太平洋戦争の時に、アメリカが日本の首相官邸や
陸軍省、海軍省、国会議事堂などの当時の日本の行政の中枢を
集中攻撃していれば、軍部の戦意が喪失してもっと早く戦争を終わらせる
ことができたのではないでしょうか?
なぜアメリカはこのような戦法を取らず、民間人を大量虐殺するような
攻撃を行ったのでしょうか?

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A 回答 (15件中1~10件)

中枢を直接攻撃し、当時の総理大臣や軍首脳が死んでしまえば、軍は事実上の分解をしますが、各個がゲリラ化し収拾がつかなくなります。

現に横井正一さんなどを見て明らかなように、軍は中枢の命令が途絶えた場合でも、命令遂行を実施するような機構を取っています。
更に、国の指導者が失われれば、戦争終結の決定が出来なくなります。これはイラクを見て明らかであり、米国はフセインを国民の手に委ね殺してしまった事により、戦争終結の調印を押す相手すら失ってしまったのです。
更に、もし当時、天皇が死んでしまったらどうなっていたでしょう。当時の国民の感覚から、米国は全国民を敵に回す羽目になったのではないでしょうか?
米軍が本土上陸をせず、原爆投下に至った原因の一つにゲリラ化を恐れたという説があります。もし天皇を傷つけてしまえば、国民の多くがゲリラ化し、収拾がつかなくなることを恐れたのだと思います。

指導者の殺害は、中世までの強圧植民地政策では有効ですが、近代国家間の戦争では目的が異なり、むしろ逆効果なのです。
軍部や首脳の戦意を消失させる最も有効な手段は、軍備の破壊であり、現に米軍などは軍需工場を目標に攻撃をしています。ただし、この地域に住民を留める事も戦略上の常套手段なので、この地域の攻撃には多くの一般市民の犠牲も伴ってしまいます。
これは後にベトナムで証明されましたが、消費型の戦争を得意とする米軍などは、ゲリラに対して極めて弱いのです。
もう一つは先の回答にあるように、日本軍は各地に首脳部を分散させ、一箇所が破壊されても、それぞれに指揮系統を組み立てられる計画を立てていました。ですから、首都を早期に攻撃しても逆に攻撃すべき目標が分散するだけでした。
…と私は解釈しています。
実際、首都攻撃は何度も行なわれましたが、日本の降伏は、それによって実現したわけではありません。
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この回答へのお礼

当時、天皇を殺害することが得策ではないことはわかります。
昭和天皇は戦争に消極的だったようですからね。
中枢を破壊しても逆効果になることもあるんですね。
ありがとうざいました。

お礼日時:2008/01/04 17:37

現実に「米国はこうすればもっと早く日本を降伏させる事が出来た」と言う点については主に以下の二点があるでしょう。



・潜水艦による通商破壊作戦にもっと力を入れる
開戦直後の米潜水艦は魚雷の故障が頻発し、戦力発揮の大きな障害となりました。
また艦隊決戦やフィリピンへの物資輸送などあまり効果のない作戦に少なからず投じられていました(これは日本海軍と全く同じ)。
もし開戦前から潜水艦による通商破壊作戦に全力を投じていれば、あと一年早く日本は降伏したとまで言われています。

・日本本土空襲時に鉄道施設の破壊に重点を置く
これは戦後になって日本の運輸関係者が米軍の調査に答えたものですが、米軍が鉄道施設に対する攻撃に積極的で無かった事を不思議に思っていたそうです。
当時の日本では既に船腹の不足から、海上輸送は窒息に近い状況にあり、また道路も未整備で自動車もロクになく、またガソリンも無い当時の日本では道路輸送もままなりません。
鉄道輸送こそが日本の命脈だったにも関わらず、米軍はそれに対する認識が不十分だったと思われます。
もし鉄道施設を重点的に攻撃されていれば、日本の降伏は何ヶ月か早まったことでしょう。
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この回答へのお礼

物資の断絶が戦争の早期終結につながるのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/04 17:41

近代国家というものはそんなに脆弱な構造ではありません。


確かに軍部を全滅させれば戦意を喪失するでしょうが、それは非常に難しいことです。

組織は必ず交代出来るように作られているものです。
大本営は東京の他、松本に堅固な地下要塞を用意して本土決戦に備えていました。
国会議員を皆殺しにしても国民が残っていれば選挙で補充できます。

国民の戦意を失わせる最も有効な手段は国民全部の生活を破壊する事です。  戦争継続に必要な能力を奪うことです。

米国はその戦略に従い、国民の住居を焼き払い、軍需物資の生産能力を奪うこと、交通手段を破壊する事で生活物資の流通を破壊したのです。
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この回答へのお礼

軍部の壊滅は想像以上に難しいのですね。
ありがとうございます。
でも、当時の日本では言論弾圧が厳しく、軍部の独裁状態でしたから、
国民の戦意を失わせても意味がないような気がします。

お礼日時:2008/01/04 17:50

軍の中枢を叩く事は、戦術の基本ですが、壊滅させる事は、戦略的に下策です。


もしもアメリカ軍の爆撃で日本政府が壊滅してしまえば、各地で戦っている部隊は降伏する事ができず、徹底抗戦するしか手が有りません。
その場合、日本は無政府状態となり、現在のイラク以上に悲惨な事になりますし、そんなところに米軍が進駐すれば、現在のイラク以上に苦戦する事となります。
当時としては、ソ連の進出にも警戒する必要が有りましたから、すばやく日本を安定させ、反共の拠点とする事が必要でした。
そのため、日本政府の壊滅をするよりも、降伏させるほうがアメリカにとって有利であったわけです。
日本政府が降伏に応じれば、日本の警察組織や官僚組織、地方組織は残りますから、日本の治安などは守られ、すぐに復興に手がつけられます。
しかし、日本の中枢を壊滅させてしまいますと、降伏できない軍の徹底的な抵抗や国民の反米闘争などにより、日本の国民の生活、日本の産業などは、壊滅的被害となり、より復興に手間と費用がかかってしまいます。

日本政府が降伏に応じるためには、徹底的な戦力の差を見せ付ける必要があり、そして日本国民にその事を認識させる必要がありました。
そのための戦略爆撃です。

イラク戦争でのアメリカ軍の失敗は、イラク政府の中枢を真っ先に破壊してしまった事にあります。
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 なかなか面白い観点からの質問ですね。

たしかにそういう考えもあることはあるのですが、ではなぜ米軍がそれを実行しなかったかといえば、やはりそこにはちゃんとした理由がありました。とはいえその前にいくつかの前提を挙げさせてもらいます。

 まず第一に、今ではB29といえば戦略爆撃機の象徴としてもてはやされていますが、実はそれほど精密な爆撃が出来る機体ではなかったということです。中国本土の成都から飛び立ったB29が日本本土を初めて空襲したのは1944年6月15日のことです。目標は九州の福岡八幡の日本製鉄でした。戦果はといえば、結果的に製鉄工場は殆ど無傷で、最も近いところに落ちた爆弾は目標の1.2キロメーター、最も遠いところに落ちた爆弾はなんと32キロメーターということでした。もちろん日本側の防空戦闘機の存在も精密な爆撃を阻害したということもありましたが、高度400~600メーターという低空からの爆弾投下にも関らずこのていたらくでした。

 第二に当時の日本の軍事的な状況です。先に書いたB29の初爆撃はマリアナ諸島サイパン島上陸作戦に呼応した爆撃作戦だったということです。マリアナといえばもうお分かりだと思いますが、このときを持って日本海軍は組織的な海軍航空作戦能力を失っていますね。つまり米軍にとって日本海軍はもうそれほどの脅威ではなくなったということです。つまりこれより米軍の軍部首脳が相手にするのは、日本陸軍だといってもいいということになります。

 第三に米軍と日本軍との人的被害、つまりは戦死者に対する思想の違いです。日本軍に関してはいまさら書いても詮無いことですが、米軍はその反対で兵士の戦死傷、つまりは自国民に対する損害には敏感だったということです。

 以上を踏まえて本題に入りますが(前置きが長くなって申し訳ないです(-_-;))、当時アメリカ政府はその戦略会議において日本本土の爆撃に対する作戦を作成する際、当然ながら優先爆撃目標をピックアップしました。そして同時に爆撃を避けるべき目標も選別しています。そこには京都とともに東京の皇居も入っていました。理由はご想像にお任せしますが、問題はあなたの言われる当時の日本の政治軍事の中枢のロケーションです。

 いわゆる戦争遂行の中枢「大本営」は、日本陸軍参謀本部の建物の中に在りましたが、それは三宅坂上にありました。といっても分かりにくいかもしれませんが、この地が皇居と国会議事堂や首相官邸に挟まれた形になっていると書けばお分かりかと思います。大本営は皇居の内壕に存在していたのです。
 アメリカがたとえ日本の戦争遂行能力の本拠地だけを一気に叩こうとしても、先に書いたB29の能力と爆撃制約を考え合わせれば、かなり難しかったかと思います。おまけに日中戦争以降、大本営は宮中に移設されています。つまりまかり間違えて皇居に一発の爆弾でも落とすものなら、搭乗員や司令官の軍事裁判どころか、やっと終結の糸口が見えかけてきた戦争が、日本国民の感情を逆なですることよって長期化することも考えられたということです。

 さらに言えば、もしその爆撃制約がなかったとしても、東京上空はつまりは帝都上空であり、その防空態勢は他の地域よりはるかに濃密であったということです。これは言い換えれば、アメリカの戦略爆撃部隊に大きな被害がでることが必至であったということです。結果的に戦争期間を通じて、アメリカの戦略爆撃機部隊であった第20航空軍は485機のB29と212機の戦闘機を失っています。人的損害に眼を移せば3041人を失っています。このような人的被害の増加が、高高度からの焼夷弾を使った夜間爆撃への作戦変更に繋がったのですが、このような理由からもあえて大きな被害を覚悟しなければならない爆撃ルートを選ぶ必然性はなかったといえます。

 しかしそれでも戦争が一日でも早く終わるのなら、損害を覚悟してでもやるべきではないかという考えもあります。それはそれでありですが、日本と違って長期展望が出来るアメリカ政府首脳は、戦争終結をどういう経緯で行うかというシミレーションも当然念頭においていました。そしてそれには日本軍首脳と日本政府の存在が絶対条件でした。なぜかといえば、もしこれらの組織を一気に壊滅させれば中国、東南アジア、南太平洋諸島に点在する多くの日本兵が自動的に遊兵となる可能性がありました。遊兵つまりはゲリラだと思っていただければいいのですが、ある意味数千数万の組織的な軍隊より一握りのゲリラの存在が厄介なことは、今のイラク情勢が良く物語っているかと思います。アメリカ軍は戦闘状態のときの日本兵と、降伏後の従順な日本兵のギャップに驚かされますが、これはある意味日本人の特性を研究するよい機会になっていました。

 そしてアメリカは戦争終結を自軍だけでは出来ないことを良く理解していました。戦争終結には全世界にアピールできるセレモニーが必要だったのです。そしてセレモニーには敵軍の全兵士、全部隊に戦闘行動の停止を通達できる権威機関が絶対に必要であり、これを消滅させることはアメリカの国益には合致しないことだったということです。

 民間人の大量虐殺について言えば、東京大空襲や原爆投下は戦争遂行能力の収奪というより、戦争を管理し遂行する軍部や政府の中枢への恐怖心をかき立て、なおかつアメリカへの畏怖心を持たせるためと、日本国民への戦争への継続心を喪失させるため、そしてアメリカ人の生来の戦争好きな体質であると個人的には考えます。
 これってなんだかこれまでブッシュ政権が起こした数々の戦争によく似てると思いませんか?
 
 つい長くなりましたが、少しでも納得される回答になっていれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。納得しました。

お礼日時:2008/01/04 18:15

戦略爆撃が最近は行われないのには


理由があって、第二次世界大戦の教訓として、
爆撃で相手の士気を挫くことはできないという
ことが証明されてしまったわけです。
何人殺そうが、どれだけ破壊しようが、
むしろ爆撃を被った側の敵愾心を強めるだけで
降伏しようという気にはとうていならないし、
戦意も喪失しないのです。

官舎などを集中的に攻撃してもあんまり意味はありません。
民間人を殺すことも同じくあまり効果が無いので、
第二次世界大戦中も戦略爆撃の効果について議論があって
非人道性を批判する識者も実は多かったんですが、
報復の論理(西欧ではドイツ、アジアでは日本が都市爆撃を最初にやった)で
大戦中は続けられました。
しかし戦後は、その効果を再検証して、費用対効果の悪さ、
非人道性、軍事的意義のなさから、行われなくなったというわけです。

しかしながら何事、一度はやってみないと検証はできないわけで、
第二次世界大戦は最初の総力戦でもあったし、戦略爆撃が
初めて行われた戦争でしたから、そういう意味で試行錯誤があったということです。

ただ大半の都市を焦土にしても戦意を下げるという効果は
得られなかったわけですから、議事堂とか政治関連の建物を
いくら破壊したところで、効果がないだろうことは、
容易に想像しえて、理解できるのではないでしょうか?
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質問内容の軍部の拠点を集中攻撃できれば、戦争を早期に降伏に持ってきやすいのは事実ですが、当時のB29では現代の航空機のように精密爆撃は、できません。

敵の対空砲火の届かない高空から民間人を殺したほうが、効率いいと考えました。国会議事堂にいる政治家は、終戦交渉や戦後処理のためにいたほうが、有利でしょう。
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モスクワなど良い。


古都レニングラードを落とせ。
古都を陥落させればこれで戦意を喪失するだろう。
我々は勝利できる。

これでヒトラーは大敗北します。
「独裁者」は、自分は神だから正しいからです。

>集中攻撃していれば、軍部の戦意が喪失してもっと早く戦争を終わらせることができたのではないでしょうか?

なる訳ないでしょうが。
無傷の中国の関東軍50万人と戦車師団、空軍力が国内に帰ってきますよ。

米軍は予告爆撃しています。
それを口封じしたのは「日本人」です。
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では逆に質問します。



某テロリストは米国の国防省通称・ペンダゴンに民間旅客機を突っ込ませ一部を破壊しました。米国国民と軍部の戦意は無くなったでしょうか?

某国はイラクの中枢施設に対して精密爆弾による攻撃を行いました。イラク軍は戦いを止めましたか?

何れも逆鱗に触れて前者はアフガン・イラク戦争の引き金となり、後者はクウェートの油田破壊に繋がったのでは?

行政中枢部周辺は対空砲陣地の巣です。そんな場所を攻撃しようと思ったらどれだけの損害を被るか考えてください。
民間地域を爆撃したB29は150機は撃墜確認されているんですよ。

ちなみに数年前、国鉄本社(旧鉄道省)のビルを解体した時、このビルには10m以上にわたって対爆撃用の防御鉄骨が組まれていたそうです。通常の爆弾では破壊ができません。

現在の日本の官庁も我々が見ているのは上部構造であって地下に対戦争用の施設が存在しています。この施設は対核爆弾を想定していますので原子爆弾を使っても破壊できません。

官公庁の施設を攻撃するのは愚の骨頂であって戦争を終わらすことはできません。
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行ってはいましたよ。


ただ、空軍による爆撃だけでは、降伏にまで持って行けることは少ないです。(というか、殆ど無理)
軍需工場等を攻撃して、供給を遅らせることはできますが、いずれ必ず復興して稼働し始めますし。
政治的な面から言えば、別に国会議事堂がなくても政治的な指揮系統さえ生きていれば、どこからでも指示は出せますしね。
ヒットラーも地下に潜って、最後まで指示を出していましたし。
近々の例でも、イラク戦争でフセインを屈服させたのも、米軍中心の軍隊が陸軍を導入してバクダッドを占拠した上で、隠れていたフセインを捜し出せたからですし。
その後の米軍への攻撃は、必ずしもフセイン軍の残党によるモノでもないので、まぁ、フセインの拘束をもって対フセイン・イラク戦争は終わったと見て良いでしょうね。

つまり、空軍だけでは一時的に軍需設備を破壊して補給を遅らせたり、攻撃力を下げる事は出来ますが、一国を侵略することは出来ません。
また、「軍需設備を空から見たら民家に見える」みたいな偽装も行いますので、空から一見しただけでは軍需設備だとは分からなかったりもします。(だから誤爆が起こる)
なので必ず、陸軍でもって侵攻する必要があるのです。
なので、米軍もハワイから太平洋島々伝いに侵攻してきたのです。
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Aベストアンサー

何か勘違いしている方が多いのですが、

日清戦争戦の陸軍給与規則は石黒忠悳が発令。
日露戦争では陸軍大本営が発令しています。

この大本営野戦衛生長官は小池正直です。
森鴎外が陸軍軍医総監になったのは日露戦争の後です。

少なくとも、二度も脚気が大流行しているのですから、
おかしいと考えるのが普通です。

しかも、麦飯派の大臣を差し置いて命令が出ています。
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>何も反応しなかったのでしょうか。
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Q太平洋戦争での米軍の圧倒的虐殺的攻撃

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Aベストアンサー

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あれでは戦争では無い様に思えますが、>と尋ねておられ様に思います。

根本的な点は、日本軍とその兵士には「降伏」と「捕虜」と成ることが
許されておらず「最後の一兵」まで戦わなければならなかったことです。
こう云う相手に対する米軍は、圧倒的な武力で最後の一兵を倒すまで
攻撃したのです。結果は<虐殺的>なものでした。

「降伏」と「捕虜」に成る事を禁じたのは、東条英機が陸軍大臣の時に
示達した「戦陣訓」です。戦陣訓には
<恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を思ひ、愈々
(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚
(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を
残すこと勿(なか)れ       
— 『戦陣訓』「本訓 其の二」、「第八 名を惜しむ」>
とあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E9%99%A3%E8%A8%93

この戦陣訓は1942年以降は各兵士の持つ『軍隊手牒』に「軍人勅諭」と
共に印刷され、周知徹底されました。*

太平洋戦争の捕虜第一号は、真珠湾に特殊潜航艇で出撃した酒巻大尉です。
出撃した10名から彼を除く9名は軍神として「靖国神社」に祀られ、
彼の家族は非国民扱いされました。当時出征した兵なら誰もが知っていた
事実です。

そういう状況下で、武器が有ろうが無かろうが戦わざるを得ず、
蹂躙される様に倒された兵士、恨みを呑んで餓死した兵士とその遺族に対して
国を免罪するのが靖国神社です。

*手元に亡き父の軍隊手帳が有ります。日華事変が始まる頃のもので
 軍人勅諭は印刷してありますが、まだ戦陣訓はありません。
*苦学生で土方のアルバイトをした時、ある現場で図体の大きな鼻を垂らした
 オッサンが昼休みに直立不動で何かをゴチョゴチョ呟いていました。
 知恵遅れの方で、皇居の方を向いて軍人勅諭か戦陣訓を暗唱しているのだ
 そうです。戦後25年以上経っていました。ちなみに、軍人勅諭は2700
 語です。
 後日、父に尋ねたところ、知恵遅れであろうが何であろうが、文字通り
 ビンタで叩き込む。それが軍隊だそうです。
 

<米軍の圧倒的虐殺的攻撃><圧倒的に劣るため、攻撃されるだけされて、
あれでは戦争では無い様に思えますが、>と尋ねておられ様に思います。

根本的な点は、日本軍とその兵士には「降伏」と「捕虜」と成ることが
許されておらず「最後の一兵」まで戦わなければならなかったことです。
こう云う相手に対する米軍は、圧倒的な武力で最後の一兵を倒すまで
攻撃したのです。結果は<虐殺的>なものでした。

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Q第二次世界大戦、軍部の対立、海軍より陸軍優位だった?

いま、アメリカと戦争してた頃の、歴史の本を読んでまして。その本には、山本五十六の事が度々でてくるのですが。

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という様な事が書かれてまして。ホントにそうだったのかなあ。陸軍の中にも、冷静な戦略家はいなかったのか?東條を初め、陸軍が権力を握って独走したのでしょうか?

Aベストアンサー

この質問は、実際のところは明治維新より続く問題に、面子が絡んだものですから、非常に難しいのですが・・・

陸海軍の対立は、陸の長州、海の薩州といわれるころより続いていた問題です。

当時、会戦のころは国内情勢が結構逼迫しており、もし弱腰になったら、2.26や5.15のようなことが起こる可能性は十二分にありました。
また、国民世論の面でも、弱腰=政権崩壊の可能性があったりと、なかなか厳しい状態です。

陸軍と海軍の力関係ですが、組織の上では一応対等となっています(実は明治維新後しばらくは陸軍が上だったのですが、その後に海軍が黄海海戦での戦果や日本海海戦の大勝利を盾に地位を巻き返したのです)。
しかし、満州事件や日中戦争など、陸軍主導の拡大政策が、ある程度の成功を収めていた上、海軍大将でもあった米内内閣なんかの政治成果があまり芳しくなかったことなどもあり、やや国内政権は陸軍に主導権がありました。

なお、質問者さんが読んだ本は、少々海軍贔屓過ぎるような気はしますね。
私も(土地柄)海軍贔屓であると思いますが、陸軍を、軍事オタクの馬鹿とするのは、少々過小評価しすぎかと。

そもそも、当時の陸軍大学、海軍大学といえば、帝国大学(現東大)と同等以上のエリート大学ですから、基本的に馬鹿はあんまりいないのですけどね・・・
東條も、決して馬鹿ではありません。馬鹿では陸軍大将で総理大臣にまではなれませんから。

ただし、アメリカに対する認識がしっかりしたものであったかと言うと、そうとも言えません(この点が、陸軍批判の最大の原因)。
これは、当時の陸軍海軍の教育方針に違いがあります。
当時まだ日本は、後進国ですから、陸軍大学や海軍大学をでた、いわゆるエリートはほとんどが海外留学をします(もちろん、駐英次官だったりという肩書きで、ですが)。
で、陸軍の留学先ではドイツ、フランス(どちらもいわゆる陸軍国)が主だったのですが、海軍の留学先は米英が多かったです。
結局はこの違いです。米英に留学している人が多い海軍のほうが、アメリカのことを多く、そして良く見ていたのは、ある意味当然でしょう。
しかし、これをもって「視野が狭い、常識がない」とするのは、少々性急でしょうね。

この質問は、実際のところは明治維新より続く問題に、面子が絡んだものですから、非常に難しいのですが・・・

陸海軍の対立は、陸の長州、海の薩州といわれるころより続いていた問題です。

当時、会戦のころは国内情勢が結構逼迫しており、もし弱腰になったら、2.26や5.15のようなことが起こる可能性は十二分にありました。
また、国民世論の面でも、弱腰=政権崩壊の可能性があったりと、なかなか厳しい状態です。

陸軍と海軍の力関係ですが、組織の上では一応対等となっています(実は明治維...続きを読む

Q【便衣兵】旧陸軍による中国大陸での虐殺は無かった【国際法】

【便衣兵】旧陸軍による中国大陸での虐殺は無かった【国際法】

当時の国際法(戦争法)であるハーグ陸戦協定では、便衣兵(ゲリラ、テロリストの類)は交戦資格が無いとし、捕らえた場合は裁判せずに即処刑してよいこととなっております。
これを根拠として、便衣兵の大量処刑は戦争法で認められた戦闘行為の一部であるとし、虐殺数に含まれない、といった論があります。
ですが、この裏を返せば、裁判無しなのですから便衣兵である証拠なしで処刑してよい、と言うことになります。
つまり仮に、旧陸軍の部隊が無辜の一般市民を虐殺したとしても、「これは便衣兵の処刑である」と、いくらでも言い逃れが出来るということです。

とすると、旧陸軍による中国大陸での一般市民の虐殺は一切無かった、といえることになるのではないかと思いますが、

みなさんは、この論についてどう思いますか?

Aベストアンサー

先ず私達の祖先である旧日本軍が大陸で行った作戦行動について中国人が「大屠殺」と言って非難し、反日的日本人が「大虐殺」と言って同調しますが、「虐殺」という用語を使ったとたんに彼らの罠に嵌められたこと

になるので用語には注意しましょう。

さて、ここでは中国人便衣兵が大量に活動した南京問題についてのみコメントします。


便衣兵は文字通り一般の市民服を着ていますから兵隊と一般市民との区別がし難いいわけです。ですから日本軍は掃討戦において注意を払ったのですが、それでも誤って一般市民を処刑したケースもあったかもしれませ

ん(無かったとは言い切れません)。その反対に、市民服を着た中国兵を取り逃がしてしまったケースもあったでしょう。

しかし仮に日本軍が誤って一般市民を処刑したとしても、全責任は中国側にあります。中国兵が便衣(市民服)を着るという反則行為をしたからです。つまり中国兵が一般市民を戦争に巻き込んだのです。日本側に責任

はありません。

脱走を図った中国兵捕虜は処分されて当然である。中国兵捕虜は日本軍に従う義務があるからである。また日本軍の手持ちの食糧が乏しければ捕虜を処分するのも仕方があるまい。中国兵に食べさせて日本兵を飢え死に

させる訳には行かないではないですか。

・昭和12年12月9日(1937年)、日本陸軍中支那方面軍の松井石根司令官は、中国国民党軍南京防衛軍の唐生智司令官あてに降服勧告文を飛行機から投下。回答期限は翌日午後1時とした。

・回答がなかったので12月10日午後2時、日本軍は南京城への攻撃を開始した。

・12月12日午後8時、唐生智司令官が部下の中国人兵士2万人を放って置いて南京市から逃亡。司令官が不在となり統率を失った中国国民党軍の兵士は大混乱に陥った。ほとんどの兵士が一般市民から市民服などを略奪し武器を持ったまま一般市民の間に紛れ込んだ(⇒便衣兵)。

日本軍は占領軍です。占領軍には市民の生活環境を回復し、市民生活の平和を維持する責任があります。だから日本軍は一般市民20万人の間に紛れ込んだ便衣兵の摘発作戦(⇒掃討戦)を急いだのです。敵兵は殺しても良いから一般市民の生活は守らなければなりません。

唐生智司令官が部下の中国人兵士2万人を放って置いて南京市から逃亡したため、中国兵士の大混乱が生じたのですから、一般市民に対する略奪も、捕虜の処分という忌まわしい事実も、その全責任が唐生智ら中国側の指導者にあるのです。大混乱の南京市を平和維持する羽目に陥った日本軍こそ被害者なのです。唐生智は、南京から去るのであれば2万人の兵士にも退却命令を出すべきでした。


>みなさんは、この論についてどう思いますか?

私は日本人自身の祖先を批判する反日的日本人は大嫌いです。彼らは国賊です。もし万が一(ですが)祖先に過失があったとしても祖先を出来るだけかばってあげるのが子孫の務めなのですよ。

先ず私達の祖先である旧日本軍が大陸で行った作戦行動について中国人が「大屠殺」と言って非難し、反日的日本人が「大虐殺」と言って同調しますが、「虐殺」という用語を使ったとたんに彼らの罠に嵌められたこと

になるので用語には注意しましょう。

さて、ここでは中国人便衣兵が大量に活動した南京問題についてのみコメントします。


便衣兵は文字通り一般の市民服を着ていますから兵隊と一般市民との区別がし難いいわけです。ですから日本軍は掃討戦において注意を払ったのですが、それでも誤って一般市民を...続きを読む

Q戦闘機や航空基地 : どうして陸軍と海軍でバラバラだった?

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理由があったのでしょうか? 陸軍がまとめて防空の構えをすれば事足りるように感じたのですが ・・・

それと、海軍と陸軍でどうして戦闘機の機種を統一しなかったのでしょうか? 

もちろん、戦闘内容が違うので両軍が求める性能を統一するのは難しいのは理解できるのですが、すごく不経済だし合理的ではないように思いました。

たとえばゼロ戦を陸軍も使用するとか、逆に隼を海軍も使用するとか出来なかったのでしょうか?

歴史書を読んでいて、ふと感じたので質問させて頂きました。

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理...続きを読む

Aベストアンサー

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では「イエス・サー」といいますが、海軍では「アイ・アイ・サー」といいます。かように「はい」という答えひとつでも違う言い方をしたがるほど陸軍と海軍はときに対抗します。いわんや航空機の仕様については他の方も回答されているように陸軍と海軍では要求するスペックが違いますから自ずと機種が違ってきます。
それは現在でもそうで、例えばアメリカ空軍が使うF-16と海軍/海兵隊が使うF-18は大きさといい性能といいよく似ています。大きな違いは、F-16が単発エンジン、F-18が双発エンジンという点です。一時期、海軍でもF-16を採用してはどうか、という声も上がったのですが、海上で活動することが多い海軍機はエンジンがひとつ故障(あるいは損害)を受けてももうひとつのエンジンで基地や空母までたどり着ける可能性がある双発機のほうがふさわしいとのことで海軍/海兵隊はF-18を採用しました。しかし実際は長年米海軍とお付き合いのあるノースロップ社の「ロビー活動」のたまものです。

合理的精神の塊であるアメリカ人でさえ空軍(陸軍)機と海軍機の統一ができません。ロバート・マクナマラが機種を統一しようとしてF-111という戦闘爆撃機を作りましたが、これは海軍と空軍の猛反対を押し切って強引に進められたものでした。海軍はよっぽど気に食わなかったのか、何かと理由をつけてちゃっちゃとF-111を退役させました。

今でも、ゼロ戦と隼とどっちが優れているか議論させたら答えは出ませんよ。カタログスペックではゼロ戦が優れていますが、ゼロ戦はかなりクセの強い戦闘機だったようです。じゃじゃ馬だったんですね。それに比べると隼のほうがはるかにマイルドで乗りこなしやすかったそうです。ゼロ戦はホンダ車、隼はトヨタ車みたいなもんだったのかもしれません。

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では...続きを読む


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