太平洋戦争の時に、アメリカが日本の首相官邸や
陸軍省、海軍省、国会議事堂などの当時の日本の行政の中枢を
集中攻撃していれば、軍部の戦意が喪失してもっと早く戦争を終わらせる
ことができたのではないでしょうか?
なぜアメリカはこのような戦法を取らず、民間人を大量虐殺するような
攻撃を行ったのでしょうか?

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A 回答 (15件中1~10件)

中枢を直接攻撃し、当時の総理大臣や軍首脳が死んでしまえば、軍は事実上の分解をしますが、各個がゲリラ化し収拾がつかなくなります。

現に横井正一さんなどを見て明らかなように、軍は中枢の命令が途絶えた場合でも、命令遂行を実施するような機構を取っています。
更に、国の指導者が失われれば、戦争終結の決定が出来なくなります。これはイラクを見て明らかであり、米国はフセインを国民の手に委ね殺してしまった事により、戦争終結の調印を押す相手すら失ってしまったのです。
更に、もし当時、天皇が死んでしまったらどうなっていたでしょう。当時の国民の感覚から、米国は全国民を敵に回す羽目になったのではないでしょうか?
米軍が本土上陸をせず、原爆投下に至った原因の一つにゲリラ化を恐れたという説があります。もし天皇を傷つけてしまえば、国民の多くがゲリラ化し、収拾がつかなくなることを恐れたのだと思います。

指導者の殺害は、中世までの強圧植民地政策では有効ですが、近代国家間の戦争では目的が異なり、むしろ逆効果なのです。
軍部や首脳の戦意を消失させる最も有効な手段は、軍備の破壊であり、現に米軍などは軍需工場を目標に攻撃をしています。ただし、この地域に住民を留める事も戦略上の常套手段なので、この地域の攻撃には多くの一般市民の犠牲も伴ってしまいます。
これは後にベトナムで証明されましたが、消費型の戦争を得意とする米軍などは、ゲリラに対して極めて弱いのです。
もう一つは先の回答にあるように、日本軍は各地に首脳部を分散させ、一箇所が破壊されても、それぞれに指揮系統を組み立てられる計画を立てていました。ですから、首都を早期に攻撃しても逆に攻撃すべき目標が分散するだけでした。
…と私は解釈しています。
実際、首都攻撃は何度も行なわれましたが、日本の降伏は、それによって実現したわけではありません。
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この回答へのお礼

当時、天皇を殺害することが得策ではないことはわかります。
昭和天皇は戦争に消極的だったようですからね。
中枢を破壊しても逆効果になることもあるんですね。
ありがとうざいました。

お礼日時:2008/01/04 17:37

現実に「米国はこうすればもっと早く日本を降伏させる事が出来た」と言う点については主に以下の二点があるでしょう。



・潜水艦による通商破壊作戦にもっと力を入れる
開戦直後の米潜水艦は魚雷の故障が頻発し、戦力発揮の大きな障害となりました。
また艦隊決戦やフィリピンへの物資輸送などあまり効果のない作戦に少なからず投じられていました(これは日本海軍と全く同じ)。
もし開戦前から潜水艦による通商破壊作戦に全力を投じていれば、あと一年早く日本は降伏したとまで言われています。

・日本本土空襲時に鉄道施設の破壊に重点を置く
これは戦後になって日本の運輸関係者が米軍の調査に答えたものですが、米軍が鉄道施設に対する攻撃に積極的で無かった事を不思議に思っていたそうです。
当時の日本では既に船腹の不足から、海上輸送は窒息に近い状況にあり、また道路も未整備で自動車もロクになく、またガソリンも無い当時の日本では道路輸送もままなりません。
鉄道輸送こそが日本の命脈だったにも関わらず、米軍はそれに対する認識が不十分だったと思われます。
もし鉄道施設を重点的に攻撃されていれば、日本の降伏は何ヶ月か早まったことでしょう。
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この回答へのお礼

物資の断絶が戦争の早期終結につながるのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/04 17:41

近代国家というものはそんなに脆弱な構造ではありません。


確かに軍部を全滅させれば戦意を喪失するでしょうが、それは非常に難しいことです。

組織は必ず交代出来るように作られているものです。
大本営は東京の他、松本に堅固な地下要塞を用意して本土決戦に備えていました。
国会議員を皆殺しにしても国民が残っていれば選挙で補充できます。

国民の戦意を失わせる最も有効な手段は国民全部の生活を破壊する事です。  戦争継続に必要な能力を奪うことです。

米国はその戦略に従い、国民の住居を焼き払い、軍需物資の生産能力を奪うこと、交通手段を破壊する事で生活物資の流通を破壊したのです。
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この回答へのお礼

軍部の壊滅は想像以上に難しいのですね。
ありがとうございます。
でも、当時の日本では言論弾圧が厳しく、軍部の独裁状態でしたから、
国民の戦意を失わせても意味がないような気がします。

お礼日時:2008/01/04 17:50

軍の中枢を叩く事は、戦術の基本ですが、壊滅させる事は、戦略的に下策です。


もしもアメリカ軍の爆撃で日本政府が壊滅してしまえば、各地で戦っている部隊は降伏する事ができず、徹底抗戦するしか手が有りません。
その場合、日本は無政府状態となり、現在のイラク以上に悲惨な事になりますし、そんなところに米軍が進駐すれば、現在のイラク以上に苦戦する事となります。
当時としては、ソ連の進出にも警戒する必要が有りましたから、すばやく日本を安定させ、反共の拠点とする事が必要でした。
そのため、日本政府の壊滅をするよりも、降伏させるほうがアメリカにとって有利であったわけです。
日本政府が降伏に応じれば、日本の警察組織や官僚組織、地方組織は残りますから、日本の治安などは守られ、すぐに復興に手がつけられます。
しかし、日本の中枢を壊滅させてしまいますと、降伏できない軍の徹底的な抵抗や国民の反米闘争などにより、日本の国民の生活、日本の産業などは、壊滅的被害となり、より復興に手間と費用がかかってしまいます。

日本政府が降伏に応じるためには、徹底的な戦力の差を見せ付ける必要があり、そして日本国民にその事を認識させる必要がありました。
そのための戦略爆撃です。

イラク戦争でのアメリカ軍の失敗は、イラク政府の中枢を真っ先に破壊してしまった事にあります。
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 なかなか面白い観点からの質問ですね。

たしかにそういう考えもあることはあるのですが、ではなぜ米軍がそれを実行しなかったかといえば、やはりそこにはちゃんとした理由がありました。とはいえその前にいくつかの前提を挙げさせてもらいます。

 まず第一に、今ではB29といえば戦略爆撃機の象徴としてもてはやされていますが、実はそれほど精密な爆撃が出来る機体ではなかったということです。中国本土の成都から飛び立ったB29が日本本土を初めて空襲したのは1944年6月15日のことです。目標は九州の福岡八幡の日本製鉄でした。戦果はといえば、結果的に製鉄工場は殆ど無傷で、最も近いところに落ちた爆弾は目標の1.2キロメーター、最も遠いところに落ちた爆弾はなんと32キロメーターということでした。もちろん日本側の防空戦闘機の存在も精密な爆撃を阻害したということもありましたが、高度400~600メーターという低空からの爆弾投下にも関らずこのていたらくでした。

 第二に当時の日本の軍事的な状況です。先に書いたB29の初爆撃はマリアナ諸島サイパン島上陸作戦に呼応した爆撃作戦だったということです。マリアナといえばもうお分かりだと思いますが、このときを持って日本海軍は組織的な海軍航空作戦能力を失っていますね。つまり米軍にとって日本海軍はもうそれほどの脅威ではなくなったということです。つまりこれより米軍の軍部首脳が相手にするのは、日本陸軍だといってもいいということになります。

 第三に米軍と日本軍との人的被害、つまりは戦死者に対する思想の違いです。日本軍に関してはいまさら書いても詮無いことですが、米軍はその反対で兵士の戦死傷、つまりは自国民に対する損害には敏感だったということです。

 以上を踏まえて本題に入りますが(前置きが長くなって申し訳ないです(-_-;))、当時アメリカ政府はその戦略会議において日本本土の爆撃に対する作戦を作成する際、当然ながら優先爆撃目標をピックアップしました。そして同時に爆撃を避けるべき目標も選別しています。そこには京都とともに東京の皇居も入っていました。理由はご想像にお任せしますが、問題はあなたの言われる当時の日本の政治軍事の中枢のロケーションです。

 いわゆる戦争遂行の中枢「大本営」は、日本陸軍参謀本部の建物の中に在りましたが、それは三宅坂上にありました。といっても分かりにくいかもしれませんが、この地が皇居と国会議事堂や首相官邸に挟まれた形になっていると書けばお分かりかと思います。大本営は皇居の内壕に存在していたのです。
 アメリカがたとえ日本の戦争遂行能力の本拠地だけを一気に叩こうとしても、先に書いたB29の能力と爆撃制約を考え合わせれば、かなり難しかったかと思います。おまけに日中戦争以降、大本営は宮中に移設されています。つまりまかり間違えて皇居に一発の爆弾でも落とすものなら、搭乗員や司令官の軍事裁判どころか、やっと終結の糸口が見えかけてきた戦争が、日本国民の感情を逆なですることよって長期化することも考えられたということです。

 さらに言えば、もしその爆撃制約がなかったとしても、東京上空はつまりは帝都上空であり、その防空態勢は他の地域よりはるかに濃密であったということです。これは言い換えれば、アメリカの戦略爆撃部隊に大きな被害がでることが必至であったということです。結果的に戦争期間を通じて、アメリカの戦略爆撃機部隊であった第20航空軍は485機のB29と212機の戦闘機を失っています。人的損害に眼を移せば3041人を失っています。このような人的被害の増加が、高高度からの焼夷弾を使った夜間爆撃への作戦変更に繋がったのですが、このような理由からもあえて大きな被害を覚悟しなければならない爆撃ルートを選ぶ必然性はなかったといえます。

 しかしそれでも戦争が一日でも早く終わるのなら、損害を覚悟してでもやるべきではないかという考えもあります。それはそれでありですが、日本と違って長期展望が出来るアメリカ政府首脳は、戦争終結をどういう経緯で行うかというシミレーションも当然念頭においていました。そしてそれには日本軍首脳と日本政府の存在が絶対条件でした。なぜかといえば、もしこれらの組織を一気に壊滅させれば中国、東南アジア、南太平洋諸島に点在する多くの日本兵が自動的に遊兵となる可能性がありました。遊兵つまりはゲリラだと思っていただければいいのですが、ある意味数千数万の組織的な軍隊より一握りのゲリラの存在が厄介なことは、今のイラク情勢が良く物語っているかと思います。アメリカ軍は戦闘状態のときの日本兵と、降伏後の従順な日本兵のギャップに驚かされますが、これはある意味日本人の特性を研究するよい機会になっていました。

 そしてアメリカは戦争終結を自軍だけでは出来ないことを良く理解していました。戦争終結には全世界にアピールできるセレモニーが必要だったのです。そしてセレモニーには敵軍の全兵士、全部隊に戦闘行動の停止を通達できる権威機関が絶対に必要であり、これを消滅させることはアメリカの国益には合致しないことだったということです。

 民間人の大量虐殺について言えば、東京大空襲や原爆投下は戦争遂行能力の収奪というより、戦争を管理し遂行する軍部や政府の中枢への恐怖心をかき立て、なおかつアメリカへの畏怖心を持たせるためと、日本国民への戦争への継続心を喪失させるため、そしてアメリカ人の生来の戦争好きな体質であると個人的には考えます。
 これってなんだかこれまでブッシュ政権が起こした数々の戦争によく似てると思いませんか?
 
 つい長くなりましたが、少しでも納得される回答になっていれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。納得しました。

お礼日時:2008/01/04 18:15

戦略爆撃が最近は行われないのには


理由があって、第二次世界大戦の教訓として、
爆撃で相手の士気を挫くことはできないという
ことが証明されてしまったわけです。
何人殺そうが、どれだけ破壊しようが、
むしろ爆撃を被った側の敵愾心を強めるだけで
降伏しようという気にはとうていならないし、
戦意も喪失しないのです。

官舎などを集中的に攻撃してもあんまり意味はありません。
民間人を殺すことも同じくあまり効果が無いので、
第二次世界大戦中も戦略爆撃の効果について議論があって
非人道性を批判する識者も実は多かったんですが、
報復の論理(西欧ではドイツ、アジアでは日本が都市爆撃を最初にやった)で
大戦中は続けられました。
しかし戦後は、その効果を再検証して、費用対効果の悪さ、
非人道性、軍事的意義のなさから、行われなくなったというわけです。

しかしながら何事、一度はやってみないと検証はできないわけで、
第二次世界大戦は最初の総力戦でもあったし、戦略爆撃が
初めて行われた戦争でしたから、そういう意味で試行錯誤があったということです。

ただ大半の都市を焦土にしても戦意を下げるという効果は
得られなかったわけですから、議事堂とか政治関連の建物を
いくら破壊したところで、効果がないだろうことは、
容易に想像しえて、理解できるのではないでしょうか?
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質問内容の軍部の拠点を集中攻撃できれば、戦争を早期に降伏に持ってきやすいのは事実ですが、当時のB29では現代の航空機のように精密爆撃は、できません。

敵の対空砲火の届かない高空から民間人を殺したほうが、効率いいと考えました。国会議事堂にいる政治家は、終戦交渉や戦後処理のためにいたほうが、有利でしょう。
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モスクワなど良い。


古都レニングラードを落とせ。
古都を陥落させればこれで戦意を喪失するだろう。
我々は勝利できる。

これでヒトラーは大敗北します。
「独裁者」は、自分は神だから正しいからです。

>集中攻撃していれば、軍部の戦意が喪失してもっと早く戦争を終わらせることができたのではないでしょうか?

なる訳ないでしょうが。
無傷の中国の関東軍50万人と戦車師団、空軍力が国内に帰ってきますよ。

米軍は予告爆撃しています。
それを口封じしたのは「日本人」です。
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では逆に質問します。



某テロリストは米国の国防省通称・ペンダゴンに民間旅客機を突っ込ませ一部を破壊しました。米国国民と軍部の戦意は無くなったでしょうか?

某国はイラクの中枢施設に対して精密爆弾による攻撃を行いました。イラク軍は戦いを止めましたか?

何れも逆鱗に触れて前者はアフガン・イラク戦争の引き金となり、後者はクウェートの油田破壊に繋がったのでは?

行政中枢部周辺は対空砲陣地の巣です。そんな場所を攻撃しようと思ったらどれだけの損害を被るか考えてください。
民間地域を爆撃したB29は150機は撃墜確認されているんですよ。

ちなみに数年前、国鉄本社(旧鉄道省)のビルを解体した時、このビルには10m以上にわたって対爆撃用の防御鉄骨が組まれていたそうです。通常の爆弾では破壊ができません。

現在の日本の官庁も我々が見ているのは上部構造であって地下に対戦争用の施設が存在しています。この施設は対核爆弾を想定していますので原子爆弾を使っても破壊できません。

官公庁の施設を攻撃するのは愚の骨頂であって戦争を終わらすことはできません。
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行ってはいましたよ。


ただ、空軍による爆撃だけでは、降伏にまで持って行けることは少ないです。(というか、殆ど無理)
軍需工場等を攻撃して、供給を遅らせることはできますが、いずれ必ず復興して稼働し始めますし。
政治的な面から言えば、別に国会議事堂がなくても政治的な指揮系統さえ生きていれば、どこからでも指示は出せますしね。
ヒットラーも地下に潜って、最後まで指示を出していましたし。
近々の例でも、イラク戦争でフセインを屈服させたのも、米軍中心の軍隊が陸軍を導入してバクダッドを占拠した上で、隠れていたフセインを捜し出せたからですし。
その後の米軍への攻撃は、必ずしもフセイン軍の残党によるモノでもないので、まぁ、フセインの拘束をもって対フセイン・イラク戦争は終わったと見て良いでしょうね。

つまり、空軍だけでは一時的に軍需設備を破壊して補給を遅らせたり、攻撃力を下げる事は出来ますが、一国を侵略することは出来ません。
また、「軍需設備を空から見たら民家に見える」みたいな偽装も行いますので、空から一見しただけでは軍需設備だとは分からなかったりもします。(だから誤爆が起こる)
なので必ず、陸軍でもって侵攻する必要があるのです。
なので、米軍もハワイから太平洋島々伝いに侵攻してきたのです。
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(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚
(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を
残すこと勿(なか)れ       
— 『戦陣訓』「本訓 其の二」、「第八 名を惜しむ」>
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E9%99%A3%E8%A8%93

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この戦争の主導権を握ることができたと、思ったはずです。
主導権を握ったとした場合、その後のアメリカの戦略は変わったのでしょうか。
つまり、この海戦までは「やられたからやり返す」という作戦でよいわけですが、この後は、当面の敵は日本であっても、真の敵は、共産主義国家・ソ連ではなかったのでしょうか。
共産主義と戦う戦略があったのでしょうか。

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つまり、この海戦までは「やられたからやり返す」という作戦でよいわけですが、この後は、当面の敵は日本であっても、真の敵は、共産主義国家・ソ連ではなかったのでしょうか。
共産主義と戦う戦略があったのでしょうか。

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Aベストアンサー

アメリカの基本戦略

OPEN CHINA
OPEN PASIFIC

19世紀にイギリスが自由貿易を推進したのは、自由貿易が世界にとっていい選択だからではなく(というような説明を他国に対してはしましたが)世界最大・最良の工場生産力を持つ国が、勝利できるのが自由貿易体制だからです。

20世紀には、19世紀のイギリスが取った政策をアメリカがとることになります。中国に対しては、門戸開放というやつです。門戸さえ開放されれば、日本やイギリスなどが持っている中国利権は、アメリカの国力で吹き飛ばせるという自信です。

真の敵ソ連。
ポツダム会談の前、つまりルーズベルトが大統領の時代までは、基本的には容共、容ソです。警鐘を鳴らしていたのはチャーチルですが、ルーズベルトとしては、潜在敵国は イギリス>ソ連 です。

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アメリカの基本戦略

OPEN CHINA
OPEN PASIFIC

19世紀にイギリスが自由貿易を推進したのは、自由貿易が世界にとっていい選択だからではなく(というような説明を他国に対してはしましたが)世界最大・最良の工場生産力を持つ国が、勝利できるのが自由貿易体制だからです。

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Q顔文字

今までメールなどで顔文字を使ったことがなかったんですが
文章と顔文字を上手に組み合わせてメールを表現ゆたかに
送る友人がいるのですが、そのメールをみて私も顔文字を
使いたくなりました。
そこで顔文字といっても(^-^)この程度しか知らない私に
色々な顔文字を伝授ください。
また顔文字のパターンなどがのっているホームページ等
ありましたら情報をください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちわ、jixyoji-と申しますσ(^^)。

幾つかサイトを紹介しておくので上手く活用してください。

「(^0^)KAOKAO2」
http://www.vector.co.jp/soft/win95/writing/se156487.html

「(^-^)なページ」
http://www.diana.dti.ne.jp/~s-tuzi/

「\(^O^)/ 顔文字 popKmart」
http://kao.popkmart.ne.jp/

「夢の顔文字王国」
http://www.kaomoji.com/kao/

「タツタの部屋」
http://www2j.biglobe.ne.jp/~tatuta/_MENU.htm

「うにたろ顔文字館」
http://hp.vector.co.jp/authors/VA015672/

「■顔文字を動かそう」
http://www8.plala.or.jp/kaomoji/

lan-laさんはかなり慣れていなさそうなのでWindows全般の勉強は下記過去ログを参照してください。

「手ぶらでパソコンの前に座る⇒パソコンについて勉強できる。」
http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=383565

それではよりよいネット環境をm(._.)m。

こんにちわ、jixyoji-と申しますσ(^^)。

幾つかサイトを紹介しておくので上手く活用してください。

「(^0^)KAOKAO2」
http://www.vector.co.jp/soft/win95/writing/se156487.html

「(^-^)なページ」
http://www.diana.dti.ne.jp/~s-tuzi/

「\(^O^)/ 顔文字 popKmart」
http://kao.popkmart.ne.jp/

「夢の顔文字王国」
http://www.kaomoji.com/kao/

「タツタの部屋」
http://www2j.biglobe.ne.jp/~tatuta/_MENU.htm

「うにたろ顔文字館」
http://hp.vector.co.jp/autho...続きを読む

Q自存自衛の戦争【太平洋戦争】

経済制裁もハルノートも、柳条溝以降の日本の中国侵略に対する欧米からの数々の警告を無視しつづけた結果だと思います。つまり封鎖されるべくして経済封鎖され、突きつけられるべくしてハルノートを突きつけられたのに、なぜ自存自衛だったといえるのでしょうか。

Aベストアンサー

thisaway さんの言わんとするところは正鵠を得ていると、私も思いますよ。
なぜなら、米国と戦争すれば、日本の自存自衛もあり得なかったからです。実際に1941年夏(真珠湾攻撃前)、日本の若手エリートを結集した「総力戦研究所」(内閣直属の機関)は、「日本必敗、(米国と)戦うべからず」という秘密報告書を出しています。日米の国力差を冷静に考えれば、当時の日本人にとっても明らかでした。
つまり、「自存自衛のため」と称して真珠湾攻撃に踏み切ったのは、自己矛盾にほかならないということです。「やってみなければ分からない」と言ってる場合ではありません。

従って、thisaway さんのおっしゃるように、ハルノートを突きつけられる前に、日本は対外政策を転換するべきでした。「歴史に if はない」とは言いますが、「欧米からの数々の警告を無視しつづけ」、事態がハルノート(日本にとって飲めない条件)に至った後では、遅かったのです。

「自衛戦争か、侵略戦争か」がクリティカルな(決定的な)意味を持つ理由は、第二次大戦当時、すでに(自衛戦争以外の)戦争は違法だったからです。
不戦条約(戦争放棄に関する条約。1928年パリで調印、日本も参加)により、戦争は非合法化されました。同条約と国際連盟規約(1919年締結)により、従来の戦争観(戦争は国家の権利、宣戦布告すれば戦争するのは自由)は制限を受けるようになりました(なお、同条約は期限の定めがなく、今日も効力を有しており、約60の国が当事国となっている)。
しかし、その後の歴史を見るまでもなく、この条約の実効性は疑わしいものでした。条約参加国の多くが自衛戦争の権利を留保したし、違反に対する制裁規定もなかったからです。いわば同条約は「ザル法」でしたが、それでも、それ以後戦争をする国は、周到に「自衛戦争」を自称するのが常でした。

つまり、「すべての戦争は当事国にとって自衛戦争」という、詭弁競争の状況になったのです。そういう経緯がありますから、「日中戦争も日米戦争も、日本にとって自衛戦争」と主張するような輩(やから)と、議論しても無駄でしょう。ややこしいことを言えば、侵略戦争の中にも自衛戦争の要素はありますし。
それよりも、次の冷徹な認識が重要です。
「米国と戦争すれば日本必敗。日本の自存自衛は図れない。つまり、米国相手の自衛戦争はあり得なかった。そこまで追い込まれる前に、対外政策を転換しなければならなかった」

ただし、この論理だけでは、日中戦争を自衛戦争と言い募る余地が残ってしまいます。もちろん私は、中国に対する侵略だったと思っていますが、いまだに反省しない連中と論争するまでもなく、「自存自衛を不可能にしていく自衛戦争は、自己矛盾。日中戦争も日米戦争もそうだった」と述べておきます。


【マッカーサーの上院証言について】
マッカーサー証言をコピペ(コピー&ペースト)しても、その意味が分かってない人がいるようです(No.1回答でしょうか)。どんな質問に対する証言だったのか、確認しておこうとは思わないんでしょうか? 長文ですが引用します。

対訳 マッカーサー証言(1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会)
http://www.chukai.ne.jp/~masago/macar.html
(ヒッケンルーパー上院議員)
5番目の質問です。赤色中国に関する海と空からの封鎖という貴官の提案は、太平洋において米国が日本に勝利を収めた際の戦略と同じではありませんか。
(マッカーサー将軍)
そうです。
太平洋では、米国は日本を迂回しました。そして閉じ込めたのです。
日本が抱える八千万人に近い膨大な人口は、四つの島に詰め込まれていたということをご理解いただく必要があります。そのおよそ半分は農業人口であり、残りの半分は工業に従事していました。潜在的に、日本における予備労働力は、量的にも質的にも、私が知る限りどこにも劣らぬ優れたものです。いつの頃からか、彼らは、労働の尊厳と称すべきものを発見しました。つまり、人間は、何もしないでいるときよりも、働いて何かを作っているときの方が幸せだということを発見したのです。
このように膨大な労働能力が存在するということは、彼らには、何か働くための対象が必要なことを意味しました。彼らは、工場を建設し、労働力を抱えていましたが、基本資材を保有していませんでした。日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もありません。彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油製品が無く、スズが無く、ゴムが無く、その他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。
これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感がありました。
Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。
(引用終り)

長々とコピペしました。
マッカーサーがこの証言を行った1951年5月は、朝鮮戦争で「中国に原爆を落とせ」と主張し、トルーマンに解任された後のことです。
ヒッケンルーパー上院議員の質問と照らし合わせ、マッカーサーの代弁を勝手にしてみると、次のようになるでしょう。

「中共を封鎖しろ。太平洋戦争前に日本を経済封鎖したように。あの戦略は成功だった。封鎖された日本は、自らの security の必要に迫られ、戦争に打って出た。そこを我々が撃滅したのだ。(中国と日本は資源の有無など状況が異なるにせよ、)中共を封鎖せよ。奴らは(ジリ貧に陥るか、)勝てない戦争に打って出てくるだろう。(日本と同じ罠にはめろ)」

マッカーサーは、一見日本に同情しているようで、実は日本を見下しているんですよ。分かりきった話です。
鬼畜米英が合言葉だった日本人は、敗戦後、掌を返すように占領軍(進駐軍)に擦り寄り、おべっかを使いました。マッカーサー宛に、おびただしい日本語のファンレターが届いたそうです。
そのギブミーチョコレート根性が、いまだに抜けないんでしょうね。「あの元帥様が、自衛戦争と認めてくださった!」と、虫のいい解釈に浸っているわけですか?
麾下の将兵を幾千万と殺されつつ、容赦なき大戦を戦い抜いた闘将マッカーサーが、いくら御役御免になった後でも、「日本が行った戦争は侵略戦争ではなく自衛戦争」と認めるはずがありませんよ。そういう、まともな解釈力が働かないんでしょうか。

付け加えておくと、このマッカーサー証言を「発掘」して世に喧伝したのは、田中正明、渡部昇一、小堀桂一郎という、お決まりの怪紳士の面々です。
http://members.jcom.home.ne.jp/t-masami/zakki-02-7-12/hp-02-08-20.html
> この話は昭和47年発行の『日本無罪論』で田中正明先生が
> 言ってられたのですが、聞くと、原典と突き合せてないということで、
> 渡部昇一さんと話合って原典を突き止めることになり、ニューヨーク・
> タイムズに記事が出ていることが窺え、そこで現物を学生に
> 探してもらうと見付かりました。
> 東京裁判を開くための条例を制定した最高責任者マッカーサー自身が
>「侵略戦争でなく自衛戦争だった」と証言です。どんどん使って
> 宣伝しようと渡部さんと喜び合ったものです。

thisaway さんの言わんとするところは正鵠を得ていると、私も思いますよ。
なぜなら、米国と戦争すれば、日本の自存自衛もあり得なかったからです。実際に1941年夏(真珠湾攻撃前)、日本の若手エリートを結集した「総力戦研究所」(内閣直属の機関)は、「日本必敗、(米国と)戦うべからず」という秘密報告書を出しています。日米の国力差を冷静に考えれば、当時の日本人にとっても明らかでした。
つまり、「自存自衛のため」と称して真珠湾攻撃に踏み切ったのは、自己矛盾にほかならないということです。...続きを読む


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