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天保年間の五百疋とはどれくらいの価値がありましたか?
某手紙にある俳句の添削の料金です。
場所は埼玉県です。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

金一匹は江戸時代の大部分では十文です。


幕末少時期25文になり、明治になり貨幣改革で25銭になりました。   これは昭和中期まで続き皇室からの、御下賜金は金xx匹でした。
江戸期一両は時期により変動し、四千~六千文でした。
天保年間は五千文と見られ、金五百匹は五千文で添削料一両ですが、上品に匹を使いました。
いまの価値に換算は難しいのですが、幕末の一両は万延の粗悪金貨への改鋳で今の3~4万円と見られるので、天保期でしたら一両が10万円前後かも知れません。   高い添削料ですね。

金一匹十文は室町時代、犬追物に使う犬を一匹十文で買い上げた事に基づくとの説があります。
平安時代の匹は(絹)織物の単位で馬に関係する長さといわれています。
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蘭学塾の入学金が先生に200疋(ひき)=50銭?、夫人に100疋、若先生に50疋、塾頭に50疋などというのもありますね。


1疋=25文
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E9%87%91 …
五千石より萬石内外の往来、休みにして金百疋~二百疋或いは銀壱枚、宿泊にして二百疋~五百疋位までなり・・・往来、休みにして二枚から三枚、宿泊にて一両から三両まで、十七八萬石より七十萬石の家にてもさしたる差別なきものなり
(保土ヶ谷宿の宿代)
休憩200疋(銀1枚)、お泊り500疋

当時の日本は西国(朝廷から長州や薩摩)は銀本位制、東国(鈴鹿峠の東)は金本位制。幕藩体制で(幕府と藩の2重権力)西の徳川系は神戸や長崎など直轄地だけ、直に支配しようとすると包囲され全滅するので系列の部下に丸投げ(長崎は佐賀が間接支配、神戸は幕閣の支配(大臣の領地みたいなもの))
経済自体は米と貨幣併用(武士は米もらい商人から現金得る)このことは情報は現物より速く伝わるので大岡越前などの経済改革は骨抜き(米価格統制しても植え付けの段階で商人が予約しているから安価な現物がない)
大塩平八郎の乱の原因は新潟から関門海峡渡って神戸で陸揚げ、大阪に運ぶ米を幕府閣僚が神戸で買い占める(利益上げる)ので大阪の庶民は困窮した。

質問の額は数万円くらい? 
大名のお泊りが3両(1両=7-10万円) 安すぎるように見えるが、当時は貨幣(金銀)だけでなく米も通貨です。そこでいまのアフリカや東南アジアの1部みたいに現金がなくても生きていける。
1両が職人の月収で10両盗むと首が飛ぶ(=死刑)という言い方も残る(年収相当ってことですね)
ほぼ年収分横領してもいまの社会保険庁や公務員は軽いものだが(^^) 注意処分だけ(おいおい)
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四百疋で一両ですから、一両一分に相当しますのでかなり高額です。


現在で言えば数十万円でしょうか。(現在の貨幣価値との比較はいろいろ考え方もありますのでなんともいえません。)
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