査すれば部落出身者か否かだということが分かるのでしょうか?

「部落」がどこにあったかは、今でも調べようとすれば調べられます。
そして、その土地に代々住んでいた・・・と、なると、「部落出身者」ではないか・・・との推測がされます。

>>【質問2】もし分かるとしたら、それはどういった事由から分かるのですか?(戸籍などの書類・氏名・出身地区などから分かる?)

「戸籍法」明治4年4月4日大政官布告第170号・明治5年2月1日施行。では、ご存知の通り、「非人」「えた」などの人たちを「新平民」と記載されたことは、すでにご存知かと思います。
この通称「壬申戸籍」は、村役場などでも、「新平民」の欄に「付箋」を貼ったり、折込をしたりした時代がありました。
そして、昭和45年まで、誰でもが自由に「閲覧」できました。
また、部落の所在地を一覧表にしたような本も出版されており、銀行や大企業などは、それを購入して、部落民かを判断し、戸籍を提出させて就職の際の合否などを決めていました。

しかし、「平等」という言葉が浸透するようになり、昭和45年に「壬申戸籍」は、各地の法務局の金庫に「永久封印」されました。

それでも、昭和45年までに、銀行や大企業などでは、「部落一覧表」のようなものを購入しており、壬申戸籍の封印と一覧表などの発行停止はされましたが、多分に、銀行や大企業などの本棚には残っている、と思われます。つまり、そうした書籍の「廃棄」までは、法律は定めていないからです。

「漏れる」とすれば、そうした企業や、極端に言えば、歴史学者なども考えられます。

私も、職業柄?全国とまではいきませんが、今、居住している県内の資料は持っています。
もちろん、私は「口が裂けても」公表したりはしませんが・・・。

東京の都会あたりでは、人口の流出入があり、どこの地域かは多くの人はしりませんが、農村部などでは、依然として、口伝えで「ああ、あそこの部落は・・・」などと、代々伝えられたりしています。

また、自ら名乗る人もいるくらいですから、中々難しい問題ですね。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>【質問1】現在も調査すれば部落出身者か否かだということが分かるのでしょうか?

「部落」がどこにあったかは、今でも調べようとすれば調べられます。
そして、その土地に代々住んでいた・・・と、なると、「部落出身者」ではないか・・・との推測がされます。

>>【質問2】もし分かるとしたら、それはどういった事由から分かるのですか?(戸籍などの書類・氏名・出身地区などから分かる?)

「戸籍法」明治4年4月4日大政官布告第170号・明治...続きを読む

Q部落民は幸せになれませんか?(結婚)

私は、近畿圏在住の31歳の女です。
実家が部落地区にありますが、集落という強いものはなく、ほとんど地元の高齢者ばかりです。
最近は、市営住宅の家賃が安いので、外からもファミリー層で入ってくる人たちもいて
3分の1ほどは、もともと出身でない方たちが住んでいるようです。
私は、一人暮らしで実家を離れています。

私には、付き合って1年になる彼がいます。
そろそろ、結婚も視野にいれることを考えて
結婚前提の付き合いにしてはどうかと、今年の正月に持ちかけました。

彼は、結婚願望というもの自体がそれまで全くなく
結婚というものがどうゆうものか考えたいから時間をくれといい
やっと昨日、結婚前提の付き合いにしようと答えをだしてくれました。

ただ、そのあとに続いた言葉が、結婚となると2人だけのことではなく、家同士の問題もあり
自分の実家は、『在日や同和地区のことを気にする家柄だ』と言われました。
彼の実家は、中国地方にあり、近隣に部落の集落があるようです。
私の実家より、もっと田舎なこともあり、まだ集落意識が強い地区であるようでした。

私は、自分が部落出身だということを忘れているわけではなかったですが
彼には言っていませんでした。隠していたわけではありません。

彼の言葉に対し、私はショックを隠しきれず、『それなら結婚は無理だね』と言ってしまいました。
その私の言葉に、彼もショックを受けていたようです。
『そうじゃないだろう』と思い込んでいて、『そうであったときはどうする』ということが
彼の中には全くなかったようです。

かなりショックを受けましたが、やはり部落が出身で考えを変えられることに納得ができず
彼の親族ではなく、彼自身が部落の人間を結婚対象にしない根本的な考えについて問いました。

すると、彼は、『小さい頃から親に部落の人間は悪い・汚い』と聞かされていて
『部落=駄目』という固定概念ができてしまっているようでした。

部落のことを何も知らず、親が言っているからだけでは、どうしても納得ができませんでした。
・『江戸時代につくられた階級制度の最下位』
・『生まれた場所だけで部落出身と差別を受けるのはおかしい』
 親を選べないように、生まれてくる場所も選べない。
 一歩違えば、貴方だって部落に生まれていたかもしれない。
・『私とあなたは何も変わらない』
・『世間の犯罪者は皆、部落の人間なのか。部落の人間=悪い人なら
  部落外の人の中には悪い人はいないのか。』

『部落=悪い人』という固定概念があった彼に、現実世界にたとえ、
・あの学校は柄が悪い
 そう言われている学校には、まともな子は一人もいないのか。
 一部の人間がいけないことをしていたら、全員がそうなのか。

色々と2人で話し合った結果、彼は落ち着きを取り戻し、
私から部落出身だと聞いて、部落民という大きい集団として考えてしまい、
私個人に目を向けることができなくて、酷いことを言って悪かったと謝ってくれました。

それから、自分が部落を拒否するような発言をしてしまったが
それでも、私が彼と結婚したいという意志が変わっていないなら
結婚を前提にこれからも付き合って欲しいと言われました。

私は、言われたことではショックを受けましたが、彼のことは好きで一緒に居たいと思い
これからも付き合っていこうという答えをだしました。

まだ、結婚について具体的なことは先になると思います。
ですが、彼の実家は 『部落』 を嫌がる家だということは知ってしまい、
困難を極めることは目に見えています。

彼は3つ上の姉がいて、数年前に結婚をしたようなのですが
彼は、姉が親から、部落出身の人ではないか確認されていたと言っていました。
姉のご主人は幸いそうではなかったようだということでしたが
それは身元調査をしたの?と聞くと、姉が本人に確認したようだと言っていました。
隠していないなら、わざわざ身元調査はされないと思いますが。

彼は、私が部落出身だと知り、自分の親はそれを嫌がるとわかったうえで
結婚を前提に付き合いを続けるという答えをだしました。
まだ、将来はどうなるかわかりません。
ですが、いまは彼を信じて大丈夫でしょうか。
信じたい気持は十分にあります。

まだ彼は、『部落=絶対にダメ』から、自分の知識があまりにもなく
『本当はそうではないのかもしれない』の状態です。
いまの状態では親を説得するなど無理だと思います。

ですが、私は、結婚は家同士の問題もあるとはいえ、
当事者の2人がしっかりした意志をもっていないと説得もできないと思うので
これから先、彼と少しずつ勉強してもらうつもりです。
彼もちゃんと考えると言ってくれました。

ですが、彼が部落のことに対して、これから理解ある考えをもってくれたとしても
『部落差別が当たり前』の時代で育っている親にわかってもらうなんで
限りなく無理に近いのではないかと思います。
だから、何もしないというわけではありませんが。

部落の結婚の質問になると、
・相手のことを思うなら身を引くべき
・生まれてくる子供がかわいそう

など、いう意見が頻繁に見られますが、それでは私たちのように部落出身の人間は
部落出身同士じゃないと結婚して幸せになれないのでしょうか?
その結果、血が濃いと言われ、また拒否される原因になると思います。

私は、部落に生まれ、小学校の頃から同和教育を受けてきましたが
自分が差別を受けたのはこれが初めてでした。

『部落出身でない人が、部落出身の人と結婚したら不幸になる・苦労をする』
部落出身でない人と結婚するよりは、確かに可能性はあるかもしれません。
ですが、絶対に幸せにはなれないのですか?

反対する親の気持ちはわからなくはありません。
苦労する可能性がある嫁とそうじゃない嫁なら、そうじゃないほうがいいと思います。
だから、部落出身の人は相手のことを考えて、身を引かないといけないのですか?

同じ人間・同じ日本人なのに、なぜ未だにそのようなことが通るのか不思議で仕方ありません。

部落側の人が身を引いて、泣かないといけない。
そのような状況になっている部落出身の人はたくさんいると思います。

逆に、結婚された方の意見も聞きたいです。
やはり、縁を切らないと無理なものなのか?
世間には部落出身ということを、気にしないという人はいるのか?
部落出身の人間は結婚して幸せにはなれないのか?


長文・乱文、読んでいただき、ありがとうございます。
厳しいご意見もあると思いますが、前向きに考えていきたいのです。
よろしくお願いします。

私は、近畿圏在住の31歳の女です。
実家が部落地区にありますが、集落という強いものはなく、ほとんど地元の高齢者ばかりです。
最近は、市営住宅の家賃が安いので、外からもファミリー層で入ってくる人たちもいて
3分の1ほどは、もともと出身でない方たちが住んでいるようです。
私は、一人暮らしで実家を離れています。

私には、付き合って1年になる彼がいます。
そろそろ、結婚も視野にいれることを考えて
結婚前提の付き合いにしてはどうかと、今年の正月に持ちかけました。

彼は、結婚願望というもの...続きを読む

Aベストアンサー

今まで何の差別もなく、初めての差別体験が結婚のとき、というのはショックですよね。

私はdachs32さんの逆バージョンです。
夫の父が部落出身で、実家も部落に隣接しています。

私も、結婚の話が出て初めて、自分の両親の根強い差別意識に愕然とした覚えがあります。

私は九州の都市部の出身で、差別というものがあることは知っていても、地元では日常生活でそういうものに触れることはまずありませんでした。

地元の名家出身の父親がそういう意識を持っていることは知っていたのですが、リベラルだと思っていた母までが「やめておいたほうが・・・」と言い出したのには本当にビックリでした。
二人で私に黙って主人の実家(他県であり、200km以上離れた場所です)を見に行き、近所の人に昔の話を聞いたりもしていて、やはりあそこはダメだ、とまで言います。
その労力に背筋の寒い思いもしましたが、裏を返せば、私のことが心配でたまらないのだから、ただ一概に責める気にもなれず、「どうしたもんやら・・・」なキモチでした。

私は学生の時、ヨーロッパに1年留学して、差別される側になったことがあります。
アメリカの人種問題程目立ちませんが、ヨーロッパにもやはり人種差別というものはあるものでして、そんな場面に遭遇すると「嫌だ」よりも「なるほどな」ってカンジでした。
やはり人は自分と違う人を区別というか、差別するんやな~と。
そして、「なるほどな」と思った後、日本語交じりで大声で相手の非をとことん追求・・・。
日本人は事なかれ主義で反論しないもの、と思って面白半分に差別していた相手によく驚かれました。
(私のそのころのあだ名は「世直し侍」&「暴れん坊将軍」です(笑))
差別することが当たり前の人を説得するのは、おそろしく体力のいるものですが、「お前は間違っとる!」と誰かが言わんと、ですよね。

私自身は部落差別というものが理解できません。
学校で同和教育を受けましたが、「???」な状態で、両親にいくら説明されても、根本的に「差別する意味がわからん!!」のです。
人種差別というのなら、不快ですが、ある程度理解できます。
しかし、同じ民族でって??? いつの時代だよ?? ここはインドか??? でした。

自分の頭で理解できないものを、両親とはいえ、人の言うなりになることはできず、結婚するまで、止める親&親の言うことを聞かない娘、で本当に毎日(1年近く!)修羅場続きでした。
家を出る、という選択肢もあったのですが、両親は好きですし、「差別が理解できない娘」に育ててくれたのは彼らなので、徹底的に話し合うことを選びました。
うちの両親にも誰かが「お前は間違っとる!」と言わなきゃ、と思いましたし(笑)。
両親は二人がかりでいろんな「やめた方がいい理由」を説明するのですが、これがまたどれも根拠が曖昧でして・・・。
部落関係の本を手に入れられるだけ読み、完全理論武装していた私は、ことごとく論破しましたが、「とにかくダメ」には反論のしようもなく・・・。
毎日「この人と結婚できないなら、一生独身で、ずっとこの家に住み続けてやる!!」と新興宗教の呪文のように唱え続けました(笑)。

両親との対話は、お互い異星人と話しているようなものなので、並行線をたどり、消耗戦となり、どちらも一歩も譲る気はないことを確認し合ったところで終わりました。

父の「勝手にしろ!」があんなにありがたい言葉だったとは(笑)。

dachs32さんの場合は彼自身もご両親の考えに影響を受けておられるところがちょっと難点ですが、彼が本当にわかってくれたのなら、問題はほぼ解決だと思います。
まず、体力&精神力が要りますが、話し合って相手を説得する、または、私のように、相手が嫌になって放棄するまで粘る。
そして、どうしようもないときは二人で「逃亡」ですわ。

ちなみに私の夫は、私が一年両親ともめたことも、自分の父親が部落出身であることも全く知りません。
もう他界した義父はそのことを一言も言わなかったようです。
義母は「息子らは知らんけど、あんたは知っといた方がいいかもしれん」と、結婚話が出たときに教えてくれました。
義母も結婚のときに周囲から反対されたそうです。
ドキドキしながら話したのに、私が「ここはインドですかー!?」と、笑い飛ばしたので気が抜けた、と後から義母に聞きました。

結婚後は、うちの両親が心配していたような不幸もなく(もうねー、笑わそうとしているとしか思えんようなことまで言うてましたの)とても幸せです。
両親もそのことには触れないようになりました。

健闘を祈ります。
とりあえず、美味しいモン食べて、体力つけて、がんばれー、です。
応援してます!

今まで何の差別もなく、初めての差別体験が結婚のとき、というのはショックですよね。

私はdachs32さんの逆バージョンです。
夫の父が部落出身で、実家も部落に隣接しています。

私も、結婚の話が出て初めて、自分の両親の根強い差別意識に愕然とした覚えがあります。

私は九州の都市部の出身で、差別というものがあることは知っていても、地元では日常生活でそういうものに触れることはまずありませんでした。

地元の名家出身の父親がそういう意識を持っていることは知っていたのですが、リベラルだと思って...続きを読む


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