大人になっても苦手な食べ物、ありますか?

カテゴリーを政治と迷ったのですが、過去の出来事ですのでこちらで質問させていただくことにしました。

核兵器が出来たのは、マンハッタン計画において米国が1945年に完成させたとなっています。
その後、ソ連も持つことになりました。
そして、米ソ冷戦に突入しました。

朝鮮戦争・ベトナム戦争は、共産主義を掲げたソ連と、自由資本主義の盟主であった米国との間で戦われた代替戦争だと言われていますよね。
この時、なぜ両国は両戦争において核兵器を使わなかったのでしょうか?
歴史にIFは禁物といわれていますが、もし使われていたら、今とは大きく歴史・勢力図が変っていたとおもうのですが、、、。

A 回答 (9件)

既に他の方も回答されていますが、朝鮮戦争のときにマッカーサー司令は中国、ソ連への原爆投下をトルーマン大統領に求めています。

しかしトルーマン大統領はこれを拒否、マッカーサーは強弁に使用を求め、結局マッカーサーは解任されました。
理由は至極まっとうかつ明快で、当時は第二次大戦が終わって10年くらいしか経っていません。ここでまた中国ソ連と戦争をすることはそのまま第三次世界大戦に突入することを意味します。戦勝国アメリカといえどもあんな大戦争をほいほいやるのは国民への負担が大きすぎるのです。

またベトナム戦争が本格化する前の1962年にキューバ危機が起きています。これは、米ソが核戦争の本当に一歩手前まで行った事件でした。
このとき米ソは相互に相手への恐怖からピリピリしていて、偶発的な事態で全面核戦争になる危険は本当にありました。
もしどちらかが核ミサイルのボタンを押したとき、当然それは相手へもすぐ知れることとなります。当然、相手のミサイルが到着するのを待っていたらこっちのミサイル基地がやられますからすかさずこっちも撃ち返す必要があります。
この場合狙うのは相手の本国ばかりではありません。例えば、東ドイツ(当時)にあるソ連軍基地にも撃ち込みますし、当然西ドイツ(当時)の米軍基地にもソ連のミサイルは飛んできます。日本には横田基地という空軍基地がありますが、その横田基地を狙ったソ連のミサイルが50キロくらい西へ風に流されてしまうとその核ミサイルは東京のど真ん中で爆発することになります。
そうなると、世界中で広島と長崎とチェルノブイリを足してそのままにしたような惨状が広がることとなります。こうなると、もう戦争に勝ったとか負けたとかいう場合ではなく文字通りの人類滅亡ということとなります。

一説によると、核兵器は「最も使い物にならない兵器」だそうです。なぜなら、一度使ったらもう行くところまで行ってしまうからです。
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 こんばんは


 朝鮮戦争とベトナム戦争時における核兵器の使用がなかったのはなぜかというご質問ですが、他の回答者の皆さんがおっしゃっているように、確かにアメリカには何度か核兵器の使用を考えていた事実があります。しかし使用を思いとどまった理由についてはこの二つの戦争それぞれの理由が異なっていました。

 朝鮮戦争当時、アメリカは大挙して押し寄せる中国義勇軍の脅威に恐れをなして原爆の使用を考えたときは、朝鮮戦争自体を核の使用によって終息させたいという戦略的狙いからでした。もちろんこれには連合国、ひいてはアメリカの勝利という大前提がありました。しかしこれは当然ながら、建前上は物資や軍事指導のみの援助しかしてはいないと言いつつも、実際には少なからぬ人的援助によって中国と同じように朝鮮戦争に加担している、ソビエトの報復を招く恐れがあるとの意見が続出したことによって断念したという経緯があります。

 ではベトナムではどうかといえば、朝鮮戦争当時の核使用が戦略的核と捉えるならば、ベトナム戦争では戦術的核の使用を検討していたということです。それはベトコンや北ベトナム正規軍に対する人的被害を目論んだというより、叩いても叩いても息を切らせることのない北ベトナムの、絶えることのないソビエトや中国からの豊富な援助物資の断絶が主な狙いでした。アメリカはこの補給ルートをなんとしても叩きつぶしたかったのです。

 考えてみればよく分かることで、密集したジャングルに広範囲に広がった敵を一気に叩き潰すことは、さすがの核兵器でも難題でしたからね。ではなぜベトナムでの核の使用を思いとどまったかということです。これは太平洋戦争後に急速に進んだ核兵器の二次的被害や、使用後の戦場における影響、さらにはその後の作戦遂行への影響の研究が急速に進んだからといえます。さらにはソビエトの核兵器開発の進歩や核戦争への対応の準備が完成していたことも見逃せません。
 当時ソビエトは核戦争下における戦闘ドクトリンや部隊の指揮・統制能力をほぼ完成させており、これらが北ベトナム軍に対して示達され、なおかつ教育が施されていたということも考えられていました。つまり、あえて世界の非難を覚悟して核を使用してもそのコストパフォーマンスは限定的であると判断したことが、核使用を思いとどまった理由の一つに考えてもいいかと思います。
 そしてもうひとつの理由としては、通常爆弾や枯葉剤を使った「ランチハンド作戦」や「ラインバッカー作戦」に見られる代替作戦の存在や、さらには戦争後半近くに登場した精密爆弾の登場によって、念願の補給ルートの壊滅をなんとか達成できるめどが立ったことです。
 戦争遂行能力の破壊を目的とする兵器は戦略兵器、野戦兵力や前線の戦闘能力の破壊を目的とする兵器が戦術兵器とするなら、この朝鮮とベトナムの二つの戦争は核兵器使用という観点から見れば、見事に好対照をなしているといえます。ただこの定義付けもきわめてあやふやなもので、戦術的核使用に限定したつもりでも攻撃を受けた側はそうは取らず、全面核戦争にエスカレートする可能性は誰にも否定できませんでした。結局このような疑心暗鬼が、広島長崎以降地球に核が使用されていない一番の理由ともいえます。

 最後にもしのこの両戦争に核が使用されていたらということですが、報復に対する報復といった核戦争のエスカレートは生起することはなく、詳細は省きますが両陣営が核を使用した場合、案外その後すばやく事態の収拾に両陣営が奔走したのではないかと考えます。どちらも代理戦争までは我慢できても、自国が直接被害を受けることは避けたいのが本心ではなかったかと思います。そしてこれは現在でも通用する思考ではないかと考えます。
 そして朝鮮戦争での使用は広島長崎よりさらに大きな教訓となって、その後のベトナムでの使用など考えもつかないという状況を生み出していたとも言えます。なんといっても現在の核クラブに所属している核保有国にとっては、一方的な攻撃側に立ったまま自分たちだけが生きおせる保障はもうありませんからね。もしかしたらベトナム戦争そのものと、その後の地球上の戦争の発生も抑制されていたかもしれませんね。

 以上推測にたった私見とIFを交えた回答になってしまいましたが、何かの参考になれば幸いです。
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1945年、ウラン型・プルトニューム型の核兵器実験を広島・長崎で行ないました。


(ネバダ州と同様に、広島・長崎・東京・京都・新潟の都市名がマンハッタン計画表に記載)
核爆弾投下後、サイパン基地から多数の調査機が日本にきています。
終戦後、実際に広島・長崎に到着した研究員・軍事関係者は驚いたようですね。
計画に携わった学者(アインシュタインなど)は、軍事威力に愕然としたようですね(自伝)

>朝鮮戦争・ベトナム戦争で核兵器が使われなかったワケ

マッカーサー司令は、朝鮮戦争時に原爆投下を進言しましたが、大統領は拒否し、反対にマッカーサーを解任。
広島・長崎での実験結果は、正当性の根拠を見出せなかったようです。
ベトナム戦争でも、米軍・南朝鮮(韓国)軍は内戦に参戦し、多数のベトコン・市民を大量虐殺しています。
が、世界の世論が「ベトナム戦争(参戦)反対」でしたし、米国は、世界からの孤立を恐れたのでしよう。

現在、核拡散防止条約で国連常任理事国以外の国が核兵器を所有する事を禁止しています。
この核保有クラブに加入していないのが、インド・パキスタン・北朝鮮の核所有国。
公然の秘密としてイスラエル、一ヶ月あれば核兵器を製造できる日本が潜在的保有国となっています。
北朝鮮が核兵器を開発した(と発表した時点で)、米国・南朝鮮(韓国)・中国は「日本での核兵器保有を恐れた」ようです。(TIME誌)
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直接的な回答にはなりませんが、当時の錯誤を記載します。



戦闘機は機銃は時代遅れでミサイルだけで良い。

実際の状況では、中国、ソ連などの民間機が多数飛来していたので接近して国籍を確認する必要があった。
多数が機関砲によって撃墜された。

ソ連国籍の輸送艦を誤射。
米軍は陳謝した。

M14は重く、ジャングルで振り回すのには不向きで、弾丸が大きく携行する量が少ない。

M16に変更したが、ボルトの不完全閉鎖(原因は熱帯でスラグがこびりついた。)が頻繁に起こり、手で強制閉鎖出来ない問題が起きた。
(改良して解決した。)

M551シェリダンを末期に投入。
アルミは現地修理が困難で、装甲は弱く地雷には無力だった。

ソ連は大戦車軍団を投入した。
議会の撤退決議の他、米軍はこの時点で崩壊した。

他の回答者様が良く解説なさっています。

なぜ、他国の為に米国人が死ななければならないのか?
アメリカ本土以外でも平和が叫ばれます。

アメリカは、派兵継続の承認を議会で得られませんでした。
アメリカは「議会」(民主主義と平和主義)に負けたのです。

断じて許してはならない戦争と、「拠点の確保が目的だ。」
ではまるで意味が違います。

他国の内乱に干渉するのは良く無いと言う事です。
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朝鮮戦争の時は米ソが原爆を持ち始めた段階で、水爆の実用化もあり両国が「使い始めたらどうなるか判らない」と言う状況にありました。


マッカーサーは確か中国参戦時かに核兵器使用を進言したと思いますが、「先行き不明で局地戦では使用しない」と言う判断が行なわれました。
ベトナム戦においても何度か限定核兵器の使用が進言され、ダナン基地には核兵器があったとされています。
この時点では双方が破滅する事が認識されていたので、尚更使用される可能性はありませんでした。多分核兵器自体は「米国参戦中の敗北」を避けるための威嚇効果と言う意味合いがあり、米軍撤退後にサイゴンが陥落したのは「顔を立ててもらった」結果でしょう。
そういった意味では、さすがに核兵器については米国も理性的に判断をしている様ですね。
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今から考えると、不思議に思うでしょうが、朝鮮戦争はともかくベトナム戦争では、直接参戦していない日本でさえ大規模な反対運動が巻き起こり、また軍の統制を受けにくい従軍記者の報道が熱を帯びました。


これによって、大衆の民意を斟酌して戦争を行う必要性が強まったのです。
日本で、「ヒロシマ・ナガサキ」と喧伝しているのに、そのすぐ近くでまた原爆を使うことはなかなか難しいし、すでに展開している自軍の兵士も傷つけることになります。

またアメリカは日本にグウの音もでないくらい叩き潰したかったわけ(人種差別的な感覚でドイツやイタリアには核を使わなかった)で原爆を使ったのでしょうけど、朝鮮戦争やベトナム戦争は米ソの代理戦争の色彩を帯びており、朝鮮やベトナムを核で火の海にしたい、という蓋然性はなかったと思います。

米ソ欧米列強 vs 朝鮮、米ソ欧米列強 vs ベトナム、であったなら躊躇なく核を使ったんではないでしょうか?
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父ブッシュが大統領になった時は既にベトナム戦争は終わってます(^_^;



湾岸戦争の間違いですね(^_^;
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個人の見解です


ベトナム戦争のときはアメリカ大統領がブッシュ父です
父子で私から見るとSS級戦犯なんですが・・・置いといて
使わなかったのにはおそらく一方が使うと堰を切ったかのようにとどまるところがないのが一応理解できたのでしょう。暗黙の了解ってやつで・・・
使わなかったという判断は後世からみると日本の様な犠牲者を出さなかったという点は評価できますが、近年問題の代用品の劣化ウラン弾が開発されたのはこの後あたりだった気がします。
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米ソは核兵器を持ってしまったために、直接戦争ができなくなりました。

もしはじめたら、どちらが勝つにしても、お互いにものすごい被害を本国に受けるのは目に見えているから。そんな犠牲を払う覚悟はお互いにできていませんでした。もちろんそんな理由もなかったです。
直接戦争ができないので、お互いの縄張りの境目に位置する小国に代理戦争をやらせました。それが朝鮮戦争とベトナム戦争です。
代理戦争の存在自体が、お互いが核兵器を使い合う覚悟も理由もないということからできたものですから、もちろん核兵器は使いません。もし核兵器を使う覚悟があったら、代理戦争などではなくて、本当のガチンコ米ソ戦争が起きていたはずです。
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