高校時代に「民衆から尊敬される為政者は二流、真に優れた為政者とは全くその存在すら気づかれないものである」という内容の漢文を読んだ記憶があります。今、それを引用したいのですが出典が判りません。どなたか教えてください。

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老子 思想」に関するQ&A: 老子の思想について

A 回答 (2件)

高校の漢文ということなら,おそらく「十八史略」の最初のほうではないでしょうか。

農民が「我々は日々耕作をし,平和に暮らしている。天子の力など我々には関係ない」という箇所があり,「帝力何有於我哉」(ていりょくなんぞわれにあらんや)という有名なセリフが出てくるところです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。おっしゃる通り、高校生の読むものですから、あまりマニアックな出典ではないのでしょうね。

お礼日時:2001/02/09 20:58

お探しのものがこれか分かりませんが、『荘子』応帝王第七に、



明王の知は、功は天下を蓋(おお)えども、己よりせざるに似、
化は万物に貸(ほどこ)せども、民恃(たの)まず。
有れども名を挙ぐるなく・・・

といった、ものが有ります。
二流の為政者との対比がないので(立派な実行力を持った人との対比はしているのですが)違いそうですが、老荘思想の書物には似たようなものが沢山有るので(例えば『老子』17、34)、調べて引用としてもっとも使えるのを探してみてはいかがでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。週末、書店or図書館へ行ってみます。

お礼日時:2001/02/09 20:54

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Qとある漢文の出典

ごめんなさい!!!題名さえも覚えていませんが、話の内容は…(自信なしです)

ある男が儒教と道教(仏教だったかな?)どちらを学ぼうか迷っていたとき、あまりの空腹で行き倒れそうになり、宿の(?)主人にご飯を馳走になりました。あまりにおいしいので米だったのかと聞くと(中国では北方はキビ、南方は米が主食)主人はキビだと答えます。そのとき男は儒教か道教かなどと迷うことが大切なのではなく、道を求める心が大切であることに気づきます。真剣に道を求めていたならば儒教も道教も同じようなものであったはずだと

というような話だったと思います、二年前みんなが大学受験のころ、私は就職組で勉強しなかったのですが自習中は大人しく友達が使ってない方の問題集を眺めたりしていました。そのときに読んだ話で、とても心に残った話です。でも一体何の問題集だったのか…(センターかな~)

どなたか分かる方、教えて下さい!憶測でもいいです!

Aベストアンサー

#1です.
追加です.
国語1・2へ行って,27ページを見てください.

Q次の漢文の出典と意味を教えて下さい

先日外出先で次の漢文が書かれた掛け軸を拝見しました。
蘭植中塗 必無經時之翠 
桂生幽壑 終抱彌年之丹

帰宅してから身近にあるもので調べて見ると、仏祖統紀というものの中に、この漢文が記載されているらしいことがわかりました。この漢詩の出典(どの様な方の言葉なのか)と意味を是非教えて頂き、勉強したいと思います。ごく最近まで教育、外国語のカテゴリーで同じ質問をさせていただいていました。今回こちらのカテゴリーに変えてもしご存じの方がいらっしゃればと思っています。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 自信がないまま、自分なりに調査・考察を進めていたのですが、No.1のmimireさんのお父様がおっしゃる解釈が自分のものとそれなりに一致しましたので、勇を得て現時点での一応のご報告を致したいと思います。

 まず「仏祖統紀」ですが、

http://www.tabiken.com/history/doc/P/P351R100.HTM

に(日本語で)詳しい解説があります。全54巻で、中国の宋代の僧・志磐の撰述。1269年完成。仏教の祖である釈迦牟尼仏より宋代に至る高僧の業績とその足跡を列記したもので、中国の正史の体裁に従い、紀伝体で書かれているそうです。和訳したものが『国訳一切経』に収録されているとのことですので、該当部分をご覧になったらと思います。図書館蔵書を検索してみましたが、田舎住まいの私の近辺の図書館では無理のようです。

 で、該当部分(外国語の方の質問〔923658〕に引用なさっている部分です。)の大意ですが、

 キン(竹冠に均)州の僧である惠洪【「あざな」は覺範】は、宰相であった張商英と節(度?)使であった郭天信(の事件)に連座して崖州(海南島)に流罪となった。靈源清禪師がそれを聞いて、嘆いて言うには、「蘭を中塗に植えると、必ず長年の間の緑色がない。桂(=肉桂や木犀などの仲間)の木は深い谷に生えて、ついには年を経て赤い花をつける。昔の人はこういった。『賢くて深く物事を察してながら、(自ら)死に近づく者は、人のことをあれこれ悪くいうの好む者である。』と。(確かに)覺範(=惠洪)にはそういうところがあった。」と。

というくらいだと思います(自信なし)。惠洪・張商英・郭天信は宋代の互いに親交のあった人物であることは間違いないようです。(中国語のサイトの記述を、分かるところだけ拾い読みしました。よければ、

http://ykyz.net/yuwen/Article_Show.asp?ArticleID=2034

などを参考にしてください。)

 mimireさんが、詩の「前半と後半はまったく逆の意味だそうです」とおっしゃるのは、蘭をいいかげんな植え方をすると、本来の緑色が発揮できないのに、桂は人知れず育ってその持ち前の美しい赤色を発揮するという点だと思います。私は、惠洪が僧でありながら政治にかかわって(仏教・禅を通しての親交でもあったと思いますが)流謫されたことを、蘭にたとえ、桂のたとえで、人知れず寺に籠もって修行を積めば立派な僧になれたのに、という嘆きを表したのではないかと思っています。

 詩の作者である靈源については、「宋代靈源惟清禪師」という記述のあるサイトがあり、

http://iriz.hanazono.ac.jp/data/zenseki_172.html

に記述がある霊源惟清(?-1117)のことかな、と思います。

 それから、「古人謂。聰明深察而近於死者。好議人者也。」の部分は『孔子家語』の巻第三「観周第十一」にある、礼を学びにきた孔子が帰る際に、老子がはなむけとして贈った言葉の一部に相当します。これは近辺の図書館の貧弱な蔵書で確認しました。

 自信がないまま、自分なりに調査・考察を進めていたのですが、No.1のmimireさんのお父様がおっしゃる解釈が自分のものとそれなりに一致しましたので、勇を得て現時点での一応のご報告を致したいと思います。

 まず「仏祖統紀」ですが、

http://www.tabiken.com/history/doc/P/P351R100.HTM

に(日本語で)詳しい解説があります。全54巻で、中国の宋代の僧・志磐の撰述。1269年完成。仏教の祖である釈迦牟尼仏より宋代に至る高僧の業績とその足跡を列記したもので、中国の正史の体裁に従い、紀伝...続きを読む

Qある漢文の出典が知りたいのです。

次のエピソードの出典が知りたいのです。説苑かと思っていたのですが、見当たりません。
 楚の荘王が群臣に酒を振る舞っていた。宴も酣になり、ある家臣がふざけて美人の衣を引いた。美人は怒ってその家臣の正体をを追求しようとしたが、王は士を辱める事は出来ないと断った。
 その後、ある戦いで常に王を守って戦う者がいた。あの家臣であった。家臣は宴会の時かばってもらった恩に報いたい一心だと言った。

 あらすじは以上です。本文は在るので、出典を教えてください。出来れば本の出版社なども分かると助かります。

Aベストアンサー

絶纓の会(ぜつえいのかい)ですね。三国志でも引用されていました。
お察しの通り説苑(ぜいえん)の復恩にあるそうです。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/1373/ko-jien03/page22.html

Q出典をさがしています。ある小学生用国語問題集に使われている物語文の出典

出典をさがしています。ある小学生用国語問題集に使われている物語文の出典を探しています。その問題集の巻末にある主な出典一覧の中では、「村中季衣 デブの四、五日」というのがそれらしいとは思われるものの、そういう本を見つけることができません。もしかすると、これは書名ではなくて、その中の1作品のタイトルかもしれません。まったく別の本である可能性も多いにあります。どなたか、ヒントになる情報をお寄せ頂けると幸甚です。以下に引用文の一部を掲載いたします。

おばさんにつれられて、歩いて歩いて、そして、場所のほとんどわからない犬小屋の前で、わたしはデブと再会した。「さあ、わん公、ねむいだろうが、しっかり食べときな。」デブは、においをかぎつけていたらしく、格子になっている戸のすきまから鼻をつきだして待っていた。

Aベストアンサー

「デブの四、五日」は『小さいベッド』の中の一話です。

小さいベッド 村中李衣 著 かみやしん 絵
偕成社 1984年7月 ISBN 4-03-635210-5

参考URLは国立国会図書館国際子ども図書館の書誌情報です。

※村中李衣(むらなか・りえ)さんですね。
    ̄

参考URL:http://kodomo3.kodomo.go.jp/web/ippan/cgi-bin/fSS.pl?nShoshiId=30961&nKihonId=30952&sGamen=SI

Q漢文を日本語文に。日本語文を漢文に。

素人の私が、漢文(白文)を読んでも全然訳せないのですが、
漢文を日本語に直す法則(方法)みたいなものはあるんですか?
また、日本語を漢文に直すことは出来るのですか?

Aベストアンサー

こんにちは。
白文ですか。白文だと文の切れ目を探すのが先ず難題ですね。私なら、
1.助詞(焉、乎、而など)で切ってみる
2.文字数(5,7とか)で切ってみる
とかから始めます。一応切れたら、
3.#1の方の仰るとおり、漢文は日本語と語順が反対なので、文の後ろから読んでみる(乱暴ですが)
4.意味を考えつつ何回も読んでみる、不明箇所は辞書を引く
ぐらいですか。でも劇とか小説で俗語が入ってるのは専門の辞書がないとしんどいと思います。
日本語→漢文は、可能だろうけど、出来る人は相当限られるんじゃないでしょうか。漢文は「古文」でもありますから、書くとなるといっそう難しいような・・・


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