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私は人格障害なので普通の人間の気持ちがよく分からないのですが、
誰しもこういった利己的でずるい感情は持っているものなのでしょうか?

最近食品偽造などが問題になっていますが、カルト宗教にしろ
騙す人間というのは皆、心の病気なのでしょうか?

もし持っているのだとしたら、食品偽造などの問題は一生無くならないと思うのですが。

A 回答 (7件)

「心の病気」じゃない人はいないと思いますけどね。


ただ、気づいているかいないかだけの違いでしょう。
人間が本能のみに生きるものではなく、アイデンティティを基礎にした超自我性を希求する属性を持っている以上、心の全く病まない人というのは想定するほうが難しいぐらいなものと考えます。
外界からの刺激に端を発して、本能・自我・超自我の葛藤の中に常にさらされているわけで、この摩擦熱こそが病の本態と言えます。
つまり、病むこと自体は人間にとってむしろ正常なことであり、それを糊塗して足れりとするような安易な人間こそが本物の心の病気ということが言えるでしょう。

「>“自分さえよければいい”といったずるい利己的な感情」とは、まさに自我そのものであって、本能と同様これがなければ人は生きていけません。
精神の発生過程として必ず通過せざるを得ない道であり、またその後もその人を支える土台となる要素でしょう。
ただ、実際的には「自分【さえ】」という自我的要素だけでは満足しないように人間はなっています。
勘違いしている人は多いわけですが、彼らは自分がなぜ不満足なのかその理由を知らないだけです。
超自我的要素において崇高性や善といった精神の高みを目指そうとする属性が、人を人たらしめているということです。
とはいえ、超自我性ばかりが高くてもバランスが取れずに心は不安定になります。
自分にとってなるべく気持ちの良いことを(本能的)、自分がなるべく損をしないように(自我的)、そして、他者にも同様の権利があることを忘れないように(超自我的)しながら求めていくのが健康的な精神性と言えるでしょう。

前二者は通常の場合、生きるには必須のものとして獲得されている(あるいは獲得していく)ものですが、三つ目の超自我性は、ある程度の負荷を自らに掛け(あるいは掛けられ)ることによって、自らの意志として獲得していくものだけに、不足しがちになってしまうのは力学的に言っても止むを得ないことかもしれません。
その意味で自我的人間が多数を占めてきたわけで、その自我的社会において超自我性をどこまで発揮できるのかが(今後も引き続き)問われていくことになるのでしょう。

超自我性のみでは人は生きていけない、というところが最大の悩ましい点と言えます。
「自我的生活だけで自分たちは真に満足することはできないのだ」という事実に気付き、そのことを自らの問題として実践する人々が増えていくことによって、いずれ社会そのものの存在意味が変質していくでしょう。
その時代においては、食品偽造は、現在の企業における利益損失と同等に認識されるはずで、個人的一生のうちには無くならないとは思いますが、人類滅亡の前までには無くなるのではないか、と推測します。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2008/01/15 15:13

>誰しもこういった利己的でずるい感情は持っているものなのでしょうか?


・・・昔、親が大病して入院していたときに、献身的に看護してくれた看護婦さんがいました。その人は「自分自身のためにやっている」といいました。「自分を犠牲にして患者のために」なんてコレッポッチも思っていないそうです。
 こんな「いい利己的」な人と、質問者さんがおっしゃる「ずるい利己的」な人が、それぞれ勝手に自分本位に動き回っていて、成り立っているのが現実の社会なんだろうと思います。
 人を騙して、うまくやってやろうとする心は、大なり小なり皆持っています。持っていないのは小さな子供だけです。
 女の人が化粧をするのも他人を騙していますし、食品偽装や詐欺も他人を騙しています。世の中に許される騙し方と、許されない騙し方があるということです。
 化粧をする女性も、許されない騙し方をする奴も、心の病気ではありません。普通の人間です。
 ですから食品偽装なんかの問題は、何百年かかってもなくなりません。腹が立ちますがしょうがありません。そんな悪いやつは警察や裁判所など、取り締まったり罰したりするところにまかせましょう。
 自分はそういうところから距離をおいて、世の中から許される範囲で利己的に、やりたいことをやって生きていけばいいと思います。その自分本位にやっていくことが、冒頭の看護婦さんのように「世のため、人のため」になっているんだと思います。
 私なんか年金食い逃げ中の老人で、死んでしまった方が世のためになるかも知れません。しかし、死ねば家族が悲しむでしょうし(ホントカナ?)、生きていくためにお金を出して物を買えば、それによって潤う人も出てきます。ですから、生きていくことが世のため人のためと考え、大威張りで長生きさせてもらおうと思っています。 
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2008/01/15 15:21

 「自分さえよければよい」が悪いこととされているのは、人間社会だけです。

自然界では、「自分さえよければよい」があたりまえです。人間も元々は自然の掟に従って生きていましたから、「自分さえよければよい」と考えるのは自然のことです。人間が、自然界とは違うルールを持たせた社会を作り、その中で生きていくことにした時に、秩序を維持するものが善で、秩序を乱すものが悪、となっただけです。元々、「自分さえよければよい」には、良いも悪いもないのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2008/01/15 15:16

医者からみれば健康な人間など一人もいない



誰の言葉か忘れましたが、これを話の枕にもって来ました。
普通の人間って存在するんですかね。いないと思いますよ。

さて、現代では事件を起こす人間は何らかの病気である必要があります。

なぜって?理由が必要だからです。
なぜそんな酷い事件を起こすのか。カルト宗教に入るか。
食品偽装するのか。

で、定番の解答もあります。社会が悪い。親が悪い。家庭が悪い。
共同体の喪失がどうの。病気がどうの。

神話の無い時代なので、新しい神話を頑張って作ってるわけです。
で、病人はさしあたってその神話の信者ってとこですね。

あなたの疑問である、ずるい利己的な感情を持っているのですか?
に対する答えもいくつかあります。

だから、あなたの言うと通り。その通りといっておきます。
それであなたが納得するなら。

みんな病人です。
一生問題はなくならないですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/15 15:15

NO2です。


補足・お礼、ありがとうございました。

「家庭や学校の教育とは」「人を育てるとは」、どういうことなのかを考え直す必要があると思います。

今のように、「記憶力に優れた者」だけが賞賛される教育体制では、「ロボット人間しか作れない」気がしてなりません。

「会話をし、笑い、泣き、他人の痛みをわかり、他人を助け、他人と協力し、創造してゆく。」という、【人間らしさ】を忘れかけているようです。

「どうしようもない」と言って、「守る」ところに、「勝利」はありません。
「攻撃は最大の防御」です。「何かをして、点を取らないと勝てません」。

国民全員で考えるべき、重大問題です。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。
今の日本の教育は腐っているように思えます。
マスコミも。
重要な国の教育機関さえも反日に支配されていると聞いたことがあるのですが本当なのでしょうか?教科書捏造問題などありますし。

お礼日時:2008/01/11 14:19

「持ってます」


基本的な「欲望」のひとつですから。

あとは、「理性」でどこまで抑えられるかだけでしょうね。

「欲望に負けた」だけで、「心の病気」とは違いますね。
ただし、カルトの「信者」は、「欲望をうまく利用した、教祖に洗脳されています」が。

「欲望と理性の戦い」は、人間の永遠の課題です。無くなりません。

この回答への補足

結局、人間ってのは身勝手なんですかね?
どんなに教育しようが弱さで欲望を満たすためについ犯罪に走ってしまう人がいるのでどうしようもないのでしょうか?
“守ることに徹する”ですかね?

補足日時:2008/01/11 13:03
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/11 12:41

>私は人格障害なので普通の人間の気持ちがよく分からないのですが、


>誰しもこういった利己的でずるい感情は持っているものなのでしょう>か?

大概の人はもってるんじゃないですかね

>もし持っているのだとしたら、食品偽造などの問題は一生無くならな>いと思うのですが。

そうだと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/11 12:38

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