どなたか私生活中心主義の辞書的な意味がわかる方いらっしゃいますか?
同じような質問が過去にもあったようなんですが、
こう、辞書的な、定義を教えていただきたいんです。。
時間がなくてあせってます。
分かる方、どうかよろしくおねがいします。

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A 回答 (1件)

私生活中心主義そのものについては辞書には載っていないようですが、辞書的な言葉を造語として造るなら、



「Family-Manism」、「Private-Lifeism」、「Privacyism」、「Privacycentrism」

などが考えられます。
因みに「Privacycentrism」は「中華思想」の「Sinocentrism」からヒントを得ました。
ただし「Centrism」だけだと「中道主義」になってしまいます。
単に「私生活中心主義なんです。」という場合には「I put my family above everything else.」とか「I regard my privacy as most important.」とか言えますけどこれじゃ「辞書的な定義」じゃないんでしょう。
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Q個人主義と私生活中心主義の違いは??

個人主義と私生活中心主義を調べていると、なんだか内容が
すごく似ているようなのです。
けど、先生が言うには「決定的な違い」があるらしいんです。
どうしてもそれがわかりません。分かる方、どうかおしえてください。。_(._.)_

Aベストアンサー

 私生活主義という言葉があるのですね。わりと定着した言葉なのでしょうか?
 こんな例で考えてみてはいかがでしょう。
 ある学級で、今度の連休に皆で金を出し合って出かけることになりました。ただし海と山と各自が選んでどちらかに行くことになりました。
 その結果、50人中40人が海、5人が山、5人が行かないと意思表明しました。ところが困ったことに、5人だと団体割引がきかないので割高になります。
 そのため学級内は、山は断念して行くのは海だけとか、10人揃えば団体割引になるから他派から5人をかき集めるとか、皆で行くと決めたのに行かないなんて奴はけしからん、などなど議論が紛糾しました。
 さて、そこで、個人主義者と私生活主義者はどうするでしょう。以下、私の考えるところの両者の行動です。
 海派の個人主義者は、山派の5人の費用も海派の40人の費用と合算して人数で割る。行きたくない人は費用を負担せず行かなくていいと主張します。
 山派の個人主義者は、1人だけでも山へ行く。高くなるけれど費用は山派5人で賄う。行きたくない人は費用は負担せず行かなくていいと主張します。
 行かない派の個人主義者は、決して行かない。費用は払わずに済むはずだが、皆で行くという話なのだから費用を負担してもいい。行き先が海だけになるのは反対だと主張します。
 私生活主義者は、せっかくの休みだから行かない。自分が行かなくて済めば、他のことはどうでもいい。海派と山派の私生活主義者も、好きなところに行かれるなら、他のことはどうでもいいと言います。
 端的に言うと、個人主義者は集団に対して自分の要求を守ると同時に他の少数の要求も守ります。集団と向き合わないと個人主義は成立しないので対集団です。私生活主義者は自分の要求が満たされればいいという没集団です。ちなみに集団主義者は50人が海、利己主義者は自分の費用が最小になることを目的に議論するでしょう。
 いかがでしょうか?

 私生活主義という言葉があるのですね。わりと定着した言葉なのでしょうか?
 こんな例で考えてみてはいかがでしょう。
 ある学級で、今度の連休に皆で金を出し合って出かけることになりました。ただし海と山と各自が選んでどちらかに行くことになりました。
 その結果、50人中40人が海、5人が山、5人が行かないと意思表明しました。ところが困ったことに、5人だと団体割引がきかないので割高になります。
 そのため学級内は、山は断念して行くのは海だけとか、10人揃えば団体割引になるから他派から5人...続きを読む

Q資本主義、共産主義、次は何主義?

資本主義も共産主義も問題が多いです。もっと良い主義はないのでしょうか?

考えたことありませんか?

資本主義も修正し共産主義も修正し人口爆発、資源の争奪戦をやてますが

何か・・・ボランティア主義?世界宗教?の様な 新しい思想はないものでしょうか?

僕は存在性思想を掲げましたが 桜咲かず 梅咲かず

何か良い主義ありませんか?

ちなみに当方病人のため、要点を教えて下さると有難いですm(_ _)m

Aベストアンサー

共存共栄を願う、win-winのを目指すサナダムシイズムでしょうか。

日本周辺の海に住み、最終宿主が人間であるサナダムシは、
宿主さまから栄養のお余りをいただく代わりに、
宿主さまがガンやアレルギーなどにならないような化学物質を作り、ひそかに宿主さまの健康を守っていた。陰ながら健康に貢献させていただいていた。
宿主さまに死なれると自分もともに死ななければならないので、長い進化の過程でこのようなwin-winの関係が構築された。

このサナダムシの活動を見倣おうというのがサナダムシイズムです。
あくまで控え目で謙虚に、そして、宿主さまへの感謝の念を忘れない。

実際の人間⇔サナダムシの関係は宿主⇔寄生虫の固定的な関係ですけれども、
人間社会においては、時に、宿主がサナダムシになり、サナダムシが宿主になったりと、その都度、その役割を変えますがね。宿主とサナダムシの役割は流動的であり、同時に流動的でなければならない。固定的になってはいけない。


ちなみに、西洋の海に住むサナダムシは凶暴で宿主から栄養を一方的に搾取して宿主を劇ヤセさせたり、宿主に様々な健康障害をもたらします。
西洋のものは、思想、原理・原則だけではなく、サナダムシまで凶暴なんですよ。
Win-Winの関係を目指したりしない。
そこにあるのは一方的な搾取であり、相手を根絶やしてまでも自身の利益や正義(?)のみを追求しようとする貪欲で非情な論理。

共存共栄を願う、win-winのを目指すサナダムシイズムでしょうか。

日本周辺の海に住み、最終宿主が人間であるサナダムシは、
宿主さまから栄養のお余りをいただく代わりに、
宿主さまがガンやアレルギーなどにならないような化学物質を作り、ひそかに宿主さまの健康を守っていた。陰ながら健康に貢献させていただいていた。
宿主さまに死なれると自分もともに死ななければならないので、長い進化の過程でこのようなwin-winの関係が構築された。

このサナダムシの活動を見倣おうというのがサナダムシイズムです。...続きを読む

Q資本主義の次は○○主義、って当分資本主義でしょ!?

若手論客の方々の対談を聴く機会があって、頭の良い方々の議論を聴くのは刺激があってそれはそれですごく楽しいのですが、自分なりに色々疑問とか違和感も湧きました。

地域地域の共同体が崩れて、これから新しい共同体の形を模索できないだろうか、国家と個人の間に入る、理想的な中間共同体は無いだろうか…というような議論があって、1人の方は、ネット上で同じ趣味の人同士がつながって趣味共同体みたいなのができればそれでいいんじゃないか~みたいなことを言っていました。

またもう1人の方は、人間生活の元々の形態は農業だから、農業社会の再生を~みたいなことを言う人がいるが、難しいんじゃないか~とか、人間の歴史は○○年代まで農業社会で○○年代まで企業社会でそれもだんだん崩れてきて~みたいなことを言っていました。

やっぱり評論家みたいな人たちってこういう議論が好きなんだな~と思いながら聞いていたのですが、やっぱり違和感がありました。

ネット上で多くの人がつながれる、というイメージ自体は私も好きですが、それとは別の話で、現実の社会の大多数は、いまだに企業共同体、しかないと思うのです。

今までの時代は企業のつながり、お金のつながりを通してしか、人は徒党を組めなかったけど今からは違う~みたいなことを言っておられたのですが、実際そうかな…確かにネット等を通じて、新しいコミュニティみたいなものが少し芽生え始めているかもしれませんが、実際大多数の人は、学校を卒業したらもう企業の社会に絡めとられてしまっている、と思うんですね。

これは高度成長期、バブル前後、から、別に今もそんなに変わっていないと思うんです。

なんとなくバブルが崩壊してから何年もたって、ネットが登場して、リーマンショックでアメリカの凋落とか言われたり世の中が大変化しつつあるような印象がありますが、世の中の大多数の人は依然「資本主義」の論理の中で生きていて、組織の有無を言わさぬ圧力のもとで忙殺に近い生活を強いられている人が大半じゃないか、と思うんです。資本主義の次は○○主義だ、とか、農業社会、企業社会の次は○○社会だ、みたいな言い方をする人がいるようですが、資本主義も企業社会も全然終わっていないと思うんですね。

そういう感覚が、頭が良いはずの評論家、学者の方はもしかしたらちょっと分かっていないんじゃないかな~と思いました。

トヨタもそろそろ倒産するかもしれない、とか、日立の明日も危ないとか、そういう話、あり得ませんよね?

ですから、こういう言い方をすると共産主義の人ですね、と言われて終わりそうですが、言論で仕事をされる方に望みたいのは、いかに資本主義、企業の圧力から人々を解放するか、そしてそれ以外の共同体とか、BIなり、企業以外で生活を建てる方法がないか、そういうことを具体的に考えて欲しいんですね。

人間一人ひとり、ここの議論みたいにもっと社会はこうあるべき?とか、もっとこういうサービスを作るべきじゃない?とか、若い人でも本当は色々考えられるはずなのに、企業に入ったとたん、大抵の人は考える余裕を奪われていると思います。企業の価値観、あり方に全身染まることを要求されるのです。そういう意味でも、マルクスの時代から100何年たった今でも、資本主義、企業社会は依然問題を多く孕んでいると思います。

そういう議論、必要だと思いませんか?

若手論客の方々の対談を聴く機会があって、頭の良い方々の議論を聴くのは刺激があってそれはそれですごく楽しいのですが、自分なりに色々疑問とか違和感も湧きました。

地域地域の共同体が崩れて、これから新しい共同体の形を模索できないだろうか、国家と個人の間に入る、理想的な中間共同体は無いだろうか…というような議論があって、1人の方は、ネット上で同じ趣味の人同士がつながって趣味共同体みたいなのができればそれでいいんじゃないか~みたいなことを言っていました。

またもう1人の方は、人間生活...続きを読む

Aベストアンサー

僕が思想を始めた'70年代は、まだ学生運動の余熱が残っており、
それが次第に市民と遊離した過激派として追いやられ、消えて、
その後に三無主義(無気力・無関心・無責任)と呼ばれる波が
来ました。
それでは、その「三無主義の波」は去ったかというと、そのまま
時代の基調になって、今に至ります。

「いや無気力・無関心じゃない」と言われる人もいるでしょう。
しかしこの『無気力・無関心・無責任』というのは、自分の利益や
自分の仕事についての話ではなく、社会的な事についてなのだ。
要するにそれまでは、『社会は個人の意志で変えられる』という
通念があり、実際に学生に限らず社会人もデモやストライキで
大なり小なり世の中を動かした時代があったのだ。
しかし、次第に体制の締め付けと国民の軽薄化が功を奏し、
“親方日の丸”で国政は腹黒い政治家と官僚に任せっぱなしに
なりつつある中、その閉塞感への若い力の最後の抵抗が'70年
代の学生運動の騒乱であったのだ(そして敗れて三無主義)。

今、「哲学」ならまだしも、社会体制的なことに関わる「思想」的
だと思われる事を口にすれば、その内容の如何を問わず周りの
人から危険人物認定され、出版やネット発信が過ぎれば当局
のブラックリストに載る。
この、独裁者なきファシズム国家は、容易に変革できない(叩く
べき頭のない)粘着質の構造をつくり上げたのだ(抵抗できず
海外に逃げた派の私のような人間にも責任がある)。
これを動かすには、何か学術的な権威において証明するとか、
パブリックなブームに乗せるとかして、一気に数を集めないと、
隅っこで議論しても潰されるだけです。

僕が思想を始めた'70年代は、まだ学生運動の余熱が残っており、
それが次第に市民と遊離した過激派として追いやられ、消えて、
その後に三無主義(無気力・無関心・無責任)と呼ばれる波が
来ました。
それでは、その「三無主義の波」は去ったかというと、そのまま
時代の基調になって、今に至ります。

「いや無気力・無関心じゃない」と言われる人もいるでしょう。
しかしこの『無気力・無関心・無責任』というのは、自分の利益や
自分の仕事についての話ではなく、社会的な事についてなのだ。
要するにそれまで...続きを読む

Q自己中心な考えとして、利己主義というのがありますよね。

自己中心な考えとして、利己主義というのがありますよね。
いままで自分は利己主義というのを、自己中心、自分本位な考え方として使ってきたのですが、
辞書で確認しましたら、「自分の利益を一番に、自分に不利益にならないように、」と書いてありました。
では、利益とかそんなのではなくて、本当の意味で、
「自分が中心に世界が回っている」とか、「自分を主体として主人公として考える」、「自分がいないと世の中始まらない(世界は自分の見ている夢、幻想である」といった考え方は何主義というのでしょうか?
これも利己主義でよいのでしょうか?
また、反対に、
「相手を主体として考える」や、「相手の中に自分を見る」、「相手の中の自分こそが自分で、相手がいないと始まらない(自分は相手の見る世界の一部に過ぎない」なんていう考え方は何主義というのでしょうか?
これは、利他主義でいいのでしょうか?
正式な名称が無い、分からない場合は、カッコいい名称を考えてみてもらえると嬉しいです。

稚拙な説明のために、質問が分かりにくいかもしれませので、おっしゃってもらえればもう少し説明いたします。
ご回答よろしくおねがいいたします。

自己中心な考えとして、利己主義というのがありますよね。
いままで自分は利己主義というのを、自己中心、自分本位な考え方として使ってきたのですが、
辞書で確認しましたら、「自分の利益を一番に、自分に不利益にならないように、」と書いてありました。
では、利益とかそんなのではなくて、本当の意味で、
「自分が中心に世界が回っている」とか、「自分を主体として主人公として考える」、「自分がいないと世の中始まらない(世界は自分の見ている夢、幻想である」といった考え方は何主義というのでしょうか...続きを読む

Aベストアンサー

最初に確認しておかねばならない事は、「自己中心主義」と
「利己主義」は、異なるレベルの定義で、自己中心主義=
物事を自分を中心にしか見る事ができない(他人の気持ちを
思いやれない、自分を客観視できない)中でも、利己でなく
利他であり得ます。
よくある「おせっかい=自分勝手なお世話」がそうです。

言語としては、「自己中心主義」の反対は「他己主義」
(他人と自己を同一視する)ですが、実用的には「博愛主義」
と言った方が明確でしょう。

一方、「利己主義」もよく自己中心主義と混同されますが、
利己であっても、その意識が“社会生命的自覚=自己の生が
社会全体の営為に依存している認識”に基づいていれば、
その利己の実現過程には利他(社会全体の順調な機能)が
介在し得、利己と利他は統合されるのです。

世間的に言われる「利己的」は、お金や出世といった
“馬車馬の目の前のニンジン”によって他律的に生かされる
拝金主義経済奴隷たちの短絡的(自己チュー)な利己です。

Q資本主義、社会主義、存在主義。存在こそが第一義の目的・価値なのでは?

資本主義とか言ってますが 資本のために人間が首を括っています

お金がないと何も出来ない、お金を持ってない人なんか誰も相手にしない程

社会主義も 何で人より社会が偉いんだ?

存在こそ全て 存在イズオール 人間存在を守るために社会も資本もある。

存在主義を打ち立てようではありませんか。

存在しない事には話にもなりません、誰も救われません。

人間は存在を求める、永遠に。

如何ですか?存在主義で人間存在を守りませんか?

Aベストアンサー

「存在主義」
わかりやすくて、良いと思います。
まあ、当たり前と言えば当たり前なんですが、当たり前のことを忘れてしまうところから、あらゆる誤謬が始まるわけですしね。
◎資本主義、社会主義、存在主義◎
このように比較提示した点が haru27 さんの功績じゃないでしょうか。
単に「存在」だけだと当たり前と言われてしまうが、このように比較することで、「そうだ、存在こそが大事だったんだ」と(改めて)気づかせる効果はある。

ただ、資本主義でもなく社会主義でもない良さを発揮するためには、「(自分だけの)存在主義」であってはならないはず。
「存在主義」は、我にも彼にも適用可能なのでしょうから、「自我としてのこの我」という避けて通れぬ自己主張をどのように解決していくか、という道筋も同時に示さないと腰の弱い主義になってしまいそうな気はします。


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