親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

私は世界史を選択している受験生です。

重商主義は、国家が経済に介入して国を富ませる経済政策のことを指すとよく教科書では説明されますが、それがなぜ航海法の性格となるのかがわかりません・・・。

あと、関連してもう一つ質問があるのですが、
「イギリスとフランスがそれぞれ重商主義をとって、自国の商業独占を強めたため、オランダの商業覇権は急速に傾いていった」という記述が教科書にあるのですが、フランスの重商主義がどのようにオランダに打撃を与えたのかがわかりません。
イギリスの重商主義政策である航海法はオランダ船を締め出したため、オランダに打撃を与えたというのはわかりやすいのですが、それならフランスはどのようにオランダに打撃を与えたのかがわからないのです。

どうか、ご教授のほどよろしくお願いします。

なお、私が何を疑問に思っているのかがわかりにくかったら、お手数ですが質問し返していただけたら助かります。

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A 回答 (3件)

まずは、大雑把な歴史の流れから。



大航海時代以前は、イングランドもフランスもオランダも神聖ローマ帝国(ドイツ)もスペインも、大した海運力(海軍力は海運力にほぼ比例します)がありませんでした。
その頃の船を使った中心は東地中海で、イタリアの海洋国家(ヴェネチア共和国・ジェノヴァ・ナポリ・アマルフィ)が中心でした。
インド(今のインドではなく、ヨーロッパより東という意味合いが強い)から香辛料を始め、奴隷や奢侈品などが、各都市国家の船でイタリアに運ばれ、一端イタリアに富みが集中した後に、陸路を通ってヨーロッパ各地に運ばれていきました。(もちろん、西地中海も経由しますが)
そして、特に北ドイツのハンザ同盟都市もバルト海の貿易を独占していました。
しかし、これらの勢力はいずれも一都市程度しか領有しておらず、富が集まるといっても、その富を集中した富国強兵政策など出来る常態でもなく、その考えもありませんでした。

しかし、スペインが「レコンキスタ」を成功させイベリア半島を統一するのと、徐々に王権を集中させていきました。
また、ルネサンスによって航海技術の向上や冒険心・探究心が高まると、大洋航海に出るモノが出てきます。
最初は、一部の金持ちの道楽だったのが、徐々に意外と富を生み出すことが判明していきます。
そして、ヴァスコ・ダ・ガマやコロンブスなどの成功者が出たことで一気に火がつく事となりました。
スペイン王フェリペ2世が、絶対王政と言える体制を築くと、富が一気に王国に入るようになりました。
フェリペ2世時代にスペインは黄金期を享受します。
しかし、同時にオランダの独立意識を招きました。
また、ヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰周りの航路を発見して以来、胡椒の集積地の一つにのし上がったポルトガルもスペインに併合されてしまいました。
その結果、オランダは独自に胡椒調達をしなければならなくなります。(スペインと独立を巡って争っていたため、市場から閉め出されたので)
その過程で、防衛の為に集まるという感じで東インド会社が設立されます。
その結果、17世紀には一大経済大国として台頭することになります。

この間に同時並行という感じで、フランスやイングランドも中央集権化を進め、スペイン・オランダに対抗し始めます。
特にイングランドも東インド会社を設立し、オランダに対抗しますが、なかなか勝てずにインド以外の市場からは撤退せざる終えませんでした。
ただ、その後ことごとく英蘭は対立することになります。(英蘭戦争)

一方、フランスは一歩大航海時代に乗り遅れた感じでしたが、ルイ14世の元、ヨーロッパ大陸内で優位な立場を確保していきました。
この過程で、フランスは南ネーデルラント(ベルギー)の継承権を主張します。(南ネーデルランド戦争)
オランダは慌てて英蘭戦争を終結させると、フランスに対峙します。
一度はなんとか撤退させたものの、再びルイ14世に戦争を仕掛けられました。(オランダ戦争)

戦況は二転三転し、最初はオランダ側に付いたイングランドもフランスの画策でフランス側に付いたり、フランスの拡大を恐れて対フランスに動いたりと、かなり複雑な過程を辿りつつも、なんとかオランダ側の勝利で終結に至ります。

しかし、イングランドやフランスとの度重なる戦争で、国力が徐々に衰えていき、変って英仏が台頭していく事になりました。
名誉革命が起こってイングランドと関係が良好になったり、フランス革命後のナポレオンに侵略されたりしながら、現在に至ります。


>重商主義は、国家が経済に介入して国を富ませる経済政策のことを指すとよく教科書では説明されますが、それがなぜ航海法の性格となるのかがわかりません

富を生み出すのが、大航海時代以降は海運力に掛かっていたので、航海法によってオランダの活動を封じ込めようという政策でした。
つまり、自国との貿易からオランダ勢を排除することで、より多くの富が自国に入るように画策したワケです。
そして、同時に英蘭戦争やオランダ戦争を通じて国力を奪うことに成功しました。

>フランスの重商主義がどのようにオランダに打撃を与えたのかがわかりません

フランスは、重商主義によって強力な軍隊を作り上げることに成功しました。
結果、(諸外国の介入で目的は達成できなかったものの)オランダ戦争によって国力を奪うことには成功したと言えます。
つまり、オランダはいち早く東インド会社を作って大航海時代の黄金期を築きましたが、英仏の反発を招き、また各国の重商主義の成功によって、国力を奪われる結果を招いたと言えます。

長文失礼しました。参考になれば幸いです。

この回答への補足

詳しいご説明ありがとうございます。
フランスの行ったオランダ戦争も重商主義政策の一貫なのですね。

補足日時:2007/12/31 16:27
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この回答へのお礼

お礼と補足が反対になってしまいましたが・・・

みなさんの回答のおかげで、疑問点はほぼ解決されましたが、
「イギリスとフランスがそれぞれ重商主義をとって、自国の商業独占を強めたため、オランダの商業覇権は急速に傾いていった」
この文中の「自国の商業独占を強めた」という記述だけまだどういう意味なのかいまいち理解できません。

お礼日時:2007/12/31 16:46

#2です。


長文を読んでいただいたようで、ありがとうございます。
補足にもう少し。

>「イギリスとフランスがそれぞれ重商主義をとって、自国の商業独占を強めたため、オランダの商業覇権は急速に傾いていった」
>この文中の「自国の商業独占を強めた」という記述だけまだどういう意味なのかいまいち理解できません。

大航海以前は、東から入ってくる商品は、ほぼイタリアとドイツのハンザ同盟諸都市が独占していました。
当然、中継貿易ですのでその分価格が上がります。
つまり、

アジア→アラブ・イスラム教諸国→イタリア諸都市→ハンザ諸都市→各国

という風に商品が移動します。
この間に、二重三重に価格が上乗せされるんですね。
なので、中継貿易をしているイタリア諸都市やハンザ諸都市が経済大国として存在していました。
しかし、それらの国家は都市国家レベルでしたし、戦争には傭兵を使うのが一般的な考え方でしたので、後のスペインやフランス、英国などの「領土支配型の国」はなかなか成立しませんでした。

その後、ルネサンスによる技術革新と探究心向上により大航海時代が幕開けします。
そして、この大航海の主な目的の一つが、中継貿易による中間搾取を排除しようという事でした。

つまり、アラブ・イスラム諸国やイタリア諸都市などの中間を排除する事で、価格を下げつつ、市場を独占する事で自国の経済力を付けようという目的があったのです。

そして、市場を独占することと前後しつつ絶対王政による中央集権化で王家に富みが集中することになりました。
また、自国軍を結成すれば傭兵を使うよりも効率よく戦争が出来ることを各国は悟っていきました。
結果、「富とは力である=富があれば強力な軍隊が作れる」という考えが生まれてきます。
それが、重商主義政策につながります。
そして、「富を独占した国が有利な立場に立てる」ということから、殖民地獲得競争や他国の市場からの排除という政策がとられていくこととなります。

オランダは、スペイン・ポルトガルに続いて成功しますが、スペインからの独立戦争、英蘭戦争、フランスとの戦争など、相次ぐ戦争によって疲弊していき、覇権も長く続きませんでした。
そして、フランス、英国を中心に世界が動いていく事となりました。

つまり、「自国の商業独占を強めた」というのは、「市場を独占すること」という意味で、例えば「インド産の香辛料は全て英国の東インド会社が独占して扱い、結果、インド産の香辛料が生み出す富は英国に集中した」というような事が起こったと言えます。
そして、それを達成しようというのが「重商主義」の一面と言えます。

簡略化して書いていますので、詳しく見るともっと複雑ですし、見方によっても意見が分かれたりもしますが概ねこんな感じだと思います。
参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

二度も丁寧にご説明してくださってありがとうございます。
おかげで疑問がすっきり解決しました。

お礼日時:2008/01/03 01:30

重商主義は「国力増大とは金の蓄積である」という考えから、イギリスやフランスは、植民獲得や保護貿易を加速しました。

結果的にオランダは市場から締め出され、オランダの権益は損なわれました。
イギリスの制定した1651年の航海法(航海条例)については、「オランダ商人による中継貿易の排除を目的とした」ことからだと思います。
答えになっているかな???



重商主義の結果として航海条例が定められ、オランダの海外進出が
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この回答へのお礼

英仏の植民地獲得や保護貿易といった重商主義政策によって、中継貿易を行うオランダが貿易から締め出されるということですね。よくわかりました。
航海法についても理解しました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/12/31 16:18

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重商主義の経済学説と重商主義の経済政策との関連について教えて下さい。

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 農本主義と重商主義の展開でしたら以下のURLへ
その他でしたら、ここのカテゴリーでは不明でしよう

参考URL:http://www.piedey.co.jp/~akirak/nihon/axis.html

Q「重商主義の貿易観」について教えてください

良くわからない、教えてください

Aベストアンサー

近世の欧州の重商主義ですよね?
前期は、重金主義とも言われる政策が取られました。
重金主義
富とは金銀である、だから金銀を沢山蓄えれば国が富む。
具体的には、貿易会社に介入したり、為替レートの操作(他国の金貨10枚は自国の金貨を1枚であると貿易レートを決めたりしてました)したりして何とか金銀を蓄えようとしていたわけです。

後期では、貿易差額主義といわれる政策が取られました。
貿易差額主義
輸出を推進し輸入を制限することで貿易黒字を稼ごうという政策。
重金主義より現実的政策です。


重金主義も完全に的外れだったわけではありません。
経済を円滑に循環させるには一定量の貨幣が必要です。
しかし、信用制度が存在していなかった当時は、貨幣に信用を持たせるためにはどうしても貨幣を金や銀で作る必要がありました。
しかし、欧州ではあまり金銀が取れなかったので金銀を確保することが国家の命題だったわけです。

貿易差額主義は、それを現実的手段で達成する方法だといえます。
権力で無理やり金銀をかき集めようとした重金主義に対して、貿易差額主義は『外国へ何かを売る』ことで金銀を集め『外国から何も買わないこと』で金銀の拡散を防ぐ役割を果たします。

また、輸入品は大抵消費者(国民)に渡り消費されます。逆に輸出品は生産者が作り外国へ売りつけるとその代金は生産者に渡ります。
つまり、貿易差額主義は輸入品を制限することで国民の消費を抑制し、輸出を促進することで生産者を富ませる効果があります。
消費者が輸入品を消費しても消えてなくなるだけです。『アー楽しかった(美味しかった)』でおしまいです。
しかし、生産者に金が溜まると生産者は新たな投資を行います。つまり工場を拡大したり、最新の設備を買ったりするわけです。その結果生産者はさらに強くなります。これは国が強くなるということでもあり、最終的には国民生活も向上することでも有ります。

したがって、金や銀が貨幣の量と関係が無くなった現代でも、生産者が弱いため国が弱く国民も貧しい途上国は、まず『貿易差額主義』をとり発展することが多いです。
まあ現代では貿易差額政策よりもう少し広範で効率が良い政策が取られていると思うので貿易差額政策というより単に重商主義といった方が正しいです。
日本も発展も中国もそうやって発展しました。
現代の重商主義で用いられる政策は、関税や低為替政策、賃金抑制政策、生産者優遇政策(優遇税制や補助金)などです。

近世の欧州の重商主義ですよね?
前期は、重金主義とも言われる政策が取られました。
重金主義
富とは金銀である、だから金銀を沢山蓄えれば国が富む。
具体的には、貿易会社に介入したり、為替レートの操作(他国の金貨10枚は自国の金貨を1枚であると貿易レートを決めたりしてました)したりして何とか金銀を蓄えようとしていたわけです。

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