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どなたか詳しい方に質問です。ユーゴスラビア連邦が解体した原因は何なのでしょうか?詳しく教えていただければ幸いです!

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A 回答 (4件)

ユーゴスラビア連邦の元となったのは1918年12月に成立した「セルビア・クロアチア・スロベニア王国」(1929年にユーゴスラビア王国と改名)でしたが、これは第一次大戦のどさくさにセルビア中心に成立した国家であり、諸地域にはセルビア人の官僚が統治者として派遣されるなど最初から民族的対立を内包していました。


そして第二次大戦では1941年3月に一度、枢軸側に加盟したのですが、第一次大戦でドイツと戦ったセルビア人勢力が翌日にクーデターを起こしてドイツとの同盟を破棄、これに激怒したヒトラーがユーゴスラビアへ侵攻します。
このときクロアチア民族主義者組織ウスタシャがナチス・ドイツの支援を受けて「独立」を果たし、一方でセルビアはモンテネグロやマケドニアをブルガリアやアルバニアに併合されて1/3の面積となって傀儡政権が立てられる事となりました。
このときウスタシャの指導者バベリチは75万人のセルビア人・ユダヤ人を粛正したと言われています。
その後、有名なカリスマ的指導者チトーにひきいられたゲリラが国土の大半を奪い返し、ドイツ降伏後にユーゴスラビア連邦を再建します。
このユーゴ連邦は社会主義体制を取りながら、ソ連とは別の道、いわゆる「非同盟」の立場を取り、ソ連から経済封鎖を受けつつアメリカや西欧諸国と経済協定を結ぶなど、他の共産圏諸国とは一線を画した外交政策をとっていました。
これが実を結んで1961年にはベオグラードで25カ国の代表が集まった「第一回非同盟諸国会議」が開かれ、この時点ではユーゴスラビアは国際社会の一翼を担う国家であったといえるでしょう。
しかし1980年のチトー死後、連邦の大統領は連邦を構成する6カ国と2自治州の代表による1年ごとの持ち回りとしたのですが、任期が僅か1年では有効な政策が実行できません。
このため大統領は出身地域への利益誘導ばかり行う事となり、この「大統領持ち回り制度」は連邦の諸民族が他民族への不平不満と、連邦政府への不信感を増大させるだけという、最悪の結果を招いてしまいます。
そして1989年ユーゴ共産主義者同盟による一党独裁体制が崩壊し、複数政党制による選挙が行われると各共和国で独立を唱える民族主義政党が勃興することになるのです。
しかし民族がモザイク状に入り組んでいるユーゴスラビアにおいて、特定地域における民族主義を基にした独立運動の高まりは、必然的に同じ地域の別民族の反発を招き、またそれがまた他の地域における民族対立を煽り、と言う悪循環に突入してしまいます。
そして1991年のスロベニア・クロアチアの独立宣言からユーゴスラビアは凄惨な内戦に突入してしまい、内戦はボスニア、コソボへと飛び火してユーゴスラビア連邦は解体します。
なおクロアチア内戦の直接のきっかけは、周辺国が内戦の引き金を引く危険を考慮して、独立の承認を躊躇する中、ドイツが抜け駆けして独立を承認し、これが第二次大戦時のウスタシャによるセルビア人虐殺の記憶を刺激したからでもあります。
民族主義に影響力拡大を目論む周辺国がつけ込んで、事態を悪化させる一例と言えるでしょう。
元々、多数の民族がモザイク状に点在していたユーゴスラビアにてカリスマ的指導者チトー亡き後の体制の構築が出来なかった事が連邦崩壊の主因だと思われます。
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この回答へのお礼

ご丁寧に詳しく説明していただきまして、ありがとうございました。教えてgooで、いつもいろいろなことを教えていただきますが、これほど詳しくわかりやすい説明をいただいたのは初めてでしたし、とてもわかりやすかったです。助かりました。

お礼日時:2007/12/26 23:52

(1914年には第一次世界大戦の勃発の引金となったオーストリア(ハンガリー)帝国の皇太子の暗殺があり、解体前の1984年には冬季オリンピックが開催された)サラエボを首都とする)ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロ"ベ"ニア、クロアチア、マケドニア、セルビア、モンテネグロを束ね、当時のソ連型社会主義と一線を画す、市場制社会主義を採用していたのが、(解体前の)ユーゴスラビアですし、この様な複雑な状況を踏まえて率いた人物がチトー元ユーゴ大統領ですから、否が応にもカリスマ性は帯びると言う事ではないでしょうか?


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC% …
http://wp.cao.go.jp/zenbun/sekai/wp-we74/wp-we74 … (→第2の類型の項)

尚、書籍ではそのものズバリk"解体ユーゴスラビア"(山崎佳代子著&朝日新聞社刊)  http://www.bk1.co.jp/product/00952098 並びに"ユーゴスラヴィア現代史"(柴宜弘著&岩波書店)
http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0196316898 等々が
[教えて!goo]内の質問では
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa445809.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa711731.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2050435.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2765179.html
辺りが関連URLの一部と言った感じでしょうか?
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この回答へのお礼

詳しい説明とたくさんのURLを教えていただきありがとうございました。いろいろと勉強になりました。楽しかったです。

お礼日時:2007/12/26 23:55

人口的には最大のセルビア。


産業の発達度では、スロベニアやクロアチアの方が進んでいた。
最近のデータになるが(つまり、ユーゴ紛争等での変化もあるが)

スロベニア 一人あたりGDP 21,600ドル 人口 200万
クロアチア 一人あたりGDP 12.364ドル 人口 450万
セルビア  一人あたりGDP  3,200ドル 人口 940万

つまりスロベニアやクロアチアの視点では人口が多く、軍や政府を握っているセルビアに豊かなスロベニアやクロアチアの税金が使われている。という意識があります。

No1で指摘に加えて、ソ連崩壊により、小さな国でも安全保障が出来るようになった段階で、まとまりが付かなくなりました。
ソ連が外部圧力として存在していた段階では、まとまって大きな国となり、それなりの軍事力を持つ必要(=つまりセルビアといっしょになっているベネフィット)がありましたが、ソ連崩壊により、その必要性が減りました。

それが理由です。
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この回答へのお礼

詳しくいろいろ教えていただきありがとうございました。とても勉強になりましたし、詳しくいろいろ知ることができました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/26 23:57

もともと多民族の集合体をチトーというカリスマがまとめていたようなものなので, そのカリスマがいなくなった以上はわかれるのも自然のな

りゆきかもしれません.
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Q紛争の解決方法について

 最近、話題の印パの、カシミール紛争、、、。
効果的な解決方法ってないものなのでしょうか??

 もし、国連、NGOその他国際機関が介入するとしたら、一体、どんな策が妥当だと思われますか??

 みなさんの、仮定のもとの想像~希望~具体策、などいろいろな意見いただけたら幸いです。奇抜、突飛な意見などもお待ちしております。

Aベストアンサー

  紛争の平和的処理手段の考え方としては、「外交的処理」、「国際裁判」、「国際機構による政治的処理」があります。

(1) 外交的処理手段-「直接交渉」
紛争当事国は、通常まず外交経路を通じて直接に互いの主張の調整を図り紛争解決を試みます。この最も一般的で原始的な形態が、外交交渉(diplomatic negotiation)または直接交渉と呼ばれるもので、法社会学的には「和解(なかなおり)reconciliation」または「妥協compromise」という概念です。しかしながらカシミール問題は、単なる領土問題だけでなく、重要な内政問題を含有していますので、印パ間の和解または妥協による紛争解決は、極めて困難でしよう。

(2) 外交的処理手段-「周旋」
直接交渉によって解決できないとき、第三国の介入を求めることがあります。第三国が単に紛争当事国に直接交渉の再開を勧め、通信の便宜や、会談場所を提供するなど外面的援助しかしない場合に、これは周旋(good offices)と呼ばれます。ここでの第三者の役割は、紛争当事者間のコミュニケーションを可能ならしめ、また促進することです。印パは、3度に渡る戦争を通して相互に敵対心をあらわにしていますから、紛争の感情的場面の外部にいる第三者の媒介によって、両国のコミュニケーションの閉塞が緩和ないし打破されることが期待されるます。しかしながら英国植民地からの分離・独立時の激烈な内部闘争に起因した印パ間の対立関係を、単に周旋だけで好転させえると期待することは現実的でないとの指摘もあります。むしろ次に述べる、第三国による仲介および調停の方がより効果的でしょう。

(3) 外交的処理手段-「仲介」、「調停」
第三国がさらに交渉に立ち入って紛争当事国の主張の調整や解決策を提示し、和解を促進させる手段に仲介(mediation)があります。過去、英国、米国、ソ連などが第三者として、カシミール問題について印パ間の橋渡しを試みました。しかしながら米国、ソ連などによる仲介にも関わらずカシミール問題が今日まで継続している最大の理由は、紛争当事者である印パ間に解決への熱意がなかったことによります。
第三者が単に間に立つだけでなく、上に立って客観的に審査判断する地位と権限が与えられ、さらに和解案の提案権をもつ場合、調停(conciliation)と呼び、第三者として国際委員会がこれにあたります。カシミール紛争のための国際委員会として、国連安全保障理事会が担当してきましたが、長い間、安全保障理事会によるカシミール紛争の処理は停滞しています。その細部の理由は、ここでは省きますが、これは国連憲章上の問題に起因します。

(4) 国際裁判
際裁判には仲裁裁判と司法的解決(司法裁判)の2種類がありますが、いずれも紛争当事者の合意を基礎にしています。一般的には、紛争当事者の間の力関係が均衡している場合には、裁定手続の合意が成立する必要条件が満たされますが 、インドとパキスタンの国力比はおおむね5対1の実力差であることから、圧倒的な優位に立ち、かつカシミール問題を二国間問題として処理する姿勢を取り続けるインドが、裁定手続に合意する可能性は低い、と考えられます。ただしカシミール紛争において重大な犠牲の回避、印パ間の平和・友好の関係の維持など新たな局面が出現した場合は、裁定による紛争処理の可能性が出てくることは考えられます。

(5) その他の紛争処理
印パ関係の改善に貢献する材料として、非政治レベルでの交流やネットワークの構築の積み重ねなどの国民レベル(NGOなど)での交流を通じて、紛争処理解決の糸口をつかもうという考え方があります。しかしながら印パ間には、政治、経済、宗教など幅広い対立が認められることから、この国民レベルでの、根本的な紛争可決は楽観視すぎると考えます。

以上、政治学的な視点から縷々述べましたが、現在ところ、ラホールの印パ共同声明に沿ってイスラム武装勢力の撤退を目的として、冷戦後唯一の超大国である米国が仲介役を果たすことが、最も現実的な方法であり、紛争解決の第一歩かもしれません。

  紛争の平和的処理手段の考え方としては、「外交的処理」、「国際裁判」、「国際機構による政治的処理」があります。

(1) 外交的処理手段-「直接交渉」
紛争当事国は、通常まず外交経路を通じて直接に互いの主張の調整を図り紛争解決を試みます。この最も一般的で原始的な形態が、外交交渉(diplomatic negotiation)または直接交渉と呼ばれるもので、法社会学的には「和解(なかなおり)reconciliation」または「妥協compromise」という概念です。しかしながらカシミール問題は、単なる領土問題だけで...続きを読む

Q「文化進化論」と「文化伝播論」について

「文化進化論」と「文化伝播論」について説明できる方いらっしゃるでしょうか?
インターネットでもヒットが少なく、いまいち理解できず困っています。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

文化人類学の理論という観点から、お答えいたします。

大きな流れ:
19世紀、人間を神の創造物であるとする世界観に対し、(2)生物学の観点から挑戦した「進化論」が登場し、(3)「社会進化論」、つまり「単純から複雑へ」という単線的な「進化」という概念を社会にあてはめるという発想が流行する。(4)「社会進化論」の科学的証明の欠如に反対した、4つの流れ:「極端な伝播論」、オーストリア・ドイツの「歴史・伝播学派」、「アメリカの歴史学派」(ボアズ)、「イギリスの構造・機能主義」(マリノフスキー、ラドクリフ=ブラウン)。

文化進化論:evolutionism.社会進化論(および社会ダーウィニズム)とも。
この立場の人物として、英国のタイラー(人間の信仰はアニミズム→多神教→一神教へと進化するとした)と、米国のモルガン(野蛮→未開→文明という発達段階を主張)などがよく取り上げられます。
 のちに出てくる「新進化論」と対比される、「古典進化論」「単系進化論」について、一言で要約すると、「民族や社会はすべて、単一の発達過程のラインを、段階を踏みながら進行する。社会ごとに発達の速度は異なる。」と説明できます。
ツボは、当時の西洋の学者が、理解してもいない「異民族」を「野蛮」だと決めつけ、自らを「文明」という立場にすえて考えていたところです。

文化伝播論:diffusionism.
 イギリスを代表とする「極端な伝播論」は、世界の文化はエジプト文明を起源として作られたとしています。実証性がなく、専門家の間では全く顧みられなくなりました。
 「文化圏学派」として知られるオーストリア・ドイツの歴史・伝播学派は、世界各地に文化圏を想定し、その内部の要素を細かく分析、一つ一つの文化圏はどの文化要素がどのように伝播して出来上がっているのか、を論じました。

より詳しく調べる際の手助けになればと思い回答いたしました。テストの類の答案としては、上記の説明だけではまだ不十分かと思いますので、ご自身でさらに調べてみることをお勧めします。
参照
祖父江孝男『文化人類学入門 増補改訂版』中公新書、1990年。
M.S.ガーバリーノ,木山英明・大平裕司訳『文化人類学の歴史 社会思想から文化の科学へ』新泉社、1987年。
綾部恒雄・桑山敬己編『よくわかる文化人類学』ミネルヴァ書房、2006年。

文化人類学の理論という観点から、お答えいたします。

大きな流れ:
19世紀、人間を神の創造物であるとする世界観に対し、(2)生物学の観点から挑戦した「進化論」が登場し、(3)「社会進化論」、つまり「単純から複雑へ」という単線的な「進化」という概念を社会にあてはめるという発想が流行する。(4)「社会進化論」の科学的証明の欠如に反対した、4つの流れ:「極端な伝播論」、オーストリア・ドイツの「歴史・伝播学派」、「アメリカの歴史学派」(ボアズ)、「イギリスの構造・機能主義」(マリノフスキ...続きを読む

Qリアリズムとリベラリズムの意味をお教えください。

NHK高校講座「政治経済」の「国際関係と国際法」というタイトルで「リアリズムとリベラリズム」

という言葉が出てきました。

現代はリアリズムの考えだけでなくリベラリズムの考えが必要だということでしたが、リアリズムとリベラリズムの意味が分かりません。

すみませんが、お教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

リアリズムは「現実主義」と言います

極論すれば、唯物論・唯心論のバランスの取れた現実を直視できる人々のことを言います
もっと極論すれば、ノンポリシーです。思想・信念はあるにしても、そんなものよりも重要な価値観を持っている人がリアリストと言われます
理想を捨てて思考できる人が、現実主義者です。同時に、問答できる人でもあります

間違っても、委員会審議で可決しただけの法案を 「法案成立」などとデマる人はそれに合致しません
物事を正しく理解できない人間はリアリストではありません



 リベラリズムとは「自由主義」のことですが、これには現代では色々な意味があります
ただ、現代社会においてリベラリズムとしてもっとも顕著なのが、リヴァタリアンという人々です
(リバタリアンの説明は要請があればします)

リベラリズムは現代の潮流は、JSミルから理解するのが一番妥当でしょう

『危害原理』という象徴的な概念で説明しましょう
①社会の「自己防衛」を目的とする限りにおいて、行為の自由を規制することは正当。

 日本国憲法でいう「公共の福祉」です。要は、己の自由・権利は、社会維持の都合によって制限できる

②他者に危害が及ばないようにする限りにおいて、権力の行使は正当。

 「他人に迷惑をかけない限りは、行為は自由である」ということです

この危害原理によって個人の自由・権利が統制される世界が自由主義社会、と理解してください

もし、貴方がリベラリズムを理解したいなら、JSミルの『自由論』を原初にして学習することをお勧めします

リアリズムは「現実主義」と言います

極論すれば、唯物論・唯心論のバランスの取れた現実を直視できる人々のことを言います
もっと極論すれば、ノンポリシーです。思想・信念はあるにしても、そんなものよりも重要な価値観を持っている人がリアリストと言われます
理想を捨てて思考できる人が、現実主義者です。同時に、問答できる人でもあります

間違っても、委員会審議で可決しただけの法案を 「法案成立」などとデマる人はそれに合致しません
物事を正しく理解できない人間はリアリストではありません



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Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Qゲルマン民族の大移動となったフン族はなぜ・・

歴史の勉強していくと何故?何故?と疑問がわいてきます。またそれを知った時
すっきりします。ゲルマン民族が移動することによって、ヨーロッパに変化が起きましたが、ではそのフン族がいきなり西方へ移動してきたのは何故でしょうか?
いろいろ調べてみましたが・・ゲルマン民族大移動の原因で出てくる程度、しかも
それまでおとなしくしていたのに、いきなり移動したようなニュアンスです・・
どなたか、ご存知のかた教えてください。

Aベストアンサー

フン族についてはアジア系遊牧騎馬民族という位の情報しか正確なものが乏しい民族です。

「きょう奴」が分裂して一部が西進し中央アジアキルギス高原に達して定着した部族の子孫という説があり彼らは多数の家畜を抱え遊牧し、乗馬に巧みで当然騎射に長けていました。
農耕を知らなかったので自然に生える草を家畜の餌にし殆ど生の獣肉などを食べていたといいます。
従って草がなくなれば当然移動して新しい草原を探さねばなりません。
東方は彼らが既に同様な生活習慣で暮らしてきたので草はないことを知っていますから西進するしかなかったのです。  こうしてヴォルガ川にたっし、さらに西進しました。  これには気候の変化説、疫病説など諸説もありますが正確なところは不明です。  この時代の移動速度は緩やかなものでした。

そこには既に東ゴート族が居住していましたから彼らを略奪、抵抗する者を殺しました。
この情報はすぐに東、西ゴート族に伝わり、かれらフン族の残酷さ、騎馬戦術の脅威が過大に誇張されて伝わったため、パニックが起こりゴート族の西方への大移動が起こって次々とゲルマン民族などの大移動が伝播したのです。  この頃は草原の確保より略奪が目的に変化していてフン族の移動は迅速で警報が間に合わない事もよく起こりました。

アッチラというフン族の王が出現し部族をまとめてから、その攻撃力はすさまじいものとなり現在のフランス、イタリアまで侵略された位です。

フン族についてはアジア系遊牧騎馬民族という位の情報しか正確なものが乏しい民族です。

「きょう奴」が分裂して一部が西進し中央アジアキルギス高原に達して定着した部族の子孫という説があり彼らは多数の家畜を抱え遊牧し、乗馬に巧みで当然騎射に長けていました。
農耕を知らなかったので自然に生える草を家畜の餌にし殆ど生の獣肉などを食べていたといいます。
従って草がなくなれば当然移動して新しい草原を探さねばなりません。
東方は彼らが既に同様な生活習慣で暮らしてきたので草はないことを知っ...続きを読む

Qアフリカは、なぜ、貧困なのか・・・

アフリカでは、今も病気で死ぬ人や食べられない人が大勢います。そもそも何でアフリカの地域は、貧困が多いのでしょうか?ダイヤなどの資源がとれるので、貧困にならないような気がするのですが・・・民族に対する差別的な意見(なまけものだから・・・)などじゃくて。。。ちゃんとした理由がわかる人がいればご指導ください。また、どうすれば、経済というのは発展するのでしょうか?解決策も教えてください。

Aベストアンサー

当然の疑問だと思います。
アフリカはあなたのおっしゃるようにダイヤや石油・希少鉱物など天然地下資源も豊富で、しかも農作物も実は生産量は高いです。
ではどうして今の状況にあるかと言えば世界の近代史を知る事で見えてきます。

アフリカはナイル川流域のエジプト文明に代表されるように、古代から文明の栄えた地でもあります。数々の王国が栄え、ローマ帝国やイスラム帝国、オスマン帝国との興亡もありました。
しかしアフリカの人は豊かに暮らしていました。これは北米や南米・オーストラリアの原住民も同じです。
そして白人が来ます。時は大航海時代です。アフリカ人は捕らえられ、船積みされ世界中に奴隷として売り飛ばされました。南米・北米・オーストラリアの人は虐殺され土地を奪われました。北米のインディアンなどがそうですね。「最後のタスマニア人のトルガニーニ」のように絶滅した民族もあります。

もともと原住民には土地の所有と言う概念はなく、みんなのものと言う意識でした。しかし白人の持ち込んだ価値観により、土地は一部の白人の所有となります。アフリカは植民地となり、白人は農園を開き、現地の人間を労働力として安く使い、生産された利益はすべて白人、つまり欧米諸国に吸い取られました。ここで社会の構造が現地の人を安い労働力としてのみ固定してしまいます。
アフリカと言うとサバンナのイメージがあると思いますが、農業生産も盛んで地下資源の輸出が増えた現代でも、アフリカの輸出品の55%は農産物です。
~~~余談になりますが、地球の人口爆発の原因の最も大きいのはアフリカです。この原因は一人あたまの収入が少なく、また収入の大きな職につけない事で、子供を増やす事が収入を増やす事につながるからです。つまり子供イコール労働力です。一人あたまの収入は少なくても、人数で補おうとする考えです。また貧困の為に乳幼児の生存率が低く、その為また人数を生もうとします。生存率が低いのに一人っ子では、その子が死んでしまえばそれまでだからです。悪い循環になっています。
逆に先進国では一人頭の収入は多いが、子供がいる事で支出が増える為に少子化になっています。
アフリカの人口爆発の原因を教育が遅れているせいだとする人がいますが、それは違います。なぜなら白人が来る前の原住民のあいだでは、人口爆発はなかったからです。白人が作った経済格差と社会構造が人口爆発の原因です。~~~

20世紀に入り植民地支配の時代は終わります。数々の国が独立します。しかし今度は植民地ではないが、欧米諸国の経済支配となります。相変わらず農産物は欧米の多国籍企業がその利益を吸い取ります。
そしてつい最近、ここ数十年で豊富な地下資源が発見されます。独立したアフリカの国は「何とか自国での採掘をしたい」と思います。しかし悲しい事にその為の「資金」も「技術」もありません。欧米にその為の援助・協力を要請しても、絶対にそんな事の為には援助はしません。またすでに欧米に多額の借金もあります。結局はわずかなお金と引き換えに、欧米の多国籍企業にその採掘権を売り渡します。そのせいで、アフリカからどんなに資源が出ても、その利益は欧米に吸い取られ、アフリカは借金が減るどころか増えているのが現状です。事実、アフリカの石油はほとんどがアメリカの企業が持っています。
そして国内に問題も多く、政治的にも不安定で汚職や犯罪・貧困などもはびこっています。それを何とかしたくても、どうにも出来ない・なかなか改革は進展しないというのが現状です。またアメリカにとっても、その状態が都合がいいという事もあります。常に経済的優位に立て、利益を確保できるからです。これはアフリカに限らず、中東のゴタゴタにも多分にアメリカの石油戦略が絡んでいます。イラクの問題もそうですね。イラン・イラク戦争の時、フセインに武器援助をし軍事専門家を派遣し、あそこまで軍事国家に育てたのはアメリカですし、今のアメリカ政府のトップはブッシュ大統領を含めほとんどが石油企業を持っています。ブッシュ大統領の親族企業はビンラディンの兄との共同出資で作った石油企業を持っているのは有名な話ですw。
これが政治というものです。

21世紀でアフリカの貧困はもっとも大きな問題の一つです。これを解決して行くには、欧米・アフリカなどの当事者ではなく、アジアの、特に発展している日本の役割は非常に大きいです。しかしご存知のように、日本はアメリカ追従の姿勢で、アフリカどころかアジアの中でまだゴタゴタをしている国です。「経済は一流、外交は三流」などと揶揄される所以です。最近は経済も二流ですがw。アジアの中で未だに近隣諸国の感情も理解できず、逆なでしているのみの情けない外交です。これはアメリカにとってもそのほうが都合がいいので、なかなかアジアとしてまとまる事ができません。アメリカは中国と日本が接近するのは非常に都合が悪いですし、アジアに共同経済圏・巨大連合体が出来るのは自らの利益を損なう事になります。政治的には反目しあってくれてるくらいがちょうどいいです。

ネットの中でもここを見ていても、中国・韓国の話題がでると非常に感情的な誹謗・中傷や、不毛な議論を始める人が多々います。情けない事です。
もっと歴史を知り、欧米や日本が何をしてきたかを知り、変な思想には惑わされずに事実は事実として受け止め、その上で世界に対して日本が何を出来るかを真剣に考えられる政治家が出てくる事を望みます。
21世紀、日本が中心になってアフリカの問題を良い方向に進められれば、これはすばらしい事ですね。

当然の疑問だと思います。
アフリカはあなたのおっしゃるようにダイヤや石油・希少鉱物など天然地下資源も豊富で、しかも農作物も実は生産量は高いです。
ではどうして今の状況にあるかと言えば世界の近代史を知る事で見えてきます。

アフリカはナイル川流域のエジプト文明に代表されるように、古代から文明の栄えた地でもあります。数々の王国が栄え、ローマ帝国やイスラム帝国、オスマン帝国との興亡もありました。
しかしアフリカの人は豊かに暮らしていました。これは北米や南米・オーストラリアの原住...続きを読む

Qアフリカの内戦 ルワンダの現状と住民

調べたのですが、どうも分からなかったので教えてください。
質問が6点あります。わかる箇所だけでも構いませんの教えて下さい。お願いします。

1.
ルワンダの涙やホテルルワンダででてくるルワンダでの内戦についてですが、映画では1994となっていました。今現在のルワンダはどうなのでしょうか?パソコンでしらべたところ、十分注意してくださいと書いてありましたが、いまでもナタや銃をもってツチ族をみかけたら殺すというような現状もあるのでしょうか?イラクの武装集団のテロのほうが現状は深刻ですか?

2.
ツチ族はやられるがままで、反撃はしなかったのでしょうか?人数が少ないですが・・・

3.
コミニティーサイトでルワンダの人をみると白人が結構多いのも、彼らはドイツ?ベルギー?の軍の家族が残っているからでしょうか?

4.
キガリという場所で大虐殺がありましたが、それは主にフチ族がツチ族を虐殺したのですよね主には? ツチ族ばかりが大量に虐殺されたとするなら、今そこにすんでいるルワンダ人の多くがフチ族出身やフチ族の家系ということになるのですか?

5.
なぜ、ルワンダに駐在していたヨーロッパ軍は、ツチ族をもっと援護しなかったのですか?あそこにいたのがドイツ軍だとしたら、ほかの仲間や友好的な国から助けを呼んで、なんとかこれほどの大虐殺は免れたかもしれないとも思うのですが? それとももっと大惨劇になっていたでしょうか・・・

6.
ヨーロッパ人せい?で、この内戦が勃発したというのをよみましたが、そこの部分がよくわかりません。私の解釈で間違っている部分、足りない部分など指摘してください。かなり簡単な表現でかきますので、できるだけわかりやすい表現でご指摘お願いします。
昔は少数人口のツチ族がフツ族を奴隷にするほどだったけど、
その後はどちらがエライではなく、普通に友好的?に暮らしていたが、侵略してるヨーロッパ人がツチ族を有利に扱ったりしたために、フチ族が暴れだした。といういうことでしょうか?

調べたのですが、どうも分からなかったので教えてください。
質問が6点あります。わかる箇所だけでも構いませんの教えて下さい。お願いします。

1.
ルワンダの涙やホテルルワンダででてくるルワンダでの内戦についてですが、映画では1994となっていました。今現在のルワンダはどうなのでしょうか?パソコンでしらべたところ、十分注意してくださいと書いてありましたが、いまでもナタや銃をもってツチ族をみかけたら殺すというような現状もあるのでしょうか?イラクの武装集団のテロのほうが現状は深...続きを読む

Aベストアンサー

1.ルワンダは現在平和です。イラクの方がよほど深刻です。
現在、ルワンダの治安は安定しており、反政府勢力の武力闘争も国内では終息しました。
その為、最近、内戦で問題になっているスーダン西部のダルフール地方に、国連・アフリカ連合の一員として治安維持部隊を派遣しています。それだけ余裕ができたという事でしょう。
虐殺をおこした独裁政権からの解放を祝い、毎年7月4日は「解放の日」とされ、色々な催しが行われています。今年も歌や踊りやパレードが行われた模様です。
現政府は大虐殺を乗り越えようと、国民融和・和解の為の努力をしている模様です。
ルワンダは貧しい国で国民の三分の二が貧困に喘いでいるそうですが、政府は「貧困削減戦略」という政策を立て、国を豊かにしようと頑張っている模様です。
また、大虐殺で一時期下降していた就学率も回復してきているそうです。識字率も64%で世界176ヶ国中、143位とまだ低いですが、2020年には100%にしようと頑張っています。
2003年の選挙で現在のカガメ大統領は95%の得票率を得ており、国民の支持も厚い模様です。

2.ツチ族は反撃しました。そして勝利します。そしてできたのが現在の政府です。
当時は、政府(フツ族)と、反政府組織のルワンダ愛国戦線(ツチ族と反政府派のフツ族)が激しい戦いを繰り広げた末に停戦を結びました。そして、政府にツチ族の閣僚が入る事に合意がもたれました。
しかし、この後、タンザニアで開かれた近隣国首脳会議に出席し帰りの途上にあった、ルワンダ大統領の乗る飛行機が撃墜されます。ルワンダの大統領は死亡しました。
この事件にルワンダ軍や大統領警護隊は「ツチ族による暗殺だ」と非難の声をあげ、これにフツ族の民兵組織も同調し、内戦と大虐殺が始まりました。
この時、ルワンダの首都キガリには入閣予定のツチ族5人の護衛をする為に、ルワンダ愛国戦線の精鋭が600人ほど駐留していました。彼らは
政府軍に攻められ苦戦しながらも、頑張り、応援を本部に要請します。隣国ウガンダに本部のあったルワンダ愛国戦線は、急遽、キガリに救援部隊を派遣しました。派遣された部隊の指揮官は現在の大統領のカガメ氏で、当時は軍人で少将という地位にいました。
そして幾多の戦いの末に首都キガリを制圧し、後に全土を平定し、新政権を樹立しました。
虐殺に関わった者達は逮捕されるか、国外に逃亡しました。逮捕者は10万人以上にもなったそうです。
最初の頃は虐殺を行い裁判で有罪になった者は死刑になっていましたが、後にルワンダでは死刑が廃止された為、死刑は1998年に22人が公開処刑されたのが最後になりました。その為、他の有罪となった者は服役し労働の刑で罪を償っている模様です。

4.キガリは首都です。大虐殺があった時、逃げて生き延びたツチ族の人もいますし、後にはルワンダ愛国戦線が勝利し制圧しました。その為、逃げた人が戻ってきたり、新しく移り住んだツチ族の人もいます。
ただ、フツ族の方がとても人口が多いので、住んでいる人という点ではフツ族の方が多いと思います。

5.当時、ルワンダには国連の「国連ルワンダ支援団」がいました。これはルワンダ政府とルワンダ愛国戦線の停戦を監視し平和を維持する為の部隊です。
しかし、カナダやベルギー等、各国から派遣された人数は2500人でしかなく、とても内戦を止めれるような戦力ではありませんでした。
政府側だけでも政府軍と民兵を合わせ、3万人以上の兵力を有していたのです。
派遣されていた各国の軍は自国民の安全を守るだけで精一杯でした。
政府内での数少ないツチ族の血を引く、女性のユウイリジンマナ首相は、度々、大統領批判を行い、軍に嫌われていました。彼女は「国連ルワンダ支援軍」のベルギー軍に守られ、国連の事務所に避難しようとしますが、政府軍に捕らえられ処刑されます。この時、護衛に当たっていたベルギー軍兵士10人も殺害されています。
「国連ルワンダ支援軍」は、どうにかキガリ国際空港を確保します。そしてフランス空挺部隊やベルギー空挺部隊が到着し、「国連ルワンダ支援軍」と協力し、外国人の脱出に全力をあげました。
外国人を脱出させた後は、フランス、ベルギー両空挺部隊も引き上げ、また、「国連ルワンダ支援軍」も縮小されました。ベルギーなどはこれ以上、犠牲者をだしたくない為に、独断で「国連ルワンダ支援軍」に派遣していた400人の部隊を引き上げています。

国連やアメリカの動きは鈍いものでした。これは前年にソマリアで平和維持活動に失敗している為、再び失敗し、威信を傷つけるような事にはなりたくなかったからだと言われています。
結局、6月22日にフランスが人道的支援から独自の軍事介入案を国連に提示し、承認され、軍を派遣する事になります。

現実案として、大規模な軍をルワンダに直ぐに展開させるような準備は、どこの国も持っておらず、大虐殺を止めるのは難しかったでしょう。
アメリカのような大国にしても他国に介入するにはかなりの準備期間が必要です。しかし、ルワンダの虐殺は、あまりにも早く短い期間に起こりました。そして、自国の経済的権益の無い国で、不必要な犠牲は出したくないという思惑が各国にあったものと思われます。

6.ルワンダがベルギー領だった時代、ベルギーが最も恐れていたのは、ツチ族とフツ族が手を結び、ベルギーに敵対する事でした。その為、一方の部族を優遇する事により、部族同士を反目させ協力させないような政策をとりました。
その結果、ツチ族とフツ族の対立は激しくなりました。
それは独立を達成してからもかわらず、何度も衝突を繰り返します。

ルワンダの内戦の理由はフツ族とツチ族の民族対立であり、歴史的に見れば、ヨーロッパ人が対立の原因を作る方向にもっていったとは言えるでしょう。
ただ、ルワンダが独立を達成したのは1962年です。1994年の大虐殺の時までには既に30年以上の年月が経っています。ヨーロッパ人の支配から脱して30年以上も経っているのに、この内戦の原因の全てをヨーロッパ人のせいにするには無理があるように思えます。まあ一因くらいはあるかもしれませんが。もはやヨーロッパ人が一部の部族を有利・不利に扱っているという時代ではないのです。
そもそも30年の間にはツチ族とフツ族の間で休戦状態が保たれた平和の時代もあったのです。

また、1994年の内戦の始まりで言えば、大統領機をツチ族が撃墜したと政府軍が判断した事から始まりました。それまでは政府とルワンダ愛国戦線との間で、停戦が合意されていたのです。ここにヨーロッパ人の介在する余地はありません。少なくとも1994年の内戦・大虐殺の勃発の原因をヨーロッパ人のせいにするには無理があるでしょう。

1.ルワンダは現在平和です。イラクの方がよほど深刻です。
現在、ルワンダの治安は安定しており、反政府勢力の武力闘争も国内では終息しました。
その為、最近、内戦で問題になっているスーダン西部のダルフール地方に、国連・アフリカ連合の一員として治安維持部隊を派遣しています。それだけ余裕ができたという事でしょう。
虐殺をおこした独裁政権からの解放を祝い、毎年7月4日は「解放の日」とされ、色々な催しが行われています。今年も歌や踊りやパレードが行われた模様です。
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Qモルガンの進化論

進化論と言えばダーヴィンかと思いますが、
Henry Lewis Morganの進化論について教えて下さい。
お願いします。

Aベストアンサー

 モルガンの進化論は、生物の進化ではなく社会形態の進化について人類学-民俗学の立場からの論です。
 お手軽にはこんな感じ
 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=132560
 詳しく、そして後の民俗学や社会科学に対する影響については
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~bumsat/B-hp.Ron2.htm
 が参考になりそうです。

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Q2016年5月現在戦争をしてる国内乱が起きてる国は何処ですか?

2016年5月現在戦争をしてる国内乱が起きてる国は何処ですか?

Aベストアンサー

朝鮮南北では戦争中ですね
中国は内モンゴル、チベット、ウイグル、台湾を支配下にあるとしてしてますが
紛争の火種になっています
ロシアとウクライナのクリミア問題は解決しておらず
北アイルランドやスコットランドも紛争がたえず
スペインのカタルーニャも独立に向け紛争になるかもしれません
ヨーロッパ全体では100年単位でアラブ系住民と衝突をくりかえし
アメリカも移民対立が深まってきており場合によっては内戦になるかしれません

日本だって沖縄が本気で独立云々いいだしたら、内戦になってもおかしくありません。


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