鎌倉時代の広告を学校の新聞に載せるのですが、
何かありますか?

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A 回答 (4件)

「あなたも、新天地で力を試してみませんか?」



京で力を発揮していない あ な た !
今、鎌倉の将軍家では律令に精通した高級事務職員を募集中です。

すでに転職に成功した大江の広元さんは
「京では 従五位下だったけど、官位もグングン上がって、正四位下。仕事も全国に渡ってやりがい満々です。所領も今度、相模の国 毛利荘をもらいました、まぁ これは本業でないので、四男に継がせようと思ってますが、なにか、大大名になる予感もします。」
と、京時代ではありえない喜びを語っています。

という 人材募集広告というのは?
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広告ですか。

鎌倉時代の商工業とからめると広告っぽいでしょうね。

鎌倉時代で思いつくのは、運慶湛慶快慶などの仏像。東大寺の金剛力士像や三十三間堂の千手観音など。

もうひとつは貨幣経済の発達。太平記の「青砥藤綱」のエピソードは貨幣の重要性を強調するものだと教わりました。いわば「お金は大事だよー」
http://www1.seaple.icc.ne.jp/kusuyama/3burakana/ …
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鎌倉時代に起こった大きな事件を取り上げればいいのでは。

たとえば元寇とか
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宗教かなあ。


平安時代までの国家宗教(僧はあるいみ国家公務員)に対して、鎌倉新仏教と呼ばれる民衆主体の仏教がいくつか出来て、民衆に布教しています。
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Q平安時代、鎌倉時代などの時代区分をした人物は?

質問させていただきます。
歴史学初心者です。
平安時代、鎌倉時代、室町時代などと、一般常識としてそれぞれの時代に名称がありますが、それを名付け、且つ特定の日時をその時代名称の変わり目と定めた人物又は団体とは、一体誰(何)なのでしょうか。

ご存知の方、是非ともお教えください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>平安時代、鎌倉時代、室町時代などと、一般常識としてそれぞれの時代に名称がありますが、それを名付け、且つ特定の日時をその時代名称の変わり目と定めた人物又は団体とは、一体誰(何)なのでしょうか。

明治5年の学制により学校制度が作られて以降、小学校への就学を促進するための親に対する啓蒙的な教育として、1885(明治18年)に「通俗教育」が初めて文部省の事務章程に規定されました。
この、全国民的な学校教育が開始され、それまでの「寺子屋」での「読み書き」「算盤」から、いわゆる、「国語」「算数」「理科」「社会」
を教えることとなり、この中の「社会」で、「歴史」を教える段階で、誰もが理解しやすいように、「鎌倉時代」とか「室町時代」「戦国時代」「江戸時代」等を区切って教えるようになったのが始まりのようです。

ちなみに、「通俗教育」とは、
通俗教育は当初、就学奨励を目的として、親に対して学校や教育の重要性について通俗的に語ることから始まったが、合わせて親や住民に対する国民としての啓蒙的な教育としての意味もあった。日清戦争以降、小学校の就学率は急速に上昇し、国民教育制度の確立が進んでいくが、それに伴って通俗教育の内容が、親への就学奨励を目的とする教育から民衆への啓蒙的な教育へと比重を移していく。特に1894(明治27)年8月に始まった日清戦争に際しては,国民の愛国心の形成や・「尚武教育」を目的とした幻灯会などが実施され,国民意識を鼓舞していく。

(よもやま話)
(1)江戸時代も後期になると、日本は教育世界一だったのです。
その頃のイギリスでは教育普及率が20%位、フランスにいたっては1.4%。ところが、日本では85%でした。

(2)日本人は大概の人が文字を読んだり書いたりできました。

(3)従って、「かわら版」や「絵草子」などが庶民にも読めたのです。また、「三下り半(離縁状)」なども、庶民は書くことができたのです。

(4)江戸時代も末期になり、アメリカやイギリス等々の外国人が日本に「上陸?」しましたが、これほどまでに庶民が文字を書いたり、読めたりすることには、非常な驚きであった、と、言われています。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>平安時代、鎌倉時代、室町時代などと、一般常識としてそれぞれの時代に名称がありますが、それを名付け、且つ特定の日時をその時代名称の変わり目と定めた人物又は団体とは、一体誰(何)なのでしょうか。

明治5年の学制により学校制度が作られて以降、小学校への就学を促進するための親に対する啓蒙的な教育として、1885(明治18年)に「通俗教育」が初めて文部省の事務章程に規定されました。
この、全国民的な学校教育が開始され、それまでの「寺子屋」...続きを読む

Q鎌倉時代→室町時代→安土桃山時代で正しいですか?

専門的なことではなく、一般教養としての話です。

また、諸説ありますが、建武の新政や南北朝時代は、室町時代の中の区分として考えても間違いではないのでしょうか

Aベストアンサー

正しいですね。

ただ、建武の新政は、室町時代にも鎌倉時代にも入らないでしょう。

理由を論じるのは、「専門」に含まれますので、割愛します。

Q義経の時代(鎌倉時代)にはお風呂はありましたか?

「蒸し風呂」のようなものが昔はあったようですが、義経の鎌倉時代にはすでにあったのでしょうか?また毎日入る習慣はあったのでしょうか?教えてください。

Aベストアンサー

参考URLに風呂の歴史が載っています。

現在のように浴槽に張った湯につかるのは、江戸時代になってからのようですね。
温泉はあったのですから、湯につかることはあったのでしょうが、土地の人以外は日常的ではなかったようです。

http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1244910
こちらの質問にも関連することですね。
川や湖での水浴びは、現在でも世界各地で行われています。
温泉が近くにない限り、蒸し風呂にしても釜風呂にしてもどこにでもあるようなものではなかったのでしょうから、体が汚れたら、きれいな水のあるところで水浴びをするのは、しごく当然の行為だったのではないでしょうか。
水浴びに関するタブーは特になかったようですし、むしろ、沐浴は体を清めるという宗教的な意味もあったでしょうから、汗で汚れた体を清めたいという自然な欲求からきているのだと思います。
いまでも修行のために滝に打たれたり、水ごりなどすることがありますが、暑い夏などは気持ちのよいものだったと思います。

家庭で行水するならともかく、旅先では川の水はありがたかったと思います。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/shincoo/m124-1furo-nihon.html

参考URLに風呂の歴史が載っています。

現在のように浴槽に張った湯につかるのは、江戸時代になってからのようですね。
温泉はあったのですから、湯につかることはあったのでしょうが、土地の人以外は日常的ではなかったようです。

http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1244910
こちらの質問にも関連することですね。
川や湖での水浴びは、現在でも世界各地で行われています。
温泉が近くにない限り、蒸し風呂にしても釜風呂にしてもどこにでもあるようなものではなかったのでしょうから、体が汚れたら、きれ...続きを読む

Q鎌倉時代、南北朝時代、室町時代

歴史好きの63歳主婦です。

安土桃山時代から、江戸時代、明治維新、明治時代、大正時代

昭和時代の流れ等は、頭に入っているのですが、

鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、、が

なかなか、理解できません。

なにか、すんなりと理解出来る書籍とかありませんでしょうか?

Aベストアンサー

なかなか理解できない原因はなんだとお考えでしょうか
いきなり妙な物言いで申し訳ありません。

鎌倉時代から室町時代といいますのは、西洋史的概念から中世と呼ばれる時代です。
なぜ中世という時代区分が設けられたのかと言いますと、平安時代以前の古代と呼ばれる時代のあらゆる体制(政治、社会、文化)が一大転換した時代であったことが一つの要因です。
平たく言いますと価値観が入れ替わる過渡期の時代です。
このような時代を政治史の権力階層だけを追って歴史を見ると混乱してしまいます。
安土桃山時代以降はいわゆる武家政権の時代です。明治維新も単に武家階層内での交代です。
大正、昭和も武家の流れを汲む軍人が政治の中枢だった時代です。
これと同じ感覚でご覧になられると、全てが入れ替わっていく時代ですので、ウッカリしますと、史実がお互いに何の脈絡もないように錯覚してしまいます。
ということで、まずどれだけ混沌とした時代であったのかということを頭に入れることをやってみて下さい。
急がば回れ、です。

中世のややこしさについては下記のようなサイトがあります。

日本の中世 - Biglobe
www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/history037.htm

多少読みにくいかとは思いますが以下のような書籍があります。

中世に国家はあったか(日本史タブレット) 新田一郎 山川出版社

あと中世関連の入門書的なものを紹介したサイトがありますのでご覧下さい

新書マップ | 日本の中世
shinshomap.info/theme/japanese_medieval.html

蛇足
武家は平安時代には御所の縁先の地べたに両手をついて頭を下げている侍(さぶろうもの)でした。
現在日本の文化とされている、あらゆる風俗、習慣、文化は室町時代に生まれたものです。
茶道も華道も書道も全て室町時代以降のものです。
和服も室町時代以降の服装です。
御承知のようの仏教も現代のものは鎌倉仏教の末裔です。
神道も室町時代の吉田神道を継承しているだけです。
現在の日本の農村風景というものも室町時代に生まれたものです。

明治政府が妙な復古調のことをやったために、奈良、平安、の時代から続いているように誤解しているだけです。

なかなか理解できない原因はなんだとお考えでしょうか
いきなり妙な物言いで申し訳ありません。

鎌倉時代から室町時代といいますのは、西洋史的概念から中世と呼ばれる時代です。
なぜ中世という時代区分が設けられたのかと言いますと、平安時代以前の古代と呼ばれる時代のあらゆる体制(政治、社会、文化)が一大転換した時代であったことが一つの要因です。
平たく言いますと価値観が入れ替わる過渡期の時代です。
このような時代を政治史の権力階層だけを追って歴史を見ると混乱してしまいます。
安土桃山時代...続きを読む

Q鎌倉・室町、戦国、江戸時代の天皇 権威はあったの?

鎌倉・室町、江戸時代の天皇は権力がなく、室町時代や戦国時代は食べるものに困るほど貧窮した暮らしをしていたと思うですが、その時代には天皇の権威はあったのでしょうか?
あったとすれば、それは祭司王としての権威でしょうか?過去に作られた神話をもとにした権威でしょうか?古代の神(同時に鬼としても)信仰があったのでしょうか?ピースメーカーとして機能していたの?
権威があったのならあの時代、貧窮しなかっただろうし、江戸時代も皇位継承を幕府に握られるようなことはなかったと思うのですが。。。
そこらへんを詳しく解説していただけると助かります。

Aベストアンサー

<参考>
 日本史において、『中世~近世の天皇が、いかなる存在であったか』は、相当重要なテーマでありながら、過去の歴史家に見過ごされてきました。

 最近になって、この点を独自に掘り下げて、続けて論文・著書を発行し、この問題についての歴史的第一人者とみなされているのが、今谷明氏です。
 以下の著書を参考にお読みになればどうでしょうか。

『天皇家はなぜ続いたか 対談集』(新人物往来社 1991.12)
『日本国王と土民』集英社版日本の歴史、1992年)
『戦国大名と天皇 室町幕府の解体と王権の逆襲』(福武書店、1992年/講談社学術文庫、2001年)
『信長と天皇―中世的権威に挑む覇王』講談社現代新書、1992年/学術文庫、2002年)
『武家と天皇―王権をめぐる相剋』岩波新書、1993年)
『天皇と天下人』(新人物往来社、1993年)
『象徴天皇の発見』文春新書、1999年)
『象徴天皇の源流 権威と権力を分離した日本的王制』(新人物往来社、2011年)

 今谷氏は、女性宮家創設の是非について、日本政府から公式に意見を聞かれたりもしています。

<参考>
 日本史において、『中世~近世の天皇が、いかなる存在であったか』は、相当重要なテーマでありながら、過去の歴史家に見過ごされてきました。

 最近になって、この点を独自に掘り下げて、続けて論文・著書を発行し、この問題についての歴史的第一人者とみなされているのが、今谷明氏です。
 以下の著書を参考にお読みになればどうでしょうか。

『天皇家はなぜ続いたか 対談集』(新人物往来社 1991.12)
『日本国王と土民』集英社版日本の歴史、1992年)
『戦国大名と天皇 室町幕府の解体と王権...続きを読む


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