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質問です。
鎌倉幕府の引付と、建武の新政時の雑訴決断所
の違いは何でしょうか?

A 回答 (2件)

引付は裁判の迅速化・正確化を目的に設置。

主に所領関係の訴訟を担当した機関です。

雑訴決断所は所領関係の訴訟が当初の目的ですが、そのうちだんだん機能が追加され、乱発された綸旨の整理などもするようになったようです。足利尊氏の影響力が大きく、尊氏の離反後に分裂したそうです。

政権や時代、設置された背景などが違うので基本的には似ていても別物と考えた方がいいと思われます。
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>鎌倉幕府の引付と、建武の新政時の雑訴決断所の違いは何でしょうか?



雑訴決断所については記録所や院評定などについて考えてみないと分かりづらいので、少し長くなりますがお許し下さい。

建武新政は期間が短いので、雑訴決断所を含め各機関の詳細が分かりづらいですが、雑訴決断所は後三条天皇の記録所に源がありますが、雑訴決断所と引付は、共通項を持っています。それは、土地関係を中心に訴訟全般に行うこと。上位組織の記録所、評定から分かれて成立していること。その上位機関に最終審理権があるなどからです。この共通点は時代の要請でもありますが、時間的に見て雑訴決断所が、引付の制度を参考にして作られたからとも思われます。
記録所は後三条天皇の延久元年(1069)に成立しています。正式名称は「記録荘園券契所」と言います。延久の荘園整理令に連動して、荘園を整理するために、荘園成立の証拠である券契を審査し、立荘の証拠のないものを廃止するだけではなく、「記録所ヲ構ヘ置レテ、天下ノ雑訴ヲ聞シメサル」(百寮訓要抄別注)にあるように多種の訴訟も行っており(延久では訴訟を扱わなかったとの説あり)、雑訴決断所の直接の母胎は記録所と考えられます。
一般的には記録所は延久以来建武まで設置されないように考えられますが、実際は、院政期にも鎌倉時代にも多くの設置例があります。鎌倉時代は幕府政治に目が向きやすいですが、公家政権も実権を持った政権です。鎌倉時代の公家政権は、天皇家の総領で実権者である治天の君が、院であるときは院政、天皇であるときは親政の形式をとります。後嵯峨天皇の親政及び院政以来、天皇親政のときの記録所、院政のときの評定設置が多く見られます。後嵯峨院政の時の最初の評定衆設置は、幕府の圧力による設置です。これに対して後嵯峨天皇、伏見天皇、後醍醐天皇の親政の時に記録所が設置され(院評定の下部機関としての設置あり)、親政の象徴的機関として成立します。記録所、院評定共に仁徳のある政治の「徳政」を実現させるための機関であり、所領の訴訟や神事・行事の会議や裁決を行い、最高機関として政務の中心にありました。この中で伏見天皇期の記録所は、訴訟の分野別に六班に分かれていました。(この六班編成が雑訴決断所の八班編成に影響したといわれます。)
後醍醐天皇も元亨元年(1321)の親政開始に伴って記録所を設置しており、建武新政に始めて記録所を設置したわけではなく、旧来の伝統の上に設置され、徳政の実施、訴訟なども行われました。この後、元弘の変、後醍醐天皇の隠岐島配流と還幸を経て、記録所の再設置、雑訴決断所の分離独立等が行われています。
雑訴決断所は、五畿七道の八番に別れ、主に所領関係の訴訟について裁決しましたが、梅松論に「大議にをいては、記録所にをいて裁許あり、」との記述がありますので、記録所があくまで上位機関であったようです。
このように長々と記述したのは、記録所・雑訴決断所が後三条天皇の記録所に源を持つものであるが、鎌倉時代の流れを見れば、「幕府評定-引付」と、「記録所-雑訴決断所」、及び「院評定-(記録所)院評定の下部機関として評定の補助実務機関としての記録所」の三つのグル-プは、名称や多少の内容に違いがあっても、実質的には同じ性格を持つ機関と考えられます。
それは、陣定などの公卿会議や太政官、政所・問注所などの既存の機関がありながら、政務と訴訟の中心機関として成立していること。その目的が「徳政」であること。記録所や幕府評定が訴訟などを受け持つ下部機関を創設して権限を移行していること。あくまでも記録所や幕府評定が上位機関であり、雑訴決断所や引付は下部の訴訟中心の機関として存在したなどです。となると、雑訴決断所と引付は、所領問題を中心とした訴訟機関として同様の性格を持つ機関と考えられます。
違いは、引付が評定の補佐の役割を持っていたこと。引付は裁判についての判決原案を作成するに止まること。引付が初期三番、後期五番から八番編成であったが、地域割りを行わなかった(西国については六波羅探題・鎮西奉行所に引付があった。)ことなどです。
そのため、梅松論に「決断所と號て、新に造らる、是は先代(北条氏)引付の沙汰のたつ所也、」とあるように、当時から引付と雑訴決断所は同様な機関と考えられていたものと思われます。(乱発された綸旨の処理なども引付の持っていた評定の補佐の役割に由来するものと思われます。)


長々と書いてしまい申し訳ありません。私自身良い勉強になりました。ありがとうございます。
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