親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

 聖書には、旧約聖書と新約聖書の二つがありますが、
旧約と新約は、どう違うのでしょうか。
よろしくお願い致します。

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A 回答 (9件)

はじめまして


旧約聖書はユダヤ教において、重んじられる教典です。また、ユダヤ教の
信者はイエス・キリストの出現を救い主として認めていません。ですから、
旧約聖書はイエス・キリストが出現するまでの、神との古い契約であると
キリスト教では教えられます。ということで、新約聖書はイエス・キリストが
出現し、十字架に架けられ、その後弟子たちによって広められた「神との
新しい契約です」
また、プロテスタントとカソリックでは多少、旧約聖書の取扱について
誤差がありますが、今日ではその溝はほとんどありません。
因に、キリスト教では旧約聖書と新約聖書の二つセットで聖書であると
しています。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:24

アダムが罪を犯してからモーセが律法を貰う出エジプト記19章までは、神様を信じるだけで、それが義として認められ、救われました「創世記15:6」。

これは、今の私達が神様を信じるだけで救われるのと似ていますが、十字架の血が無いのが異なります。                                                                出19から浸礼者ヨハネ「マタイ3:1、11:13」までは、神様を信じながら律法を守れば救われました。                                                                 浸礼者ヨハネから十字架までは、イエスキリストがイスラエルの王としてお越しになっていらっしゃる王国福音です。ですから、マタイ書ではイエスをイスラエルの王として信じると救われました。天国はマタイ福音だけにある言葉で、王国の意味です。この天国が、イスラエルの宗教指導者達によって奪わられ「11:12」、イエスキリストは十字架で処刑されます「マタイ27」。今の私達は、イエスキリストが私達の罪の故に十字架に掛けられ、血を流して死なれ、三日後に蘇られたことを信じると救われます。これを恩恵福音と言います。これが新しい約束です。ですから、旧約はマタイ27章までです。ヘブライ9:17は、遺言者であるイエスキリストが死なれた始点から新約が始まると言われています。                                                                                                恩恵福音は十字架事件から啓示録3章までです。                                                                          今の恩恵福音時代が終わると、救われた人々は楽園に引き上げられ「啓示録4:1、コリント前15:51~55」、この世の中は、7年の大艱難に陥ります「啓示録4章~19章」。大艱難の時は、十字架の血が自分の罪を贖ってくれたと信じるだけでは救われません。大艱難のイスラエル人は十字架の血を信じながら、律法を守りながら、666のしるしを貰ってはいけません。大艱難の異邦人は、十字架の血を信じながら、‘神様を恐れ、その方に栄光を捧げ’「啓示録14:6~7」という永遠の福音を信じながら、666のしるしを貰ってはいけません。                                                                                            大艱難が終わると、1000年王国が始まります。マタイ福音で、イスラエルの宗教指導者達によって奪われ延期された王国なのです「啓示録20章」。1000年王国では、福音を伝えると呪われます。全ての人々が、その方をよく知ってるからです「ゼカリヤ書13:2~3」。ですから、1000年王国では信心は関係なく、行為だけが求められ、行為だけによって救われます。                                                                          1000年王国が終わると、白玉座の審判が行われ、救われた人々は永遠の世界へ「21章~22:5」、救われて無い人は火の池に永遠に投げ込まれます「啓示録20:11~15」。                                                                        新しい約束である新約は、マタイ27:50から始まっています。そして、私達が居る場所は啓示録3:14~22です。                                                                     何故、このような質問をなさったか知りませんけれども、十字架を基点に新しい約束が始まっていることを知らないことから見ると、未だに救われていないと思われます。何よりも先ず、イエスキリストが十字架で流された血が貴方の罪を完璧に無くして下さったことを「心から信じて」救われるように願います。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。
世界史の勉強をしていて、気になったので、質問させていただきました。

お礼日時:2008/01/13 00:11

No.5でだいたい良い。


No.6はひどい。。掲示板なら叩かれる内容。

旧約-神がキリスト(救い主)を送るという預言。
新約-神がキリストを送ったという記録。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:15

旧約はBC


キリストが生まれるまでの事を書き
新約はキリストが生まれてからの後になります。
捕らえ方は様々あるんですが
旧約は神様と信じる者との関係、キリストが生まれる事を預言し聖書が正しいものだと証明するもの、
新約はイエスキリストとはどのような方かを説明した書物で
後は各教会に宛てられた書簡、黙示録

メインはキリストと言う方を信じる事によって救われるという事
愛とは何か?ということを説明した書物

人生訓もあり考えさせるところもあり、外国では信じていなくても
読む人もいます。人生に影響を与える本ですね

種を蒔く人が種蒔きに出かけた。 [4]蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。 [5]また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。 [6]しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。 [7]また、別の種がいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 [8]別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。

良い地にまかれ良い実を結ぶように人生を作って行きましょうね

それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントンを預った者は出て行き、それで商売をして、他に五タラントン
もうけた。同じように、二タラントン預ったものも、他に二タラントンもうけた。しかし、一タラントン預った者は、出て行って穴を堀り、主人の金を隠しておいた。さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰ってきて、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預った者が進み出て、他の五タラントンを差し出して言った。『ご主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に二タラントン預った者も進み出て言った。『御主人さま、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預った者も進み出て言った。『御主人さま、あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、 
恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠けものの悪い僕だ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来た時、利息付で返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる。
benkyouchu様が様が持っているタラントン(能力)は使ってますか
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:17

旧約聖書というのはユダヤ教の聖書のことで、ユダヤ教にとって聖書は一つしかありません。



キリスト教はユダヤ教から分離したので、新約聖書というものも保有しており、新約聖書の方を重要視しています。

旧約聖書は天地創造から民族のなりたち、王国の成り立ち、法律のなりたち、祭司たちのなりたち、などが網羅されており、ユダヤ人の歴史の資料ともなっています。

日本は日本書記、古事記が日本の歴史の資料としていますが、我々が日本書紀を捕らえているより、ユダヤ人は聖書を重要視しています。

新約聖書の方は、ヘロデ大王のころから1世紀までが書かれており、4つ福音書が入っているのですが、そのうち3つまでが内容がほぼ同じ。
イエスという人物を主人公にして書かれています。
そのほかに、パウロ神学が書かれており、パウロの考え方がキリスト教徒のお手本とされています。


3つの福音書の内容の中でイエスの行動やイエスの言ったことは、既に旧約やラビ文学の中で書かれたものばかりで、何一つ新しいものはない。

旧約聖書は主に専門職の人たちが世襲制で口伝で継承していったわけで、大祭司や祭司などは神が決めた人のみ専門でやっていってたのですが、神が決めた民族以外が政権を取ったり、ヘロデ王の方になびいたりして、ちゃんと継承されず、庶民にちゃんと伝えないようになった。
だから、神が専門職の種族以外タッチするなと言ったにもかかわらず、他の民族が宗教職をやるようになり、律法は重要視されなくなった。

それでイエスという人物が、(ラビと言われていたので、恐らく専門職の種族の血を引いているので、祭司の権限があったと思います。) 専門職以外の人たちによってメチャクチャにされてしまった状態を元通りにしようとして、12支族に散らばっていた宗教的リーダーである同族を呼び集め、律法にたちかえれという運動をやった。

つまり イエスの弟子たちは庶民じゃなく神が選んだ宗教専門職の種族だったのではないかと。
イエスもそうだったのではないかと思います。

しかし、預言者は不遇な運命を辿っており、イエスもやはりその通りになった。

ところがトーラに戻る運動は種が消えておらず、エルサレム教会などで、イエスの律法の解釈 つまり 聖書に立ち返る人々がいたわけですが、それを妨害していたのがパウロ。

しかしディアスポラしたユダヤ人であるパウロが改心したので、ローマはびっくり。
しかし、パウロはディアスポラしたユダヤ人で、律法を否定するなど、全然イエスのことを理解しておらず、律法を否定することは、神を否定することで、破門されたわけです。

パウロにしてみたら自分の神学のどこが間違えているのかわからず、エルサレム教会のリーダーで、イエスの弟とされたヤコブを殺害しようとして、神殿から突き落とした。
ヤコブは死ななかったので、今度は自分の息のかかった大祭司を動かし、イエスの弟ヤコブを殺害した。

市民たちにとってみれば、自分達の希望であるヤコブがパウロに殺されたわけで、市民たちはパウロを憎悪し、殺さんばかりの勢いだった。

それで、ローマは親戚であるパウロの身を守るために、ものすごい護衛をつけてパウロをエルサレムから脱出させた。

それでパウロはエルサレムに近づけず、イエスの思想を継承していたエルサレム教会から破門されるほどズレた自分の思想を、エルサレム以外の、ローマが支配している地域に「これがイエスの思想」だと自分の思想を布教してまわった。

何より自分が殺害に関与した大悪人であるという罪悪感はあったのですが、全てイエスが肩代わりしてくれ、懺悔することで全てはチャラになるという神学をぶちたてることで、罪悪感を消せるという神学を作ったわけです。

そういう思想は悪人たちにとって大歓迎。
悪人でなくても、ちょっとしたことで罪を感じている人も、律法を守らなくていい、イエスが罪を肩代わりしてくれたから、もう心配ない というパウロの話を聞き、増えていった。

そういう一連のエピソードが福音書以外の聖書に入っている。

どんな大悪人だろうと、懺悔しさえすれば復活できて大手を振って世の中を歩いていける という話は、世の中の人の慰みとなり、それでそういう人たちに歓迎され、選ばれた人々 はキリスト教徒になっていった というわけです。


簡単な話だと、神の愛律法は旧約聖書にあり、新約聖書は神の愛を否定しているってこと。
イエスは律法を否定せよなど言っていない。
イエスはこの世の終わりまで律法の一字一句消えることなどないという思想だった。

つまりキリスト教の教えはイエスではなく、パウロらの思想の集大成。
どんな悪をやっても救われるから安心しなさいという思想は、征服をしていたローマに受け入れられ、国教となり、この思想が世界征服・略奪に使われ、人類史上かつてないほどの殺人が引き起こるようになったわけです。


というのが、私の大まかな理解です。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:18

以下は、以前私も回答に参加したQ6Aです。


http://okwave.jp/qa2901748.html


以下は、私の回答の再掲。

旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、共通の経典です。
ただし、「旧約聖書」という名称はキリスト教のみの名称で、ユダヤ教は律法書と呼んだり預言書とよんだり、それぞれの頭文字をとった『Tanakh(タナク、タナーク、タナハ、タナッハ)』と呼ばれるようです。
イスラム教では、一部が経典としてつかわれています。
旧約聖書は複数の書物や書簡、詩などで構成されており、どの書物・書簡・詩を正典とするかはそれぞれの宗教・宗派によって違います。

内容は、天地創造からはじまって、イスラエルの民の歴史、預言(予言ではない)、律法、などが記述されています。
キリスト教では、イエス・キリストが十字架上で死んだことで、旧約聖書の預言は完成されたと考えられています。
そして、新約聖書へと繋がります。
※預言とは、神から預かった言葉という意味です。所謂未来を予想する予言とは違います。

新約聖書は、キリスト教の教典です。
また、イスラム教も一部の書を経典として扱います。
内容は、イエスの生涯と言葉・弟子であるパウロやヨハネなどの書簡・イエス死後の弟子の行動などの記録etc、、、です。
こちらも、複数の書物からなりどれを聖典とするかは宗派によって異なります。
キリスト教では、イエス・キリストによって旧約(古い約束)から新約(新しい約束)に更新されたと考えるため、「旧約聖書・新約聖書」という呼称がつきました。
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この回答へのお礼

そういうことだったんですね。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:14

元々、旧約聖書はユダヤ教の経典でした。

そのユダヤ教のラビ(教師)のひとりがイエスです。イエスはユダヤ教徒として活動しそして処刑されたのですが、イエスの弟子たちは「イエスこそキリストである」といい始めました。
キリストとは救世主(メシア)のことです。イエス派の人たちは「イエスこそキリスト」と主張しましたが、保守的なユダヤ教徒たちは「あれは『自称』救世主だ」と認めず、結局イエス派は新しい宗教を立ち上げました。「キリスト教」の誕生です。キリスト教が広まるにつれてバラバラだった経典をまとめる必要がでてきて100年くらい議論してようやくできたのが新約聖書です。

ですからキリスト教徒は旧約聖書を根本として、最も重要な経典は新約聖書としています。ユダヤ教は、そもそもイエスを救世主と認めていないので新約聖書は認めていません。

やがて、中東にイスラム教が生まれます。イスラム教では、イエスも預言者のひとりであると認めていますが、「一番偉いのはムハンマド(マホメット)」としていますので、そのムハンマドの言葉を集めたコーランを最も重要な経典にしています。しかしその基本となる世界観は旧約聖書に基づいています。

つまり、ここまで見て分かるように、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の指す「神様」はみな同じ人(?)ということになります。まあそもそも彼らは一神教ですから、唯一絶対神は同じ存在であるはずですけどね。
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この回答へのお礼

なるほど、どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:20

おまけ情報:


聖書の影響はイスラム教にもあります。
イエスは、イスラム教では神の子でなく、預言者の1人なのだそうです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%90%E8%A8%80% …
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この回答へのお礼

なななんと・・・
そうだったのですか。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:25

旧約聖書:イエスキリスト以前に 神から呈示された契約 ユダヤ教



新約聖書:イエスキリスト以降に 神から呈示された契約 キリスト教

契約とは 信者が遵守すべきことを網羅したもの
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この回答へのお礼

簡潔で分かりやすいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:23

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Q新約聖書と旧約聖書の違いは何でか。

 新約聖書と旧約聖書の違いは何でか。また、それぞれの聖書は、いつ誰が書いたのですか。宗教改革のときルターは、いわば聖書第一主義のような活動をしますが、そのときの聖書とはどちらでか、教えてください。

Aベストアンサー

>新約聖書と旧約聖書の違いは何でか。

キリスト教ではユダヤ書を古い神との契約としています。
その後神との契約しなおしたのが、新約聖書だとしています。

そしてキリスト教では救世主がイエスで、それによって人類は救済されたということを地球上全ての人に伝える書物が新約聖書だとしています。

新約聖書が神との新しい契約書というわけです。
(随分この契約書は難解で長いですが、もっと整理して人間にもわかるように書けなかったのでしょうか と私的に思います。)


ユダヤ教では神の救済は実現していないとしています。
キリスト教では2000年ほど前に実現し、もっとも深い罪である原罪は全人類から消えたので、今では誰一人原罪を持っていないとしています。
ユダヤ教は原罪うんぬんにこだわっていません。 
神の救済をひたすら今も待望している状態です、



新約聖書のイエスの言葉は、ほとんど旧約聖書からきています。
イエスが言ったとされた言葉も旧約聖書に既に書いてある言葉か、それ以前から口伝やラビ文学などで既に語られていたものです。
イエスの言ったとされたもので一番有名なのが山の上の教訓ですが、それも既に過去の人に言い尽くされていたもの。



旧約聖書が成立したのが、紀元1世紀頃です。

その前から文書はありましたが、沢山の資料・口伝の中から選んで編算したのがユダヤ書。(キリスト教が言う旧約聖書)


ユダヤ書は誰が考え出したのかは、よくわかっていません。
が、創世記の部分はバビロン捕囚でバビロンにつれていかれた祭祀たちが作り出したものだと考えられています。

洪水などの話は、その捕囚先の神話を元にしており、主という意味のエルもその場所で神のことをエルと呼んでいたからのようです。


捕囚先で自分達の民族を考えたとき、選ばれた民で神がいつか奴隷の地位から救ってくれるという信仰が生まれ、それでユダヤ教ができたと思えます。


ユダヤ書は作者不明なのですが、シラの書に関しては、実在の人物のようです。
確かシラの孫が作者だったと思います。
(彼はユダヤ書をギリシャ語コイネーに翻訳した一人)


ユダヤ書において、律法の解釈をめぐって、ヤハウエスト エロイストらの理解から書かれているようですが、どっちが勢力を持ったかで、若干違いが見られる。




新約聖書も誰が書いたのはよくわかっていません。
そもそも、イエスという人物が実在したのかも実のところわかっていません。
4福音書の内容が死海文書の中に痕跡が見られることから、イエスがいたとされるよりずっと前に後に福音書となる文章が書かれていたことになります。
従ってイエスという男が生まれる前から新約聖書はあったことになってしまいます。


イエスの概念が異教の神の概念に似ていることから、それらを習合した結果できた架空の存在の可能性もあります。


また、複数の人の話が一人の人に統合された可能性もあります。

いずれにせよ、ユダヤ書から内容がきている。


ユダヤ教とキリスト教の大きな違いは、ユダヤ教は律法の肯定、キリスト教は律法の否定。
ユダヤ教はイエスを神としていません。

キリスト教は神であるイエスを殺したのはユダヤ教だとしていますが、実在していたとしても、殺したのはローマでありユダヤ教ではない。
ユダヤ教の死刑は石打の刑ですから。
イエスを殺したのはユダヤ教だという考えが起源となり、20世紀のホロコーストは起こった。
福音(グッドニュース9)というより、、、、人類最悪の悲劇の根源の書ということになります。



歴史からするとその当時、支配していたローマのユダヤ地の提督は悪政で、そのためユダヤ人の中にはローマ軍にテロを起こしていたようで、そのレジスタンスの中にイエスというリーダーがいて、その人のローマ軍による処刑と話がごちゃまぜになった架空のストーリのような気がします。


新約聖書の編集はエイレナイオスらがやったそうです。
彼らが新約聖書を作ったわけです。
が、後にその作ることになった理由から、中世を暗黒時代にしてしまった。
異端審問など。
そしてそれがやがて後の魔女狩りの思想に発展していった。


>宗教改革のときルターは、いわば聖書第一主義のような活動をしますが、そのときの聖書とはどちらでか、教えてください。

ルターがユダヤ書の中で否定していたのが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AD%A3%E5%85%B8


新約聖書は既にその概念が書かれていた。
ただし、イエスを神とした途端、人類最悪の悲劇がひき起こってしまった。
誰が既に書かれていた神の愛の概念を捻じ曲げ最悪の事態を引き起こしたのか。
解釈の問題であって、文章が悪いんじゃない。
人間の解釈でよくもなり、最悪の惨劇もひき起こる。


魔女狩りが行われた理由はユダヤ書に「魔女を生かしておいてはならない」と書いてあったかららしいです。
その魔女狩りを推奨したのがルターだった。


ご参考までに。

>新約聖書と旧約聖書の違いは何でか。

キリスト教ではユダヤ書を古い神との契約としています。
その後神との契約しなおしたのが、新約聖書だとしています。

そしてキリスト教では救世主がイエスで、それによって人類は救済されたということを地球上全ての人に伝える書物が新約聖書だとしています。

新約聖書が神との新しい契約書というわけです。
(随分この契約書は難解で長いですが、もっと整理して人間にもわかるように書けなかったのでしょうか と私的に思います。)


ユダヤ教では神の救済...続きを読む

Q新約聖書と旧約聖書の違いを教えて下さい。

新約聖書と旧約聖書の違いを教えて下さい。

こんばんは。
新約聖書と旧約聖書ってありますよね?
あの二つはどこがどう違うのか、
具体的に、簡単に教えて下さい。

Aベストアンサー

旧約聖書はユダヤ教の聖典です。
ざっくり言えば,神とユダヤ教徒との約束事です。これを守ります,と神と約束をします。

しかし,ユダヤ教が長く続いて問題が出てきたために,「このままではダメだ!」と思った神が,神の子イエスを遣わして新たに契約しなおしたのが「新約聖書」です。
(契約・約束なので「旧約」「新約」というわけです。)

しかし,前からユダヤ教を信じてきた人から見れば,「なんか『新しい』とか言っているけど認められない」となります。
ですから,ユダヤ教徒は「旧約聖書」とは言いません。「新約聖書」は信じていないからです。
一方,キリスト教としては,前のものを全部アウトにしたわけではありません。旧約聖書でうまく行かなかったところを改訂した,という立場なので,キリスト教を学ぶ場合には新約だけでなく旧約も読まなければなりません。

ついでなので触れておくと,聞いたことがあると思いますが,イスラムの聖典「コーラン」があります。
これは,さらに後になって「ユダヤ教もキリスト教もダメだ!もう一度契約しなおしだ」と思った神が,ムハンマドに言わせたものです。
「コーラン」では,旧約聖書も新約聖書も,前の預言者たち(当てる「予言」ではなくて,神から預かってきた人なので「預言」と書きます)を通じて神(アッラー)と約束したのに,あいつら守らないじゃないか,だからこれが最後だ,としています。
(キリスト教に対しても,イエスは「神の子」ではなくて預言者の一人だといいます)
こちらも,旧約・新約の改訂版という立場なので,コーランを読むには旧約聖書や新約聖書の知識がある程度必要になります。

さらに余談ながら,ユダヤ教では食べるものに対して非常にやかましい規制がありますが,コーランでは,
「だがユダヤ教の人々には、(回教徒より規定を重くして)爪牙をもつ動物は一切御法度にしておいた。(中略)これは、彼らが不遜だからその報いじゃ」(6章147節,井筒俊彦訳)
と説明しています。前のバージョン(旧約)の変更理由を説明した一例です。

この「改訂」の考え方を,乱暴なたとえで言えば,
旧約:原作のライトノベル
新約:ライトノベルを元にしたコミック
コーラン:アニメ化作品
または
旧約:原作のコミック
新約:コミックのテレビドラマ化
コーラン:ドラマから作られた映画
と考えると分かりやすいかもしれません。
やっぱり最新版(アニメ化作品/映画)をよく知りたいなら,前のもの(ライトノベル/コミック)を読んでみる必要がある,というわけです。

旧約聖書はユダヤ教の聖典です。
ざっくり言えば,神とユダヤ教徒との約束事です。これを守ります,と神と約束をします。

しかし,ユダヤ教が長く続いて問題が出てきたために,「このままではダメだ!」と思った神が,神の子イエスを遣わして新たに契約しなおしたのが「新約聖書」です。
(契約・約束なので「旧約」「新約」というわけです。)

しかし,前からユダヤ教を信じてきた人から見れば,「なんか『新しい』とか言っているけど認められない」となります。
ですから,ユダヤ教徒は「旧約聖書」とは言いませ...続きを読む

QWord 文字を打つと直後の文字が消えていく

いつもお世話になっています。
Word2000を使っているものです。
ある文書を修正しているのですが,文章中に字を打ち込むと後ろの字が消えてしまいます。
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他の文書では平気です。
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Aベストアンサー

入力モードが「挿入」(普通の入力)から、「上書き」になってしまっているのだと思われます。
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Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Q紀元前と紀元後をなぜ分けるの?

タイトル通りの疑問なのです。当たり前すぎなことなのかもしれませんが、教えてくださいお願いします。どういういきさつで分ける必要になったのでしょうか?
またいつから分ける様になったのですか?

Aベストアンサー

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
何故西暦0年が存在しないかと言うと、西暦が作られた6世紀半ばのヨーロッパは、まだ数学が発達していなかったためか、「0」の概念が無かったのです。
そのため、「西暦0年」ではなく、「西暦1年」から始まったのです。これは平成0年がないのと同じですね。
だから、紀元1年より前の年をあらわすには、0がないので当然ながらマイナスを使えず、「紀元前」とするしかないわけです。
この西暦は、まず教会で用いられ、それがヨーロッパの一般人に定着するのはそれから数世紀経ってからで、 実際に世界的に使われるようになったのは、18世紀になってからです。
日本に至っては、明治以降、つまり19世紀に入ってから、やっと使い始めました。

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれ...続きを読む

Q「すいません」と「すみません」どちらが正しい?

 タイトルにあるとおり、素朴な疑問になりますが、「すいません」と「すみません」ではどちらが日本語として正しいのでしょうか。分かる方ぜひ教えてください。

Aベストアンサー

もともとは「すみません」ですが、「すいません」と発音しやすく変えたものもたくさん使います。
話す時はどちらでもいいですよ。

ただ、私個人の語感で言うと、公式的な場では「すみません」の方がいいような気もします。「すいません」はちょっとくだけた感じかな。でも、これはあくまで私個人の語感。人によって、あるいは地方によっても感じ方は違うだろうと思います。

書くときはもちろん「すみません」にしましょう。

発音しやすく変化した発音の他の例としては
手術(しゅじゅつ→しじつ)
洗濯機(せんたくき→せんたっき)
などがあります。これも、話す時にはどちらでもいいです。「しじつ」「せんたっき」と書いてはいけませんが。

Qローマ帝国が崩壊した理由。

ローマ帝国が崩壊した政治・経済・宗教上の理由ってなんですか??

教えて下さい。。。

Aベストアンサー

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或いは自然災害や飢餓等で一々首都ローマの皇帝に指示を貰って動いていたら今の日本のお役所仕事よりも状況は悪化します。なので担当者を派遣して急場は彼らが処理して根本的な対処(立法や公的資金の注入。軍の配置等)は事後報告を受けた皇帝が担当することになりました。
しかし皇帝が後継者を残さずに死んだりネロ等の様に住民や元老院に見放された皇帝が出てきたらついムラムラっと支配欲に燃える人も多かったりします。それが上り坂の時代ならば多少は許容されるのですが下り坂で蛮族の侵入が重なったりしたら内乱に乗じられたりする訳です。

経済的には政治的な内容と重なりますが内乱と蛮族の侵入が重なるとどうなると思いますか?
ここでは北アフリカを挙げたいと思います。内乱等で軍隊が指揮官の皇帝即位の為に他のライバルを武力討伐する為に他の地域へ移動すると周辺民族が侵入してきます。彼らは簡単に言うと銀行強盗の群れだったので街や村を略奪して回ります。そうすると住民は暴力を嫌って難民となり他所へ流れて行くことになります。基本的に経済は農作物や鉱山からの収益或いは貿易で成り立ちますし農業はそれらの基本です。そして農地は常に人が手入れしないと荒れる物です。信じられないかもしれませんが当時の北アフリカは砂漠では無く穀倉地帯だったんです。で荒れるに任せて砂漠化しました。これは他の地域では荒地になったり森林になったりして収穫は激減していったのです。
しかも強盗は略奪する物が無ければ支配して搾り取る方法にして居座り続ける事を始めたので二重の意味でダメージになりました。

宗教的には色々ありますが政治的・経済的行き詰りとキリスト教の普及が重なった事が大きいでしょう。ローマ古来の神々は我々を見捨ててしまった。そんな思いに駆られたローマ人の心のスキマにキリスト教は漬け込んだんです。曰く、今の状況は真の神を蔑ろにしたローマ人の所業のツケである。曰く、しかし真の神に帰依すれば救済されるとでも言ったのでしょう。ここで最後の審判で救われると言うのがミソです。来るかどうかも分からない最後があると言って置きながらそんなものは20世紀が終わってもありはしなかったのですからね。まぁこれは今だから言える事ですし当事者はパニックで冷静に考える余地が無かったのですけど。
それからカトリック教会とローマ法王という形で国家内にもう一つの国家を作り上げて寄生されたのも痛かったですね。飢饉で神父やシスターが難民にパンを配る・・・美しい光景ですが何の解決にもなっていません。解決するには行政サイドが動くしか無いのですがガタガタの帝国にはそんな力は残されていなかった。これでは教会に入る人が増えるし帝国に見切りをつける人が増えるのは止め様がありません。


最後に追加ですが戦争のやり方が変ったのも重要です。かつては重装歩兵が主力を担っていたのが騎兵に取って代わりました。単純に考えて甲冑と槍で済んでいたのが追加で馬が加わります。これがクセモノでして俗に牛飲馬食と言う言葉がありますがこれは飲み食い意が激しいのを牛馬に例えた言葉ですが馬を飼うには餌場を順々に回る遊牧生活か金で買って入手するしか方法がありません。しかも手綱や鞍を付けないと乗れませんし牧場や厩舎を作ったり練習の為の馬場も必要です。
これは何故かと言うと大陸の東のモンゴルとかの遊牧民が食い詰めてヨーロッパ方面に移動しました。と書くと穏やかですが戦争しながら原住民を土地から追い出して居座ると言う形で成されました。それでゲルマン人も食い詰めてローマに・・・と言うわけです。なので力関係では負けてるので弱ってるローマで略奪や居座りして新生活を始めよう・・・とそういう次第なんです。



纏まりが無く内容が重複した文章ですがそう私には見受けました。

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或...続きを読む

Q旧約と新約の関係

旧約聖書と新約聖書にはどのようなつながりがあるのでしょうか?
共通点というか旧約と新約の関係を教えてください。

Aベストアンサー

旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、共通の経典です。
ただし、「旧約聖書」という名称はキリスト教のみの名称で、ユダヤ教は律法書と呼んだり預言書とよんだり、それぞれの頭文字をとった『Tanakh(タナク、タナーク、タナハ、タナッハ)』と呼ばれるようです。
イスラム教では、一部が経典としてつかわれています。
旧約聖書は複数の書物や書簡、詩などで構成されており、どの書物・書簡・詩を正典とするかはそれぞれの宗教・宗派によって違います。

内容は、天地創造からはじまって、イスラエルの民の歴史、預言(予言ではない)、律法、などが記述されています。
キリスト教では、イエス・キリストが十字架上で死んだことで、旧約聖書の預言は完成されたと考えられています。
そして、新約聖書へと繋がります。
※預言とは、神から預かった言葉という意味です。所謂未来を予想する予言とは違います。

新約聖書は、キリスト教の教典です。
また、イスラム教も一部の書を経典として扱います。
内容は、イエスの生涯と言葉・弟子であるパウロやヨハネなどの書簡・イエス死後の弟子の行動などの記録etc、、、です。
こちらも、複数の書物からなりどれを聖典とするかは宗派によって異なります。
キリスト教では、イエス・キリストによって旧約(古い約束)から新約(新しい約束)に更新されたと考えるため、「旧約聖書・新約聖書」という呼称がつきました。
とはいえ、「旧約聖書」の重要性が低下したワケではありません。
「律法」としてはその効力を失ったと考えますが、「歴史」「預言の成就」「将来への警告」として非常に重要な位置を占めています。

追加情報として、、、
ルターは、16世紀に宗教改革を始めた人です。
彼は、教会の堕落を糾弾し、聖書のドイツ語訳を通じて神と個人の繋がりを重視する思想を広めました。
そこから派生したのが所謂プロテスタントです。
詳しくは、私も回答した下記のQ&Aを参考にしてください。

http://okwave.jp/qa3685102.html

旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、共通の経典です。
ただし、「旧約聖書」という名称はキリスト教のみの名称で、ユダヤ教は律法書と呼んだり預言書とよんだり、それぞれの頭文字をとった『Tanakh(タナク、タナーク、タナハ、タナッハ)』と呼ばれるようです。
イスラム教では、一部が経典としてつかわれています。
旧約聖書は複数の書物や書簡、詩などで構成されており、どの書物・書簡・詩を正典とするかはそれぞれの宗教・宗派によって違います。

内容は、天地創造からはじまって、イスラ...続きを読む

Q神の子キリストと神ヤハウェの違い

大学生男子です。普段は物理の勉強をしています。

最近島田荘司の魔人の遊戯、という本を読んで旧約聖書の神、ヤハウェを知ったのですが、この神様はキリストとだいぶ性格が違いますよね?

情け容赦がなくて人に攻撃したりする神ヤハウェと愛について説くキリストとはぜんぜん違うように思えるのですが、この辺をキリスト教の方たちはどう解釈してられるのでしょうか?キリストの態度の方を見習うべきとお考えですか?

ヤハウェだったら汝の敵を愛せ、なんてきっと言わないですよね?
キリストよりも偉いはずのこの神様をどう思われますか?

Aベストアンサー

No.5です。

魔人の遊戯 読みました。
面白かったです。

赤い巨人の登場で想像したのが、神が最初に創造したとされるアダム・ガドモン。

聖書を読むと、編集ミスなのか、エロイスト ヤハウエイストによって書かれたものが混在しているからなのか、まるで神は少なくとも2度人間を作ったかのように読めるんですね。

アダムの前に作られたのが、アダム・ガドモンという話もあります。

ちなみに。。。。
 ↓
http://www.knet.ne.jp/~ykkkh/C7_2.htm
No.7さんの書き込みを見て、フンフンと思いました。


もう一つ、別のシーンを思い出しました。
湖面に出た赤い人間。
新世紀エヴァンゲリオンのアスカの乗る二号機。


湖面から赤い十字の火柱が上がり、もりもり自分を殺そうとするものを殺していく。
ちぎって、まっぶたつに折って、敵の血を浴びながら、生への渇望ゆえに、殺戮をしていく。

最後は人間が作ったアダムの子らによって、両腕を切断されて、目をロンギヌスの槍で刺され、内臓を食われ解体されちゃうんです。

なんかティアマアトとマルドゥック戦を思い出す。


ところで、この神の虐殺をどうキリスト教はみているか。
イエスのエリコの町での殺戮を、神父は話したがらないと聞いたことがあります。
だから、どういう説明をしているのか、私は知りません。

が、参考までに。
  ↓
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/divine_murder.html


日本の神話もエジプトの災難と似たような話があります。
蘇民将来。

この虐殺した神は、スサノオってことになっています。
ユダヤ教の過ぎ越しの祭りと同じ内容。

他にもすごいことやった。
とうとう寛容な天照も激怒して、天の岩戸にひきこもったくらい。

残虐さは日本の神様も負けてないようです。

ソーラン節。日本人は聞いても意味不明なのですが、ユダヤ人が聞くと、意味ある歌になるらしい。
<神の御力によって押し進んで行けますように!>という行進曲になるそうです。
モーセもヨシュアもソーラン節を歌ってばく進したのでしょうか。

No.5です。

魔人の遊戯 読みました。
面白かったです。

赤い巨人の登場で想像したのが、神が最初に創造したとされるアダム・ガドモン。

聖書を読むと、編集ミスなのか、エロイスト ヤハウエイストによって書かれたものが混在しているからなのか、まるで神は少なくとも2度人間を作ったかのように読めるんですね。

アダムの前に作られたのが、アダム・ガドモンという話もあります。

ちなみに。。。。
 ↓
http://www.knet.ne.jp/~ykkkh/C7_2.htm
No.7さんの書き込みを見て、フンフンと思いま...続きを読む


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